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対銃騎士隊編

41 困惑

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 身体が浮遊する。

 ヴィクトリアは夢を見ていた。

 夢の中ではレインに横抱きにされていた。レインの匂いを強く感じる。ヴィクトリアは自分もレインに抱き着いて首の横辺りに顔をこすりつけ、匂いを嗅いだ。全てを放り出しても構わないと思うくらいの芳しい香りがする。

 深く呼吸を繰り返せば、恍惚とした幸せに包まれた。

(好きなの)

『ヴィクトリア?』

 夢の中のレインが戸惑ったような声を出した。レインへの愛しさが溢れてくる。夢の中だと自分の気持ちを素直に口にすることができた。

(あなたの匂いがとても好き)

『匂い? 俺のことは?』

(好きよ)

『本当に? また騙してるんじゃないだろうな?』

(大好き。世界で一番好きな匂いよ)

『匂いって…… まあ、匂いでも何でもいい。とにかく俺のことが好きなんだね?』

(そうよ)

 夢の中のレインが笑いかけてくれる。

『俺も君が大好きだよ』

 夢の中のヴィクトリアはその言葉を受けて満足した。再び意識が薄れていく。感覚がなくなる直前、唇に柔らかいものが触れた気がした。





 雨が降っているような音がする。ヴィクトリアはゆっくりと意識を浮上させていった。目を開けて、自分が寝台の上に横になっていることに気付く。いつの間にか眠っていたようだ。

 あれ? とヴィクトリアは手を突いて上体を起こした。レインの横で椅子に座っていたはずなのに、なぜか寝台で寝ている。そしてレインの姿がない。
 レインがどこにいるのかはすぐにわかった。浴室から水音がする。雨だと思っていたのはレインがシャワーを浴びている音だったらしい。

 ヴィクトリアはレインの匂いに特別敏感になっているようで、勝手に匂いを感じ取り彼の浴室での様子を知覚してしまった。

 近い距離を探る時でも普通はもっとぼやっとしているのに、感じる絵はやけに鮮明だ。ヴィクトリアはレインの裸身が手に取るようにわかってしまった。

 ヴィクトリアは慌てて頭を振った。その情景を追い出そうとするが、身体はレインの匂いを嗅ぐことをやめない。ヴィクトリアは悶絶した。

(だめ! だめ!)

 早くここから離れねばと床に足を降ろしたが、立てずにその場に崩れ落ちた。匂いが全くわからなくなるくらいの距離まで移動したいのに、衝撃に腰が抜けてそれ以上動けなくなってしまった。身体に力が入らない。
 
 ヴィクトリアのブラウスのリボンが解かれていて、外されたボタンの奥に新しい痕がつけられていた。寝てる間に口付けされたらしき残り香もあったが、ヴィクトリアはそんなことどうでもよくなるほどの衝撃に包まれていた。

 浴室で水を滴らせているレインはとても色っぽい。隆々としすぎない締まった筋肉を持っていて、自分の体躯とはだいぶ違う。

 そう、自分とは、全く、違う。

 ヴィクトリアは素っ頓狂な悲鳴を上げた。

 バタン――!

「どうした⁉」

 脱衣所の扉が勢い良く開く。

 レインが全身濡れたまま腰にタオルを巻いただけで現れたのを見た途端、床に蹲っていたヴィクトリアはその場にバタリと倒れた。

 レインが倒れたヴィクトリアを見て驚いて駆けてくる。

「どうしたんだ? 大丈夫か? しっかりしろ!」

 抱きかかえられて、ヴィクトリアは事態はより悪化したと感じた。表情操作なんてできずに顔を赤らめレインの腕の中で息を潜めていた。至近距離に半裸のレインがいる。

(いい匂いがするしもうだめだ。このまま気絶したい)

「顔が赤いな? 熱があるのか?」

 レインが額に手を当ててくる。

(熱はないけど、違う意味で熱は上げているかもしれない……)

「ヴィクトリア、熱はないようだが、どこか痛いとか苦しいとかはあるか?」

(胸が苦しい……)

 しかしそんなことは言えない。胸がぎゅっと絞られたように苦しいが、原因に思い当たる節はあって、これは病気ではない。

 何も言葉を発さずに苦しそうな顔で瞳を潤ませているヴィクトリアを、レインが心配そうに見つめている。レインの濡れた黒髪から雫が滴り落ちた。

(ああ格好良い。いや違う違う。惚れてはいけない。平常心に――――なれない。好き。だめ。好き。だめ…………

 ああもう何が何だかわからない)
 
 ヴィクトリアが何かを呟いたが声が小さい。レインはヴィクトリアの口元に耳を寄せた。

「ふ……」

「ふ?」

「服着て」

 服を着れば匂いが少しは遮断されるし、視覚的刺激からも逃れられる。

 レインはヴィクトリアが恥ずかしそうに言ったその一言と彼女の様子から、何かを察したようだった。

 レインは安心したように息を吐き出したあと、ふっと笑った。

「君は見掛けによらず男に耐性がないんだな」

(見掛けによらずってどういう意味よ!)

 ヴィクトリアは言い返そうと思ったが、そんな元気はなかった。

「まさか上半身裸を見ただけで倒れるとは」

(いいえ、匂いで全部確認したわ……)

 そんなこと言えないけど。

 ただ、思えばこれまでは父親にしか言い寄られたことがなかったし、リュージュともほとんど色気のない付き合いしかしてこなかった。
 シドの裸なら見たことはあったが、シドは父親なのでヴィクトリアの中では男性のうちに入っていなかった。

「よくもまあそんな状態で『抱いて』なんて言えたものだな」

「ごめんなさい……」

 懇願した時のことを思い出して小さい声で謝罪し恥じ入っていると、レインがヴィクトリアを抱え上げた。

「……もっとゆっくりいくか」

「ゆっくり?」

 ヴィクトリアを寝台に寝かせながらレインが呟くが、言葉の意味がわからずに聞き返す。

「ああ、ゆっくり休んだほうがいい」

「ありがとう。そうさせてもらうわ」

 レインの顔が迫ってきたと思ったら口付けられた。朝はとっくに通り過ぎていて約束の期限は切れている。レインを嫌がらずに受け入れてしまっている自分がいた。

 甘く痺れるような感覚に支配されて、口付ける度に喜びが深くなっていくようだった。

(もうだめ……)

 身体に力が入らなくなり始めた所で、レインが唇を離した。

 レインは、ぼうっとした様子のヴィクトリアに笑みを向けただけで脱衣所に行ってしまった。

 しばらくして服を着たレインが戻って来た。ヴィクトリアのすぐ横、寝台に腰掛ける。

「体調はどう? 何か食べられそう?」

 レインに頬を撫でられる。手の感触が心地良い。

「そういえば、お腹がすいたわね………」

 昨夜は自分も一睡もしなかったせいで、椅子に座ったまま寝てしまったようだ。窓の外はとても明るい。時間帯はもう昼に近いのだろう。

「大丈夫そうなら何か食いにいくか。いや――――」

 どうやら銃騎士隊の詰所に連れて行かれるわけではないようでほっとしたが、ヴィクトリアは言葉の途中で険しい顔になったレインを不思議そうに見つめた。

「だめだ! 食事をしてるのなんて見られたら君を狙う不埒者が増えるだけだ!」

 結局、宿屋の人に頼んで食事を部屋まで持ってきてもらうことになった。





 近くの食事処から肉料理を運んでもらった。部屋のテーブルに向かい合って座りながらレインも同じものを食べている。

 厚めのステーキだがレインが最初に切り分けてくれたので食べやすい。

「ヴィクトリア……」

 指を舐めていると、レインが困惑気味な声を出した。

「頼むからフォークを使ってくれ。俺と一緒になりたいなら手掴み食べは改めてほしい。毎回心臓がもたない」

(……今、何て言った?)

「一緒になるの?」

「ならないのか?」

 今度はヴィクトリアが困惑する番だった。

「それは、私と番になるということ?」

「そうだよ」

 ヴィクトリアは黙ってしまった。

「まずは恋人になろうか、俺たち」

 うん、と頷いてしまいそうなるのを寸前で堪えた。

(わかっている。彼には伝えていないけど、レインが好き)

 でも今ここで是とは言えない。わかったと、決定的なことを言ってしまったら、瞳の奥に欲望が見え隠れするレインに後ろの寝台に引っ張り込まれてしまうような気がした。

 獣人の番選びは人生を左右する。一時の感情で流されるわけにはいかない。

 レインと番になるには、乗り越えなければならない問題がいくつかある。

「あなたにそう言ってもらえるのは嬉しいけど、まだ気持ちの整理がつかないの」

 ずるいのはわかっているが、肯定も否定もせず曖昧な返事をした。

「すぐにじゃなくていいから考えておいて」

 ヴィクトリアの答えを責めるでもなく受け入れてくれたレインを見て、心に罪悪感のようなものが芽生えた。

 レインの視線が先程から何度かヴィクトリアの胸の辺りで止まる。

「……食べ終わったら買い物に行こうか。君の下着と、服の替えも何着か必要だろう」

「靴も! 靴も買いに行きたい!」

「ああ、いいよ」
 
(やった!)

 ヴィクトリアはぐっと拳を握りしめた。

「それにしても昨日は何で下着を着けていなかったんだ?」

「下着は着ているもの一組だけだったのよ。洗濯して着回そうと思っていたの」

「確かそうだったな。言ってくれれば買ってきたのに」

「男の人にそんなこと頼めないわよ」

「恋人のものだと言えば不審がられずに買えるよ」

(恋人……!)

 改めて聞くとざわつく言葉だ。ヴィクトリアは内心だけで慌てていたが、あることに気付いた。

「そうだ、私お金持ってない」

「買ってあげるよ。好きな子にプレゼントくらいさせて」

 好きな子、その言葉が嬉しくて完全にしまりのない表情を浮かべそうになるが、微笑んだ程度に留める。

「ありがとう」

 ヴィクトリアは手持ちがないのだからレインに頼るしかない。宿代も食事代も全部レインが支払っている。

(里に戻ることがあったら、装飾品の類を換金していつか返そう)

 レインが椅子を移動させてヴィクトリアの隣に座った。面食らっていると、レインが全く使われていないフォークを掴み、肉片を刺してヴィクトリアの口元に持ってくる。

「フォークが使えないようだから食べさせてあげるよ。はい、あーんして」

「え? え?」

 困惑するが、目の前に差し出された肉片をじっと見つめる。ヴィクトリアはおずおずと口を開いてフォークの先端を口に入れた。

(美味しい)

 何度か食べさせてもらうのを繰り返していると、レインが腰に手を回してきてドキリとする。やめてと言えない。

 レインはずるい。抱きしめられたり口付けられたりしてもヴィクトリアが抵抗できないのをわかってやっている。レインはたぶん、ヴィクトリアの気持ちに気付いている。

「キスしていい?」

 紙ナプキンでヴィクトリアの口元を拭きながらレインが聞いてくる。

「まだ、食事中……」

「頬でいいから。恥ずかしいなら目を瞑ってて」

 言われた通り目を閉じると、頬ではなく唇に口付けてきた。

 レインはずるい。
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