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1章 ユスティニアの森

交渉決裂

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「これからも、宜しく頼むよ」

 取ってつけたような薄ら寒い笑顔を張り付けた一ヶ瀬の言葉を聞いて、俺は耳を疑った。

 ……は?
 今、『これからも宜しく』って言ったのか?

 さっきの会話を忘れている?
 いや、そうじゃない。何か企みがあるな。

 馬鹿馬鹿しい。これ以上こいつに付き合うのはゴメンだ。

 俺は一ヶ瀬を無視して歩き出した。

「待て、どこに行くつもりだ?」

「お前らがいない所だよ。それが望みだったんだろ?」

「駄目だ。そんな勝手は許さない」

 一ヶ瀬は感情のない声でそう言った。
 見れば、取ってつけたような笑顔は既に消え失せ、目が据わっていた。

「許さない?お前、さっきは『好きにすればいい』って言ってたよな?だから好きにさせてもらうぞ」

「それは雑魚スキルを持っていたらの話だろうが!」

 一ヶ瀬は今度は声を声を張り上げた。
 一ヵ瀬にしては珍しく、いつもの余裕が無くなっているように見える。

「ふざけるな!そんな……そんな勝手なことが許されると思っているのか!?」

 一ヶ瀬は俺を睨みつけながらそう言った。怒りで声が震えている。

「勝手なこと?一度言った言葉を翻すことの方が勝手じゃないか?」

「ぐっ……」

 思わず感情のこもった視線で睨み返すと、一ヶ瀬は怯んで言葉に詰まった。

「こ、こういう時こそ、僕ら全員が協力して団結しなければならないのが分からないのか!?君には助け合おうという心はないのか!?」

 ……何を言い出すかと思えば、こいつは正気か? 
 団結?協力?馬鹿馬鹿しくて笑えてくる。

 そんなもの、あるわけないだろ。
 一体あの教室のどこに、そんな物があったと言うんだ。

 同じ教室の中にあって俺達2-4の生徒の間にあったのは、疑念と恐怖、怒り、裏切り、嫉妬だ。
 団結、協力なんて綺麗な物からは遥かにかけ離れた感情だ。
 そして、そういうクラスを創り上げていたのが他ならない一ヵ瀬だった筈だ。
 
 つまり――こいつの言っていることは全て"欺瞞"だ。
 この薄っぺらい言葉の裏にあるのは、もっとドス黒い何かだ。

「協力、団結ね……ところで、"全員"の中に俺は入ってないんじゃなかったのか?」

「ぐっ……それは……!」

 さっきの会話の内容を指摘すると、一ヶ瀬は露骨に言葉に詰まった。
 一ヵ瀬も自分が言っている事がとんでもない欺瞞だと分かって言っているからだ。

 大方さっきの生徒たちの醜態を見て期待できないと判断したから、仕方なく大嫌いな俺を引き入れようとしているのだろう。
 プライドだけは高いこの男も自分の命が懸かってくるならいくらでも腹芸もできるらしい。

 まあそんな分かりやすい茶番に引っかかる馬鹿がいるわけないが。

 俺は言葉に詰まったままの一ヶ瀬に背を向けると歩き出した。
 もう一秒たりともこいつと同じ空気を吸っていたくなかったからだ。

「……待て」

 一ヶ瀬が俺の腕を掴んで引き留めた。
 相当な力を込めているらしい。一ヵ瀬の腕が震えている。
 まあ、それでも痣にもならなければ痛くも痒くもないんだが。

 困ったな、思った以上に諦めが悪い。
 どうするか――この腕を斬り飛ばしてやれば少しは静かになるだろうか。

 そんなことを考えていると、一ヶ瀬は絞り出すように言葉を発した。

「……分かった。いい加減、腹を割って話そうじゃないか」

「あ?」

「いいか?これは"取引"だ!僕たちは強力な戦力を、君はバックアップを手に入れる。どうだ!?悪い取引じゃないだろう!?」

 もはや余裕も無くなったらしい、一ヶ瀬は必死の形相で唾を飛ばしながらまくし立てた。

「…………」

 さておき、確かにこれ自体は確かに悪くない取引だ。
 特能の力は強大で、30人分の特能が俺のバックアップに付いてくれるのだから。

 仮に一ヶ瀬の提案に乗って加わればどうなるか。
 おそらく盾に使われるのが目に見えている。というより一ヶ瀬はそのつもりでスカウトしている。
 足並みの揃わないクラスメイト達に代わって前衛を務めるのを期待しているのだろう。

「……大方、使い潰されるんじゃないかと心配しているんだろ?ハッ、僕だってそこまで馬鹿じゃない。わざわざ貴重な戦力を潰すような真似はしないさ」

 一ヶ瀬はまるで俺の心中を読んだかのようにそう言った。

「どうだか」

「君は十分に能力を証明した。蜘蛛の糸に捕まって無様に転げまわっていた連中とは違ってね。何なら門木と宮下に代わって右腕にしてやっても良い」

 一ヶ瀬は未だ蜘蛛の糸に絡まって地面に這いつくばっている門木を冷たい目で見ながらそう言った。

「大丈夫、囮役は他のやつにやらせるさ。君はただ、さっきのように向かってくる敵を殲滅してくれれば良い」

「お前……どこまでもクソ野郎だな」

 侮蔑を込めて吐き捨てると、一ヶ瀬はくぐもった笑い声を上げた。

「いいよ、いいよ、今さら善人の振りなんかしなくたって。腹を割って話そうって言っただろ?」

 一ヶ瀬はそこまで言うと顔を上げてニヤリと笑みを浮かべた。

?」

「は……?」

 一ヶ瀬の突然の発言に虚を突かれていると、一ヶ瀬は得意気に捲し立てた。

「僕が気づいて無いとでも?『この世界で自分だけがまともな人間です』みたいな顔して、内心では他人が苦しもうが死のうが心底どうでもいい。そうだろう?僕も同じさ」

「……お前と一緒にするなよ」

 思わず睨みつけると、一ヵ瀬がおどけたように両手を挙げてみせた。

「おっと、そんな顔をするなよ。じゃあ聞くけど、君の中で顔と名前が一致してるクラスメイトは何人いる?10人だっていやしないんじゃないか?」

「…………」

 一ヵ瀬の指摘は正直当たっている。俺の中で顔と名前が一致しているクラスメイトなんて、せいぜい7,8人がいいところだ。
 だってそうだろう。どうして俺に敵意しか抱かない相手に対して興味を持つことができるだろうか?

「君と僕の違いは『他人に興味が無いから干渉しない』、『他人に興味が無いから利用する』それだけの違いさ。僕たちは同類で似た者同士だ。仲良くできそうじゃないか」

「……もし仮に、俺が負傷したり、蜘蛛や狼とは比較にならない化け物が現れて、前衛をこなせなくなったとして、それでも切り捨てることはないと約束できるか?」

「勿論だ。誓って約束しよう」

 一ヵ瀬は俺の眼を見ながら即答した。
 


「――嘘だな」

 一ヵ瀬を鋭く睨みつけると、一ヵ瀬はビクッと肩を震わせて後退った。

 世の中、都合の良いときだけ甘い言葉を語る人間がいる。
 そういう人間は往々にして少しでも都合が悪くなったら必ず手のひらを返すと決まっている。

 一ヵ瀬こいつがそうだ。
 2-4の生徒達が自分を守る盾として頼りないから今は俺の事を利用しようとしているだけだ。
 もし本当に俺が戦えなくなったり、俺よりも強い化け物が出てきたら平気で俺を囮にでもして切り捨てるだろう。
 まさに先ほど門木を切り捨てようとしたように。

 他人を平気で切り捨てるような人間が、自分だけは切り捨てることはない、なんてことはありえないのだ。
 一ヵ瀬の手を取ることは地獄への片道切符を握るのに等しい。

 危なかった。これ以上一ヵ瀬の話を聞いていたら、本当に悪魔の手を取っていたかもしれない。
 何よりも重要なことを忘れかけていた。

 いつだって、信じることができるのは自分と自分の力だけだ。
 どんな時でも決して他人を信用してはならない。

 ――それは、この理不尽ばかりの人生の中で、唯一俺が学ぶことのできた教訓だ。

「わ、分かった!『他人に興味が無い』と言ったことが気に食わないんだな!?癪に障ったなら謝ろう!君が望むなら、今までの君に対する僕の態度も謝罪しよう!!いや、僕だけじゃなく、クラスメイト達あいつらにも謝らせようじゃないか!なに、僕たちは同士だからな。君への罵倒は僕への罵倒にも等しい――」

 一ヵ瀬は慌てて取り繕うが、全くもってズレている事にまるで気がついていない。

「違う、違う違う。そんなんじゃない。全然分かってないな、お前」

 もはや話しているのも苦痛になってきて、一ヶ瀬の言葉を遮るように言った。
 これ以上はもう聞くに堪えなかった。

「は?じゃあ一体どういう……」

「どんな言葉を並べたって意味が無いって言ってるんだ。俺は、

 唖然としている一ヵ瀬に対して、俺ははっきりとそう告げた。
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