上 下
77 / 122
第八章 国難は些事です(後編)

悲鳴

しおりを挟む
 目が覚めてしまった。

(いない、か)

 寝台の上に投げ出されていた手は何も掴んでおらず、起き上がって見ても室内に人の気配がない。
 寝ている間ずっと側にいて欲しいなんて望み過ぎだし、何かしら用を足しに出ているのであろうとは思うが、胸に寂寥感がこみあげてきそうで慌てて首を振る。

「たぶん、僕が予定より早く目を覚ましたのかな」

 よほど深い眠りについていたのか、身体は軽くなっている。その点だけ見れば時間は経過しているような気はするのだが。
 掛け布を握りしめ、座ったままではやや高いところにある窓を見上げる。

(光が変わらなすぎる。ほとんど時間が過ぎていないのか?)

 胸騒ぎがする。
 魔法で眠りにつかせて、どこかへ行ったらしい灰色魔導士。
 もし何もなければ、自分はもっと後に目覚めて、彼はそのときそばにいるつもりだったんじゃないだろうか。
 考えたときにはすでに足を下ろし、揃えて置いてあったブーツを履きながら、ベッドサイドに置いてあった剣を目で確認している。
 立ち上がるときには片手で掴んで、ほとんど前のめりに、部屋を大股に横切った。

 ドォォン

 遠くで、何か大きな音がした。
 軽い振動が身体に伝わる。
 その瞬間、クライスはバタンとドアを開け放った。
 廊下に踏み出して一瞬立ち止まって耳を澄ます。

(どこ……? 何が起きている? イカロス王子の件? それとも)

 ゆら、っと地が揺れた。
 水色の瞳を見開いて、クライスは石造りの天井を睨みつける。そして、走り出す。

(誰かに呼ばれた。誰だろう。わからない。でも僕を呼んでいる)

「行かないと……!」

 * * *

 身体能力の差で、遅れをとった。
 クロノスが自室に飛び込んだときには、シグルドが寝台の上に張り巡らせた結界を拳でぶち破ろうとしていたところだった。

「物理……ッ」

 違う。魔力を拳に結集させて結界に直接ぶつけているのだ。
 だが、筋骨隆々とした男が殴打している様は空恐ろしい力技を思わせた。
 その荒々しさによって、強固に編み上げたはずの防御が貫かれる無力さを、突きつけられる。
 クロノスは、散々ひびを入れられた結界が、叩き壊される最後の一撃を目にすることになった。

 虹色の光がキラキラと粉のように舞い散り、寝台に横たわっていたロイドがぱちりと目を開ける。

 わずかに顔を傾けて、自分を覗き込んでいるシグルドを視認した。
 その仕草を見た瞬間、クロノスは叫んでいた。

「ロイドさん、俺はここだ!!」

 シグルドの伸ばした手を間一髪でかわして、ロイドが寝台の反対側へと転がり落ちる。
 その場でしゃがみこんだまま体勢を立て直し、自分に迫ってきていたシグルドを寝台越しに見上げた。

「誰だ!?」
「私だ私、レティシアだ。迎えに来たんだ、ロイド」

 シグルドは、胸をしめつけるほど甘い笑みを浮かべて、ロイドに手を差し伸べる。
 クロノスはその様を見ながら、胸の前に指を上に向けて左手を立てた。口の中で呪文を唱え続けながら、右手で空に術式を書いていく。

「どういうこと?」

 全身に緊張を漲らせ、ロイドが恐々とクロノスを振り返る。
 構わず、シグルドが腕を伸ばす。
 その指先が掠る前にロイドは立ち上がって身を引いた。

「私だと言っているだろう。ロイド、私と来い。逆らうな」
「何言ってる。『それ』は誰なんだ? レティシア、誰の身体の中にいる?」

 寝台を回り込むのが面倒だったのか、シグルドは靴のまま寝台に乗り上げてロイドに迫る。

「『これ』は若い同族だ。お前ほど顔が広くてもわからないのか?」
「……身体的特徴……、その年代の男性型を取りそうな同族といえば、シグルドか? どうして『そう』なっている?」
「ああ、さすがだ。わかったのか。そうだ、シグルドと名乗っていた。今は私の支配下にある。身体を借り受けるにあたり、いくつか約束をした。果たさせてくれ」

 胸焼けを起こしそうなほどの、爛れた甘さを匂わせて、シグルドは歩を進めて手を伸ばす。
 ロイドは目を逸らさぬまま、一歩、二歩と後退した。

「何を果たすと」
「お前を与えると約束した。逃がす気はない。あまり手こずらせるな。従え」
「オレを与えるってなんだよ……!?」
 
 シグルドが、ふっと息をもらした。
 あまりにも美しく、残忍な美貌を際立たせる笑みを浮かべて、寝台から降り立つ。

「お前、発情期なんだろ?  孕ませてやる」

 膝から力が抜けたように、ロイドはバランスを崩した。

「いやだ、来るな!」
「人間との間には子どもはできにくい。同族を相手にした方がいいだろう」

 ロイドは前を見たまま、後退する。
 シグルドを睨みつけながら震える声で言った。

「来るなって言ってるだろ!!」

 手が、胸元の合わせ目をおさえる。身体を値踏みされる感覚にはっきりと恐怖を顔に張り付けて。
 聞き分けの悪い子どもを前にしているかのように、シグルドは軽く眉をひそめた。

「お前は誰より一族の未来を考えていると思っていた。その身を捧げろよ。次代に繋げたいだろ」

 ロイドの見開かれた瞳が揺れて、潤む。

「……いやだ……怖いよお前」

 唇から掠れた声がもれる。
 怯え切ったまなざしで、すがるように視線をさまよわせた。

 視線の先にいたのはクロノスで、折しも立てていた左手をシグルドに向けたところであった。
 その手から、爆発的に魔力が噴き出し、一条の光の矢となってシグルドに襲い掛かる。
 咄嗟に、シグルドは矢を掴もうとするように手を伸ばす。
 だが矢は胸に吸い込まれて行き、そこを起点として八方向に光のヒビを走らせた。

「魔導士……っ!!」

 歪んだ形相でシグルドが叫ぶ。
 完全に注意が逸れたところで、ロイドが走り出した。

「だめだ。行かせない」

 ゴボっ、と口から血を吐き出しながら、シグルドは床を蹴ってロイドの元へと飛び込んだ。
 逃れようとした細い身体に手を伸ばすと、腰を抱えるように片腕で抱く。

「いやだってば!! ……あっ」

 骨がきしむほどの力を加えられ、ロイドが呻き声を上げた。
 空いた手の甲で唇から滴る血をぬぐったシグルドは、汚れを拭ききれぬままにいっと笑った。 

「強烈。すごい雌の匂い……こっちの頭までおかしくなりそうだ。まあ、安心しろ。他の男に手は出させない」
「何言ってんだよ、放せよ!! 他のも何もお前が嫌なんだってば!!」

 シグルドはシグルドで、胸を焦がされて煙と肉の焼けた匂いを立ち上らせていたが、ロイドに拳を叩き込まれても笑みを崩さない。
 暴れるロイドを抱え直して、口の端を吊り上げた。

「確実に孕むまでたっぷりと可愛がってやる。お前、滅茶苦茶泣かせたい顔してるよな」

 言うなり、ロイドの足を床につけ、背後から拘束するように両腕で抱きしめる。
 片手で揺れる胸を鷲掴むと、身体がぐいっと持ち上がって踵が床を離れ、つま先立ちになった。

「やだ、怖い、やだって!!」

 ロイドの悲鳴が響き渡り、耐え切れなかったクロノスが走りこんで引きはがそうとするが、身体をひねったシグルドに回し蹴りをあてられ、勢いを転がしきれずに床に倒れこんだ。 

(相当ダメージ与えてるはずなのに動いてやがるし、ロイドさんを盾にしてるようなものだから、下手な魔法は撃てないし……!!)

 そもそも接近戦はクロノスの得意とするところではない。
 誰かが前衛としてシグルドの注意をひいたり、ロイドを奪還してくれればまだやりようがあるというのに。
 倒れたクロノスが態勢を整える間にも、シグルドはロイドの身体をまさぐる手を止めない。

「ふざんけなっ」

 濡れた悲鳴がとぎれとぎれにあがる。
 冷静な態度を崩さぬように見えたロイドであるが、追い詰められて魔法を撃つのもままならぬようだ。
 一方、無体を働いているシグルドが、まったく警戒を緩めていないのは明らかで、クロノスは手を出すに出せない。
 絶望的な心境でロイドの悲鳴を聞きながら、空に術式を描く。すぐに攻撃に転じられるよう、魔力を集中させる。

(誰でもいいから来いよ……!)

 一瞬でもいいから、あいつの気を逸らしてくれ、と切に願う。
 その時、戸口に誰かが立った。

「呼ばれて来てみれば、そこの男。何をしている? 嫌がっているように見えるんだが」

 実直すぎて間抜けにすら思える声を聞き、クロノスは組み立てる魔法を決める。
 さらりとした黒髪をなびかせて剣を抜いて立つのはアレクス。
 その背後から顔をのぞかせ、「えええ、ちょっとロイド大丈夫!?」とアゼルが声を上げる。

(これで戦術の幅が広がる!)

 ……あの二人とうまく連携できれば。
 いや、できるできる。
 自分に言い聞かせて、クロノスは次なる魔法に集中しようとした。

 いいようにやられている場合ではない。
 これより反撃を開始する、と。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私を裏切った相手とは関わるつもりはありません

みちこ
ファンタジー
幼なじみに嵌められて処刑された主人公、気が付いたら8年前に戻っていた。 未来を変えるために行動をする 1度裏切った相手とは関わらないように過ごす

無能な婚約者はいりません

ごろごろみかん。
恋愛
ルティカーナはいい加減限界だった。 自分のミスを他人に押し付け、そのくせプライドだけは天にものぼり、褒められたがりでいちいち上から目線で謎のアドバイスをかましてくる婚約者が。 「無能な婚約者なんていりません!なんでもいいから婚約破棄してくれないかしら!?」 限界を迎えたルティカーナが行ったのは鏡に愚痴をぶちまけることだった。 「鏡よ鏡、私って本当にリヴェルト様と結婚するの?本当に?絶対嫌なのだけど」 そう言ったルティカーナに、鏡は突然割れてーーーある単語を指し示した。その単語から導き出したのは仮面舞踏会。 仮面舞踏会にルティカーナが行くと、そこで出会ったのは半年前に異世界から訪れた、聖女の恋人だという男だった。

【1章完結】経験値貸与はじめました!〜但し利息はトイチです。追放された元PTメンバーにも貸しており取り立てはもちろん容赦しません〜

コレゼン
ファンタジー
冒険者のレオンはダンジョンで突然、所属パーティーからの追放を宣告される。 レオンは経験値貸与というユニークスキルを保持しており、パーティーのメンバーたちにレオンはそれぞれ1000万もの経験値を貸与している。 そういった状況での突然の踏み倒し追放宣言だった。 それにレオンはパーティーメンバーに経験値を多く貸与している為、自身は20レベルしかない。 適正レベル60台のダンジョンで追放されては生きては帰れないという状況だ。 パーティーメンバーたち全員がそれを承知の追放であった。 追放後にパーティーメンバーたちが去った後―― 「…………まさか、ここまでクズだとはな」 レオンは保留して溜めておいた経験値500万を自分に割り当てると、一気に71までレベルが上がる。 この経験値貸与というスキルを使えば、利息で経験値を自動で得られる。 それにこの経験値、貸与だけでなく譲渡することも可能だった。 利息で稼いだ経験値を譲渡することによって金銭を得ることも可能だろう。 また経験値を譲渡することによってゆくゆくは自分だけの選抜した最強の冒険者パーティーを結成することも可能だ。 そしてこの経験値貸与というスキル。 貸したものは経験値や利息も含めて、強制執行というサブスキルで強制的に返済させられる。 これは経験値貸与というスキルを授かった男が、借りた経験値やお金を踏み倒そうとするものたちに強制執行ざまぁをし、冒険者メンバーを選抜して育成しながら最強最富へと成り上がっていく英雄冒険譚。 ※こちら小説家になろうとカクヨムにも投稿しております

私はあなたのヒロインにはなれない。

ごろごろみかん。
恋愛
王太子の婚約者であるシュネイリアは、【予知】の力で自身が十六歳で死ぬことを知った。 さらに十年後の未来で、婚約者のリュアンダルは、シュネイリアの死を引きずって十年間婚約者を持たず、彼女の死に囚われていた。 彼は、後悔しているのだ。 シュネイリアに同じ想いを返せなかったことを。 十年後の彼の心を溶かすのは、彼の新しい婚約者である隣国の王女だった。 予知を通して、十年間彼が苦しむことを知ったシュネイリアは決意した。 今この婚約を破棄することは出来ない。 だけど、自分が十六を迎えてなお、生きることが叶えば、この婚約を破棄してあげよう。彼を望まない婚約から解放してあげよう──と。

【二章開始】『事務員はいらない』と実家からも騎士団からも追放された書記は『命名』で生み出した最強家族とのんびり暮らしたい

斑目 ごたく
ファンタジー
 「この騎士団に、事務員はいらない。ユーリ、お前はクビだ」リグリア王国最強の騎士団と呼ばれた黒葬騎士団。そこで自らのスキル「書記」を生かして事務仕事に勤しんでいたユーリは、そう言われ騎士団を追放される。  さらに彼は「四大貴族」と呼ばれるほどの名門貴族であった実家からも勘当されたのだった。  失意のまま乗合馬車に飛び乗ったユーリが辿り着いたのは、最果ての街キッパゲルラ。  彼はそこで自らのスキル「書記」を生かすことで、無自覚なまま成功を手にする。  そして彼のスキル「書記」には、新たな能力「命名」が目覚めていた。  彼はその能力「命名」で二人の獣耳美少女、「ネロ」と「プティ」を生み出す。  そして彼女達が見つけ出した伝説の聖剣「エクスカリバー」を「命名」したユーリはその三人の家族と共に賑やかに暮らしていく。    やがて事務員としての仕事欲しさから領主に雇われた彼は、大好きな事務仕事に全力に勤しんでいた。それがとんでもない騒動を巻き起こすとは知らずに。  これは事務仕事が大好きな余りそのチートスキルで無自覚に無双するユーリと、彼が生み出した最強の家族が世界を「書き換えて」いく物語。  火・木・土曜日20:10、定期更新中。  この作品は「小説家になろう」様にも投稿されています。

「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

条件付きチート『吸収』でのんびり冒険者ライフ!

ヒビキ タクト
ファンタジー
旧題:異世界転生 ~条件付きスキル・スキル吸収を駆使し、冒険者から成り上がれ~ 平凡な人生にガンと宣告された男が異世界に転生する。異世界神により特典(条件付きスキルと便利なスキル)をもらい異世界アダムスに転生し、子爵家の三男が冒険者となり成り上がるお話。   スキルや魔法を駆使し、奴隷や従魔と一緒に楽しく過ごしていく。そこには困難も…。   従魔ハクのモフモフは見所。週に4~5話は更新していきたいと思いますので、是非楽しく読んでいただければ幸いです♪   異世界小説を沢山読んできた中で自分だったらこうしたいと言う作品にしております。

貴方が婚約者とは

有沢真尋
恋愛
「縁談がきてしまいました。結婚する気なんてなかったのに」 「どうしてですか。結婚の何が嫌なんですか」 「結婚が嫌なのではなく、相手が嫌なんです」  変わり者といわれる令嬢は、いけないと知りつつも、図書館で出会った青年にひかれてしまう。しかし降って湧いた縁談のせいで、青年とはもう会えないことに。 【他サイトにも公開あり】 ※表紙はかんたん表紙メーカーさま

処理中です...