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第七章
夜風
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あなたもまだ温泉には入ってないんですよね? というジュディからステファンに対しての問いかけは、厳然とした態度であしらわれただけだった。
「お二人の邪魔をするほど愚かではないですし、フィリップス様から目を離すほど慢心してもおりません。先生には誰よりも頼りになる警備員がついているわけですから、なんの心配もありません。ここからは別行動です」
ガウェインがいない間、ジュディを守るのは自分の役目と言わんばかりだったステファンだが、もはやお役御免の一点張りである。
言い争う気もないようで、さっさと切り上げて立ち去ってしまった。
「仲良くどうぞ。先に帰っています」
結局のところ、ガウェインと二人で屋上へと向かうことになる。
そして、温泉に入りに来たからと嬉しそうに湯に浸かるガウェインを横目に、ジュディはほどよく離れた位置で椅子に座り、フルートグラスを傾けてちびちびと泡立つワインを飲み続けた。
(広い温泉に浸かって夜空を見上げるの、本当に気持ちよさそうだなって思うのだけど……)
以前、旅先で体を洗おうとバスタブに浸かり、そこで意識を失ってガウェインに助け出された「前科」があるので、ジュディとしては慎重にならざるを得ない(そのときは、起きたらミイラにされていた)。
それ以前の問題として、他人と一緒に風呂に入る経験などないので、心理的な抵抗が大きい。
しかも、相手はガウェインなのだ。
彼自身は半裸の姿を見られても気にならないようだが、ジュディは慎ましく目をそらしてやり過ごした。
「入らないの?」
「誘わないでください。無理です」
湯の中から声をかけられてジュディが断ると、ガウェインが笑う気配があった。
ちゃぷちゃぷと、水音がする。
少しの沈黙の後、ガウェインが口火を切った。
「ジェラルドが『花の宴』で口にした恨み言……『あの時、あの場所に俺もいた。お前は、間違えた方を王子だと信じて、王宮へ連れ帰った』をずっと考えていた。俺はその通り、フィリップス様を見つけたとき、他の子どもたちは助ける余裕がないからと、顧みることなく見捨てた。後日その場に向かったけれど……この手から救えずにこぼれ落ちたものは無数にある」
篝火の届くぎりぎりの位置に見えるガウェインは、手のひらに湯をすくいあげていた。その手からするすると湯は流れ落ちる。
水音がする。
ジュディは軽く眉を跳ね上げ、穏やかであることを心がけながら声をかけた。
「ガウェイン様のジェラルドに対する態度が、他の方と別け隔てなくお優しいように感じました。あの方を受け入れているように、私には見えました」
ちゃぷ、と水音を立てながら、ガウェインが首を回してジュディを仰ぎ見る。
「話してみて、わかった。あれは子どもだ。フィリップス様と変わりない。子どもに必要なのは教育であって、敵意ではないんだ。オールド・フォートの件は覚えてる?」
はい、とジュディが答えるとガウェインはジュディを見つめたまま続けた。
「議席が二つある。一つはステファンだ。もう一つは、フィリップス様で考えている」
「殿下の入れ替わりを解消しないおつもりですか!?」
思わず立ち上がり、数歩歩み寄って、驚きのまま聞き返してしまう。
平民に落とされたフィリップスをそのままに、玉座に手をかけたジェラルドを排除することもなく、事を進めるつもりなのかと。
(ガウェイン様にはお考えがあるのだとしても、それではあまりにもフィリップス様が……!)
そう考えたそばから、己の視野の狭さに気付き、それ以上の言葉は喉に詰まって出てこなかった。
ジュディはフィリップスに肩入れしているがゆえに、ジェラルドに対して当然のように「排除」と考えてしまう。
ガウェインは、そう考えないのだ。
ジェラルドとフィリップス、それぞれがいま置かれた立場からできることは何か。そこを基準とし、その先を見据えて。
「いずれは正されるべきものだとしても、それは今である必要はない。フィリップス様の王権への疑念は根深い。無理にその位置へ戻したところで、ずっと燻り続ける。であれば、平民の地位を手に入れたことを最大限活かして、下院議員として経験を積むのは有益なはずだ」
ガウェインのすぐそばにしゃがみこんで、ドレスの裾が濡れるのも構わずにジュディは確認のために尋ねた。
「その間、ジェラルドはどうなさるおつもりですか。今日、ガウェイン様がいらっしゃらないときにアルシア様と話していた内容ですが、立太子式をされてしまえば手出しができなくなるから、それは阻止すべきだと。私もそのように考えていました」
ガウェインの考えとは違うだろうと思いつつも、ジュディは「盛大な結婚式を執り行うべき」との話になった流れをかいつまんで説明をする。
おとなしく聞いていたガウェインは、濡れた手のひらで顔を覆って数秒考え込んでから、手を湯に沈めた。
「結婚式に絡めてメディア戦略が必要だという考えは、同意する。俺と君の顔をすれ違ったひとがわかるレベルで売っておかないと、次はここが入れ替わりの標的にされるから。つまり、それがジェラルドが俺を摂政《リージェント》に推している最大の理由だ。ジェラルドが王太子となり、王位を継ぐときに摂政の地位にいるのは二代目フローリー公かジュール侯爵かわからないが、それが俺ではない可能性が高い」
夜風が冷たい季節でもないのに、不意に寒気を感じてジュディは自分の体を両腕で抱きしめた。
震えを自覚しながら、その仮説を口にする。
「生死不明の第一王子殿下が、あなたと入れ替わると。フィリップス様とジェラルドが入れ替わったように」
ぱしゃんと水音を立てて、湯の中からガウェインが腕を伸ばしてきた。
「寒いならおいで。俺のそばにいれば大丈夫だよ」
そして、ジュディの返事を待たずに立ち上がり、ジュディを捕まえるとそのまま湯の中に引きずり込んだ。
「お二人の邪魔をするほど愚かではないですし、フィリップス様から目を離すほど慢心してもおりません。先生には誰よりも頼りになる警備員がついているわけですから、なんの心配もありません。ここからは別行動です」
ガウェインがいない間、ジュディを守るのは自分の役目と言わんばかりだったステファンだが、もはやお役御免の一点張りである。
言い争う気もないようで、さっさと切り上げて立ち去ってしまった。
「仲良くどうぞ。先に帰っています」
結局のところ、ガウェインと二人で屋上へと向かうことになる。
そして、温泉に入りに来たからと嬉しそうに湯に浸かるガウェインを横目に、ジュディはほどよく離れた位置で椅子に座り、フルートグラスを傾けてちびちびと泡立つワインを飲み続けた。
(広い温泉に浸かって夜空を見上げるの、本当に気持ちよさそうだなって思うのだけど……)
以前、旅先で体を洗おうとバスタブに浸かり、そこで意識を失ってガウェインに助け出された「前科」があるので、ジュディとしては慎重にならざるを得ない(そのときは、起きたらミイラにされていた)。
それ以前の問題として、他人と一緒に風呂に入る経験などないので、心理的な抵抗が大きい。
しかも、相手はガウェインなのだ。
彼自身は半裸の姿を見られても気にならないようだが、ジュディは慎ましく目をそらしてやり過ごした。
「入らないの?」
「誘わないでください。無理です」
湯の中から声をかけられてジュディが断ると、ガウェインが笑う気配があった。
ちゃぷちゃぷと、水音がする。
少しの沈黙の後、ガウェインが口火を切った。
「ジェラルドが『花の宴』で口にした恨み言……『あの時、あの場所に俺もいた。お前は、間違えた方を王子だと信じて、王宮へ連れ帰った』をずっと考えていた。俺はその通り、フィリップス様を見つけたとき、他の子どもたちは助ける余裕がないからと、顧みることなく見捨てた。後日その場に向かったけれど……この手から救えずにこぼれ落ちたものは無数にある」
篝火の届くぎりぎりの位置に見えるガウェインは、手のひらに湯をすくいあげていた。その手からするすると湯は流れ落ちる。
水音がする。
ジュディは軽く眉を跳ね上げ、穏やかであることを心がけながら声をかけた。
「ガウェイン様のジェラルドに対する態度が、他の方と別け隔てなくお優しいように感じました。あの方を受け入れているように、私には見えました」
ちゃぷ、と水音を立てながら、ガウェインが首を回してジュディを仰ぎ見る。
「話してみて、わかった。あれは子どもだ。フィリップス様と変わりない。子どもに必要なのは教育であって、敵意ではないんだ。オールド・フォートの件は覚えてる?」
はい、とジュディが答えるとガウェインはジュディを見つめたまま続けた。
「議席が二つある。一つはステファンだ。もう一つは、フィリップス様で考えている」
「殿下の入れ替わりを解消しないおつもりですか!?」
思わず立ち上がり、数歩歩み寄って、驚きのまま聞き返してしまう。
平民に落とされたフィリップスをそのままに、玉座に手をかけたジェラルドを排除することもなく、事を進めるつもりなのかと。
(ガウェイン様にはお考えがあるのだとしても、それではあまりにもフィリップス様が……!)
そう考えたそばから、己の視野の狭さに気付き、それ以上の言葉は喉に詰まって出てこなかった。
ジュディはフィリップスに肩入れしているがゆえに、ジェラルドに対して当然のように「排除」と考えてしまう。
ガウェインは、そう考えないのだ。
ジェラルドとフィリップス、それぞれがいま置かれた立場からできることは何か。そこを基準とし、その先を見据えて。
「いずれは正されるべきものだとしても、それは今である必要はない。フィリップス様の王権への疑念は根深い。無理にその位置へ戻したところで、ずっと燻り続ける。であれば、平民の地位を手に入れたことを最大限活かして、下院議員として経験を積むのは有益なはずだ」
ガウェインのすぐそばにしゃがみこんで、ドレスの裾が濡れるのも構わずにジュディは確認のために尋ねた。
「その間、ジェラルドはどうなさるおつもりですか。今日、ガウェイン様がいらっしゃらないときにアルシア様と話していた内容ですが、立太子式をされてしまえば手出しができなくなるから、それは阻止すべきだと。私もそのように考えていました」
ガウェインの考えとは違うだろうと思いつつも、ジュディは「盛大な結婚式を執り行うべき」との話になった流れをかいつまんで説明をする。
おとなしく聞いていたガウェインは、濡れた手のひらで顔を覆って数秒考え込んでから、手を湯に沈めた。
「結婚式に絡めてメディア戦略が必要だという考えは、同意する。俺と君の顔をすれ違ったひとがわかるレベルで売っておかないと、次はここが入れ替わりの標的にされるから。つまり、それがジェラルドが俺を摂政《リージェント》に推している最大の理由だ。ジェラルドが王太子となり、王位を継ぐときに摂政の地位にいるのは二代目フローリー公かジュール侯爵かわからないが、それが俺ではない可能性が高い」
夜風が冷たい季節でもないのに、不意に寒気を感じてジュディは自分の体を両腕で抱きしめた。
震えを自覚しながら、その仮説を口にする。
「生死不明の第一王子殿下が、あなたと入れ替わると。フィリップス様とジェラルドが入れ替わったように」
ぱしゃんと水音を立てて、湯の中からガウェインが腕を伸ばしてきた。
「寒いならおいで。俺のそばにいれば大丈夫だよ」
そして、ジュディの返事を待たずに立ち上がり、ジュディを捕まえるとそのまま湯の中に引きずり込んだ。
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