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『番の呪い』前編
66 『番の呪い』
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カップを持ったまま動きを止めているヴィクトリアを見ながらアルベールが話し出す。
「親が気になる? もしかしてうちの親と同居は嫌? あの二人は仕事が忙しくてたまに寝に来るくらいでほとんど帰ってこないし、医療棟にそのまま泊まることもあって、ほぼいないようなものだから気にしなくていいよ。向こうもあんまり気にしないだろうし。でもヴィーが嫌なら二人だけで別で暮らそうか」
「……アルと一緒に暮らすの?」
(いきなり同棲するという話になっている……)
「だって俺たち、番になるんだよ? さっきそう言ったよね?」
ヴィクトリアはどう返したものかと言葉に詰まった。
(えーっと……)
「アルは、その、私と番になるって本気なの?」
「もちろん。だって好きだから」
ヴィクトリアは口に含みかけていたお茶を吹き出しそうになった。そんなさらっと言わないでほしい。
「こ、子供の頃はそんな感じじゃなかったわよね? 私みたいなのを番にするなんて絶対ないって言っていなかった?」
「あの頃は子供だったんだよ。ヴィーのことを好きだって気付いていなかったんだ。好きだとはっきりわかったのはヴィーが崖に落ちたあの時からだよ。それより前はヴィーの気を引きたくて、意地悪なことばかりしていたんだ。本当にごめん」
アルベールはそう言って頭を下げた。
ヴィクトリアは驚愕した。
(謝られている……!)
まさか、あのアルベールが自分に謝罪するとは、生まれて初めての体験だ。
崖から落ちた後はヴィクトリアへの対応は改善されたが、彼の尊大さはなくならなかった。
(血を飲むことだって当たり前に思っている様子で、謝ってくることなんて一度もなかったのに……)
七年という歳月は彼を成長させるのには充分な時間だったのだろうか。
(アルの性格も、昔とは変わっているということ……?)
「昔ヴィーをぞんざいに扱っていたことは本当に申し訳なかった。償わせてほしい。一生大事にするから、俺と番になってくれないか?」
アルベールは申し訳なさそうな表情を浮かべて殊勝な態度を見せている。ヴィクトリアはアルベールにそんな表情をさせてはいけないような気分になり、落ち着かなくなった。
ヴィクトリアはアルベールと番になることを一瞬真剣に考えてみたが、しかし、否という答えしか出てこなかった。
現在、ヴィクトリアの胸にはレインが住み着いていて離れない。
(それにもし時間を置いてレインへの思いが消えたとしても、できることならアルじゃなくて、リュージュと番になりたいと思う……)
「あのね、そのー、私も色々あってね、やっとシドから離れられてこれから自分の人生を自由に生きて行こうかなって思い始めたばかりでね、あんまり今すぐ誰かと番になるとかは考えていなくて、しばらくは一人でいようかなー、なんて、思っている所なのよ」
アルベールは一見性格が丸くなったようにも見えるが、先程リュージュや里の仲間のことをゴミクズ呼ばわりしていたし、まだわからない。
ヴィクトリアはアルベールの機嫌を損ねやしないかとびくびくしながら遠回しに断りを入れてみた。
「うん、そう、わかった」
ヴィクトリアはほっと息を吐いた。アルベールがヴィクトリアの意見を素直に呑んでくれたことに若干驚きつつも、彼が断りを認めてくれてとにかく安堵した。
ヴィクトリアはカップをソーサーに戻した。
「ご馳走さまでした。お茶、とても美味しかったわ。そ、それじゃあ私はこれで……」
立ち上がったヴィクトリアはそそくさと出口に向かおうとする。
しかし、身体を部屋の出口へ向けた途端、背後にいたはずのアルベールがヴィクトリアの行く手を塞ぐように進行方向に佇んでいた。早すぎて動きが全くわからなかった。
「どこに行くの?」
一段低くなった声を出したアルベールがこちらをじっと見てくる。穏やかそうな顔付きだけど、目付きが鋭くなっていて怖い。
ヴィクトリアは瞬時に感じた怖れの感情を悟られないように表情は一切変えなかったが、額から冷や汗が出てきそうだった。
「……帰るのよ」
「どこに?」
自分の部屋には帰りたくなかった。あそこはシドに襲われた時のままになっているはずで、昨日くらいからやっと夢にも見なくなってきたというのに、行ったらあの時の恐ろしくて辛くて悲しい気持ちを思い出してしまう。
行くべき場所は一つしかない。
「リュージュの所に」
「ヴィーが帰るのはここだ。俺の所だよ。今日から俺たち一緒に暮らすんだ」
(何言ってるの?)
ヴィクトリアは瞬きを繰り返す。話が通じていなかったのかと戸惑いながらアルベールを見つめた。
「だって俺たち、番になるんだから」
「それは……」
(断ったじゃない……)
アルベールを怖れ、続く言葉が喉につかえて出てこない。
ヴィクトリアの表情は変わらないが、その実、顔が強張りそうになるのを耐えていた。アルベールはそんなヴィクトリアを見て顔に微笑みを浮かべている。
「ヴィーの今の気持ちはわかったけど、それでいいとは言ってない。俺のことが嫌いなのは知ってるよ。でもこれから好きになってもらえばいいだけだから」
アルベールの言う通り彼のことは嫌いだし怖い。また血を飲まれるかもしれないと思うと身体の底から震えを感じる。
微笑みを湛えたままアルベールが一歩踏み出してくるので、ヴィクトリアはその分下がる。距離を取り続けるがやがて壁際に追い詰められた。
顔の横の壁に手をつけられて金色の瞳に見つめられる。顔が近い。
ヴィクトリアは再び蛇に睨まれた蛙状態になった。
「好きだよ、ヴィー…… 俺にはヴィーしかいないんだ」
『好きだよ、ヴィー』
血を飲まれ始めた頃、何度か言われていた言葉があった。その意味は頭が受け入れることを拒否したり意識を無くしかけたりして長らく不明だったが、天啓のように突如記憶の底からその言葉が浮かび上がってきた。
ヴィクトリアはアルベールが昔何を言っていたのか理解した。
目の前のアルベールが同様に「好きだよ」と何度も言ってくる。
甘い声で囁かれて抱きしめられたが、ヴィクトリアは身震いして嫌だと思ってしまった。
(やっぱり駄目だ。アルを好きになんてなれない)
ヴィクトリアは心の中でアルベールへの恐怖と格闘する。ここで昔みたいに彼の言いなりになっていては駄目だ。子供の頃の自分から脱却しなければ。
言い難いけどはっきりと自分の意志を示して強く拒絶しないと、ヴィクトリアの気持ちを全部わかった上で攻めの姿勢を貫くアルベールには対抗できない。
ヴィクトリアはアルベールの胸を押して距離を作った。
「……アルとは番になれないわ」
「どうして?」
「私、好きな人がいるの」
「リュージュだろ?」
「違うわ」
首を降るヴィクトリアをアルベールはじっと見つめた。
「……ヴィーは、まさか自分を襲ってきた相手が好きなの? 襲われたい願望でもあるの?」
アルベールはヴィクトリアの身体から漂うレインの匂いをかなり詳細に嗅ぎ取っているようだった。
好きな相手がリュージュではないのなら、何度も口付けて襲われる寸前までいった人間の男に違いないと当たりをつけたのだろう。
ヴィクトリアは嘆息しながら首を降った。
「そんなのないわよ」
「じゃあ何で? ヴィーはそんな酷い男のどこが好きなの?」
ヴィクトリアは沈黙した。アルベールはヴィクトリアが言葉を紡ぐまで待ってくれた。
「……番、だから」
アルベールに伝えた情報は少ない。けれど彼は、全てを理解したようだった。
アルベールが険しい顔になって呟く。
「『番の呪い』か」
「親が気になる? もしかしてうちの親と同居は嫌? あの二人は仕事が忙しくてたまに寝に来るくらいでほとんど帰ってこないし、医療棟にそのまま泊まることもあって、ほぼいないようなものだから気にしなくていいよ。向こうもあんまり気にしないだろうし。でもヴィーが嫌なら二人だけで別で暮らそうか」
「……アルと一緒に暮らすの?」
(いきなり同棲するという話になっている……)
「だって俺たち、番になるんだよ? さっきそう言ったよね?」
ヴィクトリアはどう返したものかと言葉に詰まった。
(えーっと……)
「アルは、その、私と番になるって本気なの?」
「もちろん。だって好きだから」
ヴィクトリアは口に含みかけていたお茶を吹き出しそうになった。そんなさらっと言わないでほしい。
「こ、子供の頃はそんな感じじゃなかったわよね? 私みたいなのを番にするなんて絶対ないって言っていなかった?」
「あの頃は子供だったんだよ。ヴィーのことを好きだって気付いていなかったんだ。好きだとはっきりわかったのはヴィーが崖に落ちたあの時からだよ。それより前はヴィーの気を引きたくて、意地悪なことばかりしていたんだ。本当にごめん」
アルベールはそう言って頭を下げた。
ヴィクトリアは驚愕した。
(謝られている……!)
まさか、あのアルベールが自分に謝罪するとは、生まれて初めての体験だ。
崖から落ちた後はヴィクトリアへの対応は改善されたが、彼の尊大さはなくならなかった。
(血を飲むことだって当たり前に思っている様子で、謝ってくることなんて一度もなかったのに……)
七年という歳月は彼を成長させるのには充分な時間だったのだろうか。
(アルの性格も、昔とは変わっているということ……?)
「昔ヴィーをぞんざいに扱っていたことは本当に申し訳なかった。償わせてほしい。一生大事にするから、俺と番になってくれないか?」
アルベールは申し訳なさそうな表情を浮かべて殊勝な態度を見せている。ヴィクトリアはアルベールにそんな表情をさせてはいけないような気分になり、落ち着かなくなった。
ヴィクトリアはアルベールと番になることを一瞬真剣に考えてみたが、しかし、否という答えしか出てこなかった。
現在、ヴィクトリアの胸にはレインが住み着いていて離れない。
(それにもし時間を置いてレインへの思いが消えたとしても、できることならアルじゃなくて、リュージュと番になりたいと思う……)
「あのね、そのー、私も色々あってね、やっとシドから離れられてこれから自分の人生を自由に生きて行こうかなって思い始めたばかりでね、あんまり今すぐ誰かと番になるとかは考えていなくて、しばらくは一人でいようかなー、なんて、思っている所なのよ」
アルベールは一見性格が丸くなったようにも見えるが、先程リュージュや里の仲間のことをゴミクズ呼ばわりしていたし、まだわからない。
ヴィクトリアはアルベールの機嫌を損ねやしないかとびくびくしながら遠回しに断りを入れてみた。
「うん、そう、わかった」
ヴィクトリアはほっと息を吐いた。アルベールがヴィクトリアの意見を素直に呑んでくれたことに若干驚きつつも、彼が断りを認めてくれてとにかく安堵した。
ヴィクトリアはカップをソーサーに戻した。
「ご馳走さまでした。お茶、とても美味しかったわ。そ、それじゃあ私はこれで……」
立ち上がったヴィクトリアはそそくさと出口に向かおうとする。
しかし、身体を部屋の出口へ向けた途端、背後にいたはずのアルベールがヴィクトリアの行く手を塞ぐように進行方向に佇んでいた。早すぎて動きが全くわからなかった。
「どこに行くの?」
一段低くなった声を出したアルベールがこちらをじっと見てくる。穏やかそうな顔付きだけど、目付きが鋭くなっていて怖い。
ヴィクトリアは瞬時に感じた怖れの感情を悟られないように表情は一切変えなかったが、額から冷や汗が出てきそうだった。
「……帰るのよ」
「どこに?」
自分の部屋には帰りたくなかった。あそこはシドに襲われた時のままになっているはずで、昨日くらいからやっと夢にも見なくなってきたというのに、行ったらあの時の恐ろしくて辛くて悲しい気持ちを思い出してしまう。
行くべき場所は一つしかない。
「リュージュの所に」
「ヴィーが帰るのはここだ。俺の所だよ。今日から俺たち一緒に暮らすんだ」
(何言ってるの?)
ヴィクトリアは瞬きを繰り返す。話が通じていなかったのかと戸惑いながらアルベールを見つめた。
「だって俺たち、番になるんだから」
「それは……」
(断ったじゃない……)
アルベールを怖れ、続く言葉が喉につかえて出てこない。
ヴィクトリアの表情は変わらないが、その実、顔が強張りそうになるのを耐えていた。アルベールはそんなヴィクトリアを見て顔に微笑みを浮かべている。
「ヴィーの今の気持ちはわかったけど、それでいいとは言ってない。俺のことが嫌いなのは知ってるよ。でもこれから好きになってもらえばいいだけだから」
アルベールの言う通り彼のことは嫌いだし怖い。また血を飲まれるかもしれないと思うと身体の底から震えを感じる。
微笑みを湛えたままアルベールが一歩踏み出してくるので、ヴィクトリアはその分下がる。距離を取り続けるがやがて壁際に追い詰められた。
顔の横の壁に手をつけられて金色の瞳に見つめられる。顔が近い。
ヴィクトリアは再び蛇に睨まれた蛙状態になった。
「好きだよ、ヴィー…… 俺にはヴィーしかいないんだ」
『好きだよ、ヴィー』
血を飲まれ始めた頃、何度か言われていた言葉があった。その意味は頭が受け入れることを拒否したり意識を無くしかけたりして長らく不明だったが、天啓のように突如記憶の底からその言葉が浮かび上がってきた。
ヴィクトリアはアルベールが昔何を言っていたのか理解した。
目の前のアルベールが同様に「好きだよ」と何度も言ってくる。
甘い声で囁かれて抱きしめられたが、ヴィクトリアは身震いして嫌だと思ってしまった。
(やっぱり駄目だ。アルを好きになんてなれない)
ヴィクトリアは心の中でアルベールへの恐怖と格闘する。ここで昔みたいに彼の言いなりになっていては駄目だ。子供の頃の自分から脱却しなければ。
言い難いけどはっきりと自分の意志を示して強く拒絶しないと、ヴィクトリアの気持ちを全部わかった上で攻めの姿勢を貫くアルベールには対抗できない。
ヴィクトリアはアルベールの胸を押して距離を作った。
「……アルとは番になれないわ」
「どうして?」
「私、好きな人がいるの」
「リュージュだろ?」
「違うわ」
首を降るヴィクトリアをアルベールはじっと見つめた。
「……ヴィーは、まさか自分を襲ってきた相手が好きなの? 襲われたい願望でもあるの?」
アルベールはヴィクトリアの身体から漂うレインの匂いをかなり詳細に嗅ぎ取っているようだった。
好きな相手がリュージュではないのなら、何度も口付けて襲われる寸前までいった人間の男に違いないと当たりをつけたのだろう。
ヴィクトリアは嘆息しながら首を降った。
「そんなのないわよ」
「じゃあ何で? ヴィーはそんな酷い男のどこが好きなの?」
ヴィクトリアは沈黙した。アルベールはヴィクトリアが言葉を紡ぐまで待ってくれた。
「……番、だから」
アルベールに伝えた情報は少ない。けれど彼は、全てを理解したようだった。
アルベールが険しい顔になって呟く。
「『番の呪い』か」
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