ヤメ刑探偵（不完全な完全犯罪・瑞穂の叔父の事件簿 ）

依頼人

　赤錆に覆わたアパートの外階段に足音が響く。

（ん!？　もしかしたら仕事依頼か？）
師走に入り何かと忙しくなって、閑古鳥が鳴いていた。だから、足音が聞こえただけで浮き足立ってしまうのだ。

でもその音は僅かに震えているように思えた。ここのところ急に寒くなったせいだろうか？


「きっと此処に来る」
瑞穂は俺に向かって言った。
此処とは《イワキ探偵事務所》のことだった。
探偵事務所と言っても、そんなに格好いいものじゃない。普通のアパートで間取りも狭い。それでも熱いハートで事件解決します。
と、言いたい。なのに来る仕事は、浮気の調査が殆どだった。


『探偵と言えば聞こえは良いが、実際問題浮気調査とペット探し位しか……』
何時だったか、瑞穂に対して弱気なことを言ったことを思い出す。


瑞穂は姉夫婦の子供で、俺の経営している探偵事務所でアルバイトをしている。とは言っても給料らしい額は渡してはいないけどね。




　俺達は二人して此処に足音が向かうことを期待した。
もう幾日も仕事らしい仕事にありつけていなかったからだ。


『この調子で年が越せるかな？』
俺の言葉が現実味を帯びてきていた。


「又浮気調査かな？」
瑞穂は俺にそう言った後で、ドアノブに目を移した。




　結局足音はイワキ探偵事務所の前で止まった。


（やったー!?）
俺は小さくガッツポーズを取りながら、瑞穂と目配せをした。


（これで一息吐けるかな？）
そう思いつつ、瑞穂を見た。
瑞穂もホッとしたらしく、口角が少し上がっていた。


（良かったー）
俺はその向こうに依頼人が立っていることを確信しながら、少しだけ動いたドアノブにおもむろに目をやった。
そんな状況でも、探偵としてのプライドは捨てたくなかったのだ。




　そっと、入り口に目だけ動かす。
すると、僅かに開いたドアからスキンヘッドの頭だけが見えた。


――ギョッ!?
瑞穂のそんな声が聞こえた気がした。俺達は思わず顔を見合わせた。でも俺は冷静さを見せ付けることにした。だって俺は警視庁の元刑事だったのだから、瑞穂の前でビビる訳にはいかなかったのだ。


（コイツもしかしたらヤバイヤツかも知れないぞ）
内心ではビクビクしながらもポーカーフェイスを決める。それでいても、自然と身構えた。

でもソイツは頭だけ中に入れてペコペコとお辞儀をしていた。

それがあまりにも似合わな過ぎて、俺は思わずにやけてしまっていた。
瑞穂もホッとしたのか肩の力を抜いていた。


（瑞穂のヤツ、どんだけ緊張してたんだ？）
自分の行動を棚に上げ、まじまじと見てしまったことが可笑しくて照れ隠しに瑞穂を暫く見ていた。
瑞穂はまだ男性の頭に目をやっていた。


（それにしてもこのご時世にスキンヘッドはきついな）
さっき動揺したくせに、呑気にそんなことを考えていた。




　（この頭はコイツにさ似合わない。でも、もしかしたらパンクロックの一員なのかも知れないな？）
そんなことを考えつつ見事に刷り上げられスキンヘッドを見ていた。


（でも何でこんなにおどおどしてるんだ。もしかしたらヤバイヤツに追われてる？　だから此処に来たのかな？）
俺は入って来た時から落ち着きを欠いていたヤツが、ただ者では無いと思い始めていた。


（きっと怖い思いでもしたんだろう。こんな頭だったらいちゃもん付けらるよ）
でも結局俺の思考は其処に落ち着いた。




　挙動不審以外何ものでもない。警視庁にいた頃に出会っていたなら間違いなく職務質問しただろう。

何にそんなに怯えているのか判らないが、大きなものを抱え込んでいることだけは確かのようだった。


（そうだよな？　だから此処に来たんだよな？）
ソイツを見ながら、事務所を見回した。
何時もと変わらない日常が、スキンヘッドの男性の登場で変わりつつあることを俺は感じていた。何だか判らないが事件の臭いを嗅ぎつけたからだ。俺は妙にソイツが気になっていた。
でも、きっと瑞穂の方が平静さを失っているのではないのだろうか？
何となく様子が違うのだ。

瑞穂がスキンヘッドに動揺していることは明らかだった。
それはが何なのか今はまだ判断が付かなかったが、とてつもなく大きなものだと言うことだけは明らかなようだった。




　（きっと此処に来る前にでもスキンヘッドになったのだろう？）
それはあまりにも見事な剃りっぷりだった。


（きっと腕のいい床屋なんだろうな？）
俺はソイツの頭を見ながらしきりに感心していた。


俺達が見ているのに彼は気付き、頭に手をやった。


「あぁ、これ？  さっき気が付いたらこんな頭になっていたんだよ」
でも彼は妙なことを言った。


（えっ、嘘だ）
彼を疑った訳でもないが、俺はそう思った。
だって、知らない間にそんな頭になっていたとしたら怖すぎるだろう。


（でも、もしかしたら本当かも知れないな？）

そう……
ソイツの怖がり方が尋常ではなかったのだ。

それは単なる寒いだけではなさそうだ。
確かにこの時期にはなりたくない頭だった。




　（何かあったのかな？　悪い話じゃなけりゃ良いけど）
俺はそう思いながら、ソイツを見つめた。


「スイマセン……、此処探偵事務所ですよね？」
部屋の中をキョロキョロと見回しながらやっとソイツは言った。

最初は不審者かもと思った。でもソイツは尚もしきりに頭を下げていた。

改めて彼を見ると、ツルツル頭には似合わない真面目そうなヤツが其処にいた。



　（コイツ案外いいヤツかも？）
身なりから想像した人物とはかなりギャップのある若者だと俺は思った。
若者って言っても、歳は瑞穂より少し上くらい……
いや、もう歳がいってる気がした。


瑞穂は何を考えているのか、首を傾げながら似合わないスキンヘッドの男性をずっと見つめ続けていた。




　「スイマセン……、本当に此処探偵事務所ですよね？」
彼はまだ言っていた。
あまりにも狭い探偵事務所でビックリしたのか？　それともビビったのか？
入って来た時よりもっと動揺しているようだった。


こんな所で大丈夫か？
何かヤバそう……
そんなこと考えてる気配がしてた。


それでも瑞穂は彼が気になるらしくて、未だに彼を見つめ続けていた。




　（瑞穂、大丈夫か？）
内心では、そんな瑞穂に何が起こるかも知れないとビクついていた。
世の中にはこんなひ弱そうな奴もいるのか？
そう思いたくなるような物腰だった。


彼を良く観察してみたら、何だか取り越し苦労だったようだと気付いた。




　何処にでもいそうな顔立ち。
この頭じゃなけりゃ目立つ存在でもない。
そんな若者が震えて、俺を頼っている。
似つわしくないスキンヘッドの頭を抱えて。




　そう、彼はスキンヘッドにピアスだらけの顔。
どっから見ても、強面だったのだ。
だから、さっきまでこっちがビビっていたのだった。


この探偵事務所のことは調べているようだった。
何処から噂を聞いたのだろうか？
俺が元刑事だったことまで知っていた。


（きっと、俺の知人な誰か人に紹介されたんだ）
俺は勝手にそう思った。


彼はさっきから見つめぱなしだった瑞穂に目配せしながら、携帯電話の画像を俺に見せてくれた。


「この子の浮気現場を押さえてください」
やっとそう言った。
そう……
やっとだった。
ソイツは本来の目的をやっと言えたのだった。



　彼の話だと、最近の彼女がおかしい。
きっと浮気をしている。
そう思い込み此処にやって来たと言うことだった。


でも何故か俺は違和感を覚えた。


（そんだけで普通あんなに震えるか？　まぁ確かに外は寒いけどな。でもあれは異常だったよ）
そう思いながらも一言一句に聞き耳を立てた。


彼女は写真嫌いで、ましてやツーショット何て撮らせてもくれない。

だけど、あまりにも可愛いから自慢したくてこっそり盗み撮りしてしまったようだ。


でも、迷惑行為等違反条例には違反してはいないらしい。


「プリントさせてもらってもいいかい？」
俺の言葉に彼は頷いた。




　そのついでに、瑞穂の携帯にも画像を入れてもらうことにした。
だって瑞穂にもきっと探すことになると思ったからだった。


瑞穂は胸ポケットからガラケーを取り出した。
今時の若者がフィーチャーフォンだなんて笑っちゃうけど変えられない事情がある。
みずほちゃんからの電話はもう来るはずないのに……
大切な思い出が詰まっているからだ。




　彼の服装は、ティシャツにジーンズ上下。


（こんな格好じゃ寒いはずだ）
俺はこの男性の異常な震えの答えを出そうとしていた。
そう思いながら瑞穂を見る。何だか判らないが、瑞穂も何かを感じているみたいなのだ。きっと瑞穂の霊感が、何かあると判断したのかも知れない。

（ん!？　霊感だ？）
俺は瑞穂の力を良く知らない。それでも未解決な事件を解きほぐす起爆剤になるであろうことは感じていた。

初アルバイト料で買ってみずほちゃんに贈ったコンパクトを瑞穂は見ていた。それはみずほちゃんが亡くなった校庭の植え込みの中にあったそうだ。瑞穂が一報を受けて出先から駆け付けた時にはパトカーも来ていて、立ち入り禁止の黄色のテープが張り巡らされていた。それでも瑞穂は中に入り、みずほちゃんの傍に泣き崩れたそうだ。


そのコンパクトを瑞穂はずっと見ている。
さっきまで彼を直視していたのに関係ありそうだ。
だから余計に彼のことが気になるのかも知れない。




　瑞穂はみずほちゃんのコンパクトをそっと開けた。その途端に顔を背けた。
其処に何があるのか、俺には判らない。


何時か話してくれたらいいのだけど。
それは瑞穂の心の内を俺に明かすってことなのだから……


聞こえてきた話では、同級生の町田百合子（まちだゆりこ）が、瑞穂をサッカーのレギュラーにさせなくするために……
たったそれだけの目的のために、クラスメートを焚き付けてみずほちゃんを自殺に見せ掛けて殺したんだ。

みずほちゃんは成績優秀な生徒だった。
クラスメートはライバルが減るのが嬉しくて、『岩城みずほが自殺する』ってデマに浮き足立ったようだ。


だから囃し立てた。『自殺するなら早くしろ!!』
と――。


瑞穂はみずほちゃんの落ちた近くの植え込みでこのコンパクトを見つけた。
瑞穂の霊感はあの時、目覚めたようだ。


昔から瑞穂に霊感があったことはお袋の証言から明らかだったけど、目覚めさせてくれたのはこのコンパクトのようだ。
だから、ついつい頼ってしまうみたいだ。
特にこのような場合は……
って、目の前にいる彼が何かを抱えているってことなのだろうか？

瑞穂は彼を見つめながら、コンパクトをそっと閉じ握りしめた。