3秒の楽園

松竹梅猫

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 昼前、新居に戻ると朝と同じように朔と律が座っていた。
 
「いや朝と変わってねえ!」
「少し段ボールが減りました!」
「近くのスーパーに行っていたら散歩になって、長いこと歩いてしまったんだ。羨ましいだろう」
「どこが」
「弟と過ごす時間だ」

 ぐ。たしかにそれは少し羨ましい。
 直球な兄の言葉に弟の律は照れて目線を彷徨わせていたが。

 しかしおかげさまで食料が豊富だ。
 2人が買ってきた惣菜とご飯を俺も恵んでもらい昼食を済ませる。
 流石に片付けでは働かねばなるまい、と皿洗いをしていると律がてとてとと近寄ってきた。

「修十さん、仕事はもう終わったんですか」
「今日はもうな」
「あの、じゃあ、3人で公平の職場に行きませんか!?」

 律は童顔を輝かせて聞いてきた。輝きに目を細めながら、これは断れまいと俺は頷く。
 わっ、と律は喜びに破顔した。

「私、動物園なんてすっごく久しぶりです!」
「俺も。なんだかんだで公平のとこ行ったこと無かったしな」
「子どもの頃に4人で行っただろう」
「もう忘れてしまいました」
「まあそう、か。おれもそうだ。となると早いうちに出たほうがいいだろう」

 急に楽しみになったのかせっかちな朔が時計を見上げて焦り出す。
 お前どんだけ動物園を舐め尽くすように見回る気だ、と。時間が足りなくなったらまた行けばいい話ではないか。

 そして3人で、俺たちは公平の職場である「結城山動物公園」へと向かうため電車に乗った。

 片道50分。毎日公平がこの線に乗っているのか、と想像する。
 あいつは俺と違って朝に強いのだろうか、子どもの頃はどうだったろう。電車に揺られながら寝て通勤しているのだろうか、想像すると微笑ましい。
  
 昼の時間帯だからか電車は全然混雑していない。
 俺たちと同じ目的地でありそうな、家族やカップルがちらほら見うけられる。

 大人の男3人が向かうところとしてはやや可愛げがありすぎるのではないか。
 連れがこの2人でなかったらそんなことを俺は気にしていたかもしれない。
 だがこの兄弟となら全然気にならない。家族で出かけることに羞恥など無いような、なんだか当然のことのようだからだ。

「公平って仕事の話はあまりしないですよね」
「というより自分の話を……いやあいつはなにも話さないか。聞かねばなにもな」
「口下手だからなあ」
「でも動物園で働くっていろいろネタがありそうですけどね。えーと、もう六年? くらいは働いてるんですよね?」
「そうなるかな」
「たまに連絡していた時にちらっと聞いたりはしていただろう。ほら、カバの声がすごい、とか」
「ああそうでした。録音したもの送ってくれましたよね」

 くすくすと律が思い出し笑いをする。
 俺はそれをとんと思い出せない。
 そんなことあっただろうか、4人のメッセージを掘り返してみたら見つかるだろうか。いやもう期限が切れて削除されたか。

「あ、でも一年前くらいですっけ。あれは、ちょっとかわいそうでしたね」
「ああ、そうだな……」

 一年前。
 俺はその単語に目を見張る。

 今朝だって夢に見た、あの後悔の思い出。それも一年前だから。

「それって、なに?」

 口の中が乾くのを自覚しながら舌を意図的に明るく動かして、なんてことないようなふりをして聞いてみる。

 朔と律が俺に胡乱な目を向けてきた。
 いや2人はそんなふうには見ていないだろう、俺の後ろめたい主観がそう思わせているだけだ。

「えっと、はっきりとは聞いてないんですけど。多分担当の動物が死んじゃったんだと思います」
「そう、なんだ」
「本人も元気がなかったな。そういえば貴様はあの時いなかったか」

 やはり俺がいない状態で3人は会っていたようだ。

「ああ、新刊の作業で忙しくてさ」

 嘘ではない。だが当時そのことさえも言わなかった。
 
「すごいですね、本を出してるって。そうだ、動物園のお話しの絵本、どうですか」

 律が明るく話を切り出して、意図的かそうでないかはわからないがもう一年前のことは話題にのぼらなかった。
 他愛もない話を続けて、俺たちは電車に揺られる。
 俺の胸中にはわずかなしこりを残して。

 
 園に到着して入場券を購入しゲートを通る。
 かつて来た時の記憶はぼぼない、だがこのわくわくするような心持ちには覚えがあった。

「わあー! 兄上、お土産屋さん最後見ましょうね」
「ああ」

 入り口横の土産屋に既にテンションを上げた律に朔も嬉しそうに笑っている。

 園内はそこそこ客がいて賑わっている。

 朔は早速パンフレットを広げて全てを満遍なく見渡せるルートを編み出したようだ。
 だがイベントの時刻が貼られたボードを前にそのルートを再構築せねば、と考えを練っている。
 俺はそういうタイプじゃない、目についたものを見て適当にぶらつければいいのだが。邪魔するとうるさくなりそうなので黙っていよう。

「公平はどこにいますかね?」
「いやあ、仕事中じゃ会えないだろ」
「そうですか」

 あからさまに残念そうにしょんぼりする弟に兄がはらはらしている気配を俺は感知した。仕方ないここは一肌脱ごう。

 イベントボードの近くに立ってパンフレットを手渡していた女性スタッフに俺はおもむろに声をかけた。

「すんません」

 さすがスタッフ、にこやかに振り返ってくれる。

「あの、志野って飼育員知ってますか。知り合いなんですけど」

 朔も律も俺の後ろでぎょっとしている。でもまあ聞くだけならタダだしね。
 お姉さんスタッフは一度目を瞬かせたがすぐさま合点がいったようだ。ちょっと待ってくださいね、と腰につけた無線機を取り出してなにやら話し出した。
 おお、まさか探し出してくれるというのだろうか。

 俺の期待とは裏腹に後ろの2人は俺の背中をつついた。

「いいんですかね、仕事中なのに」
「そうだ、既に迷惑をかけているではないか」
「えー? いいんじゃね、ダメならダメって言うだろ」
「そんな身勝手な……」

 まあたしかにお姉さんの手は煩わせているな。だがなにを遠慮することがあろうか、迷惑ならそっちから断ればいいだけのことだろう。

 お姉さんは明るい顔のまま無線機をしまいこんでパンフレットを広げて見せてくれた。

「志野くん、これからはじまるエサやり体験のほうに出てるみたいなので、そっちに行ってみたら会えると思います」

 ほらどうだ。とっても優しい。やはり聞いて損はない。

「ありがとうございます!」

 笑顔で礼を言って教えてもらったところへ俺たちは足をむけた。
 好印象な結果に兄弟は胸を撫で下ろしている。
 
 結構奥の方へたどり着くと人だかりができていた。皆柵の前で、中の様子を眺めて可愛いだのなんだの騒いでいる。

「あれか」

 俺たちもそれに加わって柵の中の方へ目をやると。
 人数制限があるのか、数人の一般客が柵の中に入っていた。そこで数頭の灰色の猿と戯れている。
 制服を着たスタッフも中にいて、俺たちは同時にそのスタッフーー公平を見つけた。

 公平は肩に猿をーー看板で確認したところワオキツネザルというらしいーー乗せて客相手に笑顔で話している。

 俺だけでなく兄弟2人も、無言でしばし固まって猿のエサやり体験を眺めていた。

 十数分後、はっと我に返った頃にはエサやり体験は終わっていて。柵の中には猿だけになっていた。
 俺たち以外の客はもう動き出していたが、俺たちは相変わらず柵にかじりついていた。

「笑っ、て……」
「ましたね」
「ちゃんと接客していたな」

 3人目を見張ったまま顔を合わせ、誰からともなく笑い出す。
 
「いやそりゃそうだよな、社会人だもん!」
「そうですよね、でもなんかびっくりしちゃいました」
「失礼だが、意外だった」

 完全に予想外な光景に俺たちは度肝を抜かれてしまったようだ。
 ワオキツネザルの前でひとしきり笑う3人の男に道行く人たちがやや不審な目を向けていた。

 それから数時間、園内を歩き回って足が棒になってきた。
 飲食スペースで俺は完全に疲れ切って椅子に座り天を仰いでいた。
 さすが若いおかげか律はものともしていないようだ、飲み物を3人分買ってきて持ってきてくれた。
 メロンソーダを飲みながら時刻を確認する。16時半だ、閉園まであと1時間半。

「あらかた見たよな」
「そうだな、網羅したはずだが」

 満足そうに朔がパンフレットをただんでいる。動物を見るためというよりもそっちがこいつにとっては目的だったようだ。
 律はほぼ全ての動物を写真におさめたのではないか、首から下げたデジカメを確認している。

「めちゃめちゃ満喫したなあ」
「次は公平も一緒に来れるといいですね」
「いやいや休みの日に仕事場は来たくないだろ~」

「いや、むしろそっちのほうが良かったわ」

 え。4人目の声がするんだが。
 俺たちが確認するより早く、空いた席にどっかりと公平が座り込んだ。青い、胸ポケットが二つある制服に白い長靴を履いた、まんま飼育員の姿のまま。

「わ! いいんですか仕事中に」
「別に。通りがかりだし」
「おれたちのこと気づいてたのか?」
「いやさっき聞いた」
「エサやりしてるの見てましたよ、ワオキツネザル可愛かったですね。今度私もエサやりしたいです」

 やや興奮気味な律に、公平はわずかに口を綻ばせる。
 さっきの接客中の笑顔にはほど遠いが、こちらの笑みのほうが何故だろう、安心する。

「てか突然来るな」
「突然行きたくなったんですから、仕方ないでしょう」

 律がにこにこして反論すると公平は口を引き結んだ。

「まだいられるのか」
「ん、少しなら」
「じゃあたこ焼き買ってきましょう。公平なにか飲みますか」
「いらない」
「はいはい」
 
 律がまた立ち上がり売店に向かう。朔も後を追っていったので折しも2人きりになった。

「接客してるお前見て俺らみんな驚いてさ。ちゃんと笑顔できるんだな、って」
「当たり前だろ」

 俺がからかうと公平はむすっとする。
 本当は誉めたつもりなのだが、伝え方が悪かったか。言葉を考え直していると、その間の沈黙がやけに気になった。

 ふと一年前のことを思い出す。
 俺は笑みを引いて、唾を飲み込んだ。
 謝罪、するべきだろうか。
 だが蒸し返してもいいものだろうか。
 俺の目が右往左往しているのを公平は不思議そうに見つめてくる。
 そう見られると緊張が増す。
 頭の回転は無いに等しくなり、沈黙に耐え切れず口から言葉が落ちた。

「あのさ、前のことなんだけど。えーと、一年前くらいの」

 反応を見やるといつも通り無表情にこちらを見ている。反駁を期待したが無さそうだ、やはり俺が言うしか無い。

「なんか、あったんだって?」

 あー、もっとうまく話せないのかよ、と自責の念。
 結局相手に出方を譲って、ずるいやり方だ。
 公平は顔をこっちに向けているが、不意に空に目をやった。
 なにを話そうか考えているのかもしれない。でもそれを待っていられないのがおしゃべりな俺の悪いところだ。

「いや、聞いたんだけど。なんか動物が死んだ、とか」

 言い方最悪だろ! と心中叫び思わずテーブルに目線を落とす。
 公平はやっと平たい声を返してきた。

「ああ、あの時の」

 言葉だけなら別段気にしていなそうだが、どうも抑揚が無さすぎる。俺は喋るのを我慢して目線を上げた。
 今度は公平が隠れるように、テーブルの上で組んだ腕の中に顔を埋める。
 そんな表情を隠す仕草に俺は内心慌てた。まさか泣いてるのか、と。
 くぐもった声が腕の中から出てくる。泣いてはいないようだ、よかった。

「死んだけどそれは別によくあることだから。生き物はみんな死ぬし」
「え? ああまあ、そうだな」
「それよりもあの時は。……むいてないんじゃないかと思って」
「あ? なにがよ」
「この仕事が」

 成程。つまり、死に悲しんでいるわけでなく仕事の失敗にへこんでいたということか?
 だがそれは、絶対に誰にでもあることだ。間違えない奴はいない、失敗しない奴もまたいない。いないはずだ。

 俺の知っている限り公平は特別器用でも、なにかに抜きん出ているわけでもなく。むしろ平凡なほうだ、運動も勉強も白井兄弟に比べたらなんの突出もない、平均を地でいくタイプ。

 だからこそ自信があるわけでも自分を卑下することもないのがこいつの良いところな、はずなのに。

 珍しい。むいてない、と気にするということは、むいていたかった、と欲があるということだから。
 
 公平がなにかに固執するなんて、珍しい。

「だから、お前になんか言って欲しかった」
「俺に……」

 公平は顔を上げる。罰が悪そうな顔をしている。

「だって修十って、相手に遠慮しないだろ。むいてないならむいてない、って言うかと思って」

 その評価はどうなのよ。ああでも。
 一年前、公平は俺を頼りにしていたのか。
 
 目から鱗とはこういうことか。驚きながらも、それだけじゃない。

 その事実に胸がなぜか熱くなった。
 その事実を無下にしてしまった現実をやはりめちゃくちゃ後悔した。

 でも、大丈夫、まだ挽回できる。今するんだ。

「ごめん。忙しくて、返事しなかった。すげえ、すればよかったって、ずっと後悔してた」

 素直に全部言おう。思ったことを言うのは俺の美徳らしいので。

「でもむいてるかむいてないかは、俺にはわかんねえよ。俺飼育員なったことねえし」
「……まあ、そうか」
「でも! むいてるかむいてないかで仕事は選ばなくていいと思う。やりたいかやりたくないか。誰かのためになってるかどうか。そういうことだと思う。少なくとも公平のおかげで今日の客や、俺たちは楽しめた。良かったと思う」

 思わず身を乗り出して言うと、公平は目を丸くしてぱちりと瞬きをした。

 そこへ談笑しながら朔と律が戻ってくる。

 テーブルの上にたこ焼きとチュロスが2本あとカップに入ったソフトクリームがどさっと置かれた。

「めっちゃ買ってきたな」
「休憩ですから、それに公平の職場にお金をおとさないと」
「出店は別だ」
「あ、そっか……。ば、売店行きますから帰りに」
「俺の名前出せば社割効くぞ」
「そうなんですか!」

 お金をおとすって言ってたのに社割に喜ぶんかい。
 公平は他の客が周りにいないことをちらりと確認してからたこ焼きをひとつ口に放り込んだ。熱かったのか口を手で触れながら席を立つ。

「あ、行っちゃうんですか」

 名残惜しそうにする律に軽く手を振って公平は去っていった。

 話は途中で終わった気がするが、俺としては言いたいことを言えたので少しすっきりする。

 公平の背中を見送っていると不意に朔が言った。

「そういえば、公平が飼育員をしているのは修十の言い分からだったりしてな」
「へ?」
「さっき思い出したんだが。子どもの頃来ただろう? その時からお前はひねくれてて動物よりも、飼育員のほうがかっこいい、会話のできない動物を世話できるんだからすごいって。子どもの時分にしては冷めた物言いだが、公平もたしかにって同意していた」
「へえ、すごい。それが理由だったらなんだか良い話ですね」
「だろう。特別動物好きでもなかった公平がこの仕事を選んだ理由がそれなら……お前はどう思う?」

 俺は口をぽかんとして固まる。
 そんなこと言った覚えはもちろん無い。

 でももしそれが理由で、むいていないかもしれない仕事をまだ続けているのだとしたら。
 
 なんか、なんかそれって。
 
「照れる……」

 俺はにやけそうな口を手で隠して眉間に皺を寄せた。この喜びが2人にばれないように。
 だが首の後ろの熱は隠せなかった。


 それから。閉園時間ぎりぎりまで土産屋でなにを買うか悩み、律はワオキツネザルのぬいぐるみを買って満足していた。
 俺は伊織に菓子を買った、これを渡して機嫌をとるつもりだ。

 動物園をあとにして直近の駅で公平を待ち、4人そろって電車に乗って帰宅した。

 朔が公平に、飼育員をやる理由を聞こうとしていたが俺が羽交いじめにして阻止してやった。
 公平の横顔にはなんの憂いもない。

 むいてないかも、とへこんでいたのは一年前の話だ。
 それから今もまだこいつは仕事を続けている。

 俺の言葉はなくてもこいつは自力で解決したのだろう。

 だから今回は俺がただすっきりしただけ。

 それでもやっぱり、話せて良かった。
 
 もうきっと同じ夢は見ない。見るなら4人でまた動物園に行く夢だろうな。
 

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