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「うあっ…」

今朝もそう、体は汗びっしょりでうめき声をあげて…しかし薫の手足はビクンと跳ねただけで飛び上がりはしなかった。

「…嫌な夢見た気がする……あ、そっか…聡太くん…」

 切タイマーを入れたエアコンは明け方に切れていて、聡太の熱い体に巻き込まれた薫は触れ合う部分全てにじっとり汗をかいていた。


「……薫ちゃん…おはよ…」

「おはよう、聡太くん、あの、汗が凄いからエアコンつけるね」

「うん?んー…うん…」

「あの、離して…」

「どこも行かない?」

「行かないよ…」

うんと手を伸ばしてベッドの宮に置いたリモコンを掴む。

 しかしそよそよ送られる冷風は聡太の広い背中で遮られる。


「暑いね」

「聡太くん、一旦離して、汗が」

「気にしないけどな」

「私は気にするの…もう、なに…」

 腰をガッチリ抱いて頑なな腕、骨盤辺りには聡太の朝の元気がほんのり当たる。

 どういうつもりか寝惚けているだけなのか。

 息苦しさに顔を背ければぱっちり開いた丸い目が追って来た。


「薫ちゃん、キスしよう」

「……す、すれば良いじゃない」

「違う、薫ちゃんからして」

「なんでよぉ…」

「意思表示はしていこうよ、お互いに。して欲しいこと、したいこと…察して待ってるだけじゃダメだ」

「分かるけどぉ」

 男らしいベビーフェイス、恋焦がれたその顔に薫は勝てない。

 イメージなんて関係ない、誰も他に居やしない。

 汗と体臭と色香と体で受ける実感と…勿体ぶる許可も問いかけもせず、薫は聡太の唇に吸い付いた。

「んっ」

「ム」

「……聡太くん、好き、好き……ずっと、好き」

「うん、これまでの分、受け止めるから」

「私ばっかり?」

「ううん、僕はこれからの好きを薫ちゃんにあげる」


 汗だくの体が上に下に、たまにチラッと時計を確認しては目を瞑って、盛り上がったってこの先は期待できないのにたかぶって。

「んム」

「薫ちゃん、好きだよ…ごめんね、用意が無いから出来ないんだけど…買っておくから、今夜リベンジさせて、良い?」

「ぷは…う、うん…え、今夜もこっちに居るの?」

「うん、4連休」

 
 ムラタは半期に1回、有給休暇を消化して連休取得を促す制度がある。

 サービス業は盆正月関係なくカレンダー通りの休みが取れず有給が溜まっていくだけでもったいない。

 しかしこの制度が出来たことで旅行に行けたり家族との時間を過ごせるとのことで社員の満足度向上にも一役買っている。

 今期の連休を秋に予定していた聡太はフロア長に頼み前倒ししてもらい、シフト変更にならざるを得ないスタッフには真摯しんしに頭を下げて詫びた。

 「何の用事」と聞かれれば「好きな人を追いかけてみたくて」と答え、ばっちり三重観光もするつもりでちゃっかりお餞別せんべつも貰っている。


「はぁ…ならうちで過ごす?私は今日仕事だし…明日は休みだからどこか連れて行ってあげる」

「うん、お願い」


 二人はもうしばらくちゅっちゅと甘い時間を起床アラームがなるまで過ごした。



 そして聡太は久々の薫の朝ごはんに舌鼓を打ち…「行ってらっしゃい」と明るく薫の出勤を見送ると寝室の例の箱にもう一度手を掛けるのだった。



つづく
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