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故郷編
24 真実と偽りの間 ✤
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注)襲われ注意
***
シドは顔をしかめはしたものの、呻き声は上げなかった。
「ヴィクトリア」
シドは威嚇するような声でヴィクトリアの名を呼んだ。ゆっくりと起き上がり、不機嫌さを顕にした目つきで彼女を見下ろす。
シドが背中に手をやり、短剣を引き抜くと、傷口からぬるりと血が溢れて衣服を汚した。血の付いた短剣がカタリと音を立てて床に落ちる。
シドの全身から、いら立ちが滲み出ていた。
「痺れ薬か」
ヴィクトリアは母の形見の短剣に自作の痺れ薬を塗っていた。日中の昼餐会において、どうにもシドが自分を見る目付きがいつもと違うような気がして、嫌な予感を覚えたヴィクトリアは夕刻の風呂上がりに塗っておいたのだ。
何事もなく、考えすぎであればそれでいい。短剣を洗い流せばそれで済む。けれど、予感は当たってしまった。
痺れ薬の作り方の知識は本で得た。本は商人から購入する以外にも図書棟に蔵書があったので、乱読するヴィクトリアが何を読んでいるのかまで、シドも全てを把握しているわけではなかった。
薬作りは難航は極めた。
まず、材料が手に入らない。シドの目があるから商人からは購入できないし、自分で調達するしかなかった。魔の森に行くのが一番良いが、ヴィクトリアは森に入れない。だがそれもリュージュが現れたことで解決できた。
材料はリュージュがサーシャと薬草摘みに行く時にこっそり採取してもらっていた。シドは里の中で不審な匂いがあればすぐに気付いてしまうので、木を隠すなら森とばかりに、「狩り」でシドが不在になるまでリュージュ経由でサーシャに保管してもらっていた。サーシャが自発的に材料を取ってきてくれることもあり、ヴィクトリアは彼女にもお世話になっていた。サーシャが秘密を漏らすこともなかった。
貰った材料は石鹸箱にしまい、やはりシドが「狩り」で不在になる時だけ調合をしていた。匂いを飛ばすために長時間乾かしたり効能をあげるために濃縮したりして、失敗して材料を駄目にしてしまうことも多々あり、薬作りに着手してから納得のいくものが完成するまで五年くらいかかった。ほとんど最近出来上がったようなものだった。
家畜の牛に試したところ、即効で蹲って動かなくなってしまったので、シドにもそこそこ効くのではないだろうか。
シドはヴィクトリアを激しい憎悪の渦巻く眼差しで睨んでいた。
ヴィクトリアはすぐさま寝台から飛び降り、金属製の扉まで駆けて行こうとして――――だが、途中で振り返った。
シドの側、寝台の近くの床に母から貰った短剣が落ちている。形見の短剣。
(お母さまが私にくれた大切なもの。他の物はいらない。でもあれだけは)
ヴィクトリアは判断を誤った。短剣は捨て置いて逃げるべきだった。
短剣を拾おうとしたヴィクトリアの手首をシドが掴んだ。予期していなかったヴィクトリアの全身を驚愕が包む。ヴィクトリアは再び寝台に縫い留められてしまった。
(何で動けるの……!)
薬の効果がこんなに早く切れるわけがない。さっきは確かに効いていた。おそらく気力と元々の筋力の力で薬の効能を打ち消しているのだろう。
(そんな馬鹿な)
「大人しくしていれば、夢を見るように抱いてやったものを」
シドの顔を仰ぎ見たヴィクトリアは色を失った。シドの瞳には妖しく残虐な光が宿っている。ヴィクトリアは震えた。
シドはヴィクトリアに馬乗りになった。シドの動きは背中の痛みを全く感じさせない。両手首をそれぞれに抑えられながら、息がかかるくらいの距離にシドの顔があった。
シドが端正な顔を歪めて笑う。昼間見た嗜虐的な顔がそこにあった。
「なあ、ヴィクトリア。リュージュとサーシャは今頃どうしているだろうな」
ぴくりとヴィクトリアの眉が動いた。なかなか眠れなかった理由の一つがそれだ。
「リュージュのことを考えて悶々としていたんだろ? お前も可哀想になあ。あの馬鹿はお前がこんなに思っていることにも気付かず、他の女とヤッてるんだからな」
「リュージュのことをそんな風に貶めた言い方しないで!」
「ふん、随分と持ち上げたもんだな。お前に懸想されてることにも全く気付かないあのクソガキのどこがいい? 平気な顔をしてお前に他の女への愛を説き、お前があいつの為にと常に心を砕いていることなど何も知らず、お前の前で幸せそうな顔をして他の女に口付ける」
ヴィクトリアはぎゅっと唇を噛んだ。シドはヴィクトリアの胸の傷を抉ってくる。
「しかし滑稽だなヴィクトリア。父親の俺は嫌だと言うくせに、あいつには惚れるんだからな」
シドはこの日一番の、嫌な笑い方をした。
「リュージュは、お前の弟だぞ」
ヴィクトリアは驚愕に目を見開いた。
「嘘よ……」
ヴィクトリアは凍りついた。
リュージュにサーシャと番になると告げられた時に匹敵する衝撃だった。
「考えてもみろ。お前の番になるかもしれないような男が側にいることを、俺が許すと思うか? お前はあいつと過ごしていて、何も感じなかったのか?」
そうだ、リュージュと出会って交流を持つようになった頃、シドがなぜ何も言ってこないのか疑問に思った事があった。
リュージュは成長するに連れて段々と色素が薄くなってきて、茶色だった髪も今では赤髪と言っていいくらいだ。瞳の色も黒から赤に変わってきている。
赤い色。顔付きはそれほど似ていないけれど、赤はシドの色だ。
シドは複数の女と関係を持つ。把握できていない兄弟がいたところで不思議じゃない。
なぜ気づかなかったんだろう。外見に似通っている所はあった。けれど、笑顔の眩しいあの優しいリュージュと、目の前で残酷な言葉を吐きながらヴィクトリアが傷付くのを楽しんで笑っているような加虐趣味のある男が親子だなんて、性質が違いすぎて到底思い至らなかった。
「リュージュもそのことを知っているようだったしな。お前のような美しい女と共に過ごしながら心を動かされない男はいない。あいつがお前に靡かなかったのは、お前が姉だと知っていたからだ。お前は、ずっとあいつに欺かれていたんだ」
青褪めて何も言葉を発せなくなっているヴィクトリアをシドが嘲笑している。
「どうした? あんなに好きだったくせに、百年の恋も冷めたか? お前は潔癖だからな。血の繋がりのある相手なんか男として見られないだろ」
(リュージュ、どうして言ってくれなかったの……)
リュージュはヴィクトリアにとって唯一の希望だった。リュージュへの信頼がぐらぐらと揺らぎ出しそうになる。
(………………………駄目だ)
シドの言うことなんか聞いちゃ駄目だ。
(勝手に好きになったのは私なんだから、騙されたなんて筋違いだ。言えなかったのには何か理由があったのかもしれない)
リュージュが弟でもいい。弟であってもそうでなくても、リュージュが大切な存在であることに変わりはない。
シドが笑うのを止めた。
「……お前の唯一の存在はこの俺だ。あいつへの思いは捨てろ」
真顔でそう言ってから、再びにやりと笑った。
「ここからは、俺とお前の時間だ」
シドがヴィクトリアの衣服を本格的に脱がしにかかる。
「知ってるか? どんなに俺のことが嫌いだと言った獣人の女共も、一度抱けば喜んで自分から腰を振ってくるようになるんだぜ」
ヴィクトリアは耳を塞ぎたくなった。
「やめて!」
「気持ちの繋がりよりも身体の繋がりを優先する。獣人とはそういう生き物だ。浅ましいと思うか? 蔑むか? 汚らわしいとでも思っているのか? お前だってそうなる。俺が教えてやる」
心臓が早鐘のように打ち付けている。シドと男女になるなんて絶対に嫌だ。でももう何の策も無い。このままでは本当にそうなってしまう。
(考えなきゃ、考えるの、まだ何か方法があるはず……)
「これからおまえは実の父親に犯されるんだ。心配するな、うんと気持ちよくしてやる。だが潔癖なお前は到底受け入れられないだろうな。ああ、楽しみだ。お前はどんな顔を見せてくれるだろう。
――――――絶望して、鳴け」
服は下着を残して完全に毟り取られてしまった。シドが胸元から顎先にかけてを舐め上げていく。耐えられなくなったヴィクトリアは泣き声を強めた。
シドは暴言を吐きながらも、涙を流すヴィクトリアを愛おしそうに見つめている。
抵抗するヴィクトリアを押さえつけて胸の谷間に舌を這わせていたシドが、ふと面白いことに気付いたかのように笑みを深くした。ヴィクトリアの耳元に口を寄せると、意地悪く囁いた。
「そうだ、今度お前の大好きなリュージュの目の前で犯してやろうか? あいつ、どんな顔するかな」
冷えていく。身体の中も、心も、全てが冷えていく。
シドがヴィクトリアの下着に手をかけた瞬間、天井の付近からバチバチと火花が散るような電流が出現した。シドが天井に鋭い視線を投げたが、ヴィクトリアは気付かない。
一瞬、頭が真っ白になって、何も見えなくなった。
部屋全体を冷気が包んでいる。視界が戻った時、シドは壁際にもたれるように座り込んでいた。シドの両腕と、胴体から下の部分が厚い氷で覆われている。氷はシドの身体だけでなく、その周囲数メートルに渡って氷柱のような突起を持ちながら横に伸びていた。シドは目を見開き、呆気に取られた顔でヴィクトリアを見ていた。
天井付近の電流は何事も起さず既に消失している。
ヴィクトリアは状況を目視するとすぐさま俊敏な動きで窓に向かい、身を投げるようにして外へ飛び出した。何が起こったのかよくわからないが、考えるのは後だ。
今度こそ短剣を拾って行くことは忘れなかった。ブラウスも引っ掴んで胸元を隠しながら走る。
シドの身体の大部分が凍りついていたから、動けるようになるまで少し時間が稼げるだろう。
「ヴィクトリアアアァァァーーーー」
シドの怒りの咆哮が聞こえる。
(怖い、怖い、怖い怖い怖い――――――)
ヴィクトリアは泣きながら走った。
ヴィクトリアはもし襲われた時は自分の気持ちを話して説得してみようと考えていた。
長年考え続けた結果、シドから安全に逃げる方法は無いというのがヴィクトリアの結論だった。
誰も傷付かない一番いい方法は、互いの望みの妥協点を探り、それを受け入れ合うこと。
ヴィクトリアは最大限譲歩したつもりだった。シドのために生きていこうと思っていたのも本心だ。
強欲なシドに対して上手くいく可能性も低いのだろうなとは思っていたが、それが駄目ならあとは過激な方法を採るしかなかったから、やってみる価値はあるだろうと思っていた。やってみなければわからないだろうと一縷の希望も持っていた。そして、結局わかり合えなかった。話し合いで何とかなるなんて、自分はなんて甘い考えだったのだろう。
(もう駄目だ。決裂したんだ。父と娘になんて戻れない。もう離れるしかない。あの人の手が届かないどこか遠くまで逃げ切るしかない)
途中でブラウスに袖を通したが、手が震えて上手くボタンが留められない。前を引き合わせただけの状態で、ヴィクトリアはリュージュとサーシャが暮らす家まで走った。
夜も更け、里の中はしんと静まり返っている。新婚初夜に突撃するなんて馬鹿げてる。でも、この里でヴィクトリアが頼れる相手なんて、一人しかいなかった。
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シドは顔をしかめはしたものの、呻き声は上げなかった。
「ヴィクトリア」
シドは威嚇するような声でヴィクトリアの名を呼んだ。ゆっくりと起き上がり、不機嫌さを顕にした目つきで彼女を見下ろす。
シドが背中に手をやり、短剣を引き抜くと、傷口からぬるりと血が溢れて衣服を汚した。血の付いた短剣がカタリと音を立てて床に落ちる。
シドの全身から、いら立ちが滲み出ていた。
「痺れ薬か」
ヴィクトリアは母の形見の短剣に自作の痺れ薬を塗っていた。日中の昼餐会において、どうにもシドが自分を見る目付きがいつもと違うような気がして、嫌な予感を覚えたヴィクトリアは夕刻の風呂上がりに塗っておいたのだ。
何事もなく、考えすぎであればそれでいい。短剣を洗い流せばそれで済む。けれど、予感は当たってしまった。
痺れ薬の作り方の知識は本で得た。本は商人から購入する以外にも図書棟に蔵書があったので、乱読するヴィクトリアが何を読んでいるのかまで、シドも全てを把握しているわけではなかった。
薬作りは難航は極めた。
まず、材料が手に入らない。シドの目があるから商人からは購入できないし、自分で調達するしかなかった。魔の森に行くのが一番良いが、ヴィクトリアは森に入れない。だがそれもリュージュが現れたことで解決できた。
材料はリュージュがサーシャと薬草摘みに行く時にこっそり採取してもらっていた。シドは里の中で不審な匂いがあればすぐに気付いてしまうので、木を隠すなら森とばかりに、「狩り」でシドが不在になるまでリュージュ経由でサーシャに保管してもらっていた。サーシャが自発的に材料を取ってきてくれることもあり、ヴィクトリアは彼女にもお世話になっていた。サーシャが秘密を漏らすこともなかった。
貰った材料は石鹸箱にしまい、やはりシドが「狩り」で不在になる時だけ調合をしていた。匂いを飛ばすために長時間乾かしたり効能をあげるために濃縮したりして、失敗して材料を駄目にしてしまうことも多々あり、薬作りに着手してから納得のいくものが完成するまで五年くらいかかった。ほとんど最近出来上がったようなものだった。
家畜の牛に試したところ、即効で蹲って動かなくなってしまったので、シドにもそこそこ効くのではないだろうか。
シドはヴィクトリアを激しい憎悪の渦巻く眼差しで睨んでいた。
ヴィクトリアはすぐさま寝台から飛び降り、金属製の扉まで駆けて行こうとして――――だが、途中で振り返った。
シドの側、寝台の近くの床に母から貰った短剣が落ちている。形見の短剣。
(お母さまが私にくれた大切なもの。他の物はいらない。でもあれだけは)
ヴィクトリアは判断を誤った。短剣は捨て置いて逃げるべきだった。
短剣を拾おうとしたヴィクトリアの手首をシドが掴んだ。予期していなかったヴィクトリアの全身を驚愕が包む。ヴィクトリアは再び寝台に縫い留められてしまった。
(何で動けるの……!)
薬の効果がこんなに早く切れるわけがない。さっきは確かに効いていた。おそらく気力と元々の筋力の力で薬の効能を打ち消しているのだろう。
(そんな馬鹿な)
「大人しくしていれば、夢を見るように抱いてやったものを」
シドの顔を仰ぎ見たヴィクトリアは色を失った。シドの瞳には妖しく残虐な光が宿っている。ヴィクトリアは震えた。
シドはヴィクトリアに馬乗りになった。シドの動きは背中の痛みを全く感じさせない。両手首をそれぞれに抑えられながら、息がかかるくらいの距離にシドの顔があった。
シドが端正な顔を歪めて笑う。昼間見た嗜虐的な顔がそこにあった。
「なあ、ヴィクトリア。リュージュとサーシャは今頃どうしているだろうな」
ぴくりとヴィクトリアの眉が動いた。なかなか眠れなかった理由の一つがそれだ。
「リュージュのことを考えて悶々としていたんだろ? お前も可哀想になあ。あの馬鹿はお前がこんなに思っていることにも気付かず、他の女とヤッてるんだからな」
「リュージュのことをそんな風に貶めた言い方しないで!」
「ふん、随分と持ち上げたもんだな。お前に懸想されてることにも全く気付かないあのクソガキのどこがいい? 平気な顔をしてお前に他の女への愛を説き、お前があいつの為にと常に心を砕いていることなど何も知らず、お前の前で幸せそうな顔をして他の女に口付ける」
ヴィクトリアはぎゅっと唇を噛んだ。シドはヴィクトリアの胸の傷を抉ってくる。
「しかし滑稽だなヴィクトリア。父親の俺は嫌だと言うくせに、あいつには惚れるんだからな」
シドはこの日一番の、嫌な笑い方をした。
「リュージュは、お前の弟だぞ」
ヴィクトリアは驚愕に目を見開いた。
「嘘よ……」
ヴィクトリアは凍りついた。
リュージュにサーシャと番になると告げられた時に匹敵する衝撃だった。
「考えてもみろ。お前の番になるかもしれないような男が側にいることを、俺が許すと思うか? お前はあいつと過ごしていて、何も感じなかったのか?」
そうだ、リュージュと出会って交流を持つようになった頃、シドがなぜ何も言ってこないのか疑問に思った事があった。
リュージュは成長するに連れて段々と色素が薄くなってきて、茶色だった髪も今では赤髪と言っていいくらいだ。瞳の色も黒から赤に変わってきている。
赤い色。顔付きはそれほど似ていないけれど、赤はシドの色だ。
シドは複数の女と関係を持つ。把握できていない兄弟がいたところで不思議じゃない。
なぜ気づかなかったんだろう。外見に似通っている所はあった。けれど、笑顔の眩しいあの優しいリュージュと、目の前で残酷な言葉を吐きながらヴィクトリアが傷付くのを楽しんで笑っているような加虐趣味のある男が親子だなんて、性質が違いすぎて到底思い至らなかった。
「リュージュもそのことを知っているようだったしな。お前のような美しい女と共に過ごしながら心を動かされない男はいない。あいつがお前に靡かなかったのは、お前が姉だと知っていたからだ。お前は、ずっとあいつに欺かれていたんだ」
青褪めて何も言葉を発せなくなっているヴィクトリアをシドが嘲笑している。
「どうした? あんなに好きだったくせに、百年の恋も冷めたか? お前は潔癖だからな。血の繋がりのある相手なんか男として見られないだろ」
(リュージュ、どうして言ってくれなかったの……)
リュージュはヴィクトリアにとって唯一の希望だった。リュージュへの信頼がぐらぐらと揺らぎ出しそうになる。
(………………………駄目だ)
シドの言うことなんか聞いちゃ駄目だ。
(勝手に好きになったのは私なんだから、騙されたなんて筋違いだ。言えなかったのには何か理由があったのかもしれない)
リュージュが弟でもいい。弟であってもそうでなくても、リュージュが大切な存在であることに変わりはない。
シドが笑うのを止めた。
「……お前の唯一の存在はこの俺だ。あいつへの思いは捨てろ」
真顔でそう言ってから、再びにやりと笑った。
「ここからは、俺とお前の時間だ」
シドがヴィクトリアの衣服を本格的に脱がしにかかる。
「知ってるか? どんなに俺のことが嫌いだと言った獣人の女共も、一度抱けば喜んで自分から腰を振ってくるようになるんだぜ」
ヴィクトリアは耳を塞ぎたくなった。
「やめて!」
「気持ちの繋がりよりも身体の繋がりを優先する。獣人とはそういう生き物だ。浅ましいと思うか? 蔑むか? 汚らわしいとでも思っているのか? お前だってそうなる。俺が教えてやる」
心臓が早鐘のように打ち付けている。シドと男女になるなんて絶対に嫌だ。でももう何の策も無い。このままでは本当にそうなってしまう。
(考えなきゃ、考えるの、まだ何か方法があるはず……)
「これからおまえは実の父親に犯されるんだ。心配するな、うんと気持ちよくしてやる。だが潔癖なお前は到底受け入れられないだろうな。ああ、楽しみだ。お前はどんな顔を見せてくれるだろう。
――――――絶望して、鳴け」
服は下着を残して完全に毟り取られてしまった。シドが胸元から顎先にかけてを舐め上げていく。耐えられなくなったヴィクトリアは泣き声を強めた。
シドは暴言を吐きながらも、涙を流すヴィクトリアを愛おしそうに見つめている。
抵抗するヴィクトリアを押さえつけて胸の谷間に舌を這わせていたシドが、ふと面白いことに気付いたかのように笑みを深くした。ヴィクトリアの耳元に口を寄せると、意地悪く囁いた。
「そうだ、今度お前の大好きなリュージュの目の前で犯してやろうか? あいつ、どんな顔するかな」
冷えていく。身体の中も、心も、全てが冷えていく。
シドがヴィクトリアの下着に手をかけた瞬間、天井の付近からバチバチと火花が散るような電流が出現した。シドが天井に鋭い視線を投げたが、ヴィクトリアは気付かない。
一瞬、頭が真っ白になって、何も見えなくなった。
部屋全体を冷気が包んでいる。視界が戻った時、シドは壁際にもたれるように座り込んでいた。シドの両腕と、胴体から下の部分が厚い氷で覆われている。氷はシドの身体だけでなく、その周囲数メートルに渡って氷柱のような突起を持ちながら横に伸びていた。シドは目を見開き、呆気に取られた顔でヴィクトリアを見ていた。
天井付近の電流は何事も起さず既に消失している。
ヴィクトリアは状況を目視するとすぐさま俊敏な動きで窓に向かい、身を投げるようにして外へ飛び出した。何が起こったのかよくわからないが、考えるのは後だ。
今度こそ短剣を拾って行くことは忘れなかった。ブラウスも引っ掴んで胸元を隠しながら走る。
シドの身体の大部分が凍りついていたから、動けるようになるまで少し時間が稼げるだろう。
「ヴィクトリアアアァァァーーーー」
シドの怒りの咆哮が聞こえる。
(怖い、怖い、怖い怖い怖い――――――)
ヴィクトリアは泣きながら走った。
ヴィクトリアはもし襲われた時は自分の気持ちを話して説得してみようと考えていた。
長年考え続けた結果、シドから安全に逃げる方法は無いというのがヴィクトリアの結論だった。
誰も傷付かない一番いい方法は、互いの望みの妥協点を探り、それを受け入れ合うこと。
ヴィクトリアは最大限譲歩したつもりだった。シドのために生きていこうと思っていたのも本心だ。
強欲なシドに対して上手くいく可能性も低いのだろうなとは思っていたが、それが駄目ならあとは過激な方法を採るしかなかったから、やってみる価値はあるだろうと思っていた。やってみなければわからないだろうと一縷の希望も持っていた。そして、結局わかり合えなかった。話し合いで何とかなるなんて、自分はなんて甘い考えだったのだろう。
(もう駄目だ。決裂したんだ。父と娘になんて戻れない。もう離れるしかない。あの人の手が届かないどこか遠くまで逃げ切るしかない)
途中でブラウスに袖を通したが、手が震えて上手くボタンが留められない。前を引き合わせただけの状態で、ヴィクトリアはリュージュとサーシャが暮らす家まで走った。
夜も更け、里の中はしんと静まり返っている。新婚初夜に突撃するなんて馬鹿げてる。でも、この里でヴィクトリアが頼れる相手なんて、一人しかいなかった。
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