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12月・(最終章)

27・決壊

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 なんだか可愛いことを言っている。

 千早ちはやは相談してほしくて機嫌を損ねていただけだった、そのいじらしさがきゅんと知佳ちかの胸を打つ。

『うん、もうええから。価値観がな、ちゃう事はよう分かったから』

 知佳は冷蔵庫から小さな乳酸菌飲料を1本取り出し、スマートフォンを耳と肩で挟んでその銀紙のふたに爪で2ヶ所穴を開ける。

『よく分かんないけど、納得されました?』

『うんうん、せやけど…こんな寒いのに髪切らんでもええのに』

『…男の人って防寒のために髪伸ばすんですか?同じ事先輩にも言われましたけど』

リビングのカーペットの上で知佳はドリンクをちびちび飲みながら通話を続ける。

 ここが一番暖かいのだ。

『…!なぁチカちゃん、そいつが誰かは知らんけどや、チカちゃんがよぉ歯ぁ見せて笑てる男はあれ誰や?呼び捨てにされてるやろ』

『呼び捨て?あー…、松井まついさんかな…歯を見せてるかは分かんないけど、その先輩ってのも松井さんですよ』

『!』

千早は苛立ちを感じ、座卓の上の煙草に手をかけ咥えて続ける。

『…どういう仲?』

『仲って…ドライブとかホームパーティーとかを主催してる人ですよ。私が入社した時の教育担当なので、一番長い付き合いですね』

『姉さんが言うてた奴やな…なんで呼び捨てなん?』

『あの人、女子には大体そんな感じですよ』

『わざわざ電話かけてきたりする奴やろ?』

『内線から離れてる時がありますんでね、無線より聞き取れるし直接かかってきますね……千早さん、よく知ってますね。松井さんが何かしましたか?』

『!』

 松井側に立たれた、千早はガスライターの蓋をカチカチと音を立てて開閉を繰り返す。

 その音は電話先の知佳の耳にも入っていた。


『………ソイツの味方なん?チカちゃん』

『ハイ?味方も何も…え、仲悪いんですか?…』

『ソイツと付き合うてた?』

『まさかぁ、ないですよ…あのー、何が言いたいんです?ハッキリ言ってくださいな』

 ハッキリ言っていいのか、なぜこの女は分からない。

 わざとか、俺をもてあそんでいるのか、嫌われようとつれない態度を取るのか。

 千早はいよいよの準備をする。

『………』

『………』

知佳も知佳とてハッキリしない千早に苛立ちを覚えていた。
 
 何故彼氏でもない人に散髪をとがめられねばならないのか?自分の好意をいなしたクセに容姿を褒めたり先輩との仲を疑ったり。

 思わせぶりは沢山、いっそ自分から…だがその自信が無いのも腹が立つ。

『…歯は重要ですか?最初から言われてますけど』

『見してくれんかったからな』

『は?』

『可愛い言うて褒めてんのに、俺にはなかなか見してくれへん!………ぁ…』

千早は言ってしまったと、火のついていない煙草を落として口元を押さえる。
 
 動いた拍子に肘が当たって卓上の灰皿が落ち、鈍く重い音と千早の「げぇ」という悲鳴が知佳の耳にも届いた。

『……』


 そこまで聞いた知佳の心は不思議と落ち着いて、耳は徐々に温もっていく。

『…千早さん、……勘違いならすみません、あの、松井さんと私との仲にやきもち妬いてるってことでいいんですかね?』

電話の向こうのこの慌てぶりに乗じて、知佳は自分なりに精一杯の質問を千早へ投げかけた。

 こちらは彼女にとってはなかなかの冒険発言、だって千早に「私に気がありますか?」と聞いているようなものなのだから。

『は、…ぁ?…わー……』

床に散った吸殻と灰を片手でかき集めながら、千早は頭を働かせて返事を紡ぐ。
 
 直感で答えてくれるかと思ったがやはり慎重派だった、当然答えになってないので

『すみません、思い上がり勘違いでした恥ずかしい切ります』

と、知佳も質問を取り下げた。

『ちゃうよ、ちゃう、待って、チカちゃん!』

何が「違う」?もう逃げられない、ふわふわとしたモラトリアムは終わりである。

『……』

『アー………俺な、チカちゃんの八重歯可愛いなぁていつも言うてるやん。あれ…』

『は、い?』

 「かわいい」と聞かされるたびに高鳴る知佳の心臓、音声だけでこんなにもドキドキとするようになってしまって、早く、いっそ鋭く貫いてほしいと願う。

『仲良うして欲しいって言うたけど、ほんまは……いや、分かるやろ⁉︎』

 鈍い知佳でも分かる、じわじわと緩んで振れる唇。

 千早の動揺が琴線に触れて撫でて揺らして、僅かな嗜虐しぎゃく性が顔を覗かせる。

『いやぁ…ハッキリ言われなきゃ判断しかねます』

『ハァ⁉︎なんで分からへんねん‼︎』

 きっぱりと、決定的な言葉で示して、この心臓を落ち着かせてほしい、チカは誘導尋問のように千早を崩す。

『だから端的に要点を!私だって恥ずかしい勘違いしたく』

『~~~っ!!!』


 スマートフォンからはしばしの歯ぎしりの音の後に座卓をバァンと叩く大きな音がして、

『す、好きや言うてんねん…ボケェ!分かってんやろ⁉︎しゃ、写真見て可愛いかったて言うたやろ!一目惚れじゃ、文句あんのか⁉︎他の男に歯ァ見せんのが腹立ってん、ワシだけに笑ときゃええねん、名前かて気安く呼ばしてんなよアホンダラァ‼︎』

…遂に千早が決壊した。





 盤面を叩いた手は痛い、せっかく集めたのに再び落ちて舞い上がる灰に千早はせる。

 煙草はむもの、灰は吸うものではない。

 触発されたとはいえ意中の女性に使う言葉ではなかった、千早のふわふわした頭には「終わった…」の文字が浮かんでいた。

 楽しいモラトリアム、告白するまでの試し合うような心理戦、そんな物も一方的に吹き飛ばしてしまった…この煙草の灰のように。


『も…もうええ、もう…切るで』

『あ、待って』

 知佳は案外激しい言葉には耐性があったので彼の予想に反してケロリとしており、

『あの…返事は要ります?』

と、「好き」という決定的な言質げんちを取って自信を持って優位に立ったつもりでいる。

『あァ⁉︎後で送っといてよ…もう知らん…しまいや』

口汚い言葉に泣かれなくて良かった、しかし怖い、もう会いたくない、好きに書けばいい。

 千早は本気でこの関係のオシマイを想像できていた。

『私、筆まめではないので返事打たないかもしれませんがよろしいですか?』

『は?いや、よろしないよ。ほな返事きかせぇな』

『もう一度言って下さい、アホとか無しで』

恥ずかしい、烏滸おこがましいなんて奥ゆかしさはどこへやら、知佳は増長する。
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