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問題の解決方法

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「猫だから気に入らないって。女の人が五人」

 薄焼きパンに羊肉を挟んで食べていたら、元気になってきた。落ち込んでいたのはお腹が空いていたからかもしれない。
 ラフジャーンが殺戮の魔王になってしまってはいけないので、覚えていることをなんとか言ってみる。

「多分怪我にはなっていないと思う。髪を引っ張られたりしたけど、もう痛くないし」

 全然なんともない。びっくりして泣いてしまっただけ。
 強がりではなく、冷静になってみれば、世界崩壊と引き合いに出すほどの出来事ではなかった……ように思う。

(ラフジャーンが側に来ただけで、悪いことなんか何もなかったような気がする)

 早く膝に乗って、撫でられながら寝てしまいたい。並んで絨毯にあぐらをかいて座るラフジャーンにチラリと視線を向けたが、無言で盃を傾けているのみだった。
 一方で、給仕をしていたサラールは見るからに微妙な空気を醸し出していた。

「あ~……殿下モテますからね。それはそれは……、嫉妬されたわけだ。宰相の御息女あたりが主犯でしょう。殿下に振られてお怒りですし」

 もう少し何か召し上がります? と豆のスープを小さな碗で差し出しつつ言う。

「猫は邪魔ですか」
「エルナ様が本当に猫なら諦めもついたかもしれないんですが。他に何か言ってましたか」

 他に。あまりにもびっくりしてしまい、身を守るのに精一杯で、やり返すことすら出来なかったのだが。色々と言われた覚えはある。

「えぇと……胸が小さいと言われました」
「そう、ですか」

 サラールはすみやかに目を逸らした。エルナは目を瞬いてから、ラフジャーンを見た。無言を貫いていたラフジャーンは、虚空を見据えて低く呟いた。

「なんだそれは」
「そうは言っても殿下、他になかったんだと思いますよ」

 すかさずサラールが答えるが、ラフジャーンは杯を握りしめていた。

「何故、何もない奴が張り合いに来たんだ。勝ち目がないからと、徒党を組んで暴力を振るうような野蛮な人間は生かしておく必要がない」
「そんなに痛くなかったよ!? 怪我してないか見てみる!? あ、あと、胸も。何かおかしいのかな。ちょっと待って、脱ぐね」

 袖は透けるような布で、身頃は滑らかな光沢のある白いドレスに手をかけ、さてどこからと思っていたら、ラフジャーンから視線を投げかけられた。

「脱がなくていい。どこもおかしくない。俺の人間化の魔法は完璧だ」
「胸も?」
「もちろん」
 エルナは確認の為サラールに目を向けたが、思いっきり顔を背けられた。
「サラール?」
「殿下に間違いなどありません。エルナ様は完璧でいらっしゃいます」

 そして、エルナを全然見ないまま、ぼそりと続けた。

「怪我の有無は確認した方が良いかもしれませんね。あざなら、毛玉のときより人間のときの方が良いと思いますよ。私は早々に退出しますので」

 * * *

 広げていた夕餉の膳を片付けて、サラールは言葉通り早々に退出した。

 いくつかの燭台がほのかに照らす中、エルナは気難しい横顔を晒しているラフジャーンを見つめる。

「……まだ怒ってる?」

 ラフジャーンは、観念したように片手で顔半分をおさえた。

「怒ってはいるが、怒るべき相手はここにいない。わかってはいるのに、気を抜くと怒りそうになる」

 普段のラフジャーンは、気性が激しい。その彼がろくに悪態もつかずに堪えている。内心では砂塵を巻き上げる暴風が吹き荒れていそうだ。

「ごめんね」
「謝るな。エルナは悪くない。俺も怒りは鎮める。やって出来ないことはない」

 かなり無理していそうだ。

「わたしがうまく怒れないから、ラフジャーンが代わりに怒っているの?」
「代わりに怒ってエルナの気が済むなら、今から全員締め上げに行っても良いんだが」

 手の影で、唇の端がひくついている。紛れもなく怒っている。
 ラフジャーンはあまり「冗談」は言わないらしい。とすればこれはきっと本音だ。

(せっかく帰って来たのに、今から出て行かれるのは嫌だな)

 ごく自然に、エルナはラフジャーンの膝の上に倒れ込んだ。猫なら乗り上げられるのだが、勝手がよくわからず上半身を預けただけだ。
 おさまりが悪い感じはしたが、いつも猫の姿のときにするようにラフジャーンが髪を撫で始めたので、ほっと気持ちが落ち着いた。

「五人いたの。一人ずつ怒って歩くと、時間がかかる。それよりも、まとめて倒した方がいいと思う」
「わかった。迎え撃つ」
「ううん。ラフジャーンには『仕事』があるよね。わたしがやった方がいい。『猫』で『胸が小さい』のがいけないなら、『人間』で『胸が大きい』なら解決じゃない?」

 髪に触れていたラフジャーンの手が止まった。
 不自然な沈黙があった。
 何があったのかと、エルナは膝を枕にするように仰向けになって、下からラフジャーンの顔を見上げる。

「どうしたの?」

 目が合ったラフジャーンは、固い表情で言った。

「その……、より人間らしい振舞いは教えられるかもしれないが……。胸に関しては」
「大きくできないの?」
「する方法はあるらしいが、俺は俗説だと思っている」

 エルナの視線に耐えかねたように、ラフジャーンは顔を上げ、遠くに視線を投げた。

「俗説ってどういうこと? 試したけど効果は得られなかったっていうこと?」
「試し……てはいないが。そんな方法で大きくなるなら苦労しないというか。そもそも俺はべつに、エルナの胸には問題があるとは思っていなくてだな」
「大きくなくていいってこと?」

 こんなに歯切れの悪いラフジャーンは初めて見たので、思わず問い詰めてしまった。
 ラフジャーンは、後ろに両手をついて背をそらし、天井を見上げた。
 表情が見えなくなってしまったので、思わずエルナは全身でラフジャーンの腰に乗り上げて胸に手をつき顔を覗き込む。見られたくなかったのか、ラフジャーンはばたりと倒れて両手で顔を覆ってしまった。
 エルナは、無言のまま片方の手首を摑まえて、引き剥がした。

「顔どうしたの? 赤いよ」

 明らかに顔色がいつもと違う。
 眉を寄せてきつく目を瞑ったラフジャーンは、未練がましくもう一方の手で顔を覆いながら「見るな」と呻き声交じりに言った。

「方法があるなら教えてよ! 次あの人たちが来たときに、負けたくない!!」

 今まで、聞けばなんでも教えてくれたのに、今日のラフジャーンはおかしい。
 つい、騒いでしまった。
 昼間の暴力が発端かは定かではないが、自分の中にも、鬱屈としたものがあったのだと思う。普段ならさほど気にならないことに無性にイライラとしてしまった。

 一方のラフジャーンはといえば、驚いたように軽く目を見開いてから、捕まっていない方の手をエルナへと差し伸べた。
 何をする気かと見ていると、手は、迷いに迷うようにエルナの胸の前でさまよい、やがて息絶えたようにぱたりと床に落ちた。
 その次の瞬間、ラフジャーンは上半身を起こしながら両手でエルナの身体を抱え上げて自分の上からひょいっと脇におろし、目覚ましい速さで立ちあがった。

「寝る」

 すたすたと寝台に向かって歩き出す。
 エルナも、待っていたとばかりに後を追った。
 異変に気付いたのは、ばたりと寝台に倒れこんだラフジャーンの上にいそいそと身体を重ねたときだった。


「ん!?」
 ほとんどいつもの癖のようにエルナの黒髪を一撫でしてから、ラフジャーンが息を飲む。
 その驚きの意味を悟って、エルナはラフジャーンの胸に手をついて身体を起こし、自分の手で顔や首に触れてみた。人間の指が、人間の肌をなぞる。
 間違いない。

「猫に戻れない」
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