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後編
しおりを挟む「ルーカス殿下。わたくしと貴方の関係は『王太子と婚約者』でしかありません。そこに『愛』はありません。貴方が唯一の男児で、王太子だったからこそ誠心誠意お仕えし、支えて来たのです。さらに、貴方からの一方的な婚約破棄をされ、もはや私達は赤の他人。助ける義理はございません」
「なんと薄情な!」
「薄情?おかしな事をおっしゃる。長年連れ添った婚約者に謂れの無い濡れ衣を着せ、一方的に関係を断ち、その余韻も消えぬ間に、他の女に求婚する男の言葉ではありませんね」
「俺は騙されていたんだ!まさか男だったなど、思いもよらなかった。婚約破棄は撤回する。だから」
「嫌です。貴方を支えなければと思っていた義務感も、愛は無くても家族のように思っていた情も、文字通りバラバラになってしまいましたもの」
私は床に散らばった書類の残骸を指差した。
「そんな紙切れ、もう一度作れば」
「失った信頼と信念は戻らない!もう、無能な男の尻拭いはこりごりです!」
「なっ!生意気な!!リリィの分際で!」
怒りの形相でルーカス殿下は突進してくる。
後ろのラーテル殿下が身構えた。
私はそれを手で制する。
「お前は俺に与えられた、俺だけの女だろうが!!」
掴み掛かろうと伸ばしてくる腕を掴み、背中に背負って、ルーカス殿下のスピードを行かしつつ、ぶん投げてやりました。
『一本背負い』
アクアマリーナ帝国で国技となっている『柔道』の決め技だ。
ルーカス殿下は受け身の練習などしたことが無いので、そのまま背中を思いっきり強打したようだ。呼吸がうまく出来ないでいた。
「さようなら」
決別を込めて言った。
私の目はきっと、冷淡な凍てついた氷のような瞳をしているだろう。
だって、最後に目があったルーカス殿下は真っ青な顔をしていたもの。
「国王陛下、私達はこれにて失礼する。詳しい話はまた明日にでも」
「わかりました」
ラーテル殿下はそういって、私と共に会場を後にした。
×××
侯爵家に送ってもらえると思っていたら、帝国の賓客をもてなす屋敷に連れてこられてしまった。
侯爵家に帰りたいと言っているのに、夜も遅いから明日送るの一点張りで、あれよあれよと客室に通されてしまった。
帝国から来ている侍女達に、風呂に入れられ、疲労回復マッサージを施され、帝国の伝統衣装『浴衣』を着せられてしまった。
『着物』とは違うそうで、私たちが着ているナイトドレスの様なものらしい。
肌触りがよく、丁度良い締め付け具合だ。
柄は白を基調として、裾から上に向かって水色のグラデーションが水の流れを模していて美しい。アクセントとして赤い魚『金魚』の刺繍がちりばめられている。
とても素敵だ。
「ごゆるりとお過ごし下さい」
そう言って、侍女達は全員下がってしまった。
大きなベッドに腰かけるが、眠る事など出来ない。これからの事を考えると不安で恐ろしい…。
今回の騒動で内紛が起きたらどうしよう…。
保守派・改革派・中立派の勢力はどう傾くか、心配だ。ルーカス殿下を指示していたのは保守派筆頭のロクサーヌ侯爵家など、高位貴族が多かった。我が家は中立派筆頭で、他の派閥とのバランス調整を行っていたが、今後どうなってしまうのか予想がつかない。
「はぁ…」
大きなため息が漏れてしまう。
部屋でウジウジ考えても、気分が落ち込むだけ。少し外の空気を吸うため、テラスから庭園に降りた。
しばらく歩くと、人の声が聞こえてきた。
「あぁ、リリィ嬢を連れて帰るから、部屋と歓迎の宴の準備を頼むよ」
ラーテル殿下の声だった。
彼は噴水の水面に向かって話していた。
金の髪を後ろで一つにまとめ、濃紺の浴衣を着ていた。
噴水に腰掛け、片足を抱えているので、鍛えられた太ももが見えている。また、胸周りも少しはだけていて、白くて筋肉がしっかりついた美しい胸板も覗いている。
見知っていた可憐な少女の面影はなく、男性的で、魅力的だ。
『婚約者として迎えるなら、盛大な凱旋パレードをしなくちゃ』
女性の声だ。でも、姿はない。
声も噴水から聞こえてくる。
「俺だってそうしたい。だが、彼女は婚約破棄したばかりで、新たな婚約など負担だろう」
『バカね!傷心中だからいいんじゃない。今なら簡単に惚れてくれるわよ』
「そんなの嫌だよ。心の隙に入り込むなんて。俺は、俺自身を知ってもらってから、彼女の意思で好きになって欲しいだよ」
『はぁ~。本当、頭固いんだから!いいこと、待ってるだけじゃ、欲しいものは手に入らないの。女はね、時には奪われるくらい強引に求められたいのよ』
「それは姉さんの趣向だろ。彼女は理性的で、思慮深いんだ。しかも我慢強くて他人の事ばかり気にする。俺との婚約で王国を安銘に導く事はできるが、それは彼女に人身御供として帝国に身を売れって言っている様な事だろ。彼女の心を犠牲にして婚姻はしたくない…」
『男がウジウジしてるんじゃないわよ!気持ち悪い!!あんた、彼女に好きだとか、愛してるとかちゃんと言ったの?!三年前、他人を必死に助けようとする姿に惚れたとか、一目惚れだったとか、ちゃんと気持ちを伝えてるの?!』
「えっ!…いや、まだ…だよ」
『グズ!!』
「だっ、だって俺は女として潜入したし、男として見てもらえてないし、三歳も年下だし…。突然好意を示されても戸惑うだろ…」
え?!
14歳ってこと?
だから、身長は私と同じくらいなのね。
『ヘタレ!だから、始めから男として行けって言ったのよ。それを『男だと彼女の近くに近寄れないし、警戒される。女ならもっと彼女と親しくなれる。他の男を好きだとしても、近くで見ていられるならそれだけでいいんだ』よ。単に逃げてただけでしょ!もっと男を見せなさいよ!いつもの皇太子モードでグイグイ行きなさいよ』
「皇太子モードってなんだよ…。とにかく、明日彼女と話して、帝国に来てもらうように話すよ。このまま王国に置いておくのは危険だ。一時的にでも避難して」
『もう!避難じゃなくて、俺の事を知って欲しいから帝国に来て欲しいって言いなさいよ!惚れて欲しいなら、まずあんたが素直に気持ちをぶつけないでどうするのよ!』
「わかった…。明日時間を見て話すよ」
『今から行きなさい!』
「もう時間も遅いだろ。非常識な男と思われて嫌われたくないよ。じゃ、姉さん、準備の方よろしくね」
『ちょっと待ちなさ!ーーー』
彼が水面を弾くと、女性の声は突如途切れた。
「ふぅ~…」
深く息を吐いて、空を見上げている。
私は咄嗟に木の陰に隠れた。しかし、小枝を踏んでしまった。
無情にも『パキっ』と音が響いた。
「誰だ!」
私は観念して姿を現した。
「申し訳ありません。声がしたもので…」
「リリィ!?いつから」
少し焦ったような声色だ。
どうしよう…。
素直に答えるべきか、今通りかかったとするか…。
ちらりとラーテル殿下の顔を見ると、月明かりではっきりと見れないが、少し赤いように感じる。
先程の会話が彼の本心なら、私を好きだと…。
先程の会話を思い出し、思わず頬が上気してしまった。
まっ、まずいわ…。これでは話を聞いていたと言っているようなものだわ。
でも、不快感はない。
むしろ胸がザワザワして、この気持ちは…。
「あ~…。突然の事で驚いているよな…。今日は色々な事があったのだし、ゆっくりと整理してだな…。その、これからの事を…」
「好き…」
私の口から言葉が漏れた。
沈黙。
キャーーーーーー!!!
自分の言葉に驚愕だ。
恥ずかしさのあまり、その場から駆け出そうと振り返ると、背中から抱き止められた。
細腕なのに力強い。
心臓が早鐘のようにうるさい。
「逃げないで、リリィ。…君が好きだ。三年前、船の事故で自分の事より他人を死に物狂いで助けようとする姿は美しかった。力強いその瞳から目が離せない。信念をもって行動し、すべてを包み込むような慈悲深さが俺を惹き付けて止まない。本当は見ているだけで良かったんだ、君が好きな男の隣で笑っていてくれるなら、それで良かったんだ。でも、再会した君はちっとも嬉しそうじゃなかった。俺ならあんな顔させない。誰よりも君を大切にする、君が好きだ。もっと俺の事を知ってくれ、もっと一緒にいてくれ、俺と帝国に来てくれ」
まるで押し寄せる波のように、彼の愛の囁きが私の心を押し流していく。
どうしましょう…。
嬉しい…。
嬉しい…。
「嬉しい…」
また言葉が漏れた。
私の口は壊れてしまったのかしら。
こんな簡単に言葉を溢してしまうなんて。
「会場で、助けたくれて嬉しかったです。私のために怒ってくれたことが、本当に嬉しくて…。貴方に見つめられると…ドキドキが止まらなくて、今も触れている肌がザワザワします。今まで誰にもこんなこと感じたことがなくて…。私、ラーテル殿下が…好き…なんだと思います。ただ、突然の事で、その…。どうしていいかわかりません…」
抱き止めていた腕の力が少し緩んだ。
「俺を…見て」
絶対顔が赤くなってる…。
でも、体が素直に反応する。
私はうつ向きながらゆっくりと彼に向き合った。顔までは恥ずかしくて見れない…。
ゆっくりと跪くのがわかった。
「ラーテル・ミィジュ・アクアマリーナは生涯、リリィ・マクミランを支え、病めるときも、健やかなるときも、全身全霊で愛し抜くと誓います。どうかこの先の未来全てを、私と共に歩んで頂きたい。愛しています。結婚して下さい」
両手で私の手を取り、手の甲にキスをする。
王国流の愛の告白だ。
こんなに情熱的で、真っ直ぐ、誠実な愛の告白を自分がされるなど、昨日まで夢にも思わなかった。ただ、王国の為にこの身を捧げるだけだと、自分を律してきた。
良いのだろうか…。
こんなに心が満たされる事が。
私に許されるのだろうか。
「リリィ、大丈夫だ。守るから、君の守ろうとしてきたものは俺が守るから、だから、俺を信じて全てを委ねてくれないか」
彼の顔を見た。
穏やかで優しげで、少し頬は赤くなっていた。
あぁ、好きだ…。
つい先程、彼が女装していたことを知ったばかりなのに。
彼の本当の身分を知ったばかりなのに。
彼自身の事は何も知らないのに。
彼が好きだと心が、震えている。
「はい…。はい、私も好きです。私でよければ、ずっと側に」
涙が溢れてくる。
嬉しくて、感情が高ぶってしまう。
「一生大切にする。愛してる」
優しい包容は、とても心地よくて、幸せすぎて意識が飛んでしまった。
なので、あの後どうやって部屋に戻ったのか記憶がない。
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