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11月・恋育つ編
17・ポイント満タンデー*
しおりを挟む『♪~♪~♪~』
ちょうどそこで知佳のスマートフォンが鳴り、すぐに受話ボタンを押す。
『チカ?僕売りの伝票見れる?』
相手は白物担当の先輩社員松井、彼女の入社時の教育担当であり、彼女を不思議ちゃん呼ばわりした張本人であった。
彼は手料理を振る舞う宅飲みやカラオケ、日帰り旅行をする「松井会」を主催する独身貴族で、男女の隔てなく付き合いのできる面白い人である。
電話の内容は大概松井販売の伝票についての業務連絡で、今回もそう、内線を使ってくれれば良いのにいつも個人携帯に掛けてくるのだ。
いつものように知佳をイジり、自慢話を垂れ流し、ツッコミと相槌だけでだいぶん労力を使う。
松井は恋愛にこそ縁はないがいわゆる陽キャ、リア充、知佳が相容れないウェーイ系にも片足突っ込んだ明るい人間だ。
心細い時期に親切にしてもらったが、萌えのストライクゾーンが広い知佳にあっても恋愛対象に入ることは無い、稀有な存在である。
関係ない話題が長々と続くが、漫談を聴かされているようで自然と知佳の口元が綻ぶ。
そして「聞いてますよ」とこちらの反応を相手に伝えるため、いつもより大袈裟に声を出して笑った。
・
「…またや、」
ホールの長机で伝票のルート決めをする千早が商品管理室の知佳を視界に捉え、鉛筆を叩き置いて苦々しく呟く。
「ん?何や、」
隣で作業する高石へ千早は目線と顎で知佳を指し示し、
「笑てる、電話しながら」
と片目を歪めながら奥歯に張り付いたキャンディーを爪で剥がした。
「ほんまやな、仕事中やのに…えらい楽しそう…ちょい、なすくらんといて」
「………腹立つなぁー、誰と話してんねやろ…近づいてみよか」
「見つかると思うけど…気になるなら行ってきいや。どうせ仕事せぇへんのやから」
「うん、」
衣食住にも最小限の労力しか使わない千早が人間らしく考え試行錯誤する、それどころか姿の見えない相手に嫉妬までしている。
高石はその勇姿に拍手を贈りたいくらいに感動している。
しかしながら会話も弾んでるようには見えない二人の日帰り旅、車内がお通夜状態では知佳にとっても辛いのではと少しお節介を焼く。
「…てかさ、話合えへんのちゃう?ほんまに。こんな言うのアレやけどさ…あの子に固執せんでもさ、他…あ、おい…」
千早は高石に助言を言い切らせる前にぺたぺたと部屋の窓、知佳のそばへ忍び寄った。
話が合わない、そうかもしれないが、知佳は人生初の自分からアプローチをかけた女である。
八重歯ひとつで配置換えまで言い出して声をかけた、この行動の原動力になった気持ちを簡単には捨てられない。
当たって砕けたらその時は自分は元の店に戻るか…そもそも話しかけに行かなければ接点は無かったのだから、ここで稼ぎながら彼女を視界に入れなければ良いだけの話なのだが。
千早が部屋の扉に張り付いて聞き耳を立てると、知佳はどうやら仕事の話をしているらしかった。
しかしやはり時折漏れ聞こえる明るい笑い声、できるならその顔を正面から、自分に向けて欲しいと悔しさばかりが募る。
「あー、はい、ええ、いいですよ、いつです?」
知佳は相手から待ち合わせか約束を取り付けられているようで、シフト表とカレンダーを並べて確認しているようだった。
「月曜、いつの?次の?あー…」
千早の顔に緊張が走り、それを眺めていた高石もなんだなんだと息を呑む。
次の月曜日、それは淡路島ドライブの決行日であった。
まさか電話の向こうの誘いで先約を反故にするなんてことはあるまい、だが確証もなく千早は知佳の返答を祈りながら待つ。
そして、
「……あー、すみません、月曜は予定ありです。だからミツキちゃんも同じく欠席…いやぁ…まぁ…うん……デート…ですかね。ふふ…カラオケはまたの機会に」
そう答えた知佳の返事、中でも「デート」、千早は彼女から発されたそのフレーズに目を剥き、商品管理室の扉を許可も無くバタンと開けた。
「わぁ!あ…いえ、こっちの話…失礼します…。………千早さん、なに…」
松井との電話を切り、知佳はただただ驚いた様子で不審者に顔を向ける。
「いや、チカちゃん、今デートって言うた?」
「へ…あ、すみません、デートかって聞かれたから定義としてそういう意味だと…て、訂正しましょうか」
知佳はあたふたと、スマートフォンの電話アイコンを触る。
「掛けんでええ……男女やから…デートやんな、」
「はい…あの、他意はないです、おこがましいことを…」
自意識過剰に思えた発言を恥じる知佳、その赤くなった頬を扉の位置から見つめる千早は、なぜだろう満ち足りた顔をしていた。
「チカちゃん」
そして男は真っ直ぐに知佳と目が合うまで見つめ、
「また…連絡するから。デートのな、デートやで、な、返事は?」
と、珍しく年上らしい少し大人の雰囲気で笑う。
「!…は、い…」
「うん、楽しみや」
そう言った千早はいつものように無邪気に歯を見せて笑い、ホールへ戻っていった。
「うわ」
ひとりになった知佳の顔はぶわぁっと更に赤く熱く、胸がざわざわと息苦しくなる。
これは久々中学生以来、テニス部の先輩に恋した時の…あの時と同じだと思い出した。
最後の彼氏には感じなかったかもしれない、自分から好きになった時のこの…陳腐な言い方だがときめく気持ち、胸の高鳴り。
「あ、やだ、」
こうして知佳は、大きなきっかけもなく、誰に知られることもなく、あっさりと千早への好意を自覚した。
芽生えていた恋心はやっとこ育ち始めたのだ。
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