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第十一章 友達とか家族とか(前編) 

かつてあの人が、できなかったことを

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 目を覚ましたら「ルミナス」になっていたら良いなって思っていたけど、そんなことはなかった。

(顔も知らないもんな。当たり前だ)

 部屋で顔を洗って鏡に向かい、クライスは自分の顔をじっと見つめる。
 くしゃくしゃの赤毛に童顔。
 さほど好きでも嫌いでもない。これまで鏡に向かうような生活をしてこなかったから、じっくりと見たこともない。
 それでも、誰に指摘されるまでもなく、以前より女性的な印象になっているのは自分でもわかる。
 同時に、瞳の光が弱くて、どことなく自信がなさそうなことも。おどおどして、気弱そうに見える。

「自信がなくて、気が弱くなっているから、当たり前だ」

 ルミナスじゃないから。
 ルミナスじゃないのに。

 剣の鍛錬をする上で、敵はいつだって自分だと思っていた。他人と比較するとしても、体格や向き不向きを冷静に見極めていき、がむしゃらに張り合わず、勝ち目を拾う戦い方を考えてきた。
 決して、圧倒的な強さこそないものの、着実に強くなっていると信じて腐らずに生きて来た。
 それなのに。

 それじゃダメだと言われたようにずっと感じている。
 見たこともない「聖剣の勇者」の話を出されて、同じくらい強くなくてどうすると、周りからいっせいに責められている気がしたのだ。
 錯覚なのはわかっている。
 ひとつひとつ突き詰めて考えれば、誰も「無理をしろ」なんて言っていない。
 だけど。
 自分が耐えられなかった。

 一足飛びに強くなる方法があるなんて思っていなかったのに、そんな小さな努力の積み重ねが何になると。凡人のくせにいつまでぐずぐずしているのかと。
 死んでも辿り着けない。

(もっとずっと強い人がたくさんいる。スヴェン隊長やジュリアも……。どうやって勝てばいい? どうすれば納得してくれる?)

 思うように強くなれず、強くなければ存在価値がないと思われていそうで。
 怖くて。

 誰かに否定されたわけじゃないのに、焦りで自滅しそうになっている。
 早く違うと言ってほしい、お前じゃなかったと言ってほしい。
 解放してほしい。
 心が逃げたがっている。

(もしルーク・シルヴァが魔王だとして。魔王として、現在人間に敵対行動をとっているレティシア側につくことがあるのならば。僕はその戦いから逃げるわけにはいかない)

 近い未来に、誰かがルーク・シルヴァを殺さなければならないというのなら。
 やめて、と言いながら目を逸らすのではなく。
 この手で。
 正面から向き合って、自分の手でケリをつけたい。
 かつてルミナスがそうしたように。

 ……ルミナスがやろうとして、できなかった「魔王殺し」を完遂する。

 いざというときは「聖剣」を。自分に望まれているのはそういうこと。
 彼を愛しているなど、きっと些細な問題。

 鏡の中で赤毛のチビが泣いていた。声を押し殺して、泣いていた。
 その涙を手の甲で強く拭って、もう一度顔を洗う。涙なんか洗い流す。
 泣いている場合ではない。

 * * *

 五人抜きまでしたところで、もはやその新入りに口笛の音を浴びせかける者はいなかった。
 剣で打ちのめされ、胸に肘を打たれて、堪えきれなかった近衛隊士がその場に倒れ伏す。

「はい勝負あり。ジュリア」

 試合を見守っていたスヴェンが、つまらなさそうに言った。
 ついで、瞳から迸る気迫だけで周囲を圧倒するジュリアに対し、ため息交じりに付け足す。

「弱ぇ奴しかいねぇのかみたいな目で見んな。お前が強すぎるの」
「何も言っていない」
「殺気が言っている。身体中からぶわっと出てるぞ。あと、眉間の皺どうにかしろ」

 軽口を叩きながら、修練場を見回す。
 さすがに国内最強とされるメンツだけに、臆しているのを態度に出している者はいない。しかし、魔物殺しの剣士が、人間相手でも変わらずぶっちぎりで強いという事実は、居並ぶ者たちから言葉を奪っていた。

「次は僕が」

 自分より背の高い男たちを手で押しのけながら、白い新しい制服を身にまとったクライスが進み出る。
 ジュリアが、目に見えて表情を明るくした。

 待ってた。

 瞳に笑みを浮かべて、唇の動きだけで言う。
 場の空気まで変わる華やかな微笑は、一見すると友好的な態度。
 だが、それが「手を抜く」という意味ではないことを、クライスはよく知っている。
 本気で戦える好敵手を求める目。
 期待に応えることを望んでいる。

(勝てる? まさか。だけど負けたくない)

 聖剣に選ばれなければ。
 ルーク・シルヴァの息の根を止める手段を、他の人の手には渡せない。それは、どうあっても自分の手の中になければならない。
 絶対。

「はじめ」

 スヴェンの掛け声と同時に、クライスは飛び込んで剣を打ち合わせる。
 互いの刃越しに肉薄した瞬間、ジュリアが低い声で囁いた。

「クライス、あなたを知りたい」

 ざわっと血が沸騰する。
 女性の声には、聞こえなかった。それはそのままジュリアの秘密の吐露かもしれない。
 クライスは目を細める。目が合った。小さく頷かれる。
 了解。

「いいよ。たくさん知って。そして裏切らないで。僕に、どこまでもついてきてよ!!」

 今はまだ満足に強くないけど。ときどき落ち込むけど。
 何合も剣を打ち合わせながら、クライスは高らかに宣言する。

「僕が先に行くから、ジュリアは僕の背中を守って。他の誰でもないジュリアが」

 信じるから。君のこと。
 自分のことすらときに信じられなくなる、脆さは今ここに捨ててしまうから。

「前に立って戦う僕を絶対に死なせないで!! 僕は自分にできることをする。どんな強い相手にも負けないようにするから!! ジュリアは僕を!!」

 叫びながら、顔をずらして刃をかわす。
 答えに迷ったジュリアの一瞬の隙をつき、剣を持つ手の甲に剣の柄を叩き込む。握りしめた剣を取り落としこそしなかったが、反撃が鈍った。それをクライスは逃さなかった。

(体幹が強い)

 普通に蹴っても競り負けると、腹部に狙いを定めて蹴りを叩き込む。

「っ」

 ジュリアが顔を歪めて動きを止めた。

「そこまで」

 どちらも倒れていなかったが、スヴェンが制止の声を上げた。
 同時に顔を向けた二人に対し、面倒くさそうに言い訳をする。

「その先は殺し合いになる。手加減なし一本勝負。どっちが死んでもオッサンちょっと困るんだわ」

 痛む腹をおさえながらも、ジュリアは鋭く言い放つ。

「私が手加減できなくなる可能性を考えているみたいですけど、今の、してませんからね。あと、何があっても殺したりはしません。私は『護衛任務』が主な仕事だと聞いてきているんです。練習試合で護衛対象を殺すわけがないでしょう」
「護衛対象は別だよ。僕たちは王妃様とか」

 ごく普通に訂正しようとしたクライスに対し、ジュリアは射すくめるような眼光を浴びせかけた。

「自分で今言ったでしょう。守れって。守るに決まっています。後ろを気にしなければ、あなたが全力を出せるというのなら」

 肩を顎がかすめるほどに顔を近づけ、耳元に唇を寄せてジュリアは言った。

「俺はあなたの背中を守り抜きます。何があっても」

 力や体力の差。それが何に起因するのか。大っぴらには明らかにできない秘密を告白するように。
 
(ジュリアは、男なんだ)

 言うべきか言わないべきか、迷っていたに違いない。だが、互いの信頼の為にと決めたのだろう。
 隠されていた事実よりも、ジュリアの決意が有難い。

「ありがとう」

 返しきれない思いを込めて、クライスは囁き返した。
 ジュリアが強いのなら、その強さを自分のものにしてしまえばいい。
 かつてルミナスができなかったことを、成し遂げるための手段として。
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