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『番の呪い』前編

54 真相

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 ヴィクトリアはリュージュに抱えられたまま里に向かっていた。馬は人慣れしているらしく、移動しようとすると自ら付いてきた。
 
 ヴィクトリアはリュージュの首に腕を回したまましばらく泣いていたが、やがて落ち着きを取り戻した。

「大丈夫か?」

 ヴィクトリアが泣き止むと、リュージュが眉を寄せながらとても心配そうな顔で問いかけてきた。一度は止まった涙だったが、労るような声をかけられると嬉しいんだか悲しいんだかで鼻の奥がつんとしてしまい、ヴィクトリアは再度泣き出してリュージュを慌てさせた。

「ヴィクトリア、落ち着いてからでいいから何があったのか全部話してくれ」

 ヴィクトリアは頷いた。リュージュが命がけでシドから逃がしてくれたのに、戻ってきたら首輪がついてるわ髪の毛がざんばらに短くなってるわで、それにレイン――人間の男と口付けて身体を触られている事も匂いでわかっているだろうし、リュージュにしてみたらこの数日で何でこうなったと心配になってしまうのもわかる。

 ヴィクトリアはレインのことをまた思い出してしまい、切なくなった。レインのことを頭から追い出すように、ヴィクトリアはリュージュにしがみついて彼の匂いを嗅いだ。

 リュージュは、まだサーシャと番になっていなかった。リュージュには申し訳ないが、ヴィクトリアとしてはまだ完全に他の女性のものになっていない彼の匂いは、ずっと求めていた大好きな匂いのままで、リュージュの匂いに包まれているのが嬉しかった。

 ヴィクトリアはリュージュの腕の中にいると、とても安心して安らげた。傷付いた心が癒やされていくようだった。
 レインに抱えられていた時とは真逆の心の動きだ。
 レインにお姫様抱っこされた時は恥ずかしいのが先行したが、胸が高鳴って落ち着かなくなり、離してほしいのに離してほしくなくて、ごちゃごちゃとした心の動きをしたものだった。

 かつてリュージュにもレインに対した時のように胸が騒いでどうしようもなくなる時があった。なのに、今リュージュへ感じる気持ちはそれとは対局のものになっている気がした。信頼に基づいた揺るぎない安心感。ヴィクトリアのリュージュへの思いは、恋心と呼ぶには少し変質しているようだった。

 だがリュージュにはサーシャがいるのだから、むしろこれでいい。

(私は、レインでもリュージュでもない、別の人を探さなければ……)

 番を探す。その考えに至ると、なぜだか黒髪の青年のことばかりが頭に浮かぶ。ヴィクトリアは、駄目だ、またレインのことを考えている、と思い、ぶんぶんと頭を降った。

「どうした?」

 リュージュがヴィクトリアの様子に驚いて声をかける。

「な、何でもない」

 ヴィクトリアは誤魔化すようにそう言ってから、リュージュの首に再び強くしがみついた。

 それにしても、結婚式後数日経ってもまだリュージュがサーシャと身体を繋げていないとは思わなかった。ヴィクトリアは、リュージュってもしかして奥手なのだろうか?と思った。

(ただ、それにしては、確かサーシャと番になると思いを通わせた日に口付けを交わしていたような……)

 疑問に思いながらも、リュージュの温もりが心地良すぎて、ずっとこのままこうしていたくて、サーシャに悪い事をしているように感じながら、ヴィクトリアは最後まで自分で歩くとは言い出さなかった。





 リュージュは途中にあった牧場の中に馬を入れた。里の牧場には牛や豚や羊はいるが、馬は一頭もいない。

 以前はいたのだが、七年ほど前にシドがヴィクトリアの逃走に使われるのを防ぐため、里から一掃してしまったのだ。

 リュージュはヴィクトリアを抱えたまま移動し――――サーシャと暮らし始めた二人の家ではなく、元々暮らしていたウォグバードの家に入った。

(あれ?)

 ヴィクトリアは首を捻った。

「何でウォグバードの家なの?」

 リュージュの表情が明らかに陰った。さっきからずっと気になっていたが、リュージュにいつもの朗らかさがない。再会してから口を硬く引き結び口数の少ないリュージュに違和感を感じていたが、影を背負ったかのような雰囲気がさらに濃くなった。
 リュージュはしばらく沈黙していたが、ヴィクトリアを居間のソファに降ろして自身も隣に座ると、言いにくそうにしながら口を開いた。

「……サーシャとは別れた」

「えっ!? 何で?!」

 ヴィクトリアはリュージュの衝撃発言に唖然として、瞬きも忘れて彼の横顔をぽかんと見つめた。

(え? 結婚式は? 誓いの口付けは? 二人で幸せになるんじゃなかったの?)

 数々の疑問が浮かぶが混乱して言葉にならない。

 項垂れたリュージュが憔悴しきっているように見えた。別れたのは冗談ではなく本当のことのようだ。

(何でそうなった? 私が身を引いたのは一体何だったの?)

「どうして…… そんなことになったの?」

 色んな考えがぐるぐると頭を巡るが上手く言葉に出来ず、理由を尋ねるのが精一杯だった。

「あいつは元々、俺のことなんて好きじゃなかったんだ。別の相手が好きだったらしい。でも、その相手が自分を好きになることは永遠に無いって言ってた…… その相手が誰なのかは、結局最後まで教えてはもらえなかった。俺の告白を受け入れたのは、シドに脅されたからだって。俺と番にならなければ、あいつの母と弟妹を殺すと。追い詰められて、俺と恋人になるしかなかったそうだ」

 結婚式の日のサーシャの様子を思い出す。ヴィクトリアが祝いの言葉を言った時、サーシャは悲しそうにして、こちらを責めるような顔をしていた。幸せいっぱいのはずの花嫁が結婚式当日にする表情ではない。

 ヴィクトリアが里を出奔した時も、サーシャにリュージュをよろしく頼むと言ったが、彼女は返事をしなかった。もしかしたらサーシャは、あの時にはもう、リュージュと別れることを決めていたのかもしれない。

 ヴィクトリアは確信した。自分のせいだと。

 シドは、リュージュが他の女性を選ぶことで、リュージュを好きなヴィクトリアが傷付いて、自分に靡くかもしれないと思ったのだろう。

(あれは、あの失恋は、仕組まれたものだった……

 シドは、あの時私のことを心配して寄り添ってくれたんじゃない。全然違う。全部自分で仕掛けて、私が闇落ちするのを待っていたんだ。

 なのに私は、あんな人のことを……)

 ヴィクトリアは青くなった。

「シドは、俺がお前とずっと一緒にいることが気に入らなかったんだろうな。俺に番が出来れば、俺がお前から離れていくと思ったのかもしれない」

 リュージュは、ヴィクトリアがリュージュを好きだった事を知らないのだから、そう思っても不思議ではない。でも、真相は彼の考えとは違う所にある。

「違うの、私が――――」

 リュージュに腕を強く掴まれて、ヴィクトリアの言葉が途中で遮られる。

「お前のせいじゃない。悪いのはサーシャを脅したシドだ。お前に非は全く無い。この件でお前が自分を責めるのだけは本当に勘弁してくれ」

 リュージュに辛そうな顔と声音で言われると、ヴィクトリアはそれ以上何も言えなくなってしまった。

 顔を伏せるリュージュを見て、ヴィクトリアの心も傷付く。あの時自分が身を引いたのは、リュージュこんな思いをさせるためではなかったのに。

「……でも、いくら脅されていたって言っても、二人はとても仲が良さそうに見えたわ。サーシャだってリュージュのことが嫌いだったわけじゃないと思うの。最初の入口に間違った部分があったとしても、二人ならきっと仲睦まじい番になれたと思うわ。獣人は番になった相手をずっと大切にして、一途に思い続けられる生き物よ。あなたたちならきっと、本物になれたと思うわ」

 リュージュは力なく首を振る。

「あいつも、俺と番になる覚悟を決めて恋人になったらしい。でも、駄目だった。出来なかった。何度も試したんだ。でも、いつも最後の最後で拒まれる。口では大丈夫だと言いながら、サーシャは根本的な所で俺を受け入れてはいなかったんだ。死にそうな顔をして泣きながらやめてくれって言われたら、それ以上出来るわけないだろ。

 シドに脅されていたと打ち明けられた時、俺のことは好きだけど好きじゃないって言われたよ。弟みたいにしか思えないって。そういう対象としては見られないって。
 別れ話の時、サーシャは泣きながら原因は全部自分にあるから、俺は何も悪くないって言ってた。俺を傷付つけることになって本当に申し訳ないけど、それでも、自分を偽ることはできないって。

 俺は、もうこれで終わりなのか、どうにかやり直すことはできないのかって思って、みっともなくてもいいから縋ろうと思ったんだけど…… でももうこれ以上、サーシャを苦しめたくなかったんだ。

 ……本当は前から何度か別れ話は出ていた。でもその度に、サーシャは別れたくないって言ってて、俺は、身体を繋げることは出来なくても、あいつの気持ちはずっと俺にあるんだろうって、そう思ってた。そう、思い込みたかったんだろうな。
 俺は好きだったから、愛していたから、サーシャの心の準備が整うまで、いつまででも待つつもりだった。たとえ身体が繋げられなくても、サーシャがいてくれればそれで良かったんだ。

 俺が幸せだと感じている間、その裏でサーシャは家族の命を脅かされて、恋愛対象とは思えない俺からは身体を触られて…… サーシャは全部飲み込んで俺のそばではずっと穏やかそうに過ごしてたよ。

 何で俺は、あいつが悩んで抱えているものに、気付いてやれなかったんだろうな……」

 ヴィクトリアは口を挟むことも出来ずにリュージュの話を聞いていた。何かの事情が一つでも異なっていたら、二人は幸せになれたのだろうか。

「ヴィクトリア、俺はしばらく立ち直れそうにないよ」

 リュージュは涙を堪えてはいたが、目は赤く充血していて今にも泣き出しそうだった。

 リュージュが苦しんでいる。

(リュージュが……!  私の大切なリュージュが……!)

 愛を失い、心を痛めて、嘆き悲しんでいる。

 ヴィクトリアは、がばっと立ち上がった。

「わ、私、サーシャと話してくるよ!」

 戸口へ向かおうとしたヴィクトリアの腕をリュージュが掴んで止める。

「サーシャはもういない。里から出て行った」

「な、んで……」

 ヴィクトリアは絶句した。

 ヴィクトリアの身体から力が抜ける。リュージュに腕を引かれた状態だったので、そのまままストンとソファに腰が落ちた。

(里から出るくらい、リュージュとやり直すつもりは全く無いということか……)

「……なんでお前が泣くんだよ」

 ヴィクトリアはしゃくり上げてすすり泣いていた。

「ごめんね、私もちょっと色々あって……」

 サーシャと別れたリュージュの辛さが、レインと別れることを決めた自分の辛さと重なる。

 泣き続けるヴィクトリアの身体をリュージュが無言で引き寄せて抱きしめた。
 ヴィクトリアはリュージュの身体に手を回して彼に縋った。
 抱きしめてくるリュージュの腕には力が籠もっていて痛いくらいだった。リュージュもヴィクトリアに縋っているようだった。

 ヴィクトリアがリュージュの匂いを嗅いでいると、リュージュの手が首に伸びてきた。バキリ、と重く鈍い音がして、首輪が二つに割れる。

 ナディアが壊せなくて、その後力が戻ったヴィクトリアも壊す事が出来なかった厚い金属製の首輪を、リュージュはいとも簡単に破壊した。

 リュージュは顔色一つ変えずに首輪を何度も何度もへし折った。リュージュは首輪をバラバラにして粉々にして、床に捨てた。

 首輪を粉砕しすぎているリュージュに驚いていると、彼はヴィクトリアの短くなった銀の髪を梳き、濡れた頬にそっと手を当てて涙を拭った。

 正面から赤みがかった瞳が覗き込んでくる。労るような眼差しを向けながらも顔をしかめているリュージュは、やや苛立っているようだった。

「で、そっちは何で首輪なんか着けられることになったんだ?」
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