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第五章
直接の会話
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「後でと言わずに、いまここで話せ。どうせ誰も聞いていない」
ガウェインの囁きを聞きつけたフィリップスが、ソファにふんぞり返り、尊大な口調で言う。
(聞いているじゃないですか。全員聞いていますよ……!)
壁も天井も床も甲冑も壺も全部、耳を傾けている気がする。ジュディは「私用の話であれば」とガウェインに断りを入れようと思ったが、寸でのところで飲み込んだ。
皆が興味を持って聞いているというのは、さすがに自意識過剰だろうか。フィリップスの前で話しにくいだけで、純然たる仕事の話かもしれない。
それこそ、ガウェインが自分を気にかけていると期待するのは、浅ましいだけだ。
会いたかった本人を目の前にして、言いたいことはたくさんあったはずなのに、急に自信のなさが首をもたげて喉をつまらせる。
当のガウェインはその微妙な空気を意に介した様子もなく、長めのジャケットの裾を払って、ジュディの隣に腰を下ろした。そして「では、まずは殿下への用件を言いますね」とのんびりと切り出した。
「そろそろ殿下のお友達のこと、教えて頂けませんか。最近のお知り合いなのかと思っていましたが、もしかしてかなり長いお付き合いの相手ではないかと。幼なじみの間柄……ジェラルド・バラノフの名前をご存知ですね?」
フィリップスは、うっすらと笑みを浮かべたままの表情を、ぴくりとも動かさなかった。否定も肯定もしない。
ガウェインとの物理的な距離に内心慌てていたジュディであるが、突然始まった会話にぴしっと居住まいを正す。
――殿下がとても親しく心を寄せているその方は、庶民で、頭の回転が早く、弁舌巧みな年長者です。この世界に疑問を持っている少年が憧れを抱かずにはいられない、熱情の持ち主だ
以前探っていた相手を、ガウェインは突き止めたのだ。
返事をしないフィリップスに対し、ガウェインはおっとりとした話しぶりで続けた。
「いまから十年ほど前でしょうか。私が東地区で殿下を見つけ、王宮へ連れ戻したときには、殿下はそこで何があったのか、ほとんど口にしませんでした。周囲は幼さゆえに忘れてしまったのだとみなしていたし、私もそうであれば良いと考えていました。忘れてしまったほうが良いと。ですが、殿下は覚えていた。そして、警備の隙をついて下町に出るようになったとき、再会したのではないですか。かつて東地区でともに過ごした仲間と」
ハハッ、とフィリップスは乾いた笑いをもらした。
「そのくらい、お前がいまの今まで考えなかったわけがない。突然事実関係を押さえるつもりになったのは、どうしてだ。いよいよやりあうつもりになったのか? 東地区のジェラルドと」
「やはり、ご存知ですね」
声を一段低くして尋ね返したガウェインの横顔にも、笑みが浮かぶ。いつもの穏やかで朴訥さすら漂う微笑ではなく、野獣めいた剣呑な表情をしていた。眼鏡の奥の金の瞳は、ひた、とフィリップスを見据えている。
耳を澄ませてやりとりを聞いていたジュディは、冷や汗が吹き出てくるような嫌な緊張感に包まれていた。
恐れるものなど何もないといった軽さで、フィリップスはガウェインに挑むように視線を合わせて、笑みを深めた。
「ジェラルド・バラノフの父親は、フローリー公。世間的には死亡が宣言されているが、死体は見つからぬままの王弟殿下、俺の叔父君ではないか、と。噂だがな。噂といえば、フローリー公には他にも妙な話があった。未亡人となりジュール侯爵家に嫁いだ妻君の元へ、夜な夜な通い子をもうけたとかなんとか。なあ、ガウェイン」
フローリー公爵は、フィリップスの叔父であり、ガウェインの「実の父親」と噂される人物。リンゼイ伯爵は、くだらぬ噂だと一蹴していたが……。
「生きていたんですか……?」
なんとかジュディがそれだけ呟くと、ガウェインが視線を流してきた。苦笑を浮かべ、「さて」と小首を傾げる。
「噂はありました。東地区で見かけたというひとも。ですが、あそこは貴族がおいそれと近づく場所ではありませんし、すべて真偽不明、出どころ不明の話ばかりでした。しかし、噂話が独り歩きしてあまりにも耳にするもので、確かめに通ったことはあります。母は俺の出生に関しての件は事実無根だと言っていましたが、父は噂を信じている素振りがありましたから。実際にその場に足を運んでいた時期に、偶然幼い殿下を見つけて保護しました。……フローリー公らしき人物には、ついに会いませんでした」
「どうして、公爵様は」
死んだと偽り、東地区に身を隠すに至ったのか。
ジュディの問いに対し、ガウェインは「まったくわかりません」と実直そうな声音で答えた。
「会えませんでしたので。いつも何者かに阻まれて、奥深くを探ることができなかった。本当にいたのか、それとも誰かが名前を利用しているだけなのか、それすらも突き止めきれてはいないんです。ただ、そこではいくつもの偽名を名乗り、家族を得て、息子がいるという話は聞いたことがあります。子どもの名前が、ジェラルド・バラノフ。もし本当に存在しているのであれば、私よりいくらか年下で、東地区の出身。殿下と顔見知りになる機会は、あったかもしれません」
ガウェインもその母親も、ガウェインの父がフローリー公であるという噂を否定している。だが、もし噂に事実が含まれていれば、ガウェインはフィリップスの従兄弟であり、王位継承件も発生するのかもしれない。
(いえ、一番の関係者が否定しているのだもの。そんなこと、仮定でも考えるべきではないわ)
ジュディは自分の中でその可能性を強く打ち消した。それでも、いま現在フィリップスに未来を語り導き、東地区のいたましい事情を流しているジェラルドという若者の存在は、気がかりだ。ガウェインの母親違いの弟ではなくとも、父親同士が従兄弟の間柄であるならば、ガウェインとは血縁関係である。
ジュディに説明を終えたガウェインは、フィリップスに向き直り、今一度尋ねた。
「ジェラルドなんですか。殿下を駆り立てて、王権の打倒を目論んでいるご友人は」
「だったらどうする?」
すっと、ガウェインの顔から表情が抜け落ちた。硬くよく透る声が冷たく響く。
「野放しにはできません。必ず捕まえます」
「なんの罪に問う。お前と同じ顔で世の中を乱した罪か?」
「同じ顔であることは不問にします。それは人智の及ぶことではありません。世の中を乱していることについては……」
一度言葉を切って、ガウェインは口の端を吊り上げて、笑った。
「監獄塔で、話を伺いたく存じます。何徹でも付き合いますよ。会いたかった年月の分、聞きたいことがたくさんありますから」
その表情に漂う思い詰めた色を見て取り、ジュディは横からガウェインの腕をひしっと掴んだ。
突然の挙動に、びっくりした顔で見られたが、考える前に体が動いたジュディもびっくりしている。もちろん、そんな事情はおくびにも出さずに尋ねた。
「徹夜は、御本人にも相手にとっても、健康によくありません。働き詰めでも、夜くらいは休める場所にお帰りになった方がよろしいかと思います」
「俺はどこでも寝られるんです。だてに東地区に通っていませんでした。何日もさまよい歩いて家には全然帰らないなんて、あの頃は日常茶飯事であって」
若気の至りにかこつけて強がられ、ジュディは腕を掴んだ指にいっそう力を込める。
「徹夜は寿命を縮めます。相手にとっても、拷問に等しい。たとえ休んでいたとしても、床や硬いソファで寝る生活を続ければ、腰を悪くします。いつまでも若くはいられないんです。夜はベッドで寝ましょう」
この上なく本気で言ったのに、なぜか辺りが静まり返ってしまった。
(うん。わかります。そういう話じゃないって空気、わかります。でも仕方ないじゃないですか、私に他に何を言えと言うんですか)
ステファンあたりに助言を仰げば的を射たアドバイスをくれそうであるが、いまは必要としていないので決して聞かない。そちらを見ることもない。ただ、手を離したらどこかへ行ってしまいそうなガウェインから目をそらさず、切々と訴えかける。腰の健康維持について。
時間にしてわずかだが、固まっていたガウェインはゆっくりと息を吐き出した。少しだけ表情の強張りを解き、ジュディの目を見つめてくる。
「一緒に寝てくれますか?」
まさかの。
添い寝希望。
率直過ぎる問いかけに、ジュディはあわわわ、と唇を震わせる。顔が赤くなってくるのを感じながら、かすれた声で答えた。
「あの……、閣下の腰の健康を守るためなら」
なんの下心もなく考えていたことを口にしたのに、異常に恥ずかしいのはなぜなのか。
見つめ合う二人をよそに、フィリップスが「腰はたぶん忙しい」と呟き、ステファンが「休まる暇がないでしょう」と答えていた。最低の会話だったので、ジュディは一切、聞かなかったことにした。
ガウェインの囁きを聞きつけたフィリップスが、ソファにふんぞり返り、尊大な口調で言う。
(聞いているじゃないですか。全員聞いていますよ……!)
壁も天井も床も甲冑も壺も全部、耳を傾けている気がする。ジュディは「私用の話であれば」とガウェインに断りを入れようと思ったが、寸でのところで飲み込んだ。
皆が興味を持って聞いているというのは、さすがに自意識過剰だろうか。フィリップスの前で話しにくいだけで、純然たる仕事の話かもしれない。
それこそ、ガウェインが自分を気にかけていると期待するのは、浅ましいだけだ。
会いたかった本人を目の前にして、言いたいことはたくさんあったはずなのに、急に自信のなさが首をもたげて喉をつまらせる。
当のガウェインはその微妙な空気を意に介した様子もなく、長めのジャケットの裾を払って、ジュディの隣に腰を下ろした。そして「では、まずは殿下への用件を言いますね」とのんびりと切り出した。
「そろそろ殿下のお友達のこと、教えて頂けませんか。最近のお知り合いなのかと思っていましたが、もしかしてかなり長いお付き合いの相手ではないかと。幼なじみの間柄……ジェラルド・バラノフの名前をご存知ですね?」
フィリップスは、うっすらと笑みを浮かべたままの表情を、ぴくりとも動かさなかった。否定も肯定もしない。
ガウェインとの物理的な距離に内心慌てていたジュディであるが、突然始まった会話にぴしっと居住まいを正す。
――殿下がとても親しく心を寄せているその方は、庶民で、頭の回転が早く、弁舌巧みな年長者です。この世界に疑問を持っている少年が憧れを抱かずにはいられない、熱情の持ち主だ
以前探っていた相手を、ガウェインは突き止めたのだ。
返事をしないフィリップスに対し、ガウェインはおっとりとした話しぶりで続けた。
「いまから十年ほど前でしょうか。私が東地区で殿下を見つけ、王宮へ連れ戻したときには、殿下はそこで何があったのか、ほとんど口にしませんでした。周囲は幼さゆえに忘れてしまったのだとみなしていたし、私もそうであれば良いと考えていました。忘れてしまったほうが良いと。ですが、殿下は覚えていた。そして、警備の隙をついて下町に出るようになったとき、再会したのではないですか。かつて東地区でともに過ごした仲間と」
ハハッ、とフィリップスは乾いた笑いをもらした。
「そのくらい、お前がいまの今まで考えなかったわけがない。突然事実関係を押さえるつもりになったのは、どうしてだ。いよいよやりあうつもりになったのか? 東地区のジェラルドと」
「やはり、ご存知ですね」
声を一段低くして尋ね返したガウェインの横顔にも、笑みが浮かぶ。いつもの穏やかで朴訥さすら漂う微笑ではなく、野獣めいた剣呑な表情をしていた。眼鏡の奥の金の瞳は、ひた、とフィリップスを見据えている。
耳を澄ませてやりとりを聞いていたジュディは、冷や汗が吹き出てくるような嫌な緊張感に包まれていた。
恐れるものなど何もないといった軽さで、フィリップスはガウェインに挑むように視線を合わせて、笑みを深めた。
「ジェラルド・バラノフの父親は、フローリー公。世間的には死亡が宣言されているが、死体は見つからぬままの王弟殿下、俺の叔父君ではないか、と。噂だがな。噂といえば、フローリー公には他にも妙な話があった。未亡人となりジュール侯爵家に嫁いだ妻君の元へ、夜な夜な通い子をもうけたとかなんとか。なあ、ガウェイン」
フローリー公爵は、フィリップスの叔父であり、ガウェインの「実の父親」と噂される人物。リンゼイ伯爵は、くだらぬ噂だと一蹴していたが……。
「生きていたんですか……?」
なんとかジュディがそれだけ呟くと、ガウェインが視線を流してきた。苦笑を浮かべ、「さて」と小首を傾げる。
「噂はありました。東地区で見かけたというひとも。ですが、あそこは貴族がおいそれと近づく場所ではありませんし、すべて真偽不明、出どころ不明の話ばかりでした。しかし、噂話が独り歩きしてあまりにも耳にするもので、確かめに通ったことはあります。母は俺の出生に関しての件は事実無根だと言っていましたが、父は噂を信じている素振りがありましたから。実際にその場に足を運んでいた時期に、偶然幼い殿下を見つけて保護しました。……フローリー公らしき人物には、ついに会いませんでした」
「どうして、公爵様は」
死んだと偽り、東地区に身を隠すに至ったのか。
ジュディの問いに対し、ガウェインは「まったくわかりません」と実直そうな声音で答えた。
「会えませんでしたので。いつも何者かに阻まれて、奥深くを探ることができなかった。本当にいたのか、それとも誰かが名前を利用しているだけなのか、それすらも突き止めきれてはいないんです。ただ、そこではいくつもの偽名を名乗り、家族を得て、息子がいるという話は聞いたことがあります。子どもの名前が、ジェラルド・バラノフ。もし本当に存在しているのであれば、私よりいくらか年下で、東地区の出身。殿下と顔見知りになる機会は、あったかもしれません」
ガウェインもその母親も、ガウェインの父がフローリー公であるという噂を否定している。だが、もし噂に事実が含まれていれば、ガウェインはフィリップスの従兄弟であり、王位継承件も発生するのかもしれない。
(いえ、一番の関係者が否定しているのだもの。そんなこと、仮定でも考えるべきではないわ)
ジュディは自分の中でその可能性を強く打ち消した。それでも、いま現在フィリップスに未来を語り導き、東地区のいたましい事情を流しているジェラルドという若者の存在は、気がかりだ。ガウェインの母親違いの弟ではなくとも、父親同士が従兄弟の間柄であるならば、ガウェインとは血縁関係である。
ジュディに説明を終えたガウェインは、フィリップスに向き直り、今一度尋ねた。
「ジェラルドなんですか。殿下を駆り立てて、王権の打倒を目論んでいるご友人は」
「だったらどうする?」
すっと、ガウェインの顔から表情が抜け落ちた。硬くよく透る声が冷たく響く。
「野放しにはできません。必ず捕まえます」
「なんの罪に問う。お前と同じ顔で世の中を乱した罪か?」
「同じ顔であることは不問にします。それは人智の及ぶことではありません。世の中を乱していることについては……」
一度言葉を切って、ガウェインは口の端を吊り上げて、笑った。
「監獄塔で、話を伺いたく存じます。何徹でも付き合いますよ。会いたかった年月の分、聞きたいことがたくさんありますから」
その表情に漂う思い詰めた色を見て取り、ジュディは横からガウェインの腕をひしっと掴んだ。
突然の挙動に、びっくりした顔で見られたが、考える前に体が動いたジュディもびっくりしている。もちろん、そんな事情はおくびにも出さずに尋ねた。
「徹夜は、御本人にも相手にとっても、健康によくありません。働き詰めでも、夜くらいは休める場所にお帰りになった方がよろしいかと思います」
「俺はどこでも寝られるんです。だてに東地区に通っていませんでした。何日もさまよい歩いて家には全然帰らないなんて、あの頃は日常茶飯事であって」
若気の至りにかこつけて強がられ、ジュディは腕を掴んだ指にいっそう力を込める。
「徹夜は寿命を縮めます。相手にとっても、拷問に等しい。たとえ休んでいたとしても、床や硬いソファで寝る生活を続ければ、腰を悪くします。いつまでも若くはいられないんです。夜はベッドで寝ましょう」
この上なく本気で言ったのに、なぜか辺りが静まり返ってしまった。
(うん。わかります。そういう話じゃないって空気、わかります。でも仕方ないじゃないですか、私に他に何を言えと言うんですか)
ステファンあたりに助言を仰げば的を射たアドバイスをくれそうであるが、いまは必要としていないので決して聞かない。そちらを見ることもない。ただ、手を離したらどこかへ行ってしまいそうなガウェインから目をそらさず、切々と訴えかける。腰の健康維持について。
時間にしてわずかだが、固まっていたガウェインはゆっくりと息を吐き出した。少しだけ表情の強張りを解き、ジュディの目を見つめてくる。
「一緒に寝てくれますか?」
まさかの。
添い寝希望。
率直過ぎる問いかけに、ジュディはあわわわ、と唇を震わせる。顔が赤くなってくるのを感じながら、かすれた声で答えた。
「あの……、閣下の腰の健康を守るためなら」
なんの下心もなく考えていたことを口にしたのに、異常に恥ずかしいのはなぜなのか。
見つめ合う二人をよそに、フィリップスが「腰はたぶん忙しい」と呟き、ステファンが「休まる暇がないでしょう」と答えていた。最低の会話だったので、ジュディは一切、聞かなかったことにした。
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