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第一話
囚われの二人(4)
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「中まで引きつけてから、武器を奪う。君はこのナイフを使いなさい。鞘を払ってあるから、取り扱いには気を付けろよ」
体に直に響くほどの近さで、低い声に囁かれる。
手の中にナイフの柄を握りこまされた。
いつ牢番が現れるとも知れぬので、アシュレイは目を瞑っている。声を出して良いかもわからず、返事替わりに、脱力に任せて首を落とし、こつんと額をエグバードの胸にぶつけた。
中腰の体勢のエグバードに、膝の上に抱え上げられ、全身どこもかしこも温もりに包まれている。
こんなに名残惜しそうに、まるで本当の花嫁のように抱かれては、「殺した」と信じてもらえないのではないかと不安になる。
同時に。
(私まで騙されてしまいそう)
愛されていると、錯覚しそうになる――
足音が近づいてきた。
(一人じゃない、複数いる)
「死体はこちらで処分する。そこに置いて出て来られよ」
冷たい声がドアの向こうからかかけられた。
すうっとエグバードが息を吸い込むのが伝わってきた。
「信用ならない。俺はあなたがたとの約束を果たしたが、あなたがたが俺の意思を尊重しないのは知っている。遠い国から嫁いでこられて、あたら若い命を散らした姫君だ。せめて丁重に葬って頂きたい」
「ほう。まだ姫君に未練がおありか」
若い男の声。
(どこかで聞いた……? 長く話したわけじゃない……でも近くで聞いた覚えがある。食事の場にいて、ここまで私たちを引っ立てて来た相手だ)
この残虐非道な監禁に関して、なんらかの責任ある立場の男かもしれない。
「これでも王族として育てられた身だ。こういった場で、自分の命を無駄にするわけにはいかないのは知っている。だから殺した。だが、我が妻にいかなる罪もないのは俺自身がよくわかっている。まだあたたかなこの体を、お前らの手に委ねる気はない」
ふん、と小馬鹿にしたように鼻を鳴らしてから、男は「開けろ」と側付きの者に命じていた。
「無理はしなくていいからな。俺は結構、強いぞ」
ごく小さな声で囁かれ、アシュレイはそこでようやく違和感を覚えた。
(武器を奪うつもりなら、エグバード様こそこのナイフを持っているべきなのに。素手で戦うおつもりですか……!?)
この期に及んで、騙されたと疑う気にはならない。
本当に、このひとは、自分の無事よりも、アシュレイが逃げ延びることを優先しているのではないか。そんな気がした。
複数の足音が、さらに間近に迫る。
(三人、かな?)
エグバードは、アシュレイを抱えたまま立ち上がった。
「お待ちください、殿下。姫君の死の確認が先です」
「首をしめた。万が一にも、マールに姫の遺体を確認させて欲しいと言われたときに、派手な切り傷などがあっては言い訳もできない」
睨み合いの気配。
神経を研ぎ澄ませて探っていたその瞬間、エグバードが囁いた。
「アシュレイ」
真実の名。その場に居合わせた男たちには、意味のわからない言葉。
アシュレイだけに通じる符号。
ぱっと目を見開いて、エグバードの腕から飛び出す。同時に、エグバードが目の前の男に体当たりするかのように突撃して、剣を奪い取った。
不意打ちの効力は一瞬。
残り二人の男がエグバードに迫る。その横を、アシュレイはすり抜けた。
「行け!」
言われるがままに、牢を飛び出す。
(背中を任せます、あなたに。私は道を開く!)
飛び出したそこに、二人の男が待ち構えていたが、アシュレイは怯まずに強く睨みつけた。
「姫君、お怪我をなさいますよ。そのナイフはこちらへ」
アシュレイが戦えるとは考えもしないのだろう、にやにやと笑いながら近づいてきた男。
(この声)
先ほど、この牢に閉じ込められた囚人たちの憐れな末路を語り、姫に扮したアシュレイに未練を寄せていた男のもの。
生きて飛び出してきたアシュレイ相手に、何を考えているかは想像に難くない。
粘つくような視線にさらされて、アシュレイはきつく眉を寄せた。
「あなたたちは、一兵卒として命令で動いている。どれほどの悪人かは私にはわからない。だけど、ここで私が殺されかけたことと、今この期に及んであなたたちが私を見逃す気がないのはわかっている。ごめんなさい、私は」
――自分が助かる手段をなげうってまで私を助けようとしてくれたエグバード様を、生かしたい。
祈りを捧げてアシュレイは素早く踏み込み、目の前の相手の懐に飛び込んで、臓腑をナイフの柄でしたたかに打ち付けた。
叫び声をあげる間すら与えずに飛び退り、もう一人。
ナイフの柄で顎を強打する。
「エグバード様!」
叫んだ瞬間、エグバードが飛び出してきて、牢のドアを閉じようとしていた。
咄嗟に、倒した男が取り落とした鍵を拾い上げて、走り込む。
エグバードがドアを閉ざしたところで、しっかりと鍵をかけた。
「殿下!!」
中から男の声が響いていたが、ドアを内側から開ける手段はない。
エグバードとアシュレイは顔を見合わせた。
「無事か! 怪我は!?」
「ありません! エグバード様こそ、無事で何よりです!」
「よし。こういう城の作りは、なんとなくわかる。俺が先に行くから、ついてこい」
エグバードの声を聞きながら、アシュレイはナイフでざっくりとスカートを膝上まで切り落とした。
白い足が剥き出しになる。
「アシュレイ……」
驚いたように目を見開いたエグバードに名を呼ばれ、アシュレイは微笑みかけた。
「走るのに邪魔なんです。足手まといにならないようにしますので。さ、急ぎましょう」
体に直に響くほどの近さで、低い声に囁かれる。
手の中にナイフの柄を握りこまされた。
いつ牢番が現れるとも知れぬので、アシュレイは目を瞑っている。声を出して良いかもわからず、返事替わりに、脱力に任せて首を落とし、こつんと額をエグバードの胸にぶつけた。
中腰の体勢のエグバードに、膝の上に抱え上げられ、全身どこもかしこも温もりに包まれている。
こんなに名残惜しそうに、まるで本当の花嫁のように抱かれては、「殺した」と信じてもらえないのではないかと不安になる。
同時に。
(私まで騙されてしまいそう)
愛されていると、錯覚しそうになる――
足音が近づいてきた。
(一人じゃない、複数いる)
「死体はこちらで処分する。そこに置いて出て来られよ」
冷たい声がドアの向こうからかかけられた。
すうっとエグバードが息を吸い込むのが伝わってきた。
「信用ならない。俺はあなたがたとの約束を果たしたが、あなたがたが俺の意思を尊重しないのは知っている。遠い国から嫁いでこられて、あたら若い命を散らした姫君だ。せめて丁重に葬って頂きたい」
「ほう。まだ姫君に未練がおありか」
若い男の声。
(どこかで聞いた……? 長く話したわけじゃない……でも近くで聞いた覚えがある。食事の場にいて、ここまで私たちを引っ立てて来た相手だ)
この残虐非道な監禁に関して、なんらかの責任ある立場の男かもしれない。
「これでも王族として育てられた身だ。こういった場で、自分の命を無駄にするわけにはいかないのは知っている。だから殺した。だが、我が妻にいかなる罪もないのは俺自身がよくわかっている。まだあたたかなこの体を、お前らの手に委ねる気はない」
ふん、と小馬鹿にしたように鼻を鳴らしてから、男は「開けろ」と側付きの者に命じていた。
「無理はしなくていいからな。俺は結構、強いぞ」
ごく小さな声で囁かれ、アシュレイはそこでようやく違和感を覚えた。
(武器を奪うつもりなら、エグバード様こそこのナイフを持っているべきなのに。素手で戦うおつもりですか……!?)
この期に及んで、騙されたと疑う気にはならない。
本当に、このひとは、自分の無事よりも、アシュレイが逃げ延びることを優先しているのではないか。そんな気がした。
複数の足音が、さらに間近に迫る。
(三人、かな?)
エグバードは、アシュレイを抱えたまま立ち上がった。
「お待ちください、殿下。姫君の死の確認が先です」
「首をしめた。万が一にも、マールに姫の遺体を確認させて欲しいと言われたときに、派手な切り傷などがあっては言い訳もできない」
睨み合いの気配。
神経を研ぎ澄ませて探っていたその瞬間、エグバードが囁いた。
「アシュレイ」
真実の名。その場に居合わせた男たちには、意味のわからない言葉。
アシュレイだけに通じる符号。
ぱっと目を見開いて、エグバードの腕から飛び出す。同時に、エグバードが目の前の男に体当たりするかのように突撃して、剣を奪い取った。
不意打ちの効力は一瞬。
残り二人の男がエグバードに迫る。その横を、アシュレイはすり抜けた。
「行け!」
言われるがままに、牢を飛び出す。
(背中を任せます、あなたに。私は道を開く!)
飛び出したそこに、二人の男が待ち構えていたが、アシュレイは怯まずに強く睨みつけた。
「姫君、お怪我をなさいますよ。そのナイフはこちらへ」
アシュレイが戦えるとは考えもしないのだろう、にやにやと笑いながら近づいてきた男。
(この声)
先ほど、この牢に閉じ込められた囚人たちの憐れな末路を語り、姫に扮したアシュレイに未練を寄せていた男のもの。
生きて飛び出してきたアシュレイ相手に、何を考えているかは想像に難くない。
粘つくような視線にさらされて、アシュレイはきつく眉を寄せた。
「あなたたちは、一兵卒として命令で動いている。どれほどの悪人かは私にはわからない。だけど、ここで私が殺されかけたことと、今この期に及んであなたたちが私を見逃す気がないのはわかっている。ごめんなさい、私は」
――自分が助かる手段をなげうってまで私を助けようとしてくれたエグバード様を、生かしたい。
祈りを捧げてアシュレイは素早く踏み込み、目の前の相手の懐に飛び込んで、臓腑をナイフの柄でしたたかに打ち付けた。
叫び声をあげる間すら与えずに飛び退り、もう一人。
ナイフの柄で顎を強打する。
「エグバード様!」
叫んだ瞬間、エグバードが飛び出してきて、牢のドアを閉じようとしていた。
咄嗟に、倒した男が取り落とした鍵を拾い上げて、走り込む。
エグバードがドアを閉ざしたところで、しっかりと鍵をかけた。
「殿下!!」
中から男の声が響いていたが、ドアを内側から開ける手段はない。
エグバードとアシュレイは顔を見合わせた。
「無事か! 怪我は!?」
「ありません! エグバード様こそ、無事で何よりです!」
「よし。こういう城の作りは、なんとなくわかる。俺が先に行くから、ついてこい」
エグバードの声を聞きながら、アシュレイはナイフでざっくりとスカートを膝上まで切り落とした。
白い足が剥き出しになる。
「アシュレイ……」
驚いたように目を見開いたエグバードに名を呼ばれ、アシュレイは微笑みかけた。
「走るのに邪魔なんです。足手まといにならないようにしますので。さ、急ぎましょう」
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