秘密の香

四色美美

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「母ちゃん」と言った日に

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 俺は数日後、母親に会いにいった。勿論きちんとアクセスしてからだ。いきなり行って迷惑をかけてはいけないことぐらいの常識は兼ね備えていた。
娘が家庭裁判所預かりになると聞いたからだった。娘の取った行動は正当防衛ではなく、過剰防衛だと判断されたそうだ。何が何だか判らないけど、俺の行動のせいだと思っていた。だからただただ謝りたかったのだ。

 ストーカーに狙われるだけのことはある魅力溢れるボディー。それらを包むメンズファッション。それがまた色っぽい。俺は立場も忘れ、その場で彼女の全てに酔っていた。
以前彼女から自宅でトレーニングしているとは聞いていた。でも部屋にはそれらしき機材はない。俺は首を傾げた。
ストーカーの事件の時もその後もなかったから見たことはなかった。でも何かで鍛えなければこのボディーは出来上がらないと思っていた。

 「その節はありがとうございました」
彼女は言った。でもお礼を言われるほどのことはしていない。俺は勝手に犯人役を買って出ただけなのだ。しかもそのために彼女の娘が親元から引き離されたのだ。本当なら嫌味の一つや二つくらい言われて当然なのだ。
俺は首を振りながら、言葉を探した。

「お袋が亡くなり、途方に暮れていた時娘さんに『おじさん』って声を掛けられました」
でも、口をついて出たのは関係ない話だった。
それでも彼女は笑ってくれた。

「それは失礼致しました。まだ若いんでしょう?」
その言葉に頷いた。

「でもそれがきっかけで生きていたいと思うようになりました。だから命の恩人なのです」
そう言うと、彼女は俺の体を抱き締めた。彼女はきっと俺が死のうとしたことさえ承知しているのだと思った。同時にそれは、俺にもう一人の母と呼べる存在が出来たことを示していた。
彼女は俺のお袋と同じ歳だった。彼女に聞いた訳ではない。事情聴取の時、警察官が言っていたのだ。

『アラフォーだって言うのにあの身体じゃ男が放っておかないか?』
あの時警察官はそう言った。

『アラフォーって?』
俺が聞くと、耳打ちしてくれた。どうやら40代直前の意味らしい。
お袋は10代で俺を産んだ。本当は若い身体を俺のために磨り減らして亡くなったのだ。

 俺は恐る恐る彼女の背中に手を回した。何をする訳でもない。ただそうしていたかった。自分自身でさえ、何でそうしたいのか理解出来ない。彼女とお袋が重なったからだと思うことにした。健康的なハツラツボディーとやつれたお袋では、本当は似ても似つかないけど……。

 彼女は俺の心の中を知っていたみたいだ。だから優しく接してくれた。甘え方を知らない俺はもじもじするのがやっとだった。
すると彼女は胸元に顔を近付けてぎゅーっとしてくれた。まるで赤ちゃんをあやすそれのように……。
俺は赤ちゃんに戻りたい衝動にかられた。それはこの女性に母性を感じたからだった。

「私の子宮に戻りたい?」
彼女が不思議なことを言う。

「えっ!?」
俺は言葉を詰まらせた。

「若い時、貴方に良く似た男性と恋に落ち妊娠したの。でもその子は産まれてくれなかった」
彼女は泣いていた。彼女の言葉で俺を息子にしたいのだと理解した。

「想像してみて、羊水にいた頃のこと。貴方は私の子宮の中で胎児になるの。私は貴方を産み出し、母親になるから……」
それは俺の本当の母親になろうとする行為だった。彼女はベッドに座り俺の頭を胸に押し付けた。
俺は思考を巡らせ羊水の中を泳いだ。彼女は苦痛な表情を浮かべながらも俺を抱き締めてくれていた。
俺はその時、本当の赤ちゃんになっていた。
背中にあった手を胸元におき、目の前にある釦を外し乳房を手繰り寄せた。上目遣いにそっと彼女を見ると満更でもないような顔をしていた。
彼女は俺の頭を撫でてくれた。そして自ら乳房を与えようとしてくれた。それを口に含ませると甘い香りがした。

「母ちゃん」
お袋にも言ったことのない甘ったるい声。
俺自身の言葉に胸が震える。それと同時に自分を見失い、俺は赤ちゃんのように乳房を貪った。
彼女はそんな俺に微笑みを送り続けた。彼女は母親の顔になっていた。だから俺に乳房を与えてくれようとしたのだと思った。
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