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第九章 襲撃と出立

きわめて健全な

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「ここ数日、生活が落ち着かなすぎる気がする」

 背負ったイカロスを軽く抱え直しながら、クロノスはぼやいた。
 あまり遠くへは行けなかったせいで、王都のすぐそばの町で宿を取るという話になり、日暮れ前から街路をぶらついている。
 アンジェラは旅に出る用意がなかったこともあり、着替えその他買い出しに出ていた。宿で合流する手はずとなっている。
 イカロスは背中で軽い体重を預けてきており、一向に目を覚ます気配はない。

(軽いな。何歳になったんだっけ。こんなもんなのかな。前世のルミナスより軽い気がする)

 あいつは何かと装備が重かった、なんて余計なことまで思い出して、溜息をついた。
 軽く泊りがけで出かけたら出先でいざこざして、王都に戻っていざこざして、ずーっといざこざ続きだ。
 いい加減に元の退廃的で人付き合いもろくにしない、ごく潰しをするだけの有閑生活に戻りたい。
 王子に生まれついたし、世界を救う使命もないし、ゴロゴロしていたっていいだろというのが今生のポリシーだったはずである。
 生まれ直しているとはいえ、意識に連続性があるせいで、言うならば人生の最初にあった感覚が「疲労」だったのだ。

 ――俺結構頑張ったよな? 報われないなりに。

 今回は働くものか。何もしたくない。
 二周目の人生だなどとつゆ知らぬ周囲からすればただの怠惰な王子だが、知ったことではない。
 当たらず触らず毒にも薬にもならず面倒事は全部兄のアレクスに。
 ほどよく公務をこなして自由を満喫し、そのうちどこかの田舎に引っ込んで暮らそうとまで思い始めていた。
 ルミナス=クライスのことはずっと見守っていたが、転生後は男だと思っていた。
 女だと知ってアプローチしても完全にふられた。

(……前世でも。気持ちが通じていたかどうか、本当のところはわかんないんだよな……)

 間違いなく「戦友」ではあったが。
 友人としても、女としても、生き物としても、ルミナスはなんだかよくわからないところがあって、気持ちが通じていると確信できるのは戦闘のときだけだった。

 ルミナスは戦闘狂だったのだ。

 一番役に立ち、一番思った通りに動くから、ルミナスはステファノを必要としていた。それ以上でもそれ以下でもない。もちろん自分はそんな関係には満足していなかったが、不満を訴える余地はなかった。
 必要とされていることはわかっていた。
 それで十分だと思い込もうとしていた。

 それなのに、恋情を募らせていることに、気付かれた。悟られたが最後「それ」はルミナスの中では極めて優先順位が低いだけに、惜しげもなく差し出されてしまった。欲しいのなら抱けばいい、と。

(ルミナスなりに考えた末の報いる手段なんだろうが、あれはきつい)

 友情とそれ以外を分けるということが、よくわかっていなかったに違いない。自分の大切な仲間が「欲しがっている」から「あげてしまえ」言うならばそういう単純さだった。
 ルミナスが何よりも好きだったのは戦場、そして全力でぶつかることができる好敵手。

 クロノスは、のんびりと横を歩く男を見てしまう。 
 魔王ルーク・シルヴァ。
 ルミナスの命を奪った男。ある意味、ルミナスが敵わなかった唯一の相手でもある。

「……なんで相打ちのふりなんかしたんだ?」

 素朴な疑問をぶつけた。
 間近で視線が絡む。
 魔力枯渇のせいで体力まで落ちている上に、重荷を背負っているクロノス。ルーク・シルヴァはその遅すぎる歩みに歩幅を合わせている。
 はぐれない方が面倒がないからだと頭ではわかるが、さりげなく保護者面されている気がして、それはそれで大いに面倒くさい。

「魔王のそういうところ、正直に言えば知りたくなかった。凶悪無比で残虐で知性の欠片も無くて殺さなきゃ世界が滅ぼされる、そういう奴で良かったんだよ」

 魔王なんて。
 人間の見た目なんかいらない。会話なんかしたくなかった。知り合いになって一緒に飲んだり食べたりなんかしたくなかった。もう遅い。

 ルーク・シルヴァは、歩く所作がすっきりと無駄がなくて、身のこなしに品がある。灰色のローブをまとっていたときはオーラの欠片もなかったくせに、その麗姿を露わにしてしまえば、まばゆいほどの存在感だ。人目を引きつける清冽にして華のある空気。声の響きにも艶がある。
 まなざしは、意外なまでに穏やかで優しい。

「そう振る舞っていたつもりなんだが。躊躇なく殺りにきただろ、あいつ」

 笑いながら言う「あいつ」はかつて魔王を追い詰めた聖剣の勇者。

(ルミナスは本性をうまく大義名分で包んでいただけだ。ただの戦いたいだけの奴だし)

「話せばわかるって、最初から知っていたら話したんだ。殺し合いなんかできればしたくない」
「それだと何も解決しない。話し合ってわかりあって手を取り合って。そういうのが絶対許せない奴が双方にいた。血を見ないと気が済まない連中だ。仲直りなんて望んじゃいない。あいつが背負っていたのも、俺が背負っていたのも、結局のところ、そういうものだ。命のやり取りなしに、誤魔化せるものじゃなかった」

 わかる。何を言っているかは。
 戦争だ。勝ち負けしかない。両陣営とも当然の如く勝ちを望んでいた。
 最後の一人まで殺し合わないようにするには、早々に「名のある」者同士で片を付けなければならない。

(怖いくらいに意思疎通していたんだよな。あいつとお前)

 一度も打ち合わせなんかしていなかったくせに。
 終わりの幕の引き方を、二人とも決めていた。

「あいつが最後に目に映していたのも、最後に考えていたのもお前のことだなんて、冗談じゃない」

 敵じゃなく、俺を見ろ。
 俺を置いて行くのか。俺はお前にとって一体なんなんだ。そんなに簡単に手放せるものなのか。
 それなら最初から、与えようとなんかしないで欲しかった。仲間の中では自分は特別なのだと、思わせないで欲しかった。

「悪かったな」
「そういう心のこもってない謝罪はいらない」
「何をすれば信用されるんだろうか。俺からお前に渡せるものはなんでもやるよ。欲しいものがあれば言え」

 クロノスは足を止めた。
 街のざわめきが遠のく。 
 頭の中も心の中も真っ黒に染まっていく感覚があった。

「何言ってんだよ。そんなの決まってる。『あいつ』が欲しい。譲れるわけないくせに、簡単に言うな」

 一歩先に進んだルーク・シルヴァが肩越しに振り返る。
 窺うような目をされて、クロノスは苛立ちと怒りないまぜに睨みつける。ルーク・シルヴァが先に口を開いた。

「渡せないのも譲れないのも、『あいつ』はまだ俺のものじゃないからだ。手に入るかどうかもわからない。完璧に掌握すれば『あの男を好きになれ』という命令に従うかもしれないが、『あいつ』にそんな日はこない。わかるだろう」

 真剣に話していることがわかるだけに、クロノスの中に行き場のない思いが募る。
 ルーク・シルヴァにも自分にもどうにもできないのは、相手が物ではなく人だからだ。

(誰かのものになって愛されたい不安を抱えているくせに、その誰かはもう決まっていて、それでいて望んでいるのは隷属じゃないから支配される気なんかない)

 健全な。きわめて健全な恋人関係。
 壊せない。

 ルーク・シルヴァは、恐ろしく綺麗な目でクロノスを見つめてから、ふいに口元をほころばせた。
 笑っていた。
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