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第四話 受付嬢の策略 前編
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まず思ったのは「鉄臭い」だった。鼻孔に充満する不快な臭い、そして詰まっている感覚。
瞼を貫通して届く光。眩しい。
ゆっくり目を開けようとするも、睫毛同士がくっついて上手く開けない。
目ヤニが酷いのか。顔を洗いたい。そう思って身を捩ろうとした瞬間、腕や脇、背中に激痛が襲ってきた。
意識が覚醒し無理矢理目が開かれる。
俺は。
生きてる……のか?
自分の状態がよく分からない。被せられたボロボロの毛布を捲ると上半身裸で下だけ履物がある半裸の状態だった。
腕は所々傷跡が残る見慣れたものだが、少し綺麗になっている気がする。
喉が異常に乾いている。
粘膜が乾きバリバリと音を立てて剥がれているかのようだ。
唾液が出ない。水。水は。
見回すと木桶が目に入り、思わず飛びつく。痛みが走るがそれよりも今は水。水だ。
口を開こうとするが頭頂部から顎にかけて縛られているようで開けない。邪魔だ。乱雑に顔の拘束を取り払い、木桶を掲げて傾ける。
そして流れ落ちる水に濡れるのも構わず喉に流し込む。
痛い、喉が満ちていく、痛い、冷たい、痛い、美味い。
浴びるように流し、ずぶ濡れになる。次いで水を浴びた顔が滅茶苦茶痛い。
「起きた……なんでずぶ濡れなんですか! ……ってその水飲んだんですか!?」
騒がしい足音と共にドアを開いて現れたのは、冒険者ギルドの受付嬢のアンナだった。こうして顔を会わせるのは久しぶりな気がする。
「ア……ナさ……」
名前を呼ぼうとしたが上手く発音できない。
「まだ無茶しないでくださいよイクヤさん。今綺麗な水汲んできますからね。……ってもビショビショだ」
「俺……は」
「まずは落ち着いてからにしましょ、とりあえず拭くもの持ってきますね」
そう言って消えたアンナを見送り、ベッドに手を伝いながらゆっくりと立ち上がろうとする。
足にも腕にも力が入りづらい。プルプルと震えつつも、何とか直立する。
丁度顔の位置に鏡があるのが見えたので、自然と覗き込む格好になった。
今の自分の状態を確認したかったので丁度いい。
「な……」
鏡に映った自分の顔。それは。
左の頬がごっそりと無くなり、歯にピタリと皮だけが張り付いた異形の貌だった。
――――――――
「イクヤさん、落ち着きましたか?」
「ああ。お陰様で」
小さな丸椅子に腰掛けるアンナが俺が飲み干した水の器を受け取り、テーブルに置く。
「まさか生きてたなんてな」
「無茶のし過ぎです。黄銅窟にソロで挑むなんて……」
アンナは困っているような、怒っているような、そんな表情を浮かべていた。
「何とか成長できたんだ、久しぶりに。でもまあ」
そう言って左頬を撫でる。
「その代償にこうなったけど」
「……命に比べたら、ずっと安いですよ」
俯き、赤毛を揺らす。
「なあ、俺を助けたのはアンナさんなんだろ? 前から思ってたんだ。色々おかしかったから」
俺が助かった理由をずっと考えていた。
ドラコアとの遭遇、そして俺は回避したと思った所で尾の直撃を頭に貰っていた。
その時点で気絶。
万一ドラコアが見逃してくれていたとしても、他の魔物に襲われ餌になっていただろう。
運よく襲われなかったとしてもソロの身だ。リカールとの戦闘で満身創痍になり、ドラコアの一撃で瀕死になった俺はスリップダメージだけで充分死ねる。
救助が望めない状況なのだから死は免れない。
それでも、生きていた。
つまり誰かに救助されたという事だ。しかも回復魔法士の応急処置付き。VIP待遇にも程がある。
アンナが立ち上がり、テーブルにあった一枚の木板を俺に手渡す。
そこに書かれた文字を見る。
「”イクヤ監視・救助クエスト”……はっ、まるで子守だ」
「今回でもう八回目の救助ですね。報酬はギルドが立て替えてる分と、あなたのスキルの利用です」
報酬額を見るにそこそこ良い。パーティー単位でのクエスト一回分としては妥当だ。それに加え。
「才能覚醒と成長率アップアイテムを一日使い放題。まあ請ける奴も居るよな」
「すみません……」
プライドもクソも無い。自分がまるで聞き分けの悪い子供扱いで、ギルドや冒険者連中に見守られていたという事だ。
奴らと別れてから最初の内は、何度か瀕死に近い状態で帰還していた。それがある時から救助される事が起き、気絶するような事態に陥った時はほぼほぼどこかのパーティーに助けられ担がれていた。その答えがこの依頼板(クエストボード)という事だ。
「何度も言いましたけど、ソロは無謀です。余計なお世話なのは分かってます。何かと言われるのが嫌でギルドに来なかった事も分かってます。でも、皆イクヤさんを心配して……」
「それであのクエストか。結局どいつも俺のスキルを利用したいだけだろ?」
「違いますよ!」
「違わないだろ!! ……っつ」
大声を出した事で鈍痛が走る。
「違わないだろ……これがその証拠だろ」
脇腹を押さえながら依頼板を突き返す。
「……今回、イクヤさんを救助したのはベックパーティーでした」
「ベック? ……ああ」
名前から顔を探すと一人の男が思い浮かぶ。アレクセイパーティー時代、少しずつ強くなってきた頃に登録してきた後輩にあたる冒険者達だ。
気弱そうな銀髪の男が思い浮かぶ。
「あの日、ベックさん達は昼過ぎには帰ってきました。それも全力で走ってきた様子で、街に到着した時には会話もできないぐらいに。この意味分かりますか?」
問われて思案する。報酬がすぐに欲しかった? 金に困っていたのか?
「はあ……ベックさん達は、何よりもイクヤさんの命を優先したんです。もちろんリリアンさんが回復魔法をかけていましたけど、それでも瀕死の重傷でしたから」
「まあ、俺が死んだら報酬の連れ回しも意味がなくなるだろうからな」
「もう、いい加減にしてください! なんでいつまでそんなに不貞腐れてるんですか!」
一人感情的に喚くアンナを見ていると妙に冷めた気分になってしまう。
「イクヤさん、ちゃんと周りを見てください。あなたは一人なんかじゃないんですから」
「……アンナさんには悪いけど、俺は一人で強くなる。そんであいつらに俺の力を見せつけてやる。奴らを越える力を手にして。……命を助けてくれたのは感謝してる」
「はあ……本当にどうしたら分かってくれるんだろ」
大きく溜め息を吐いて脱力すると、目頭を押さえている。
「本当に感謝してるよ。でも、もうこういう事はしなくていい。これ以上迷惑を掛けるわけにはいかないし。報酬も毎回こんなに出すのはギルドとしても負担だろう」
「全くその通りですよ……って、そうだ!」
パン、一つ手を打つとアンナさんは居住まいを正す。
「ここからはビジネスの話なんですけど、イクヤさんにバレちゃいましたし一旦ここで清算させてくれませんか? 八回の救助の他、依頼の手数料、それと空振りに終わったクエストの費用も当然掛かってますね。あとは今回の治療費に……あ、ひと月前も治癒魔法士さんにお願いしたんだった! それも含めると……」
ブツブツ呟きながら先程の依頼板の裏に黒いチョークのようなもので書き込んでいく。
「いや、ちょっと待ってくれ。ギルドが勝手に出した依頼だろ!?」
「いーえー、さっき言いましたよね『立て替えてる分』って。ね?」
ね? じゃねーよ。こっちが知らない所で俺を依頼主に? そんな勝手が許されるならクエストのシステム自体がおかしくなるだろ。
「アンナさん、言っとくけど俺もう金なんか……」
「ここまでの費用締めましてー、まあ端数はオマケしてあげましょうかね。それじゃあ全部諸々ひっくるめまーしてー……金貨百十枚! 即金でお願いしますね!」
「百じゅ……いやいや絶対無理だってそんな額! てかそんな高いのかよ!?」
俺達の世界基準での換算は難しいものの、金貨一枚で五万~十万円程度の価値はある。そうなると大体六百万から一千万を超えるような請求だろう。
「でもー、ギルドとしては困っちゃうな―?」
上目遣いで両手を組んで妙な口調で言ってくるが、可愛げなど微塵も感じられない。
「ぶ、分割でなら……とにかく今は無理だ。今の俺無一文だし……あっ、俺の荷物! 黄銅窟に持って行った荷物は!?」
「回収できると思います? ドラコアが居たんですよ?」
「……不可能じゃないだろう」
「アレクセイさん達基準で言わないでください。無理ですよ」
まあ、そうか。ベック達の今のランクは分からないが俺という荷物の回収だけでも手一杯か。いや。
「……ベック達が持ち逃げした可能性は?」
「それも含めての救助クエストです。言っておきますけど高難易度ダンジョンに突っ込む危険性は分かりますよね? それと、ベックさん達の事をこれ以上貶めるのは私が許しません」
「まあ、そうだな。あいつらがそんな事はしない……か」
「ええ。分かればよろしい」
ベック達を疑っても仕方ない。
しかし、ここに来て持ち物の全ロストは痛い。手斧はそこまで高くないものの他に高価な道具が幾つか入っていたし、何よりもなけなしの金で買った”ステ板”。あれを失ったのは堪える。
「分割でお願いしたい。ここ数カ月クエストやってなかったけど、何とかしてみせるから」
「失礼ですけどCランクの腕で? ソロで? 道具も何もない状態で? 一体何年掛けるつもりですか?」
「ぐ……」
それを言われると何も言い返せない。俺が請けられるのはCランク以下……ソロなのでもっと低額な依頼になるだろう。そうなると銀貨で支払われる程度の報酬しかなく、金貨一枚に替えるのにも五回か六回達成しなければならない。
それに加えて経費が掛かる。装備は損耗するので修繕が必要だし、道具も消費する。住居は購入済みなので問題ないが飯は食わなければ力が出ないし、怪我をして治療を頼めばその費用も掛かる。
「そう言えばアレクセイさん達が残した荷物。あれなら金貨四十枚か五十枚相当にはなるんじゃないですか?」
「あれは……捨てた。あんなの手元に置いとく訳ねーだろ。嫌がらせの餞別なんて」
「ふーん? 捨てるなんて勿体ないことよくできましたね」
「あいつらの施しは受けない。それにあんたには関係ない」
覗き込まれたので思わず目を逸らす。
「ねえイクヤさん、意地を張るのやめましょ? ソロは無理がありますよ」
アンナの言わんとしている事は分かる。パーティーを組めという事だろう。でも。
「誰かと組むぐらいなら死んだ方がマシだ」
「……はああああもう! めんどくさ!!」
ガシガシと頭を掻くアンナ。せっかく縛ってまとめている髪がボサボサになっていく。
「なーんでそんな石頭なのかなあ!」
「悪いけどそれだけはできない。またパーティーを組んじまったら……一生同じ事を味わい続ける事になる」
「自分の状況分かってるでしょ!? もういい加減に……」
「絶対に曲げられない。もし強制的に組めって言うならまた明日また黄銅窟に潜る」
「あああああもう! 分かった、分かりましたよ! ……じゃあ別の方法で考えましょ」
「そうしてくれ。パーティーを組む以外だったら雑用でも何でもやるから」
半ば自棄を起こした様子だったが、俺の最後の言葉を聞いて一瞬目を光らせたように見えた。
「……イクヤさん? 今『何でもやる』って言いましたね?」
念押しの一言。何か嫌な予感がする。
「言ったけど、パーティーを組む事だけはしないからな。それ以外ならやってやる」
「むふー、分かりました。それなら一つイクヤさんにピッタリな長期クエストがあります! それを請けてもらいましょうかね! ……言質は取りましたよ?」
「パーティーだけは組まないからな。それだけは言っとく」
「はいはい、”パーティーは”組まないですね。間違いなくソロで出来るクエストなので問題ないですよー。いやー良かった良かった」
「おい、依頼の内容は何だ? 長期クエストって事は旅の護衛とかか?」
「詳しくは後でお話しますよ。今は体力も失ってますし、今日と明日ぐらいまではしっかり休んで回復してくださいね。後でご飯持ってきます。あ、これはオマケでタダにしておいてあげますからご安心を。じゃあ私は早速戻りますね~」
早口で捲し立てるように言うと鼻歌交じりにドアへと向かう。
「絶対断らないでくださいね? 雑用でも何でもソロで請けられるならやるんですもんね?」
「……二言は無い」
「男らしくて素敵ですね! じゃあしっかり体力回復してください~」
すっかり機嫌が良くなったアンナは「よっしゃあああああ!」と雄叫びを上げながら廊下を駆けていく。
何だろう、何か致命的な失敗をした気分になっている。
思えばここまでのやり取り、誘導されていた……?
「いや、まさかな……」
嵐が過ぎたような気分になり、脱力して倒れ込む。
今のHPはどれ位だろうか。治癒魔法士が数人俺に魔力を注ぎ込んだという事は、ほぼ完治に近いだろう。
感じている気怠さや痛みは、体力低下や疲労のデバフによるものか。
左頬を撫でる。ごっそりと肉が失われ、歯と顎の骨の形が直に分かる、異形の顔。
この状態で治癒したという事は、もう頬は治らないという事だ。
まあ、当然の話ではある。指や腕、足の欠損は冒険者稼業をしていればどこかで目にするものだ。治癒魔法で再生できるなら、そういった欠損を理由に引退に追い込まれる冒険者は居なくなるだろう。
「これで余計に人が寄り付かなくなるかな」
自分に対するただの皮肉。しかし、丁度いいとも思える。
ゾンビじみたこの気色の悪い顔なら、きっと俺を好む人間も居なくなるだろう。
自然と笑っていた。
あまりにも皮肉に合っていて。滑稽で。情けなくて。
これがドラコアに付けられた傷であれば恰好も付いただろう。しかしその主はリカールという雑魚魔物で、しかも既に俺自身で倒してしまっている。
冒険者としても、男としても恥の傷だ。決して剥がれる事のない恥のレッテルを顔に貼り付けたのだ。
馬鹿みたいでおかしい。おかしくて笑いが止まらない。
いっそ死んでしまった方が良かったのにな。軽く恨むよ、アンナさん、ベック。
陽射しの降り注ぐ小さな部屋。
その部屋の中で一人笑う俺の顔だけは、陽に照らされていなかった。
瞼を貫通して届く光。眩しい。
ゆっくり目を開けようとするも、睫毛同士がくっついて上手く開けない。
目ヤニが酷いのか。顔を洗いたい。そう思って身を捩ろうとした瞬間、腕や脇、背中に激痛が襲ってきた。
意識が覚醒し無理矢理目が開かれる。
俺は。
生きてる……のか?
自分の状態がよく分からない。被せられたボロボロの毛布を捲ると上半身裸で下だけ履物がある半裸の状態だった。
腕は所々傷跡が残る見慣れたものだが、少し綺麗になっている気がする。
喉が異常に乾いている。
粘膜が乾きバリバリと音を立てて剥がれているかのようだ。
唾液が出ない。水。水は。
見回すと木桶が目に入り、思わず飛びつく。痛みが走るがそれよりも今は水。水だ。
口を開こうとするが頭頂部から顎にかけて縛られているようで開けない。邪魔だ。乱雑に顔の拘束を取り払い、木桶を掲げて傾ける。
そして流れ落ちる水に濡れるのも構わず喉に流し込む。
痛い、喉が満ちていく、痛い、冷たい、痛い、美味い。
浴びるように流し、ずぶ濡れになる。次いで水を浴びた顔が滅茶苦茶痛い。
「起きた……なんでずぶ濡れなんですか! ……ってその水飲んだんですか!?」
騒がしい足音と共にドアを開いて現れたのは、冒険者ギルドの受付嬢のアンナだった。こうして顔を会わせるのは久しぶりな気がする。
「ア……ナさ……」
名前を呼ぼうとしたが上手く発音できない。
「まだ無茶しないでくださいよイクヤさん。今綺麗な水汲んできますからね。……ってもビショビショだ」
「俺……は」
「まずは落ち着いてからにしましょ、とりあえず拭くもの持ってきますね」
そう言って消えたアンナを見送り、ベッドに手を伝いながらゆっくりと立ち上がろうとする。
足にも腕にも力が入りづらい。プルプルと震えつつも、何とか直立する。
丁度顔の位置に鏡があるのが見えたので、自然と覗き込む格好になった。
今の自分の状態を確認したかったので丁度いい。
「な……」
鏡に映った自分の顔。それは。
左の頬がごっそりと無くなり、歯にピタリと皮だけが張り付いた異形の貌だった。
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「イクヤさん、落ち着きましたか?」
「ああ。お陰様で」
小さな丸椅子に腰掛けるアンナが俺が飲み干した水の器を受け取り、テーブルに置く。
「まさか生きてたなんてな」
「無茶のし過ぎです。黄銅窟にソロで挑むなんて……」
アンナは困っているような、怒っているような、そんな表情を浮かべていた。
「何とか成長できたんだ、久しぶりに。でもまあ」
そう言って左頬を撫でる。
「その代償にこうなったけど」
「……命に比べたら、ずっと安いですよ」
俯き、赤毛を揺らす。
「なあ、俺を助けたのはアンナさんなんだろ? 前から思ってたんだ。色々おかしかったから」
俺が助かった理由をずっと考えていた。
ドラコアとの遭遇、そして俺は回避したと思った所で尾の直撃を頭に貰っていた。
その時点で気絶。
万一ドラコアが見逃してくれていたとしても、他の魔物に襲われ餌になっていただろう。
運よく襲われなかったとしてもソロの身だ。リカールとの戦闘で満身創痍になり、ドラコアの一撃で瀕死になった俺はスリップダメージだけで充分死ねる。
救助が望めない状況なのだから死は免れない。
それでも、生きていた。
つまり誰かに救助されたという事だ。しかも回復魔法士の応急処置付き。VIP待遇にも程がある。
アンナが立ち上がり、テーブルにあった一枚の木板を俺に手渡す。
そこに書かれた文字を見る。
「”イクヤ監視・救助クエスト”……はっ、まるで子守だ」
「今回でもう八回目の救助ですね。報酬はギルドが立て替えてる分と、あなたのスキルの利用です」
報酬額を見るにそこそこ良い。パーティー単位でのクエスト一回分としては妥当だ。それに加え。
「才能覚醒と成長率アップアイテムを一日使い放題。まあ請ける奴も居るよな」
「すみません……」
プライドもクソも無い。自分がまるで聞き分けの悪い子供扱いで、ギルドや冒険者連中に見守られていたという事だ。
奴らと別れてから最初の内は、何度か瀕死に近い状態で帰還していた。それがある時から救助される事が起き、気絶するような事態に陥った時はほぼほぼどこかのパーティーに助けられ担がれていた。その答えがこの依頼板(クエストボード)という事だ。
「何度も言いましたけど、ソロは無謀です。余計なお世話なのは分かってます。何かと言われるのが嫌でギルドに来なかった事も分かってます。でも、皆イクヤさんを心配して……」
「それであのクエストか。結局どいつも俺のスキルを利用したいだけだろ?」
「違いますよ!」
「違わないだろ!! ……っつ」
大声を出した事で鈍痛が走る。
「違わないだろ……これがその証拠だろ」
脇腹を押さえながら依頼板を突き返す。
「……今回、イクヤさんを救助したのはベックパーティーでした」
「ベック? ……ああ」
名前から顔を探すと一人の男が思い浮かぶ。アレクセイパーティー時代、少しずつ強くなってきた頃に登録してきた後輩にあたる冒険者達だ。
気弱そうな銀髪の男が思い浮かぶ。
「あの日、ベックさん達は昼過ぎには帰ってきました。それも全力で走ってきた様子で、街に到着した時には会話もできないぐらいに。この意味分かりますか?」
問われて思案する。報酬がすぐに欲しかった? 金に困っていたのか?
「はあ……ベックさん達は、何よりもイクヤさんの命を優先したんです。もちろんリリアンさんが回復魔法をかけていましたけど、それでも瀕死の重傷でしたから」
「まあ、俺が死んだら報酬の連れ回しも意味がなくなるだろうからな」
「もう、いい加減にしてください! なんでいつまでそんなに不貞腐れてるんですか!」
一人感情的に喚くアンナを見ていると妙に冷めた気分になってしまう。
「イクヤさん、ちゃんと周りを見てください。あなたは一人なんかじゃないんですから」
「……アンナさんには悪いけど、俺は一人で強くなる。そんであいつらに俺の力を見せつけてやる。奴らを越える力を手にして。……命を助けてくれたのは感謝してる」
「はあ……本当にどうしたら分かってくれるんだろ」
大きく溜め息を吐いて脱力すると、目頭を押さえている。
「本当に感謝してるよ。でも、もうこういう事はしなくていい。これ以上迷惑を掛けるわけにはいかないし。報酬も毎回こんなに出すのはギルドとしても負担だろう」
「全くその通りですよ……って、そうだ!」
パン、一つ手を打つとアンナさんは居住まいを正す。
「ここからはビジネスの話なんですけど、イクヤさんにバレちゃいましたし一旦ここで清算させてくれませんか? 八回の救助の他、依頼の手数料、それと空振りに終わったクエストの費用も当然掛かってますね。あとは今回の治療費に……あ、ひと月前も治癒魔法士さんにお願いしたんだった! それも含めると……」
ブツブツ呟きながら先程の依頼板の裏に黒いチョークのようなもので書き込んでいく。
「いや、ちょっと待ってくれ。ギルドが勝手に出した依頼だろ!?」
「いーえー、さっき言いましたよね『立て替えてる分』って。ね?」
ね? じゃねーよ。こっちが知らない所で俺を依頼主に? そんな勝手が許されるならクエストのシステム自体がおかしくなるだろ。
「アンナさん、言っとくけど俺もう金なんか……」
「ここまでの費用締めましてー、まあ端数はオマケしてあげましょうかね。それじゃあ全部諸々ひっくるめまーしてー……金貨百十枚! 即金でお願いしますね!」
「百じゅ……いやいや絶対無理だってそんな額! てかそんな高いのかよ!?」
俺達の世界基準での換算は難しいものの、金貨一枚で五万~十万円程度の価値はある。そうなると大体六百万から一千万を超えるような請求だろう。
「でもー、ギルドとしては困っちゃうな―?」
上目遣いで両手を組んで妙な口調で言ってくるが、可愛げなど微塵も感じられない。
「ぶ、分割でなら……とにかく今は無理だ。今の俺無一文だし……あっ、俺の荷物! 黄銅窟に持って行った荷物は!?」
「回収できると思います? ドラコアが居たんですよ?」
「……不可能じゃないだろう」
「アレクセイさん達基準で言わないでください。無理ですよ」
まあ、そうか。ベック達の今のランクは分からないが俺という荷物の回収だけでも手一杯か。いや。
「……ベック達が持ち逃げした可能性は?」
「それも含めての救助クエストです。言っておきますけど高難易度ダンジョンに突っ込む危険性は分かりますよね? それと、ベックさん達の事をこれ以上貶めるのは私が許しません」
「まあ、そうだな。あいつらがそんな事はしない……か」
「ええ。分かればよろしい」
ベック達を疑っても仕方ない。
しかし、ここに来て持ち物の全ロストは痛い。手斧はそこまで高くないものの他に高価な道具が幾つか入っていたし、何よりもなけなしの金で買った”ステ板”。あれを失ったのは堪える。
「分割でお願いしたい。ここ数カ月クエストやってなかったけど、何とかしてみせるから」
「失礼ですけどCランクの腕で? ソロで? 道具も何もない状態で? 一体何年掛けるつもりですか?」
「ぐ……」
それを言われると何も言い返せない。俺が請けられるのはCランク以下……ソロなのでもっと低額な依頼になるだろう。そうなると銀貨で支払われる程度の報酬しかなく、金貨一枚に替えるのにも五回か六回達成しなければならない。
それに加えて経費が掛かる。装備は損耗するので修繕が必要だし、道具も消費する。住居は購入済みなので問題ないが飯は食わなければ力が出ないし、怪我をして治療を頼めばその費用も掛かる。
「そう言えばアレクセイさん達が残した荷物。あれなら金貨四十枚か五十枚相当にはなるんじゃないですか?」
「あれは……捨てた。あんなの手元に置いとく訳ねーだろ。嫌がらせの餞別なんて」
「ふーん? 捨てるなんて勿体ないことよくできましたね」
「あいつらの施しは受けない。それにあんたには関係ない」
覗き込まれたので思わず目を逸らす。
「ねえイクヤさん、意地を張るのやめましょ? ソロは無理がありますよ」
アンナの言わんとしている事は分かる。パーティーを組めという事だろう。でも。
「誰かと組むぐらいなら死んだ方がマシだ」
「……はああああもう! めんどくさ!!」
ガシガシと頭を掻くアンナ。せっかく縛ってまとめている髪がボサボサになっていく。
「なーんでそんな石頭なのかなあ!」
「悪いけどそれだけはできない。またパーティーを組んじまったら……一生同じ事を味わい続ける事になる」
「自分の状況分かってるでしょ!? もういい加減に……」
「絶対に曲げられない。もし強制的に組めって言うならまた明日また黄銅窟に潜る」
「あああああもう! 分かった、分かりましたよ! ……じゃあ別の方法で考えましょ」
「そうしてくれ。パーティーを組む以外だったら雑用でも何でもやるから」
半ば自棄を起こした様子だったが、俺の最後の言葉を聞いて一瞬目を光らせたように見えた。
「……イクヤさん? 今『何でもやる』って言いましたね?」
念押しの一言。何か嫌な予感がする。
「言ったけど、パーティーを組む事だけはしないからな。それ以外ならやってやる」
「むふー、分かりました。それなら一つイクヤさんにピッタリな長期クエストがあります! それを請けてもらいましょうかね! ……言質は取りましたよ?」
「パーティーだけは組まないからな。それだけは言っとく」
「はいはい、”パーティーは”組まないですね。間違いなくソロで出来るクエストなので問題ないですよー。いやー良かった良かった」
「おい、依頼の内容は何だ? 長期クエストって事は旅の護衛とかか?」
「詳しくは後でお話しますよ。今は体力も失ってますし、今日と明日ぐらいまではしっかり休んで回復してくださいね。後でご飯持ってきます。あ、これはオマケでタダにしておいてあげますからご安心を。じゃあ私は早速戻りますね~」
早口で捲し立てるように言うと鼻歌交じりにドアへと向かう。
「絶対断らないでくださいね? 雑用でも何でもソロで請けられるならやるんですもんね?」
「……二言は無い」
「男らしくて素敵ですね! じゃあしっかり体力回復してください~」
すっかり機嫌が良くなったアンナは「よっしゃあああああ!」と雄叫びを上げながら廊下を駆けていく。
何だろう、何か致命的な失敗をした気分になっている。
思えばここまでのやり取り、誘導されていた……?
「いや、まさかな……」
嵐が過ぎたような気分になり、脱力して倒れ込む。
今のHPはどれ位だろうか。治癒魔法士が数人俺に魔力を注ぎ込んだという事は、ほぼ完治に近いだろう。
感じている気怠さや痛みは、体力低下や疲労のデバフによるものか。
左頬を撫でる。ごっそりと肉が失われ、歯と顎の骨の形が直に分かる、異形の顔。
この状態で治癒したという事は、もう頬は治らないという事だ。
まあ、当然の話ではある。指や腕、足の欠損は冒険者稼業をしていればどこかで目にするものだ。治癒魔法で再生できるなら、そういった欠損を理由に引退に追い込まれる冒険者は居なくなるだろう。
「これで余計に人が寄り付かなくなるかな」
自分に対するただの皮肉。しかし、丁度いいとも思える。
ゾンビじみたこの気色の悪い顔なら、きっと俺を好む人間も居なくなるだろう。
自然と笑っていた。
あまりにも皮肉に合っていて。滑稽で。情けなくて。
これがドラコアに付けられた傷であれば恰好も付いただろう。しかしその主はリカールという雑魚魔物で、しかも既に俺自身で倒してしまっている。
冒険者としても、男としても恥の傷だ。決して剥がれる事のない恥のレッテルを顔に貼り付けたのだ。
馬鹿みたいでおかしい。おかしくて笑いが止まらない。
いっそ死んでしまった方が良かったのにな。軽く恨むよ、アンナさん、ベック。
陽射しの降り注ぐ小さな部屋。
その部屋の中で一人笑う俺の顔だけは、陽に照らされていなかった。
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悪魔の家畜として扱われる人間、退廃的な生活を送る天使、人との共存を望む悪魔、地の底に封印された堕天使──残酷な呪いを知り、凄惨な日常を知り、少年は自らの能力を平和のために使うと決意する。
悪魔との契約や邪神との接触により少年は人間から離れていく。対価のように精神がすり減り、壊れかけた少年に狼は寄り添い続けた。次第に一人と一匹の絆は親子のようなものから夫婦のようなものに変化する。
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