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 おれの登場で、一旦その場が静かになった。
 人質にされたおれの鞄は、かちっとしたスラックスの足下に置かれている。やたら長い脚を辿ると、手にした書類から視線を離した父さんと目が合った。
 ごめんて。
 そう伝えるつもりで軽く頷いてみせたら、父さんも同じタイミングで同じ動きで返してきた。

「無事だな」

 鞄を挟んで並んだおれを、父さんが見下ろす。いつもの落ち着いた声は、落ち着きすぎていてほとんど感情がない。とはいえ、ほぼ無感情なのが平常だから問題なし。

「うん」

 おれの無事は聞かされていて当たり前だから、ただの確認だったはずだ。だからおれは、ちょっとだけお腹に力を入れて、莉子に向かって答えた。
 母親に守られる莉子の頬が少しだけ弛んだ気がした。

「父さん、これどんな状況?」

 莉子から目を外して、ぐるりと一周見渡す。
 椎名家、校長、副校長、主幹教員、学年主任、担任。向かいに警官2名と宇垣父子。そんで、おれと父さん。
 他の先生たちは自席で息を殺して見守っている感じだ。

「だいたい把握した」

 そう言って、父さんが読み終えたらしい書類を警察官の一人に渡そうとした。警官2名が急にビシッと敬礼をして、渡されたひとりは両手で受け取った。まるで賞状授与みたいだ。

「いやいや。父さんだけわかってもさ」

 うそ。本当はおれもだいたいわかる。
 学校から呼び出された龍の父親がイキッているだけのことだ。自分の息子こそが加害者であるのに、莉子に難癖つけているのだろう。学校の指導や対応に対してもいちゃもんをつけているに違いない。
 それともおれに対してか。
 おれ宛の難癖で脅されているとしたら、さすがに莉子に申し訳ない。

「今日の放課後、教室で、宇垣さんがカッターを持ち出した」
「うん。はい」

 突然父さんが始めたものだから、変なふうに答えてしまった。 
 父さんは「よし」とでも言うように、頷いて、

「椎名さんに向かって歩みより、刃物をちらつかせた」

 と続ける。
 宇垣父が喚く。便乗するように龍も否定の声を上げる。うるせぇ親子だな。空気読め。
 警官が宇垣親子を止めに入る。

「ちらつかせたというか、カッターをペン回しみたいにくるくるしてました」
「宇垣さんが切りつける素振りを認めたため、椎名さんの横の席の彬が止めに介入して負傷」

 父さんは宇垣親子にお構いなしで進める。
 警官に止められた宇垣親子が「もひっ」とも「ぶひっ」ともとれる奇声を発した。
 そもそもの話、おれが一番後ろの角席なのは体がでかいからで、莉子が隣なのは成績優秀だから。いろいろと残念な龍は前のほうからやってきた。ぽてぽてと。いや、どてどてと言うほうが合ってるな。まん丸で、中三の同級生とは信じがたい腹のでっぱりをしている。龍のヤツ、親父そっくりじゃん。イキりかたから、全体的なフォルムまで、生き写しだ。

「そうでーしゅ」

 噛んじまった。宇垣親子の揺れる二重アゴが面白くて、真面目に答え続けられなくなってきた。

「彬の左腕を切りつけてなお、宇垣さんはカッターを握っていた」
「はい」
「クラスメイトが職員室に駆け込み、教職員とともに教室に戻ったときには刃は仕舞われていた?」

 さあ、どうだったかな。細かいこと覚えてねぇわ。

「先生たちが来る前に、カッターをしまうように宇垣くんに言いました」

 助言を求めて莉子を見やる。うんうんと、小さく震えるように頷いている。
 おれの次に父さんに見られて、莉子がビクついた。
 宇垣父とは違う圧を感じたに違いない。
 すまん、りぃこ。うちの父さん、これが普通なんだわ。疑ってるわけでも、怒ってるわけでもないんだ。

「あ、彬くんはカッターを置くように説得していました。でもっ、宇垣くんは言うことをきかないで、こう、構えたままで。あっくん、ずっと私の前で壁になってくれていました。先生たちが来るまで、確かに刃も出したままでした」

 怯える小動物な莉子が、震えながらも両手を握りしめて答えた。
 おや? って感じだ。教室では青ざめていた莉子が精一杯頑張ってるのがわかる。
 父さんもそうかと雰囲気を和らげて「ありがとう」と言った。

「うそやん!?」

 俺の不用意な発言に、職員室中の視線が突き刺さる。

「誤りは正せ」

 父さんが目を細めた。
 違う。違う。
 事のあらましに誤りはない。おれが反応したのは、父さんにあるまじき「ありがとう」だ。
 なんあれ?
 父さんがひとに優しくお礼をいうだなんてありえんのやけど。
 生まれて初めて聞いたレベルやぞ。な、母さん? って、母さんいねぇんだった!

「そうじゃなくて」

 おれの脳内で母さんが微笑んだ。ついでに、いつだったか母さんが「徹さんの、あのふわっと空気を和らげる瞬間がたまんないの! 超かっこいい。ほんっっとめちゃくちゃ好きっ」ってのろけまくっていたことを思い出す。
 うっ、キモっ。
 
「なんだ」

 ほら、これよ、これ。このひと睨みする感じこそが父さん。
 見てみろよ、という思いで莉子を直視したら、肝心の莉子は心あらずといった感じでぼーっと父さんを見上げている。莉子に寄り添うおばさんまで同じような反応だ。
 どうした。大丈夫か?
 緊張しすぎとか、頑張って証言しすぎたとか、そんなんで腑抜けちまったのか?
 家庭に問題のない優等生が警察に聴収されるとこうなるのか。おれだって家庭環境に問題があるわけじゃないけどさ。莉子に比べてちーっとばかし、父親が醸す圧迫感に慣れているってだけだ。

「彬」
「何でもないデス。誤りなしです。しーなサンの話で間違いないはず。正直なところ、カッターがどうだったか覚えてない。腕、痛いし、血ぃ垂れてきて気持ち悪いしで」

 父さんのオーラに気圧されて、おれはやや早口にまくしたてた。
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