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009 狂犬

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「……どういうことですか?」
「いいね、いいね。驚いてるけど、腰が引けた感じはないな。ガキでも楽しめそうだ」

 ベルルクは肩を回しながら踏み出した。獰猛な瞳はロアをずっと捉えている。
 そして、目の前のティアドの体を蹴り飛ばしつつ、

「こいつ本当にうるさい上司でさー、俺は別の上司を半殺しにしてここに左遷されたんだけど、そんな俺に言うのよ――やり直しはいつでもできる、って物知り顔でさ。ほんとうざくて……毎日殺してやりたかったわけ」

 ベルルクはとんとんと剣を肩に載せながらロアに手招きする。

「はい、自己紹介終わり。ほら来いよ。状況わかるだろ? 来ないなら、そっちの嬢ちゃんから殺すよ。あー、あとロアだっけ? お前が弱くても殺すから」

 ベルルクは笑みを深め、剣を構えた。上段構え。剣の先端を相手に向けた、突き主体の構えだ。
 ロアが隠すようにユーリアを下がらせる。

「ユーリア離れて」
「お兄ちゃん……」
「大丈夫。早く」

 硬い口調の言葉を受けて、ユーリアが急いで距離を取る。ベルルクはその間もロアから視線を逸らさず、さらに笑みを深めていく。緊張感が一段と高まる中でもベルルクの調子は変わらない。

「お前、墓守ってのは間違いないのかい?」
「一応、正当な墓守の一族……だそうです」
「強いのかい?」
「わかりません……」

 ベルルクは「くくっ」と含み笑いで返す。

「謙遜すんな。お前……明らかに強いよ。空気が違う。あー、いいねー」

 ベルルクが音もなく踏み込んだ。
 足のブーツはもちろん、兵士の装備は魔力を通しやすい革で作られている。雪山と平地で革と金属の違いはあるが、戦闘に対する考え方は同じだ。
 魔法で身体強化を施し最速で切り捨てる。時間と魔力の消費を最小限に抑える戦い方だ。

 ベルルクの場合はそれに遠方の剣術を混ぜた変則的な技を使う。
 すっと隙間を通すような繊細な一撃はロアの革鎧の隙間を狙ったもの。

 だが、足の運びだけで半身をずらしたロアはそれを紙一重で避ける。

(ガキの癖に無駄のない動きだ。熟練の兵士かっての。俺を相手に剣を抜く素振りがないのもしゃくだ)

 ベルルクは肩関節に力を込めて、すばやく剣を手前に引いた。位置を微調整して二撃目の刺突。更に三、四連撃。
 しかし、ロアは、その全てを先読みしたようにわずかに下がりつつ回避していく。

(顔色すら変わらないか。しかもまだ剣を抜かない?)

 ベルルクはゾクゾクと期待感を高めながら攻めのリズムを変えた。どういうカラクリか刺突は完全に見切られている。それなら、線で狙うだけだ。
 上段から袈裟斬り。これを斜に移動しながらかわしたロアの前で、素早く剣を逆手に持ち替えての――裏突き。
 初見ではかなりの確率で手傷を負わせる技だが――ロアは自分に向かってくる剣に反応し、即座に動きを変えた。迫りくる剣の腹に横から手のひらを添えて方向を――

(素手で刃を受け流しやがった……マジか)

 ベルルクの剣が虚しく空を突く。彼は兵士の中でも相当の手練れに入る。性格に問題はあるが、正面から戦える兵士は多くはない。
 しかも、彼と無手で戦える兵士など数えるほどだろう。

 驚いたのも束の間、ゴンっと鈍い衝撃が頬に響いた。首から上が無くなったと思わせるほどの威力。ロアが固めた拳を突き出したのだ。踏み込みも無しにとんでもない威力だ。
 咄嗟に体を倒して衝撃をいなしたが、意識を刈り取るような一撃を受けて、ベルルクの体が軽々と宙を舞う。

(受け身を……)

 類稀な身体能力を活かし、ベルルクが膝から滑るように着地する。危うく剣から手を離すところだったが、何とか免れた。しかし、視界が揺れていて足が動かない。魔力も一時的に練れなくなっている。まるで体内に存在する魔力がすべて散らされたような錯覚を覚える。
 視線だけ無理やり上げた。追撃はない。

 ロアは平静な表情でベルルクを見つめている。

「もう、いいですか?」
「……お前、今、手加減したな」
「国を守る兵士を殺す理由もないでしょう」
「俺が殺すつもりだとしてもか?」
「そうですか? 強い殺気は感じませんでしたけど」

 ロアは平然と言った。
 意表を突かれたベルルクが苦々しそうに口端を持ち上げた。

「なに? お前って殺気の強い弱いがわかるやつか?」
「ええ……本当に強い人の殺気は――足が竦むほど怖いですよ」

 ロアは微苦笑を漏らしつつ、何かを思い出すように視線を投げた。
 ベルルクはその言葉の裏にある確かな自信を感じ、吐き捨てるように、けっと唾を吐いた。

「弱いって言いたいのか? まだ終わってないってのに嫌なツラしやがる。俺を敵だとも思ってねえな」
「そんなことないですよ。ただ、俺にだけ向かってくるうちはいくらでも相手になるってだけです」

 ロアは言外にユーリアに手を出すなと警告した。
 もちろんベルルクもそれはわかっている。

「ふん。俺が興味を持ってるのは墓守だけだ」
「……墓守にどうして興味が?」
「自分のことは知らないのか。なるほどね……まあ、俺も詳しく知らねえけど、とにかく危険って聞いてるってことだ」
「危険?」

 ロアは瞳を瞬かせた。彼にとって、自分より強い人間は山程いる。
 何年も指導を受けたことで、ギャランやニーアはもちろん、他の面々も遥か高みにいることを知っている。

「これくらいで言われてもな……」
「何だって?」
「いえ、こっちの話です。で……まだ続けますか?」
「いや、今日のところは降参だ。足が震えてまともに動かねえ」

 ベルルクが剣を大地に突き刺して立ち上がる。そして、傲岸不遜に言う。

「次は殺す」
「そんなことを言う前に……連れの人を丁重に快方してあげてください。首周りと背中への打撃は危険ですから」

 ロアは倒れこんで動かないティアドを一瞥してから、安心した顔で抱きついたユーリアを連れて山を降り始めた。

「ほんと嫌なやつ。最初の二撃もお見通しかよ。どこに目ついてるんだか……あーあ、旦那に何て言い訳するかな。まあ、収穫あったからいいか。しばらく肩揉みで許してくれるだろ…………いや、今回さすがに無理か? ドブ攫いか?」

 ベルルクは「やだやだ」と口にして雲ひとつない青空を仰いだ。
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