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その言葉に、真実が
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翌日。
貴賓席へとユスティアナを送り届けた従者は、舞台が始まる前に席を外した。
幕が上がる。
ユスティアナは、いつものように、心のすべてを奪われて見入るつもりでいたが、どうも落ち着かない。入り口が気になる。何度か振り返る。
(来るはずがないのに。何を期待しているの)
芝居のセリフが耳を素通りし、視線は虚空をさまよう。こんなに集中できない日は初めて、とユスティアナは自分自身の変化に動揺する。舞台に目を向ける。
そのとき、ソファが微かに揺れた。
まさか、と顔を上げて横を見ると、青いドレス姿でアドリアーナにしか見えない人物が音もなく現れて、すでにそこに腰掛けていた。
「どうして」
ここに今日も来てくれたの? その意味で、ユスティアナは声をひそめて尋ねた。
横目でユスティアナへ視線を流しながら、アドリアーナ姿のエドワルトは、低い声で答える。
「もし不意に誰かがここに来て、これを密会だと勘違いしたとしても……。男といるよりは、女性といる方がまだ未婚の姫様としては、言い訳が立つかと」
その答えは、女性の姿でここにきた言い訳であって、ユスティアナの問いに対する答えとしては若干噛み合っていない。
それでも、ユスティアナは笑みをこぼした。
人生で初めて、舞台の上も視界も妙にくすんだ色合いに見えていたのが、瞬く間に鮮やかに色づいていく。
ユスティアナは舞台から聞こえてくるセリフに耳をすます。ああ、この感覚。いつもの。
そう思った矢先に、エドワルトが片目を瞑って素早く言った。
「セリフ、覚えてます?」
「もちろん。わたくしが毎日ここにいるの、あなた知っていたでしょう?」
エドワルトはすっと前を向く。舞台を見つめ、ヒロイン・オフィーリアのセリフをなぞる。
「『いつからだったかしら。あなたがこれほどまでに、私の胸の中のすべてを占めるようになったのは』」
(ここはまだ物語序盤だから、二人の思いはもどかしいほどに通じ合わない。最初はオフィーリアの方が積極的。クロードは及び腰で、恋を回避しようとする。こんな風に)
「『姫様。そんなことを口になさらないでください。それはいっときの気の迷い』」
舞台の上のクロードと、ユスティアナの声が重なる。呼吸のタイミングまですべて、覚えていた。
一瞬だけ、エドワルトは目を伏せて、幸せそうに笑った。すぐにオフィーリア姫の演技に沿った表情に戻り、首を振る。
「『いいえ。迷いではありません。私は、あなたのことが』」
「『姫様。おやめください。その思い、許されない。身分の違いはどうにもできない』」
「『ああ。こんな出会いでなければ』」
絶望に顔を歪めるエドワルト。たとえようもないうつくしい横顔を、目に焼き付けるように瞬きもせずにユスティアナは見つめる。
(こんな出会いでなければ……)
うつくしく、野心と才知に満ちたオフィーリア姫。誰からも一目置かれ、望んで手に入らないものなど無い高貴な身の上。
けれど、恋をした相手は自分の従者。身分違いゆえに、決して結ばれることなどない相手。
「オフィーリアはどうして、クロードを見初めてしまったのかしら。もちろん、落ちていく感覚はわかるのよ。わかるのだけど、わたくしの日常と『恋』が離れすぎていて、うまく理解できない部分もあるの。理性があれば、かなわない恋など、諦められるのではないかと。どうしても、そう思ってしまう」
舞台を見るとはなしに見ながら、ユスティアナは呟く。
この劇の結末は、もちろん知っている。だけど、そこに行き着くまでに本当に何度も胸がひりつく思いをさせられるのだ。
女性の装いのまま、エドワルトは腕を組み、足を組む。まっすぐに前を見つめて、独白のように呟いた。
「理性ではどうにもできないのが恋なんですよ、お姫様」
セリフを紡ぐときと違い、空虚さの漂う声だった。思わず、表情の失せた横顔を見つめ、ユスティアナは問いかけた。
「わたくし、劇作家と話すのはあなたが初めてなの。作家というのは、自分自身の経験を書くものなの?」
(あなたも、かなわぬ恋に身を焦がしたことがあるの?)
エドワルトは決してユスティアナを見ぬまま、そっけない口調で答えた。
「すべてがすべて、本当の経験ではないにせよ……。歩んできた日々が、積み重ねた思いが、ひとつひとつのセリフとなります。間に合わせの言葉は、誰の胸にも響かないんです。自分が心の底から信じている言葉しか、俺は書きません」
「それがあなたの答えなのだとしたら、あなたはきっと辛い恋をしたことがあるのね。でなければ、こんなにもわたくしの胸を打ち、魅了する言葉は書けないでしょう」
くす、とエドワルトは品良く笑い、ユスティアナに顔を向けた。不穏さを忍ばせた微笑を湛え、ユスティアナの目をひたむきに見つめる。
「『恋をしたことがある』というのは過去形ですね。いま現在の俺は恋をしていないと、姫様はお思いなのですか」
「……失言を、お詫びいたします」
「いえ。謝っていただくには及びません。他人の心の中なんて、わからないものですから」
言うなり、エドワルトは音もなく立ち上がる。笑みを浮かべたままユスティアナを見下ろし「ごゆっくりどうぞ」と言い残して、去った。
貴賓席へとユスティアナを送り届けた従者は、舞台が始まる前に席を外した。
幕が上がる。
ユスティアナは、いつものように、心のすべてを奪われて見入るつもりでいたが、どうも落ち着かない。入り口が気になる。何度か振り返る。
(来るはずがないのに。何を期待しているの)
芝居のセリフが耳を素通りし、視線は虚空をさまよう。こんなに集中できない日は初めて、とユスティアナは自分自身の変化に動揺する。舞台に目を向ける。
そのとき、ソファが微かに揺れた。
まさか、と顔を上げて横を見ると、青いドレス姿でアドリアーナにしか見えない人物が音もなく現れて、すでにそこに腰掛けていた。
「どうして」
ここに今日も来てくれたの? その意味で、ユスティアナは声をひそめて尋ねた。
横目でユスティアナへ視線を流しながら、アドリアーナ姿のエドワルトは、低い声で答える。
「もし不意に誰かがここに来て、これを密会だと勘違いしたとしても……。男といるよりは、女性といる方がまだ未婚の姫様としては、言い訳が立つかと」
その答えは、女性の姿でここにきた言い訳であって、ユスティアナの問いに対する答えとしては若干噛み合っていない。
それでも、ユスティアナは笑みをこぼした。
人生で初めて、舞台の上も視界も妙にくすんだ色合いに見えていたのが、瞬く間に鮮やかに色づいていく。
ユスティアナは舞台から聞こえてくるセリフに耳をすます。ああ、この感覚。いつもの。
そう思った矢先に、エドワルトが片目を瞑って素早く言った。
「セリフ、覚えてます?」
「もちろん。わたくしが毎日ここにいるの、あなた知っていたでしょう?」
エドワルトはすっと前を向く。舞台を見つめ、ヒロイン・オフィーリアのセリフをなぞる。
「『いつからだったかしら。あなたがこれほどまでに、私の胸の中のすべてを占めるようになったのは』」
(ここはまだ物語序盤だから、二人の思いはもどかしいほどに通じ合わない。最初はオフィーリアの方が積極的。クロードは及び腰で、恋を回避しようとする。こんな風に)
「『姫様。そんなことを口になさらないでください。それはいっときの気の迷い』」
舞台の上のクロードと、ユスティアナの声が重なる。呼吸のタイミングまですべて、覚えていた。
一瞬だけ、エドワルトは目を伏せて、幸せそうに笑った。すぐにオフィーリア姫の演技に沿った表情に戻り、首を振る。
「『いいえ。迷いではありません。私は、あなたのことが』」
「『姫様。おやめください。その思い、許されない。身分の違いはどうにもできない』」
「『ああ。こんな出会いでなければ』」
絶望に顔を歪めるエドワルト。たとえようもないうつくしい横顔を、目に焼き付けるように瞬きもせずにユスティアナは見つめる。
(こんな出会いでなければ……)
うつくしく、野心と才知に満ちたオフィーリア姫。誰からも一目置かれ、望んで手に入らないものなど無い高貴な身の上。
けれど、恋をした相手は自分の従者。身分違いゆえに、決して結ばれることなどない相手。
「オフィーリアはどうして、クロードを見初めてしまったのかしら。もちろん、落ちていく感覚はわかるのよ。わかるのだけど、わたくしの日常と『恋』が離れすぎていて、うまく理解できない部分もあるの。理性があれば、かなわない恋など、諦められるのではないかと。どうしても、そう思ってしまう」
舞台を見るとはなしに見ながら、ユスティアナは呟く。
この劇の結末は、もちろん知っている。だけど、そこに行き着くまでに本当に何度も胸がひりつく思いをさせられるのだ。
女性の装いのまま、エドワルトは腕を組み、足を組む。まっすぐに前を見つめて、独白のように呟いた。
「理性ではどうにもできないのが恋なんですよ、お姫様」
セリフを紡ぐときと違い、空虚さの漂う声だった。思わず、表情の失せた横顔を見つめ、ユスティアナは問いかけた。
「わたくし、劇作家と話すのはあなたが初めてなの。作家というのは、自分自身の経験を書くものなの?」
(あなたも、かなわぬ恋に身を焦がしたことがあるの?)
エドワルトは決してユスティアナを見ぬまま、そっけない口調で答えた。
「すべてがすべて、本当の経験ではないにせよ……。歩んできた日々が、積み重ねた思いが、ひとつひとつのセリフとなります。間に合わせの言葉は、誰の胸にも響かないんです。自分が心の底から信じている言葉しか、俺は書きません」
「それがあなたの答えなのだとしたら、あなたはきっと辛い恋をしたことがあるのね。でなければ、こんなにもわたくしの胸を打ち、魅了する言葉は書けないでしょう」
くす、とエドワルトは品良く笑い、ユスティアナに顔を向けた。不穏さを忍ばせた微笑を湛え、ユスティアナの目をひたむきに見つめる。
「『恋をしたことがある』というのは過去形ですね。いま現在の俺は恋をしていないと、姫様はお思いなのですか」
「……失言を、お詫びいたします」
「いえ。謝っていただくには及びません。他人の心の中なんて、わからないものですから」
言うなり、エドワルトは音もなく立ち上がる。笑みを浮かべたままユスティアナを見下ろし「ごゆっくりどうぞ」と言い残して、去った。
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