上 下
100 / 122
第十一章 友達とか家族とか(前編) 

喪われる時間

しおりを挟む
「そんなに昨日飲んだんですか。殿下」

 アンジェラにこそっと言われたイカロスは、大儀そうに頷いた。

「飲んでいた。大事な話をしようというタイミングで、死ぬほど酔ってることに気付いたからやめた。そのままルーク・シルヴァが寝かしつけを担当した」

 くあ、と小さな欠伸をする。
 その様子を横目に見ながら、アンジェラは小首を傾げた。

「リュートさんの本名ですか。私もそうお呼びした方がいいのでしょうか」
「どっちでもいいんじゃないか。こだわりがなさそうだし」

 温度のない会話。緊張感はなく、どことなく気安さがある。
 アンジェラが自分の仕える相手であるイカロスに対し、緩い忠誠心や親しみのようなものを覚えているのは嘘ではない。
 身体が弱くて引きこもりがちだが、急に外に行くということもある。その生活を見て来たので、実は今回のような取るものも取らずの出立には慣れているのだ。
 イカロスも、自分が人の手を必要としていることをよく理解している。だからこそ、常に周りに人がいるようにしている。

 第二王子クロノスは。
 あまり人を寄せ付けない。
 親兄弟さえ。それは母親との息詰まるような関係に端を発していたように周囲からは見られていた。
 わがままではなく、人当たりがよく、子どもの頃から「手がかからないけど影が薄い」と言われていた。

「あんなに人とぶつかっているお姿、初めてみたかもしれません」

 アンジェラはそう言いながら、背後を窺おうと肩越しに振り返る。
 まさにそのとき、ルーク・シルヴァがクロノスに掴みかかったところだった。
 暴れるクロノスを押さえ込んで、視線を投げて来る。

「イカロス。飛べ。向かう先はわかるな?」
「オルゴの魔導士工房なんて実質一つしかない。必ず行く」

 確認するなり、ルーク・シルヴァは地を蹴って飛び上がった。
 人が少ないとはいえ、いきなりの飛翔魔法に周りが何事かと空を見上げていた。
 そのざわつきを感じながら、イカロスはのんびりとアンジェラに声をかけた。

「目立ちたくないし、少しのんびりと後を追おう」

 * * *

 不意打ちからの人攫い。
 暴れて逃げることは考えたが、クロノスは早々に諦めた。おいそれと、かなう相手ではない。

(お節介すぎるだろ、魔王)

 何を考えているかも、わかりすぎてしまっている。
 封印を、呪いを解くのは人間の魔導士だと言った。だけどきっとそれは。
 魔導士である必要すらない。

 転生によって無垢な魂を追い出し、赤子の身体を奪ったかもしれないという罪悪感をクロノスはずっと抱えてきた。
 その上、生まれ落ちた先が前世との相性が最悪だった場所。
 ふとした瞬間に心がバラバラになりそうなクロノスを支えてきたのは、ステファノという判断力のある大人。
 そのステファノを支えていたのは、いつかルミナスに巡り合えるかもしれないという希望。
 そして見つけた。
 男でも女でも犬でも猫でもなんでも良いと思っていたけど、さすがに寿命の短い動物だと死に別れが辛いから、人間でいてくれて良かったと安堵した。健康そうだったし。
 何も覚えていないのが悔しくて、うまく優しくできなかったけど、たまに話せれば十分だった。
 前世のルミナスのように「報いる方法が何もないから」と心が伴っているのかいないのか不明な肉体を差し出されるのは少し怖くて、近すぎない距離に甘んじていた。

 精神のバランスが崩れたのはどこからだろう。
 ルミナスが、クライスが「恋」を出来ると知ったあたりだろうか。
 前世のわけがわからない、誰のものにもならないルミナスとは違い、明確に一人に思いを寄せる姿。

(俺はそこを望めたんじゃないのか……?)

 振り払っても払っても押し寄せる後悔と、いや今生であいつが幸せになれるならこれで良かったんだという無理やりの納得と。苦さと甘さに苛まれて苦しんでいる間も時間は確実にうしなわれていく――


「俺最近ずっとルーク・シルヴァといる」
 小脇に抱えられた体勢でもぞもぞと動きながら、クロノスはぼそりと言った。

「そういえばそうだな」

 びゅうびゅうと風を切る音に、低い美声がのる。
 翼もないくせに空を飛ぶ、人ならざる美貌の魔王。その横顔を見ながら、クロノスはもう一度よく聞こえるように言った。

「人間の寿命は短いぞ。すぐに引き裂かれる」
「そうだな。俺が二人とも見送ることになるんだろ」

 言わんとしたことを正確に汲んでいるだろうに、返事はあまりに可愛げが無くてクロノスは気炎を上げた。

「おいそこ、なんでいまセットにした!? 前世じゃあるまいし、死ぬタイミングくらいずれるだろ」

 不慮の事故に二人同時に巻き込まれたりしない限り。
 言われたルーク・シルヴァは落ち着き払って答えた。

「誤差だ。数年だろうと、十年二十年だろうと、俺にとっては誤差だ」

 見送る。
 そしていずれ一人になる。

「ルミナスのことだけ考えていろよ!! なんで俺を巻き込むんだ」
「約束した。もう記憶を継いだ転生はさせないと。お前の死に際に、俺は必ず立ち会う」

 言っていたかもしれない。言っていた気はするが。
 クロノスはどうにか腕を動かす余白を作って、前髪をぐしゃぐしゃとかきまぜる。

「やめてくれ。誤差みたいな、一瞬しか生きられないんだよ人間は。お前、俺に時間使っている場合なのかよ。あいつと離れ離れになっている間に何かあったらどうするんだ」

 レティシアが王都を襲撃なんてことになったら、まともに戦える人材がいない中、まず間違いなく「聖剣の勇者」は表に立つ。だけどクライスはルミナスほどに強くない。あの時みたいに仲間が揃っているわけでもない。

(俺がいてもどうにもならないかもしれないけど……。ルーク・シルヴァがいれば、レティシアからあいつを守り切れるんじゃないのか? レティシアと体を共有する必要がなくなった今なら、反撃だって)

 遠くに稜線が見えて薄い青空と緑が溶け合って、それを湿っぽく濡れた視界が歪めていく。クロノスは慌てて目を閉じる。泣くな。
 ルミナスのことばかり考えてきた。
 それが今になって、まずは自分をどうにかしろと言われてしまった。

(指摘されるまでよくわからないで放っておいた俺が悪かったけど……。今なのか。もしかしてルミナスが一番こいつを必要としているかもしれないときに。俺があいつからこの男を引き剥がしてしまっているのは、どう考えてもおかしい)

 早くルミナスの元へ、帰さないと。
 困っているかもしれない。探してはいるだろう。何も言わないで来てしまった。

「これは落ち込む。今になってようやく気づいたけど、俺はびっくりするくらい自分がないようだ。何を置いてもルミナスを優先して考えるのがしみついている」

 恐ろしくなめらかに思考を支配する感情の流れに我が事ながらドン引きし、クロノスは呻いた。どうあっても、自分のことではなくルミナスへと考えのすべてが流れ込んでいく。

「そうだな。後追いするくらい入れ込んでいたらそうなるだろうな」
「その話はもういい。やめろ」
「やめない。お前はもっと自覚しろ。そして今からでも遅くない。きちんと自分を取り戻せ。それが出来ないうちは、ルミナスの元に帰せない」

 言い返そうとして、クロノスは言葉に詰まる。

(ルミナスの元に帰るのは俺じゃない。お前だ)

 その一言が、喉につっかえて出てこなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

虐げられた令嬢、ペネロペの場合

キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。 幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。 父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。 まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。 可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。 1話完結のショートショートです。 虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい…… という願望から生まれたお話です。 ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。 R15は念のため。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

婚約破棄の場を悪魔族に愛された令嬢が支配する。

三月べに
恋愛
 王子が自らの婚約者の悪事を暴いて、断罪するパーティー会場。高らかに、婚約破棄を突き付けた王子は、玉座のように置かれたソファーの前から吹っ飛んだ。  何が起きたかわからないパーティー参加者を置き去りに、婚約破棄を言い渡された令嬢は、艶やかな黒の巻き髪をふんわりと靡かせて、そのソファーにふんぞり返るように腰をかけた。 「それでは、本当の断罪を始めましょう」  琥珀の瞳を蠱惑に細めて、ほくそ笑む。  そのパーティー会場は、突如現れた悪魔族の力によって、扉も窓も開かなくなった。悪魔族達が従うのは、『魔王』の力を持つその令嬢、ただ一人だけだった。 ※3万文字数のダークに過激な断罪ざまぁモノ※ハッピーハロウィンテンション♪(2023年10月13日の金曜日♡)※ (『小説家になろう』サイトにも掲載)

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

氷のメイドが辞職を伝えたらご主人様が何度も一緒にお出かけするようになりました

まさかの
恋愛
「結婚しようかと思います」 あまり表情に出ない氷のメイドとして噂されるサラサの一言が家族団欒としていた空気をぶち壊した。 ただそれは田舎に戻って結婚相手を探すというだけのことだった。 それに安心した伯爵の奥様が伯爵家の一人息子のオックスが成人するまでの一年間は残ってほしいという頼みを受け、いつものようにオックスのお世話をするサラサ。 するとどうしてかオックスは真面目に勉強を始め、社会勉強と評してサラサと一緒に何度もお出かけをするようになった。 好みの宝石を聞かれたり、ドレスを着せられたり、さらには何度も自分の好きな料理を食べさせてもらったりしながらも、あくまでも社会勉強と言い続けるオックス。 二人の甘酸っぱい日々と夫婦になるまでの物語。

私を裏切った相手とは関わるつもりはありません

みちこ
ファンタジー
幼なじみに嵌められて処刑された主人公、気が付いたら8年前に戻っていた。 未来を変えるために行動をする 1度裏切った相手とは関わらないように過ごす

処理中です...