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第四章

月夜の狼男と眼鏡

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 両思いなのは間違いない。
 ジュディはガウェインを敬愛しているし、もともとはガウェインがジュディを見込んで王子様の教育係に取り立ててくれたのだから。お互い好感度は高いはずだ。
 だが、あらためて口にされると、いたたまれない。

(そういうのは私ではなく、ステファンさんに言ってください! 普段そつがなくてツンツンしているくせに、閣下に言い寄られると嬉しさのあまりにものすごく動揺するのはよくわかりましたから。私はそれを見て楽しむだけで良いんです!!)

 あのステファンが追い詰められるところは、それなりに爽快な見ものだったのだ。自分が見ものにされるのは頂けない。もっとも、ここには他に誰もいないわけで、その点でガウェインの配慮を感じる。配慮?
 感情が高ぶったせいで、目尻にいよいよ涙が滲んできた。それを指で拭って、悩ましい息を吐き出す。

「もう……どうしてステファンさんがここにいないのでしょう。私はお二人を見つめる壁で十分ですのに」

 ひとりでガウェインの相手は荷が重い、自分は脇役以下の無機物でいいのにという意味でジュディは思わず口走ってしまった。

「ステファンがどうかしましたか?」

 心なしか、固い声で確認をされる。配慮を無にされて気を悪くしたのかと、ジュディは申し訳ない気持ちになって解説を試みた。

「ステファンさんが言っていたんです、閣下は男性の攻略がお得意だと。私は女性ですよ? 閣下にそんなことを言われて勘違いしたら、どうするおつもりなんです」

 ガウェインは長い足を持て余したように組み、ジャケットのポケットから取り出したハンカチをジュディの手へ押し付けた。そして、議会の場における答弁としても遜色ないほど毅然とした口ぶりで言った。

「立場上、俺は男性と話す機会が多く、場合によっては懐柔するために話術は考えますが、それを『男性の攻略が得意』というのは語弊があります。俺は少しステファンを甘やかしすぎたかもしれない。厳正に対処しようと思います。あいつめ、覚えていろ」

 不穏な呟きが聞こえた。ジュディはハンカチを握りしめながら、鷹揚な仕草で首を振ってみせた。

「きっと、嫉妬しているんだと思います。閣下が次々と男性を籠絡するから」

 それでお仕置きは少し同情しますわ、と言いかけたが、ガウェインの目が真剣すぎて口をつぐんだ。これは、迂闊に軽口を叩いて良い空気ではない。

「籠絡とは言いますが、必要な範囲でしか落としてません……。いや、これもなにか誤解を生みそうですね。もしかして、未婚で婚約者もいなくて女性との噂話も無いことも含めて俺になにか疑念があるならお答えしますよ。単に、一緒に生きたいと思う女性に出会わなかっただけです。今の今まで」

 その声の響きもまた非常に真に迫ったものだったので、ジュディもしっかりと背筋を伸ばした。まさに格好の機会を得たとばかりに、かねてから不思議に思っていたことをぶつけてみる。

「そのご年齢まで、かわせるものなんですか? 貴族の結婚は気持ちの問題ではないと、子どもの頃から皆、よく教え込まれているはずです。私はそう信じて最初の結婚をしました。相手が一緒に生きたいひとかどうか、見極めることもなく」

 恨み言を言いたいわけではない。それはジュディの決断であり、ジュディのこれまでの人生の話だ。
 同時に、この国では常識的な判断でもある。なぜ、同じような価値観の中で生きてきたはずのガウェインが、己の意志を貫くに至ったのか、よくわからない。「愛のない結婚なんて」と厭わしげに言うのは年端も行かない乙女のわがままであって、跡継ぎを残す使命のある貴族の若君が口にすることではないように思うのだ。
 ジュディの疑問はよくわかっているとばかりに、ガウェインは静かな口調で答えた。

「俺の母は、この階級の女性としては珍しく子どもを構いたがる性格だったので、俺は乳母よりも実の母に育てられた面が大きいんです。俺の父はあまり誠実な人間ではなかったようで、折に触れて母が苦しむのを見て育ちました。そこで、貴族同士の結婚に疑問を持つようになりました。殿下ほどに、この国の王侯貴族を壊滅に追い込もうとは考えていませんが、断ち切るべき習慣はあると信じています。だから、跳ね除《の》けられるものは跳ね除けます」

 きっぱりと告げるガウェインの金色の瞳から、目を逸らせない。

(私にこの方のような知恵や賢さがあったら……、望まぬ結婚の欺瞞に立ち向かう強さあったら、不本意な結婚などしなかったのかしら)

 意味のない自問自答だった。三年前のジュディはそんなことを考えもしなかったし、もし気づいていたとしても、貫くことはできなかっただろう。決められた生き方から逸脱する行為は傲慢とみなされる。それを補って余りある強靭さを周囲に示さなければ、認められるものではない。若い時分《じぶん》においてはその方法を知らず、機会を得ることもなかった。

「とても強い意志で、女性とはお付き合いなさらないんですね」

 しみじみと相槌を打つ。揶揄《やゆ》するつもりこそなかったが、茶化すようなことを口にして申し訳なかった、という気持ちを込めて。
 すると、ガウェインはほんの少し眉を寄せて「そういうわけでは」と呟いた。

「理想はありますが、女性に興味がないわけではありません。そのときが来たら失敗しないようにと、実践に向けて悪友に吹き込まれたことはそれなりに記憶しています。いつか自分にも機会があるものと、期待する気持ちもありまして」

 高潔な話をしすぎたと焦ったように、ガウェインは語調を和らげて砕けた話を始める。
 その落差に目を丸くしてから、ジュディは小さく噴き出した。

「それ、女性の前で言わない方が良いタイプの話ではないですか? どんな教示があったのか、後学のために聞いても良いでしょうか? 隠しても無いことにはならないそうですから、私の知識のために。ぜひ」

 彼がどうしていまのような考えに至ったのか、これまでの人生でどんな教えに触れてきたのか。単純に、知りたいと思ったのだ。
 ガウェインはわずかに躊躇する素振りを見せたものの、思い直したように目を細めて、ジュディの顔をのぞきこんできた。

「たとえば」

 そのとき、がこん、と馬車が揺れた。わずかにジュディの体が跳ね、手からハンカチが滑り落ちる。拾おうと手を伸ばしても届かず、思わず腰を浮かせた。足元が覚束ず、バランスを崩したところでガウェインの腕に支えられ、そのままぐいっと引き寄せられた。
 ぽす、とその真横に座り直す形になる。
 体がぴたりと寄り添い、その体格差をまざまざと思い知る。腰に回された腕の筋肉質な硬さに、意識が集中する。まったく身動きもできないほどの、力強さ。

 月夜の、狼男《ウェアウルフ》。

 おそるおそる見上げると、金色の瞳を見開いて、ガウェインがジュディを見ていた。

「悪友の教えですね、たとえば『眼鏡はキスの邪魔になるから、その機会があったら先にさりげなく外しておけ』と。実践向きな話だと思いませんか?」

 金色の視線が、ジュディの唇をなぞるのを感じた。

(あ……悪友さん……!!)

 その悪友はきっと、普段は眼鏡をしているに違いない。経験からくる忠告をしたのだろう、とジュディは漠然と考えた。呼吸は止まっていた。狼に狙いを定められた小動物の気持ちを疑似体験していた。月夜の狼男《ウェアウルフ》がこれ以上に本領を発揮したら、一体どれほど危険なことか。
 永遠のように感じる数秒の後、馬車が止まる。
 こんこん、とドアが叩かれた。

 ガウェインはジュディからふっと視線を外してドアの方へと顔を向け、呟いた。

「着いたようですね」

 それから、ジュディが返事をする前に素早く続けた。

「もし伯爵がご在宅なら、この機会にご挨拶をしたいと考えています。私も少し立ち寄らせて頂いてよろしいですか?」






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