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10月

4・チカちゃん

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 細くゴツゴツした手を左頬に当て、頭を傾けると肩についた髪が顎の横にサラッと流れる。

 宗近むねちかに疑問符を吐いた唇は閉じても艶っぽいし、例によって口角は上がっている。


 家電量販店は男社会、宗近もこれまで同僚や先輩と会話はしてきたがこんな色のある詰問きつもんを受けるのは初めてだった。

 悪い人ではないかも、宗近は自分の直感を信じて

「……チカ…です」

と答えるも

「…ちゃうよ、下の名前やって」

と返され…ポンと湧き出るピリつく感情を抑えつつ、宗近は繰り返す。

「…だから、知佳ちか、です」

「下の…あ、ムネチカ・チカ?」

 千早ちはやはやっとそれが名だと気づき、

「珍しいね、チカ被ってるやん」

と、目をまん丸にして正直な感想を述べてしまう。

 なるほど教えてもらった『チカちゃん』は姓のあだ名ではなく、そのまま名呼びをしていたということだった。



「(デリカシー無い…)」

 さて、ムネチカという苗字と韻を踏むこのフルネームを彼女はコンプレックスに感じ、普段は妙な間を開けて名乗るようにしている。

 やはりイジられた、宗近もとい知佳ちかは少しでも期待を掛けた自分を悔い、もう何を思われてもいいと無言でパソコンへ目線を逸らした。

 そしてエンターキーをトトーンと繰り返し叩き、無用に画面を更新しては「話は終わりました、お引き取り下さい」の空気を漂わせる。


 しかしその空気を読まず、千早は二の矢で追求する。

「本名?」

「…当たり前でしょう」

知佳は口をへの字に曲げて、不快感を隠さない。

 そんな知佳の様子を気を留めることもなく、千早は最終三の矢を放つ。

「ふーん…嫁いでそうなったん?」

 高石たかいしからはフリーだと聞いたが、改めて確認しておきたかったのだ。

「……」
 

 今日日きょうび、恋人の有無を尋ねるだけでセクハラにあたるというのにこれは迂闊うかつな発言であろう。

 知佳は千早に、会社のセクハラガイドラインを見せてやりたくなった。

 もっとも、千早は配工センターとの提携業者なので店舗のルールなど関係ないかもしれないのだが。


 知佳はふぅーっと小さくため息を吐き、画面を見たまま、

「…独身です。親の離婚でこんな名前になっちゃっただけですよ」

と渋々回答した。

 これ以上立ち入るなら本部通告も止む無し、一部上場企業の力を見せてやろうかとまで考えたが、千早は口を閉じそれ以上は聞かなかった。


 静まる室内に壁の向こう、駐車場のスピーカーから流れるムラタBGMが漏れ聞こえてくる。

 ここの奥のドアは非常扉になっていて、出ればそこはお客様用駐車場へと繋がっているのだ。


 数秒後、

「…ふふっ」

と軽く笑ったような息遣い、知佳が反射的に千早の方を向けば彼は頬に当てていた左手で口元を押さえ顔を背けていた。

 今の会話に笑うポイントがあっただろうか、名前を馬鹿にされているのか。

 それとも歳は明かしてないのにアラサーを行き遅れと笑っているのか、知佳は存外ショックを受ける。

 しかしすぐに千早は彼女へ向き直し、

「いや、すまん。……独身かどうか聞きたかってん、失礼やったね。へぇ、ほな、チカちゃんな、俺は千早ね。数字の『千』に『早い』で千早。おおきにね」

と言い終わるとはっきり満足げに微笑みを見せ、窓を閉めてホールの長机へ戻って行った。


 ずけずけと失礼な事を言うようで、しかし悪意は無さそうで、それ故にタチが悪いとも思うのだが不思議と不快ではなく。

 彼の無邪気な笑顔がそうさせるのか知佳は困惑する。

 悪かった第一印象が挽回されもう一度悪化して持ち直して…千早の立ち位置が変わっていく。

 昨日までは見知らぬ中だったのに、下の名前で呼ばれる間柄にジャンプアップしてしまった。





 長机に戻って翌日準備をしながら、千早は高石に報告する。

「さっき、名前聞いてきたわ」

「ん?チカちゃんやろ?」

「いや、苗字が『宗近』やってん…あだ名や思て、下の名前聞いたってん」

「おい、やるな。で、なにちゃん?」

「は?お前には教えへんよ。危険や」

「おいおい、千早くん…俺はな、ミツキちゃんみたいなキツそな女が好きやねん」

「ドMやからな。商管室に寄んなよ、チカちゃんが怖がるから」

「チカちゃんて言うてもうてるやん。アホや」

「あー、ばれた…宗近チカ、やねんて。ほんま近寄んなよ、ワシのやから」

「なんや、強気やん。そない惚れた?」

「いや…まだやけど……楽しいやんか、そういうの。独身かどうかも聞いてきたったわ」

「そらお前、『狙ってます』言うてるようなもんやんか…引かへん?」

「わからん…どやろ、直接的過ぎたか…?」




 
 思春期のように色めき立つ千早とは裏腹に、知佳は今日の会話を振り返るも、「独身かどうか聞きたかった」ことはあまり深く頭に残さなかった。

 元々は姓名を尋ねられたことから始まった会話だったし、名前の構成について掘り下げたのだろうと思ったのだ。


 知佳は学生時代に付き合ったのが最後で、以降6年ほどは恋愛に縁が無い。

 なのでかどうか、残念ながら「異性に名前を聞かれる」ことにいまいちピンと来ないらしかった。

 しかし、全く何も起きていない訳でも無かった。

 まず名前、ちゃん付けで男性から呼ばれるなんていつぶりだろう、じわじわニマニマと口の端が上がっていく。

 そして千早が見せた笑顔、妙齢男性の笑顔が男日照りの知佳には刺さったのだ。


 千早が去って行ってからばくばくと体内でゴングが鳴り始めていた、そしてポツリと本音が漏れる。

「スマイル…可愛い…」


 その後知佳は素早くセンターに伝票を届け、千早の視界から逃げる様に売り場へ伝票回収に向った。
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