チキンさんの事始め

端本 やこ

文字の大きさ
上 下
6 / 15

06

しおりを挟む
 眼鏡と髪型を変えて、気持ちが上向きになった。
 月曜の出勤は恥ずかしさからの緊張感があった。意外にも同僚たちからは好感的な賛辞をもらえた。
 プロの、特に若い子の感覚って素晴らしい。だって、眼鏡も髪型も店員のアドバイスに従ってのことだから。
 自分の価値感を基準に選んだら、変化も進歩もないと思ったから、私なりの冒険だった。

 不確かなことをあえてやってみただなんて、安心安全第一な人生において大快挙だ。同時に、私の生き方がいかにつまらないか感覚的に理解してしまった。臆病な警戒心を自尊心と擦り違えていたのが痛い。
 眼鏡のデザインひとつや髪型なんてものに、危険が伴うわけじゃないんだもの。躊躇するに足らず、なんてね。

 歯科健診も問題なしだった。
 歯医者の帰り、ふと気づいてしまった。仕事帰りでも時間を有効活用できるものだと。
 別の日、思い切って人気のセレクトショップに立ち寄った。リストに上げていた「ワンピースの購入」のためだ。フェミニンなプリント柄と、綺麗めのシャツ型、カジュアルなフーディと、ワンピースだけで3着も買った。ワンピなら上下の組み合わせを考えずに済む。いくら情報収集をしたって、いきなりお洒落上級者とはいかないものだからね。ついでに下着も買い足した。理都子から下げられたスケスケのイケイケは無理でも、レースや刺繍の施された普段使い可能な範囲で冒険を続ける。

 例のノートのリストにチェックマークが増えていく。
 気負わず潰せる項目はほぼ埋まった。

 この先の冒険はほんの少し勇気がいる。けれど、今の私なら大丈夫だ。やらない言い訳をせずに動ける。
 情報精査はリスト作成時に終えている。その点、怖がりで石橋を叩いて渡る性質が功を奏す。プランはじゅうぶんに練って実行するのだから失敗が少ない。

 健康のためを兼ねて体を動かすことにした。運動は得意ではないが苦手でもない。
 負荷の高いジムは遠慮して、ホットヨガを選んだ。続けることを前提に、スタジオの立地条件や設備、費用はもちろん、手ぶらで汗をかけるなどの契約特典諸々を総合的に判断した。
 結論から言うと、ホットヨガは私に合っていた。
 室温と湿度も高い部屋で体を動かすと滝のように発汗するのは爽快だ。体験レッスンで首と肩のコリが解消されて価値があると確信した。デスクワークによるむくみまで改善された。運動で腸が動くのか便秘にも効果があって感動ものだ。
 運動後のすっきり感にはやみつきになっている。
 月額で通い放題をいいことに、都合が許す限り週に2回、3回と通いつめる。

「若鶏さん最近お肌の調子いいですね。お化粧品変えたんですかぁ?」

 いつか良太との付き合いの長さに驚いた後輩たちに囲まれた。
 長年、オーガニックで有名なアトウッドの商品を愛用している。高品質は確かで、なにより親友の詩乃が勤めているから使い続けている。
 後輩の一言で、私は他社製品に手を出す決意を固めた。ちなみに、ホットヨガの効果であることは黙っておくことにした。なんとなく。

 デパート勤務の紗也加を頼ってデパコスデビューもありか。でも紗也加や詩乃の耳に入れるのは、なんだか、ちょっと。
 私が愛用品を変えたところで詩乃は気にするような子じゃないし、紗也加にいたっては張りきってあれこれ薦めてくれるに違いない。
 こればっかりは私の気持ちの問題だ。
 アラサーデビューはひっそりこっそりするものだと思うんだ。妙な心配をされても困るし。
 うん。
 スキンケアはアトウッド製品のままで、いわゆるメイクアップ用の化粧品を変えよう。


 以前、雑貨店で面食らったことを思い出しつつドラッグストアへ、いざ。
 狙うはデパコスの高級品と雑貨店のプチプラ商品の間にランク付けされるブランド商品だ。
 ドラッグストアは薬剤師に美容部員も配置されている。率直にありがたい。
 対応してくれた美容部員が同年代であるからか、肌関係の悩みもズバリだったし、男ウケも女ウケもいいラインで見繕ってもらえた。完全自己流だったメイクに効果的に見せる方法も伝授してもらった。

「3ページめ、数字の訂正入れました。ご確認願います」
「ぁ。すんません。ありがとうございます」

 新しい化粧にして数日。男性社員と目が合う回数が増えたような気がする。
 今もこうして、同僚が顔を上げた。もしかしなくても、変化を直接口にする女性より露骨だ。
 ちょっと前までは挨拶もお礼も適当だった。口煩いババアだと認識されていると分かっていたから気にしないようにしていた。私も用件が伝わればよかったしね。
 ともあれ業務連絡が円滑になって、腹立たしいような感情は自然に消化されていく。
 私が思っていたより見た目というやつは重要だったってことだ。

 今なら親友たちの輪に入っても、心の奥底に劣等感を封印せずともいられそうだ。憧れ対象の彼女たちに混ざって、私は私だと余裕を持って構えていられる気がして──これが自信というやつなのかな。

 ほんの少し小綺麗にしただけで高揚感が得られて、嬉しくて、楽しい。

 良太とのことを考える時間が減った。
 単純にホットヨガやスキンケアに時間を配分しているってのはある。いずれにしても、ネガティブな思考に陥らず過ごせているのは大きい。
 月末月始を挟んで私の残業が続くことを知っている良太は私の部屋には来なかった。気遣い3割、他の大部分は良太も忙しいってだけのはず。
 この間、一度だけ電話で話した。
 ホットヨガを始めたことは耳に入れておいた。レッスン中にメッセージを貰っていても返事ができないし、帰宅時間が遅くなるからだ。

「ヨガなんて、なんでまた?」
「運動不足解消にね。結構気に入ったから続けるんだ」
「へぇ」

 良太は少し揶揄う口調で「いいんじゃない」と言った。まるで「続くわけがない」とでも言いたげに。
 すでに通い詰めていると噛み付くのは止めた。
 自分のためにやっていることだから、良太にどう思われようと構わない。
 ふんっと鼻で笑い飛ばす。
 良太の反応が原動力になって、私はリストの中で一番気後れしていた案件にとりかかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…

ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。 しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。 気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…

車の中で会社の後輩を喘がせている

ヘロディア
恋愛
会社の後輩と”そういう”関係にある主人公。 彼らはどこでも交わっていく…

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

JC💋フェラ

山葵あいす
恋愛
森野 稚菜(もりの わかな)は、中学2年生になる14歳の女の子だ。家では姉夫婦が一緒に暮らしており、稚菜に甘い義兄の真雄(まさお)は、いつも彼女におねだりされるままお小遣いを渡していたのだが……

彼氏が完璧すぎるから別れたい

しおだだ
恋愛
月奈(ユエナ)は恋人と別れたいと思っている。 なぜなら彼はイケメンでやさしくて有能だから。そんな相手は荷が重い。

【R18 大人女性向け】会社の飲み会帰りに年下イケメンにお持ち帰りされちゃいました

utsugi
恋愛
職場のイケメン後輩に飲み会帰りにお持ち帰りされちゃうお話です。 がっつりR18です。18歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。

処理中です...