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配信一月目
幼稚園
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保育士であろう女性が、拍手とともに声高に叫んだ。
「さあ、それではみんな、好きな縄を選んでねえ」
カラフルという感覚を知ったのは、幼稚園の教室だ。
赤、緑、黄色、青と認識しやすい鮮やかな色の紙が、どうぶつや花の形に切り取られ、クリーム色の壁に無秩序に貼られている。壁の隅の方には模造紙でかたどったお世辞にも上手いとはいえない大木が、小さな手で作られた歪な花びらシートをまとっていた。
拙い文字でささやかな夢が大量に書かれていたが、今思い返すとあまり覚えていない。ケーキが好きだからケーキ屋さんになりたいといったあの子は、花びらには魔法少女になりたいなどと書いていた気もする。
不意に肩に何かがぶつかったと思えば、周りにいた子供たちが一斉に駆け出し、広い天井から吊るされた無数の縄に飛びついた。屋台のくじ引き糸のように、まっすぐと垂らされた縄。子供の手でなんとか握れるくらいの太さ。ぶつかったのはクラスメイトだった。
教室には三十人ほどの子供たちがいた。皆一様に水色のぶかぶかの服を着ており、首元には涎掛けのような布が巻き付いている。坊主頭、三つ編みおさげ、ツインテール、手入れしていない髪が縦横無尽に駆け回っている。
私は教室の端にいた。
きゃいきゃいという甲高いはしゃぎ声が溢れ返り、夢中で縄選びに没頭するクラスメイト達。お芋ほりだって集中しなかった男子たちが、競い合って飛び跳ねる。
「あたしこれにするー!」
ひとりの女の子が目当ての縄を確保したようだ。一際大きな宣言に、皆が彼女に注目する。
「いいなあ」
「おれこれにするから、離して!」
それもほんの数秒で、元の喧騒が戻ってくる。彼女は両手の中の縄にしか興味がないようで、腰元に揺れる先端を右手で掬い上げると、感触を楽しむように握っては撫でた。私の視線も気にせずに明るく微笑み、誰に言われたわけでもなく右手を持ち上げ、頭の少し上あたりで縄を結び始めた。
太い縄は園児の手では思い通りにいかず、何度もほどけて反動に揺れる。視界に跳ねるものが多いと気づけば、十人以上が既に自分の縄を手に収めて同じことをしていた。
右手で握り、頭の上に固定した左手の元の縄に巻き付ける。だが、うまくいかずに縄は揺れ戻る。
「手ぇいたーい!」
「できないよお」
弱音を漏らす子が数名出てくるも、投げ出さずに励んでいる。私がまだ動き出せないうちに、ほとんどの子は走ることをやめていた。六人ほどは天井をきょろきょろと見渡し、目当ての縄を吟味している。ピアノの椅子によじ登る子、壁際の棚に足をかけて手を伸ばす子、おもちゃを踏み台に高いところを目指す子。先生はそれを満足そうに眺めている。あぶないからと注意することもなく、幼い手が縄で擦り切れても気にすることもない。
ようやく私が動き出せない理由が分かった。これは異様なのだ。
天井から垂れている縄の付け根は、天井に穴が開いてぴったり通しているように固定というものがない。好き勝手に引っ張ろうが、ぶら下がろうが、びくともしないのに。
「できた!」
勝ち誇った言葉に思考が引き戻される。最初に縄を結び始めたあの少女だ。
意気揚々と、輪っかになった縄から顔を覗かせる。羨むようなどよめきが起こる。ちょうど彼女の頭を切り取るような丸は、結び目の粗さから上部が歪んでいた。
「はやーい」
「どうやったのー」
ポニーテールとパーマが走ってくる。彼女は照れくさそうに俯いた。
「……ちゃん、早かったわね」
やわらかい声の先生が歩み寄り、しゃがんで同じ目線となった彼女の頭を撫でる。名前は早送りされたビデオのように高音で聞き取れなかった。何か怖いことが差し迫っている気がして、背中がぞぞりたつ。正体不明の不安に名前をつけるように、先生は囁いた。
「じゃあ、ここに頭を通してみよっか」
「うん!」
指輪の填まった大きな手が彼女の背中に添えられた。皆が自分の作業を進めつつも、中央にいる少女をちらちらと伺う。
あの子はどうやったんだろう。
どうして自分にはできないの。
不愉快を顔に表し、焦る男の子もいる。
「髪が引っかからないようにね」
彼女は素直に両手で後ろの毛を押さえつけると、ゆっくりと顔を通した。
結わえた縄が首に巻き付いた彼女は、確かにさきほどまでの少女と同一人物だ。しかし、私には同じ存在に見えなかった。無意識のうちに服の裾から手を差し込んで太ももを指で引っ掻く。
カリカリと服の繊維が音を立てる。
これはおかしい。
おかしいんだけど、声がでない。
頭を持ち上げてと言わんばかりに縄を掴んで顔を起こす。
だってほら、もう彼女の足はつま先立ちになっている。
ぐぐ、と体を持ち上げる姿は健気に思えたが、すぐに私は間違いに気づいた。
彼女がやってるんじゃない。
縄が、引き上げられてるんだ。
顎の下に入れられた両手は何とか呼吸のために顔を持ち上げようと力み、肩は怒り足が前後に揺れる。息が絞り出る音が耳に届く。彼女の顔は前髪に隠れているが、今は魚のように口を開けているに違いない。
どうしよう。助けなければ。
「わー。すごーい」
その能天気な声にひゅっと息を呑む。彼女の足が床から離れたのだ。足の指が、っぐっぐ、と空を掴んだあとだらりと垂れた。
「すごいねえ」
保育士はそう呟くと、背中に置いた手をゆっくり少女の足先へ下ろしていく。
彼女の体はぐんぐん持ち上がり、天井に頭がつきそうなところで急に止まった。反動で手が外れ、笛の音のような悲鳴を漏らして彼女は激しくバタついた。
ロープは上下に動くことなく、ぎちりぎちりと軋んだ。のどがつぶれた彼女の口からは息の塊のみ断続的に吐き出される。それも段々と弱まっている。
私は胸を右手で強く抑え、前かがみになった。
苦しい。
すごく苦しい。
このままじゃ、彼女はいなくなってしまう。
震える脚をさすり、よろけるように保育士の元になだれ込む。
「どうしたの」
「……あの」
「すっげー! 次おれね!」
あの子を助けて、という言葉は喉奥に沈み込んだ。
異様な熱気に辺りを見渡すと、次々縄に首をかけていくクラスメイト達。頭上では生きているのか判断つかない脱力した体が揺れている。理解は追いついていないのに、皆が行動に移っていく。さっきは気づかなかったが、ロープが引き上げられるときにはバルブを回すような音が天井から響いてくる。
ぎぃい、ぎぃい。
一体いくつ。
「せん、せい……みんなが」
頼れるのは今縋り付いている保育士だけだった。もう上は見たくない。どんどん周りの子たちの体が重力に逆らって浮き上がる。
「ええ、みんな上手ね」
私の目線は一点に固まった。首も動かせない。瞬きもできない。
そうだ、そうだった。
でも、私はこれじゃない。
倒れかけていた身を起こし、保育士の服の袖を引く。
「どうしたの?」
私の視線は皆の垂れた足の向こう、ピアノの奥の扉に向いていた。
そうだった。
私はこんなところは嫌だ。
「あっち」
「あっちに行きたいの?」
「うん」
「ここじゃだめ?」
「うん」
「みんなここでやっているのよ」
「ううん」
「どうしてもいやなのね」
「うん」
私の足はもう待っていられないと扉に歩き出す。仕方のないように足音が後ろから続く。ぎぃい、ぎぃい、と音が降ってくる。でももう怖くなかった。
こげ茶色の扉の前にたどり着くときには、袖を握っていた手が汗だくになっていた。見上げると、彼女はドアノブを回して私を中に入れてくれた。
視界が真っ暗になり、それから徐々に目が慣れてくる。部屋の中には何もなかった。真ん中に階段がおいてあるだけ。その階段の先は途切れていて、上からロープが垂れていた。
「こっちが、よかったのよね」
「うん」
私は一段目に駆け寄ると、四つん這いになるように上の段に触れた。真っ黒な石。裸足でも痛くない滑らかな表面。後ろの扉は閉まっていて、彼女は扉の前から動かなかった。
あとは、登って結ぶんだ。
息を荒げながら体を持ち上げていく。もう一段、次の一段。あと何段だろう。それほど長くない階段はぶつ切りのように終わっていて、寝転がったら埋まってしまいそうな最終段に着いた。
「せんせー」
「いるわよ。ここに」
「よかった」
一安心した私は、最初に引き上げられた少女のように右手で縄を結わえていく。汗で滑って難しいけれど、一度穴をくぐらせれば同じことの繰り返しだ。固く、固く結ぶ。
虚空に丸が浮かんだ。
できた。
私の、輪っかだ。
ぐ、と両手でつかみ頭を突っ込む。すぐに胸元の涎掛けにぶつかり擦れて嫌な感覚を残す。
いらないなあ、これ。
でもつけてないと、いけないから。
私は準備ができたと右手を挙げた。すぐに保育士が応える。
「どうぞ」
何かを振り下ろす動作とともに、彼女は別れを告げる。
勢いよく床が抜けて、同時に引き上げられた私は瞬時に星が散るのを見た。
がぐん、と音が響いたかと思うと私は黒い塊をもって膝立ちになっていた。
強打したらしい両ひざがじんじんと熱を帯び、汗が首筋に伝う。必死に呼吸を繰り返し状況を確認すると、さっきまでの黒い空間は消え、見慣れた絨毯に乗っていた。全身の筋肉が緊張で凝り固まっている。
水色の服は消えて、襟シャツと緑のボーダーのセーター、グレイのチノパンを見下ろす。前髪を書き上げて持っていた物体を見ると、黒い液晶パネルが反射した。
「は、はは……っすっげえな! お前の自殺体験VR!」
私は後ろのソファに寛いでいるはずの親友に叫んだ。ぎ、と床を踏んで立ち上がる音がして、つまんだら割れそうな丸眼鏡を抑えながら彼が現れた。
「だろ」
シンプルな二文字が今までの世界を否定する。私は仮想現実にいたのだ。
「さあ、それではみんな、好きな縄を選んでねえ」
カラフルという感覚を知ったのは、幼稚園の教室だ。
赤、緑、黄色、青と認識しやすい鮮やかな色の紙が、どうぶつや花の形に切り取られ、クリーム色の壁に無秩序に貼られている。壁の隅の方には模造紙でかたどったお世辞にも上手いとはいえない大木が、小さな手で作られた歪な花びらシートをまとっていた。
拙い文字でささやかな夢が大量に書かれていたが、今思い返すとあまり覚えていない。ケーキが好きだからケーキ屋さんになりたいといったあの子は、花びらには魔法少女になりたいなどと書いていた気もする。
不意に肩に何かがぶつかったと思えば、周りにいた子供たちが一斉に駆け出し、広い天井から吊るされた無数の縄に飛びついた。屋台のくじ引き糸のように、まっすぐと垂らされた縄。子供の手でなんとか握れるくらいの太さ。ぶつかったのはクラスメイトだった。
教室には三十人ほどの子供たちがいた。皆一様に水色のぶかぶかの服を着ており、首元には涎掛けのような布が巻き付いている。坊主頭、三つ編みおさげ、ツインテール、手入れしていない髪が縦横無尽に駆け回っている。
私は教室の端にいた。
きゃいきゃいという甲高いはしゃぎ声が溢れ返り、夢中で縄選びに没頭するクラスメイト達。お芋ほりだって集中しなかった男子たちが、競い合って飛び跳ねる。
「あたしこれにするー!」
ひとりの女の子が目当ての縄を確保したようだ。一際大きな宣言に、皆が彼女に注目する。
「いいなあ」
「おれこれにするから、離して!」
それもほんの数秒で、元の喧騒が戻ってくる。彼女は両手の中の縄にしか興味がないようで、腰元に揺れる先端を右手で掬い上げると、感触を楽しむように握っては撫でた。私の視線も気にせずに明るく微笑み、誰に言われたわけでもなく右手を持ち上げ、頭の少し上あたりで縄を結び始めた。
太い縄は園児の手では思い通りにいかず、何度もほどけて反動に揺れる。視界に跳ねるものが多いと気づけば、十人以上が既に自分の縄を手に収めて同じことをしていた。
右手で握り、頭の上に固定した左手の元の縄に巻き付ける。だが、うまくいかずに縄は揺れ戻る。
「手ぇいたーい!」
「できないよお」
弱音を漏らす子が数名出てくるも、投げ出さずに励んでいる。私がまだ動き出せないうちに、ほとんどの子は走ることをやめていた。六人ほどは天井をきょろきょろと見渡し、目当ての縄を吟味している。ピアノの椅子によじ登る子、壁際の棚に足をかけて手を伸ばす子、おもちゃを踏み台に高いところを目指す子。先生はそれを満足そうに眺めている。あぶないからと注意することもなく、幼い手が縄で擦り切れても気にすることもない。
ようやく私が動き出せない理由が分かった。これは異様なのだ。
天井から垂れている縄の付け根は、天井に穴が開いてぴったり通しているように固定というものがない。好き勝手に引っ張ろうが、ぶら下がろうが、びくともしないのに。
「できた!」
勝ち誇った言葉に思考が引き戻される。最初に縄を結び始めたあの少女だ。
意気揚々と、輪っかになった縄から顔を覗かせる。羨むようなどよめきが起こる。ちょうど彼女の頭を切り取るような丸は、結び目の粗さから上部が歪んでいた。
「はやーい」
「どうやったのー」
ポニーテールとパーマが走ってくる。彼女は照れくさそうに俯いた。
「……ちゃん、早かったわね」
やわらかい声の先生が歩み寄り、しゃがんで同じ目線となった彼女の頭を撫でる。名前は早送りされたビデオのように高音で聞き取れなかった。何か怖いことが差し迫っている気がして、背中がぞぞりたつ。正体不明の不安に名前をつけるように、先生は囁いた。
「じゃあ、ここに頭を通してみよっか」
「うん!」
指輪の填まった大きな手が彼女の背中に添えられた。皆が自分の作業を進めつつも、中央にいる少女をちらちらと伺う。
あの子はどうやったんだろう。
どうして自分にはできないの。
不愉快を顔に表し、焦る男の子もいる。
「髪が引っかからないようにね」
彼女は素直に両手で後ろの毛を押さえつけると、ゆっくりと顔を通した。
結わえた縄が首に巻き付いた彼女は、確かにさきほどまでの少女と同一人物だ。しかし、私には同じ存在に見えなかった。無意識のうちに服の裾から手を差し込んで太ももを指で引っ掻く。
カリカリと服の繊維が音を立てる。
これはおかしい。
おかしいんだけど、声がでない。
頭を持ち上げてと言わんばかりに縄を掴んで顔を起こす。
だってほら、もう彼女の足はつま先立ちになっている。
ぐぐ、と体を持ち上げる姿は健気に思えたが、すぐに私は間違いに気づいた。
彼女がやってるんじゃない。
縄が、引き上げられてるんだ。
顎の下に入れられた両手は何とか呼吸のために顔を持ち上げようと力み、肩は怒り足が前後に揺れる。息が絞り出る音が耳に届く。彼女の顔は前髪に隠れているが、今は魚のように口を開けているに違いない。
どうしよう。助けなければ。
「わー。すごーい」
その能天気な声にひゅっと息を呑む。彼女の足が床から離れたのだ。足の指が、っぐっぐ、と空を掴んだあとだらりと垂れた。
「すごいねえ」
保育士はそう呟くと、背中に置いた手をゆっくり少女の足先へ下ろしていく。
彼女の体はぐんぐん持ち上がり、天井に頭がつきそうなところで急に止まった。反動で手が外れ、笛の音のような悲鳴を漏らして彼女は激しくバタついた。
ロープは上下に動くことなく、ぎちりぎちりと軋んだ。のどがつぶれた彼女の口からは息の塊のみ断続的に吐き出される。それも段々と弱まっている。
私は胸を右手で強く抑え、前かがみになった。
苦しい。
すごく苦しい。
このままじゃ、彼女はいなくなってしまう。
震える脚をさすり、よろけるように保育士の元になだれ込む。
「どうしたの」
「……あの」
「すっげー! 次おれね!」
あの子を助けて、という言葉は喉奥に沈み込んだ。
異様な熱気に辺りを見渡すと、次々縄に首をかけていくクラスメイト達。頭上では生きているのか判断つかない脱力した体が揺れている。理解は追いついていないのに、皆が行動に移っていく。さっきは気づかなかったが、ロープが引き上げられるときにはバルブを回すような音が天井から響いてくる。
ぎぃい、ぎぃい。
一体いくつ。
「せん、せい……みんなが」
頼れるのは今縋り付いている保育士だけだった。もう上は見たくない。どんどん周りの子たちの体が重力に逆らって浮き上がる。
「ええ、みんな上手ね」
私の目線は一点に固まった。首も動かせない。瞬きもできない。
そうだ、そうだった。
でも、私はこれじゃない。
倒れかけていた身を起こし、保育士の服の袖を引く。
「どうしたの?」
私の視線は皆の垂れた足の向こう、ピアノの奥の扉に向いていた。
そうだった。
私はこんなところは嫌だ。
「あっち」
「あっちに行きたいの?」
「うん」
「ここじゃだめ?」
「うん」
「みんなここでやっているのよ」
「ううん」
「どうしてもいやなのね」
「うん」
私の足はもう待っていられないと扉に歩き出す。仕方のないように足音が後ろから続く。ぎぃい、ぎぃい、と音が降ってくる。でももう怖くなかった。
こげ茶色の扉の前にたどり着くときには、袖を握っていた手が汗だくになっていた。見上げると、彼女はドアノブを回して私を中に入れてくれた。
視界が真っ暗になり、それから徐々に目が慣れてくる。部屋の中には何もなかった。真ん中に階段がおいてあるだけ。その階段の先は途切れていて、上からロープが垂れていた。
「こっちが、よかったのよね」
「うん」
私は一段目に駆け寄ると、四つん這いになるように上の段に触れた。真っ黒な石。裸足でも痛くない滑らかな表面。後ろの扉は閉まっていて、彼女は扉の前から動かなかった。
あとは、登って結ぶんだ。
息を荒げながら体を持ち上げていく。もう一段、次の一段。あと何段だろう。それほど長くない階段はぶつ切りのように終わっていて、寝転がったら埋まってしまいそうな最終段に着いた。
「せんせー」
「いるわよ。ここに」
「よかった」
一安心した私は、最初に引き上げられた少女のように右手で縄を結わえていく。汗で滑って難しいけれど、一度穴をくぐらせれば同じことの繰り返しだ。固く、固く結ぶ。
虚空に丸が浮かんだ。
できた。
私の、輪っかだ。
ぐ、と両手でつかみ頭を突っ込む。すぐに胸元の涎掛けにぶつかり擦れて嫌な感覚を残す。
いらないなあ、これ。
でもつけてないと、いけないから。
私は準備ができたと右手を挙げた。すぐに保育士が応える。
「どうぞ」
何かを振り下ろす動作とともに、彼女は別れを告げる。
勢いよく床が抜けて、同時に引き上げられた私は瞬時に星が散るのを見た。
がぐん、と音が響いたかと思うと私は黒い塊をもって膝立ちになっていた。
強打したらしい両ひざがじんじんと熱を帯び、汗が首筋に伝う。必死に呼吸を繰り返し状況を確認すると、さっきまでの黒い空間は消え、見慣れた絨毯に乗っていた。全身の筋肉が緊張で凝り固まっている。
水色の服は消えて、襟シャツと緑のボーダーのセーター、グレイのチノパンを見下ろす。前髪を書き上げて持っていた物体を見ると、黒い液晶パネルが反射した。
「は、はは……っすっげえな! お前の自殺体験VR!」
私は後ろのソファに寛いでいるはずの親友に叫んだ。ぎ、と床を踏んで立ち上がる音がして、つまんだら割れそうな丸眼鏡を抑えながら彼が現れた。
「だろ」
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