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 そして意識を――閉じる。
 視界が白く切り替わった。
 目の前に複雑に絡み合う四つの円環。
 魔術刻印だ。
 俺は修行中に《強感力》をひたすら鍛えてきたけれど、まさかこんな力が身につくとは思っていなかった。

 ――人の魔術を騙す能力。

 リスクもあるが、今はこれしかない。

「……ったく、師匠頑固すぎですよ」

 解読にかかる時間はどれくらいだろう。
 この白い世界は立っているだけでごっそり精神力を削る。
 びっしりと空中に浮かび上がる奇怪な文字列が視界を埋め尽くす。
 触れて、次に移る。
 読んで、視線を飛ばす。
 【累乗】を構築している箇所をようやく見つけたころ、俺はすでに精根尽きかけていた。

「これで……と」

 爪先でガリガリ削って文字を消し、違う文字に置き換える。
 削るだけだと魔法自体のバランスが崩れて危険だということは分かっている。
 そっと魔術刻印から指を離し、ゆっくりと視界を現実に戻していく。

 よし、魔術そのものは壊れる気配がない。
 成功だ。

「《共感力》《薄刃》!」

 改めて気を取り直し、がんじがらめにされた師匠に、必殺の一刀の軌跡が放たれた。

 ずばっという聞き惚れる音――
 そして即座にカウンターで発動する師匠の魔術。

 腹の底を震わせるような重低音が響いた。
 まさに闇魔術の爆発だった。
 だが、その爆発はそれほど大きくかったうえ、真上にだけ被害が及ぶ。
 垂直に空に飛び立つように。

 【累乗】は【真上】に書き換えておいたのだ。
 俺は安心して闇の爆発を見送って――大事なことに気づいた。

「あっ、しまった……手加減せず斬っちゃった……し、師匠!」

 慌てた俺の後頭部が、がんと殴られる。
 恐る恐る首を回すと師匠がこめかみに青筋を立てて睨んでいた。

「真剣勝負中に気を抜くとは、お前も大物だな」
「え? あれ? あれれ?」

 向こうには師匠の人型の膨らみが――
 裂けた部分から、黒い靄が流れ落ちている。

「ただの人形だ」
「えぇっ、いつの間に入れ替わってたんですか!?」
「お前が私の魔術で吹っ飛んで目を閉じた瞬間だ」

 あの地雷をくらった瞬間か――信じられない。
 俺は目を瞬かせ口をポカンと開けた。

「ナギ、最後に私の術をいじったな?」
「……えっと、まあ、そんな感じです」

 師匠がさらに目をつり上げて顔を近づける。
 とても怖い。

「刻印が見えるのはすごいが、それがバレたら今のように逆手に取られると教えただろう。ただの罠だというのに、お前は完全に周りを見ていなかったぞ」
「……す、すみません」
「まったく。だが……私を心配してくれたことには感謝してやる」

 わずかにぽつりと漏れた言葉。
 俺ははっとして顔を上げたが、師匠はすでに背を向けて歩き出していた。

「いや、待て。結局、全力でぶった斬ってくれたから、ナギの行動はまったく無意味だったとも言えるのか」
「……それは」
「まあ、いい。興も削がれたし終わるか。ギリギリ……合格だ」
「合格?」
「教えられることは、この半年で教えた。お前の強さもよく分かった。私と鍔迫り合いできる魔術師は少ないぞ」

 師匠は姿勢正しく俺の前を歩く。
 凛としていて、何も普段と変わりが無い。

 けれど、俺はそっと視線を外した。
 一つ、師匠にも教えていないことがある。
 俺には感情の動きもオーラで見えるのだ。
 師匠の背中に滲む水色。
 寂しさの色だ。

「……師匠、半年間ありがとうございました」

 洞窟入口付近までやってきた。
 俺は師匠の背中に深く頭を下げた。
 きっと、俺も悲しそうな顔をしていたと思う。
 ――この人が初めてだった。
 俺の力を最初に認めてくれて、こんなに親身になって鍛えてくれて。

 半年もずっと側で見ていればわかったと思う。

 ――俺はそんなに強くない。
 ――英雄になれるような器でもない。

 何度もアルメリーと愚痴を漏らし合い、師匠の悪口を繰り返していた。
 でも、師匠は何も知らない聞いていない様子で、変わらず接してくれた。

「まったく根性の無い弟子だったよ」

 師匠が入口から入るまぶしい光を背にして、朗らかに笑っていた。

「こらえ性もないし、すぐ逃げを計算する。だが――胸を張れ」

 師匠は言った。

「お前は私の修行に耐え抜き、《闇魔術》の真髄を理解した。今、弱音を吐いたとしても、半年前のナギの弱音とはまったく別物だ。それに――いい仲間と、良い経験を積んだ」
「はい!」
「さあ、街に戻るぞ。そして、今日から――闇魔術師ナギを名乗れ。《無戦》の魔術師である、ミュリカ=トゥイルがこの場で許可してやる」
「ありがとうございます!」

 師匠が手招きして俺を隣に呼んだ。
 少し並んで歩くと、遠くからリオを背中に乗せたアルメリーが走ってくる。

「お前達には祝いの品でもやるか」
「何をくれるんですか?」
「ん? 靴に決まっているだろ。私は靴屋だぞ。休んでいる間に私の靴が人気になっていて店の前に客が殺到していたらどうするかな……」

 師匠が恍惚の表情で空を見上げた。

「それ、ツッコミ待ちですか? ありえないですって」
「なぜだ? 素晴らしい作品は突然注目されるものだぞ?」
「はぁ……まあ、師匠がそう思うならそれで……でも、師匠の靴って歩きにくいって評判では?」
「そんなことはない!!」
「ひぇっ!?」

 師匠の思わぬ剣幕に、俺は小さく飛び上がった。
 優しいところもあるけれど、やっぱり師匠は怖い人なのだ。
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