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第七章

裸の付き合いを

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「えっ、泣いていますか?」

 ラインハルトに驚いた声で指摘され、ジュディは自分が目から涙を溢れさせていたことに気づいた。

「うわ、泣いてますね。すみません、自分でも知らぬうちに」

 ごしごしと手の甲で涙を拭《ぬぐ》い、すん、と鼻をすすりあげる。

「そんなに力任せにこすっていると、目が取れますよ」

 恐ろしいことを言いながらも、ラインハルトは親切にハンカチを差し出してくる。ジュディはありがたくそれを受け取って、目元を拭ってから鼻をかんで折りたたんだ。
 はー、と息を吐きだして、目を瞑る。全身が高揚して、指が細かく震えていた。

(泣いてしまいました。フィリップス様のお元気そうな姿に胸を打たれて)

 夜会の場にて、傷を受けて自分では歩くこともままならぬフィリップスの姿を見たときには、守らねばと思った。
 ひどい折檻を受けたのは明らかで、とにかく魔窟の王宮からその身を遠ざけ、手厚く庇護しなければと。
 そして、本人が望まぬ限りは決して焚きつける発言はしないようにと気をつけてきた。

 これ以上、周りの思惑で「王になってください」と圧力をかけてはいけない。そのおこぼれを狙う浅ましい人間だと疑われでもしたら、フィリップスは今度こそ心を閉ざしてしまうと、危ぶんでいたのだ。
 最大限、気遣っているつもりだった。
 結果的に、その配慮こそがフィリップスに「自分は期待されていない」という無力感を植え付けてしまっていたのかもしれない。まざまざと、思い知った。
 無理をするなという心配は、枷となり、彼を地上に繋ぎ止めて空へと羽ばたくのを許さなかったのだ。

「ジェラルドが連れてきた手勢は、一室に閉じ込めて行動は制限していると聞いていたんだが。本人は抜け出したのかな。さすがにアルシア様も、襲撃は警戒しているだろう」

 フィリップスは、張りのある声で考えをまとめるように呟いていた。
 それから、ジュディにちらっと視線をくれる。瞳にいたずらっぽい光が宿っており、唇には笑みが浮かんでいた。

「先生が焦っているのを見たら、人間ってそんなに変わるものでもないよなって変に冷静になれた」
「ん? どういう意味ですか?」
「最近、人妻の風格らしきものが滲み出てきていると思っていたけど、錯覚だった。まあいいと思うよ俺は。ぎゃーぎゃー騒いでるくらいの方が、先生らしい」

 褒められたのか貶されたのか、よくわからない。

(元気になった途端に、憎まれ口を叩かれています……!?)

 それはそれで、実によろしくない。教育的指導が必要です、と意気込んだところで朗らかなアルシアの声が場に響き渡った。

「あら大変。早速なの、あの子。ちょーっと目を離したらすぐ問題を起こすのね。出歩けない程度に身ぐるみはいで裸にしておけば良かった。温泉どうですかって言って」

 何があったのか、すでに把握している様子。
 フィリップスが表情を引き締めて、「ご無事でしたか」と声をかけた。
 アルシアは、唇を魅力的な笑みの形に吊り上げて「ええ」と頷く。
 そのとき、廊下の向こう側から、ジェラルドを小脇に抱えたステファンが戻ってきた。

「確保しました。煮ますか、焼きますか。刺しますか」

 完全に、目が座っていた。言葉選びにためらいがなく、今にも実行に移しそうな迫力がある。ジェラルドは意識を失っている様子だ。
 それを見て、アルシアはさらに笑みを深めた。

「煮ましょう。一緒に温泉行ってくると良いわ。裸はいいわよ、武器を持っていないのが一目瞭然ですもの。素手でやりあえば負けないのでしょう?」
「一緒に温泉……」

 その場に居合わせた男性陣、フィリップスとステファンが揃って嫌そうな顔をする。何が悲しくて、ジェラルドと一緒の湯に浸からねばいけないのか、と。
 すすめたアルシア本人は特に気にしてもいない様子で、ジュディの元へ弾む足取りで歩み寄ってくると、その腕をぎゅっと掴んだ。

「私たちは私たちで、温泉浸かりに行きましょうか。良いわよ~。普段なら夜間は閉鎖しているんだけど、キャンドル焚いて星空を見ながらゆっくりしてきましょう」
「まだ夜ではないですね……!」

 他人と一緒に風呂に浸かる経験などないので、ジュディはドキドキとしながら返事をした。

(アルシア様と温泉。裸の付き合い。なんて贅沢な)
 
 思ってもみなかった提案に胸を高鳴らせたジュディをよそに、アルシアは視線をすべらせてステファンを見ると、笑顔のまま言った。

「のぞいちゃだめよ」
「のぞける造りなんですか? これは防犯上の確認であって、個人的な質問ではありません」
「本当?」

 ステファンは折り目正しく謹厳実直な物言いをしたというのに、疑問で返されてすうっと目を細めた。

「見たいか見たくないかで聞かれたら正直なところはお答えしますが、閣下の介入が予想される状況下では見ないのが無難です」

 どちらかといえば「見たい」寄りの発言であった。

(やっぱりステファンさん、アルシア様の結婚のお誘いを真に受けて本気で考え始めているのでは……? アルシア様のご年齢からして、後継者は望めないかもしれないけれど、土地が隣接するバードランドの王族筋のステファンさんと、ブルー・ヘヴンの女主人が結ばれれば、連合国からの独立も現実味を増して)

 流れるように考えてしまってから、「まさか」と打ち消す。さすがにアルシアの再再婚は冗談のはずだし、一途なステファンが今日会ったばかりの上司の母に懸想して求婚に応じるなど無いに違いない。ジュディはそうと信じている。
 ただし、恋愛が介在せず政略のみで動いた場合、絶対に無いとは言い切れないのが貴族の貴族たるゆえんだ。彼らは、「そういう結びつき」に実に慣れていて、覚悟が決まっている。

 う、とステファンの腕の中でジェラルドが呻き声を上げた。意識が戻り始めているようで、ぼそりと呟いた。

「売女かよ。好色か? 若い男にすぐに色目を使うんだな。大したことねーな、ブルー・ヘヴンの」

 その場にジェラルドを落とし、喉を踏みつけながら、ステファンが冷え切った声で言った。

「しゃべることができないようにした方が、良さそうだ。命をとらないでおけば良いんだろう?」

 いまにも本当にやりかねないステファンに対し、アルシアが「待ちなさい」と声をかける。

「喧嘩はもうおやめなさい。さっさと温泉入ってくればいいわ。温泉に入ると、人間丸くなるから」
「何がなんでも温泉ですか」

 言い返したステファンは、逆らうことを諦めた顔で、ジェラルドの喉からつま先をひっこめた。



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