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三十三話 私とエドワード3

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 エドワードはペンをテーブルに置き、目を輝かせた。
「子供の好きな食べ物は何なんだ?」
 四ヶ月の赤子に『好きな食べ物』なんかあるわけがない。一般的には6ヶ月くらいから離乳食を開始するのだ。赤子の成長の過程を知らないのは、それだけ関心がなかったと言っているように思えた。
 その関心のなかった子供について話してくるのは、子供に興味があるのではなく、ただ、交渉材料として子供のことを引っ張り出したと、彼の浅はかな考えが見えた。
 ソフィアが使っていたペンが目についた。
 普通のペンだ。
 でも私にはまるで、ナイフのように思えた。
 ゆっくりとペンを手に取る。
 心臓の脈打つ振動なのか、怒りで震える振動なのかわからない……。

 バカなことを考えてはダメよ。

 離婚届にサインしてもらう。
 それが重要で、彼に求めるものはサインだけ。
 衝動を理性で押し込めて、テーブル向こうの彼の横にいった。 
「それから、好んできているドレスの色は何色だ?あと、何か気に入っているオモチャはないか?似たようなオモチャを探そう。あぁ、それなら面会時に、気に入ったものを買おう。子供が喜ぶものは、何でも買って……」
 私が横に立つと、彼の言葉は尻すぼみになった。私の顔を見て、少し表情が固まっている。
「リリー……シア?」
 不安げな声だ。
 私は衝動を理性で抑える。
 ペンを振り上げたい衝動を。

 あぁ……。このペンを彼の手に突き刺したら、この怒りは消えるのだろうか……。

 心臓がドクンっ、ドクンっと大きく、嫌な音と振動を私に伝えてくる。
 冷静になるのよ。

 私は持っていたペンを、離婚届の上に静かに置いた。強く握っていたからか、ペンを持っていた手が痛いし、こんなに手が白かっただろうか?と不思議に思うほど、色が違うように思えた。

「早くサインして」
 自分の声なのに、知らない人のような低い声が出た。
「あ……」
 きっと、酷い顔をしているのだろう。
 私を見た彼の瞳に、怯えのような色を見た。
「リリー……シア……。おっ、俺は……」
「黙って。早くサインを」
「こっ……子供の将来を考えると、俺たちは」
「『俺の子じゃない』のでしょ。くだらないことを言ってないで、さっさと、誠意をもって、速やかに、私の前から消えて!!」

 絶叫した気はない。
 しかし、私の声は予想より大きな声で部屋に響き渡った。
「失礼します!」
 ソフィアの慌てた声と同時に、ドアが開いた。
 すぐさまソフィアが私を抱き締めて、エドワードとの距離を取ってくれた。

「落ち着いて。ゆっくりと息をして。もう大丈夫よ。大丈夫。よく頑張ったわね」
「ソフィア……」
 ソフィアに背中を撫でられて、自分が息をしていなかったとわかった。
「あとは私に任せて、別室に行きましょう。オーウェン。リリーシアを別室に」
「リリーシアさん。歩けますか?」
 オーウェンさんの声だ。
 心配する声、瞳、差し出された手に安堵してしまう。審議会が始まって、はじめて息をした気になった。
「はい」
 オーウェンさんの手に触れようとすると――
「リリーシア!」
――エドワードが叫んだ。
 顔色が悪く、焦った様子だ。
「あっ……」
 言葉を発したいのだろうが、口を開けては閉めてを繰り返すだけだ。
 なんとも、情けない姿だ。
「もう、よろしいでしょう。貴方の『二人で話をしたい』との申し入れに従ったのですから。伯爵夫人は別室でお休みいただきます。他に話があるのなら、弁護士の私を通して下さい。オーウェン。早く伯爵夫人を別室に案内して」
「行きましょう」
 私はオーウェンさんの手を取った。
 大きくて温かい。少しゴツゴツしていて、厚みを感じるが、とても安心する手だ。

「リリーシア!」
「ローゼンタール様」
 決別を込めて言った。
 それがわかったのか、彼が息を飲むのが見えた。
「さようなら」
「っ!」
 私は彼に背を向けて歩いた。
 背中に「リリーシア!」と呼ぶ声がしたが、私は振り向かず、扉は閉められた。

 これで終わりよ。


 ◇◇◇


 扉を閉めるまで、自分の足で立てていて良かった。扉を閉めた音を聞いて、私はその場で倒れてしまった。
「リリーシアさん!」
 オーウェンさんの慌てる声が心地よいなんて言ったら、彼に悪いわね。

 あの審議会から三ヶ月がたった。
 不甲斐ないことに、あれから熱が出て、起き上がれるまで回復するのに、1ヶ月もかかってしまった。王宮の医者には『極度のストレスが原因』と言われた。
 日常生活に戻れるまで、王宮の一室で過ごすよう、王妃様から命令されているので、お言葉に甘えさせてもらった。
 ゆっくり療養できたお陰で、今では王宮の庭を散歩出来るまで回復できた。

「リリーシアさん。風が出てきましたから、そろそろ」
 オーウェンさんはブランケットを私の肩にかけた。ブランケットの温かさを感じる。知らぬ間に体が少し冷えていたようだ。
「えぇ。明日の出発に差し支えがあってはいけないものね。オーウェンさん、ありがとう」
「いえ」
 私が微笑むと、彼も微笑みを返してくれた。
 王都を離れれば、きっとオーウェンさんには会えなくなるだろう。
 彼は今回の功績で、王妃様直属の部下になったのだ。セラス教会に勤めるシスター・ハンナと同じような立場らしいが、詳しくは知らない。

 そして、私は離婚した。
 エドワードは最後まで抵抗していたらしいが、ソフィアに『離婚届にサインしないのなら、離婚裁判をおこす』と詰め寄られたそうだ。
 審議会で出した証拠品や、イモージェンと不倫して子供を作ったことが公になれば、伯爵家の評判は駄々下がりするし、離婚裁判でエドワードが勝てる要素はどこにもない。恥をさらすより、潔く離婚するのが自分のためだと追い込むと、震えながらサインしたと聞いた。
 
 養育費もアリアが成人する18歳まで、不自由なく生活出来る金額を出してくれることになった。しかも、アリアが貴族学院に進学したいのなら、すべての費用、学費、生活費は別途支払うと覚書も書いてくれたのだった。
 慰謝料についても、こちらの言い分通り支払ってくれることになった。
 ソフィアの話では、リーガル公爵様がエドワードに何やら助言したそうで、金銭の件はスムーズだったそうだ。
 
 そして、面会交流の件……。
 これは最後まで難航した。
 当初、エドワードから毎週2回は会いたいと申し入れがあったが、頻度が多すぎると突っぱねた。その後も毎週一回、10日に一回と、出来る限り会えるように申し入れがあった。
 それからプレゼントを毎日贈りたいとの話もあったが、迷惑だと切り捨てた。
 何度かそういった申し入れが続いたが、ある日突然、面会交流は娘が五歳の誕生日以降からで良い。頻度も1ヶ月に一回で良い。ただ、毎年娘の誕生日に贈り物をさせてほしいと変えてきた。
 どうやら、これもリーガル公爵様の口添えがあったらしい。おそらく、しつこく言い寄ると、復縁の望みを自分で潰すぞとか、言われたのだろう。復縁なんて、考えることもないだろうが、煩わしいやり取りが終わって、晴れて離婚が成立した。

 ようやく、私は自由になったのだ。
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