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第一話
第三節 不穏な兆し
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港町ノーアトゥンに到着したエイリークたち。街の入口に立ったエイリークが最初に感じたのは、違和感だった。二年前と比べると街全体がくすんでいるような、活気がなくなっているように思える。こんな街だっただろうか。
港に停泊している漁船の数も減っている気がした。あんなに街を歩いていた信教者も、殆ど姿が見えない。さらにすれ違う人を見れば、全員が全員というわけではないが武装していた。これは確実に何かあったと、肌で感じる空気が伝えてくれている。いったい何があったのだろうか。エイリークたちはひとまず、街のシンボルであるユグドラシル教会に向かうことにした。
「いったい、なにがあったのでしょう……」
「おかしいよ、こんな元気のない街じゃなかったはずなのに」
教会に向かうまでの道のりを歩く。大通りの商店も、何処か元気がない。彼らの表情は、心なしかやつれているように見えた。何かに怯える人もいる有様だ。街のあまりの変わりように、不安が募る。
一応は問題なく辿り着いた、ユグドラシル教会。奥の礼拝堂に行けば、懐かしい人物がそこで祈りを捧げていた。港町ノーアトゥンの政治に協力している、司祭のヴォーダンだ。控えめに声をかければ彼は振り返り、一礼した。彼はエイリークを差別しない数少ない人間である。外套のフードを下ろし、こちらからも一礼する。
「おや……二年前のバルドル族の少年ではありませんか」
「お久しぶりです、司祭ヴォーダン。ご健在で何よりです」
ヴォーダンはにこりと微笑むが、何処か力のない顔だ。そんな彼が、後ろにいたケルスたちに視線を投げかける。
「そちらの方々は……?」
「ああえっと、紹介します。俺の旅仲間のケルスと、グリムです」
「お初にお目にかかります。僕はケルスと申します」
ケルスとヴォーダンは挨拶を交わす。本当なら談笑もしたいところだが、街の状況についての情報が欲しいと尋ねる。すると司祭は自分たちを、教会内にある自分の執務室へと案内してくれた。その後ろ姿が、疲れ果てているように見えて心苦しい。
執務室内にあるソファに腰掛けるよう勧められる。エイリークとケルスは勧められるがままに座り、グリムは背もたれに寄りかかるように立つ。エイリークとケルスに向かい合う形で腰を下ろしたヴォーダンが、静かに語り始めた。
「ここ一年程前から、反ユグドラシル教団の人員が集まった集団による襲撃が、後を絶たないのです」
「反ユグドラシル教団……」
二年前にも、エイリークはその話題について聞いていた。
ユグドラシル教団はその思想に反発して過激派となった集団から、度々武力行為による被害を被ることがある、と。彼らの根底にあるのは、ユグドラシル教団の信仰の破却。いかなる困難も女神の導きであると受け入れ、知らない世の苦しみ、不安からの解放こそ救済であるというユグドラシル教団の思想に反対する者たち。
主にカウニスの滅びの歴史を知る人々から成る集団で、教団は現実から逃げている、と批判を掲げている。
最近はその集団が勢いづいている、とも聞いている。
「けど、その集団から教団と信者たち、修道士たちを守るユグドラシル教団の教団騎士たちがいるはず、ですよね?」
一つ、疑問を投げかける。そう、ユグドラシル教団は決して無力ではない。
教会絡みで襲撃が起きる場合や、抗争に巻き込まれかけた時に、本部から駆け付ける騎士──通称、ユグドラシル教団騎士がいる。そんな彼らがいるにも拘らず、何故こんなにも街が閑散としているのか。
その問いにやや時間を有してから、ヴォーダンが絞り出すように語る。
「実はここ最近、集団たちの威力が急激に増しているんです。……教団騎士が襲撃に遭い、殺されてしまうという事態も起きているのです」
「なんだって!?」
衝撃の事実に愕然とする。
ユグドラシル教団の教団騎士が殺されている事態。それはまさに緊急事態であることは明らかだ。ユグドラシル教団は他国の武力に対しては、侵略してこないのであればあくまで中立の立場を保っている。
それは言い換えれば、どの武力とも協力関係ではないということ。ミズガルーズ国家防衛軍に対してもそれは同じ。故に協力要請を受ければ応じるが、自分たちが協力要請を送ることはできないのだと、ヴォーダンが説明してくれた。
そのことが今回、裏目に出てしまっているらしい。何処にも助けを求められず、教団は弱体化している。弱体化すれば、勢いのある反ユグドラシル教団の集団を止めることはできず、街はおろか教会を守れない。戦禍は街に飛び火し、活気は消えていく。まさに負の無限ループだ。
この街も例外ではなかったと、ヴォーダンは続ける。
平和だった街はある日、彼らに一気に制圧された。市長であるルドは集団に拘束され、今もなお屋敷に監禁されているとのこと。街を歩いていた信仰者や信者たちは力を持たないが故に彼らに惨殺され、怯えた住人たちは外を出歩くことが少なくなったというのだ。外に出るときも彼らは、護身用に銃やナイフなどの武器を持たざるを得ない状況になった。
「そんなことになっていたなんて……」
「ルド様が監禁されたことで、政治は全て彼らの意のままとなっております……。港の定期便も廃止され、今やこの街は封鎖されているも同然なのです」
「定期便が廃止って、もしかしてヒミンへ向かう船もですか……?」
その問いにヴォーダンは頷く。つまり、ヒミンへ行くための手段が断たれてしまったということになる。思い悩むエイリーク。そんななか、グリムが一つ訊ねた。
「そんな状態であるにも関わらず、何故貴様は無事に生きながらえているのだ?」
彼女の問いに我に返る。
そうだ、反ユグドラシル教団の集団は、言ってしまえばユグドラシル教団の撲滅を目論んでいる。それなのにユグドラシル教団の司祭の一人であるヴォーダンは、何故今もこうして無事でいられるのか。
ヴォーダンは、握りしめていた拳に力を入れて唸るように答えた。
「私は……囮役として、生かされているのです……。この街の付近の信仰者たちを、ここにおびき寄せるために……」
彼が言うには、港町ノーアトゥンの周辺の村や町にも、ユグドラシル教団の信者や修道士がいるらしい。彼らは祈りを捧げるために、港町ノーアトゥンのユグドラシル教会に赴いてくるのだ。
ユグドラシル教会の司祭が殺されたと知られれば、信者たちはこの教会に来ることはない。つまり、自分の身を守ることが出来る。それを、反ユグドラシル教団の集団は許さないのだと。
不穏な気配に、女神の加護を賜るためにと不安に駆られた信者たちは教会へ赴く。そんな救いを求めて街へ来た者たちを、彼らは残酷なまでに殺し尽くしたと聞かされた。ヴォーダンの、目の前で。ヴォーダンは己の無力さを、毎度毎度彼らから突きつけられる。それでも自刃することすら許されず、ただ無気力に祈りを捧げることしか出来ないのだと。
あまりの壮絶な出来事に、エイリークはかける言葉を見失った。これではまるで、二年前のカーサや世界保護施設のようだ。思わず手に力が入っていた。
「……なら、俺たちが市長を助け出します」
自然と出たその言葉。顔をあげたヴォーダンの表情には、何を言っているのか、と声なき声が貼り付いている。自分の後ろでため息を吐くグリムの声が聞こえた。
「俺たち、どうしてもヒミンに行きたいんです。なのに定期便が止められているんじゃ、足止めを食らうことになる。それだけは避けたいんです」
「しかし……だからと言って、旅人である貴方達にそんな無茶は」
渋るヴォーダンに、それでもエイリークは笑いかけながら答えた。
「大丈夫です。これでも俺たち、強くなってるんです。必ず市長を助けて、この街を二年前の時のような明るい街に戻しますよ!」
ね、とケルスとグリムにも同意を求めた。ケルスは強い眼差しで頷き、優しくヴォーダンの手を包み込む。
「僕も、一方的な暴力や支配は許せません。力になります、必ず」
「……貴様ら人間を助ける義理なぞ私にはない。しかしこの阿呆めの言う通り、ここで足止めを食らうなぞ冗談ではないわ」
やれやれ、と。呆れたように話すグリムではあるが、自分のお節介に巻き込まれるなんて慣れているのだろう。拒否することなく、エイリークを見据えた。
そんな三人に、ヴォーダンは包まれた手を額につける。小さく「女神よ……」と呟いてから、顔をあげた。
その目には、希望の光が灯っていた。
港に停泊している漁船の数も減っている気がした。あんなに街を歩いていた信教者も、殆ど姿が見えない。さらにすれ違う人を見れば、全員が全員というわけではないが武装していた。これは確実に何かあったと、肌で感じる空気が伝えてくれている。いったい何があったのだろうか。エイリークたちはひとまず、街のシンボルであるユグドラシル教会に向かうことにした。
「いったい、なにがあったのでしょう……」
「おかしいよ、こんな元気のない街じゃなかったはずなのに」
教会に向かうまでの道のりを歩く。大通りの商店も、何処か元気がない。彼らの表情は、心なしかやつれているように見えた。何かに怯える人もいる有様だ。街のあまりの変わりように、不安が募る。
一応は問題なく辿り着いた、ユグドラシル教会。奥の礼拝堂に行けば、懐かしい人物がそこで祈りを捧げていた。港町ノーアトゥンの政治に協力している、司祭のヴォーダンだ。控えめに声をかければ彼は振り返り、一礼した。彼はエイリークを差別しない数少ない人間である。外套のフードを下ろし、こちらからも一礼する。
「おや……二年前のバルドル族の少年ではありませんか」
「お久しぶりです、司祭ヴォーダン。ご健在で何よりです」
ヴォーダンはにこりと微笑むが、何処か力のない顔だ。そんな彼が、後ろにいたケルスたちに視線を投げかける。
「そちらの方々は……?」
「ああえっと、紹介します。俺の旅仲間のケルスと、グリムです」
「お初にお目にかかります。僕はケルスと申します」
ケルスとヴォーダンは挨拶を交わす。本当なら談笑もしたいところだが、街の状況についての情報が欲しいと尋ねる。すると司祭は自分たちを、教会内にある自分の執務室へと案内してくれた。その後ろ姿が、疲れ果てているように見えて心苦しい。
執務室内にあるソファに腰掛けるよう勧められる。エイリークとケルスは勧められるがままに座り、グリムは背もたれに寄りかかるように立つ。エイリークとケルスに向かい合う形で腰を下ろしたヴォーダンが、静かに語り始めた。
「ここ一年程前から、反ユグドラシル教団の人員が集まった集団による襲撃が、後を絶たないのです」
「反ユグドラシル教団……」
二年前にも、エイリークはその話題について聞いていた。
ユグドラシル教団はその思想に反発して過激派となった集団から、度々武力行為による被害を被ることがある、と。彼らの根底にあるのは、ユグドラシル教団の信仰の破却。いかなる困難も女神の導きであると受け入れ、知らない世の苦しみ、不安からの解放こそ救済であるというユグドラシル教団の思想に反対する者たち。
主にカウニスの滅びの歴史を知る人々から成る集団で、教団は現実から逃げている、と批判を掲げている。
最近はその集団が勢いづいている、とも聞いている。
「けど、その集団から教団と信者たち、修道士たちを守るユグドラシル教団の教団騎士たちがいるはず、ですよね?」
一つ、疑問を投げかける。そう、ユグドラシル教団は決して無力ではない。
教会絡みで襲撃が起きる場合や、抗争に巻き込まれかけた時に、本部から駆け付ける騎士──通称、ユグドラシル教団騎士がいる。そんな彼らがいるにも拘らず、何故こんなにも街が閑散としているのか。
その問いにやや時間を有してから、ヴォーダンが絞り出すように語る。
「実はここ最近、集団たちの威力が急激に増しているんです。……教団騎士が襲撃に遭い、殺されてしまうという事態も起きているのです」
「なんだって!?」
衝撃の事実に愕然とする。
ユグドラシル教団の教団騎士が殺されている事態。それはまさに緊急事態であることは明らかだ。ユグドラシル教団は他国の武力に対しては、侵略してこないのであればあくまで中立の立場を保っている。
それは言い換えれば、どの武力とも協力関係ではないということ。ミズガルーズ国家防衛軍に対してもそれは同じ。故に協力要請を受ければ応じるが、自分たちが協力要請を送ることはできないのだと、ヴォーダンが説明してくれた。
そのことが今回、裏目に出てしまっているらしい。何処にも助けを求められず、教団は弱体化している。弱体化すれば、勢いのある反ユグドラシル教団の集団を止めることはできず、街はおろか教会を守れない。戦禍は街に飛び火し、活気は消えていく。まさに負の無限ループだ。
この街も例外ではなかったと、ヴォーダンは続ける。
平和だった街はある日、彼らに一気に制圧された。市長であるルドは集団に拘束され、今もなお屋敷に監禁されているとのこと。街を歩いていた信仰者や信者たちは力を持たないが故に彼らに惨殺され、怯えた住人たちは外を出歩くことが少なくなったというのだ。外に出るときも彼らは、護身用に銃やナイフなどの武器を持たざるを得ない状況になった。
「そんなことになっていたなんて……」
「ルド様が監禁されたことで、政治は全て彼らの意のままとなっております……。港の定期便も廃止され、今やこの街は封鎖されているも同然なのです」
「定期便が廃止って、もしかしてヒミンへ向かう船もですか……?」
その問いにヴォーダンは頷く。つまり、ヒミンへ行くための手段が断たれてしまったということになる。思い悩むエイリーク。そんななか、グリムが一つ訊ねた。
「そんな状態であるにも関わらず、何故貴様は無事に生きながらえているのだ?」
彼女の問いに我に返る。
そうだ、反ユグドラシル教団の集団は、言ってしまえばユグドラシル教団の撲滅を目論んでいる。それなのにユグドラシル教団の司祭の一人であるヴォーダンは、何故今もこうして無事でいられるのか。
ヴォーダンは、握りしめていた拳に力を入れて唸るように答えた。
「私は……囮役として、生かされているのです……。この街の付近の信仰者たちを、ここにおびき寄せるために……」
彼が言うには、港町ノーアトゥンの周辺の村や町にも、ユグドラシル教団の信者や修道士がいるらしい。彼らは祈りを捧げるために、港町ノーアトゥンのユグドラシル教会に赴いてくるのだ。
ユグドラシル教会の司祭が殺されたと知られれば、信者たちはこの教会に来ることはない。つまり、自分の身を守ることが出来る。それを、反ユグドラシル教団の集団は許さないのだと。
不穏な気配に、女神の加護を賜るためにと不安に駆られた信者たちは教会へ赴く。そんな救いを求めて街へ来た者たちを、彼らは残酷なまでに殺し尽くしたと聞かされた。ヴォーダンの、目の前で。ヴォーダンは己の無力さを、毎度毎度彼らから突きつけられる。それでも自刃することすら許されず、ただ無気力に祈りを捧げることしか出来ないのだと。
あまりの壮絶な出来事に、エイリークはかける言葉を見失った。これではまるで、二年前のカーサや世界保護施設のようだ。思わず手に力が入っていた。
「……なら、俺たちが市長を助け出します」
自然と出たその言葉。顔をあげたヴォーダンの表情には、何を言っているのか、と声なき声が貼り付いている。自分の後ろでため息を吐くグリムの声が聞こえた。
「俺たち、どうしてもヒミンに行きたいんです。なのに定期便が止められているんじゃ、足止めを食らうことになる。それだけは避けたいんです」
「しかし……だからと言って、旅人である貴方達にそんな無茶は」
渋るヴォーダンに、それでもエイリークは笑いかけながら答えた。
「大丈夫です。これでも俺たち、強くなってるんです。必ず市長を助けて、この街を二年前の時のような明るい街に戻しますよ!」
ね、とケルスとグリムにも同意を求めた。ケルスは強い眼差しで頷き、優しくヴォーダンの手を包み込む。
「僕も、一方的な暴力や支配は許せません。力になります、必ず」
「……貴様ら人間を助ける義理なぞ私にはない。しかしこの阿呆めの言う通り、ここで足止めを食らうなぞ冗談ではないわ」
やれやれ、と。呆れたように話すグリムではあるが、自分のお節介に巻き込まれるなんて慣れているのだろう。拒否することなく、エイリークを見据えた。
そんな三人に、ヴォーダンは包まれた手を額につける。小さく「女神よ……」と呟いてから、顔をあげた。
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