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第一章 策士のデート

黒猫vs赤ずきん

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 毛先の遊んだ猫毛の黒髪、黒縁の眼鏡。
 服装は全体的に黒っぽい。黒シャツの上にはなめした黒革のジャケットを羽織り、首元にはシルバーのペンダント。細身の長身で、指には無骨な指輪をいくつかはめている。

「クロノス様。休日です。声かけないでください。仕事を忘れたいので」

 しれっとした口調でクライスが応じたが、名指しされた当の青年クロノスは、眼鏡のつるに軽く手をあてて面白そうにリュートを見下ろしている。

「こんなところで女連れで何しているかと。まさかデート?」
「まさかだなんて。僕が休日何をしようと勝手です。隊規を乱すような羽目を外しているわけでもありませんし」

 先程よりもはっきり機嫌を悪くした様子のクライスが、鋭い視線をクロノスへと投げた。

「隊規は乱してないけど、兄上と母上の心は乱すんじゃないかな。そういう相手がいるなんて誰も想定してないからね」

 気さくな口調で言いながら、ローテブルを挟んだ向かいのソファに腰を下ろす。
 ちょうど商品を箱に乗せて運んできた店員が近づいてきたが、「クロノス殿下……!」という動揺のにじんだ呼びかけに「ごめんね、今取り込み中だから」と笑顔で追い返していた。

「なんで出先で王子の相手をしなきゃいけないんですか。これ時間外手当つくんですか?」

 険のあるまなざしをしたままのクライスが、固い声で言う。

「クライスは近衛なのに、本当に王族に関心薄い。わかりやすく邪険にするよね」
「仕事中なら命がけで守りますよ。でも今は、僕のこれまでの人生でワーストオブ邪魔して欲しくないタイミングです。会話に応じているだけ褒めてください」

 横でやりとりを見守っていたリュートは、いささか唖然としていた。

(仮にも仕えている相手にその態度は大丈夫なのか?)

 何を言われても微笑みを絶やさないその男は、第二王子のクロノス。
 クライスが拗ねれば拗ねるほど笑みが深まっているように見える。おそらくクライスは、そのことに気付いていない。

「えらいえらい。会話を続行しているクライス超えらい。感動したからもう少しつきまとおう」
「うっざ」

(声に出てる、声に出てるぞ)

 クロノスは気にした様子もなく、リュートに目を向けてきた。

「俺はクロノス。君の名前を知りたい」

 眼鏡の奥で、金色がかった瞳がきらりと光ったように見えた。

「言う必要ないよ。言ったら最後王都中に隠密が放たれて調べつくされて、刺客を向けられる」
「なんだろうその、王家に対する認識。近衛でそこそこ中核にいるクライスがそういうこと言うと洒落にならないだろ。お嬢さん、そこまではしないからね」

 全然信用ならない軽い調子でクロノスがフォローしてくるが、疑惑が深まるだけだった。

(俺としてもさすがに今使っている名前は言えないし)

 男女の違いや外見年齢、体格は違えども顔の作りそのものは大きく変わっていない。宮廷魔導士リュートを調べられたら兄妹血縁かと疑われる程度の危険はあった。

「ルーナだ」

 偽名を口にすると、ちらりとクライスが横から視線を向けて来た。

「良い名前。それで、クライスとはどんな関係? クライスに、いま結婚話が持ち上がっているのは知っているかい?」

 瞬間的に、クライスが握った手に痛いほど力を込めてきつつ、テーブル越しに身を乗り出した。

「断った!! その話はもう終わり。なんで世継ぎの王子が男に求婚すんだよ。誰か止めろって。腹立つな。部下をなんだと思っているんだ、王宮では兵士として働いている。もっと尊重しろよ」
「もっともだけど、兄上も母上も全然諦めてないよ。それで何、クライスはこの子に恋人の偽装でもお願いしてるの? ルーナはそれで良いのかな」

 ソファの背にゆったりともたれかかり、足を組みながら水を向けられて、リュートは目をしばたいてしまった。
 それから、ルーナが自分のことと気付き、軽く咳ばらいをしてごまかす。

「二人で決めたことですから」

 偽装を。
 嘘は言ってない。

「そこに愛があるから、ってこと? 反逆罪に巻き込まれる恐れがあるけど、わかってる?」

(えげつねーなー。権力かさにきて脅しか。断られてるんだし、その理由も「男だから世継ぎは生めない」ならのぼせあがった周囲も納得するだろうし、諦めればいいだけじゃないか王子と王妃が)

「そういうやり方、控えめに言っても大っ嫌いだ。嫌がってる相手に無理強いして従わせて何が楽しい。そんなことしても、心は絶対に手に入らないのに。欲しいのはこいつの身体だけなのか?」

 つい、リュートも剣呑な態度を隠さずに言い返してしまったが、クロノスは余裕の笑みを崩さない。

「そういう感じなんだ。良いね、見た目だけじゃなくて二人、性格まで合ってそう。なるほど、野暮しているのは、あのバカ兄上か」

 片手で軽く髪をかきあげながら、ふっと視線をどこか遠くに向ける。

(バカって言った。こいつ、バカって言った)

 態度や話しぶりから、第一王子や王妃を支持しているのかと思ったが、いまの微妙な発言を見るにどうも少し違うらしい。 
 ふと視線を感じてクライスを見ると、まともに目が合った。逸らされた。

「どうした」
「いや……。リュー、ルーナが、そこまで言ってくれると思ってなかったから」
「べつに俺、王族は怖くない」

 元魔王なので。

(魔力は以前に比べると見る影もないけど、人間が相手なら全然余裕。これまでに俺を脅かしたのは、前世の聖剣持ちのお前だけだ)

「そういうわけです。殿下は納得しました? 話は終わりで良い?」

 クライスの確認に対し、やけに興味深そうに見てきていたクロノスが口を開く。

「彼女と二人で話したいって言ったら、お前怒る?」
「わかってるなら聞かないで欲しいな。考える余地もない」
「彼女に聞こう。俺に少し時間をくれないか? さっきから見せつけるように手を繋いでくれてるけど、それ少しくらい離せるよな?」

(後顧の憂いをなくすためにも、こいつを探っておくべきだな)

「構わない。クライスは少しはずしてくれ」
「ルーナ! なんで」
「お前に悪いようにはしない、そこは俺を信じて任せておけ。たまにはリードされたいってさっき自分で言ってたよな?」

 思ったままを言ったら、ものすごく悔しそうに歯がみされたけど、決断は早かった。

「指輪見てるから、さっさと済ませて早く来て。一緒に選びたい」
「わかった」

 * * *

 クライスの姿が十分離れてから、クロノスと向き合う。
 クロノスは黒縁眼鏡をはずしてテーブルに置いた。
 金色っぽい目を細めて言った。

「はじめまして、じゃないよな? どこかで会ったことがある」
 
(鋭い)

 リュートはかすかに目を細める。
 王宮で何度かすれ違ったことはある。話したことはないし、フードに隠して顔を見せたこともないはずだが。

「この国の王子だということは知ってるけど、これまで面と向かって話したことはないですね」

 有名人だからこちらは知っているけれど、という含みで言ってみたが、クロノスは「うーん」と言いながら柔らかそうな髪をくしゃりと手でつぶした。

「そういうんじゃなくて。なんだろうこの……。前世から知ってるような馴染みのある感じ」

 そこでまた視線をくれた。探るまなざし。
 クロノスは今年で十九歳。クライスよりは二歳上の、戦後生まれ。

(前世? 俺が魔王をしていた頃の話か? 前世の記憶なんて普通の人間は引き継げないはずだぞ。それとも感覚で言ってるのか?)

「俺、さ……。前世ですごく好きな相手と、死に別れてるんだ。それで、後を追って自分も死んでる。絶対に、近くに生まれ変わるって決めて。それで、自分なりにあいつじゃないかなって目星つけてる相手はいるんだ。当ててみる?」
「なんの話をしているのか、わからない」

 そのとき、クロノスが意味ありげに視線を流した。

(……クライス?)

 どう見ても、クロノスが示しているのは。

「そう。いま君が考えたので合っている。兄上に先に求婚されたときはさすがに焦った。呆れたっていうか、おいおい待てよ。男だからって遠慮していた俺はなんなんだよって。とはいえ予想通りあいつは断った。それはいいとして……、今になって君が突然現れた。だけどそれもあんまり驚いてはいない。俺はあいつのこと見てきたから、誰か好きな相手がいそうなのも気付いていたつもりだし。ただ、ルーナ、君を見たときちょっと変な気持ちになって」
「愛の告白は受け付けないぞ」
「違う。俺たち、たぶんどこかで会ってるんだよ。信じないかもしれないけど、前世で」
「『俺は』生まれ変わった覚えはないんだけどな」

(俺は死に損なってずっと命繋いでる。近々の前世でも三百年前くらいだ)

「俺の中では確信だ。俺の前世は、勇者と魔王退治に挑んだ魔法使いだったんだ。長い旅をしたから、そのどこかで会ったのかも。元勇者のあいつがほれ込むくらいだから、おそらく君は前世でも結構因縁ある相手じゃないかなって思ってるんだけど」

 リュートは、無言でクロノスの瞳を見つめた。

(……思い出した。いた、そんな奴。勇者が死んだあと、勢いよく後を追った魔導士。クライスの前世のことも正解だし。その上で俺のことも勘付いているって、かなり優秀だ)

「この話で重要なのはひとつ。前世の因縁を抜きにしても、俺はあいつのことすごく好きで、身も心も手に入れたいってこと。そこに今、兄上なんか問題にならない恋敵が現れてしまった。君だ」

 組んでいた足をほどき、居住まいを正して、クロノスはにこりと笑った。

「この件では相手が誰であれ、譲る気はない。そんなわけでルーナ、覚悟しておくように。今は君がどこの誰だか知らないが、俺は手段を選ばないからな」

 眼鏡を手にすると席を立つ。

(恋敵。俺?)

 顔を上げると、「じゃあね、赤ずきんちゃん」と愛想のよい声で言いながら手を振ってクロノスは踵を返す。
 その寸前に向けられた目は、真摯で不屈な光に満ちていて、完全にリュートを敵とみなしていた。
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