上 下
41 / 104
第三章

それが役目ならば

しおりを挟む
「います。今そちらへ行きます!」

 間髪おかず、返事をした。

(バレているなら、隠れても無駄だわ。殿下の怪我の具合を早く確認したい)

 撃たれて命を落としたかもしれない元夫、ヒースコートのこともちらっと考えた。だが、二の次三の次であると思考から追い出す。いまは、自分をかばって倒れたフィリップスを助けることを考えねば。その優先順位は、揺るがない。

「よーし。じゃあ、三数える間に出てこい。両手は肩より上げておけ。おかしなことは考えるなよ」

 下手人からの指示は的確で、手慣れている。それはそうだ、こんな役目に素人が差し向けられるわけがないと、腹をくくった。簡単に出し抜けると思わない方が良い。
 ジュディは棚の下段に、いくつもの瓶が並んでいるのを見つけた。果物の砂糖漬けやジャムだろう。かがみこんで手にしてみると、重い。相手に気づかれる前に、投げつけられるだろうか? 「3」

(手を上げて出てこいってことは、持って出た時点で撃たれるかも)

 自分の服装が、この屋敷の使用人が着ているお仕着せであるのをちらっと確認する。「2」
 まだ自分が何者かバレていない可能性もある。可能性にかけるか? それとも、筋書きに組み込まれた「ヒースコートの元妻」であるとあえて名乗り出るか? 「1」
 タイムアップ。
 ジュディは、相手から何か言われる前に勢いよく棚の下段に手を突っ込み、瓶を掴んで持ち上げた。すくっと立ち上がり、床に力一杯落して、叩き割る。
 派手な音が響き渡った。

「きゃああああ」
「なんだ!?」

 大げさ過ぎる悲鳴を上げながら、ジュディはもう一度しゃがみこみ、下の段に闇雲に腕を差し入れ、勢いをつけて力いっぱい瓶を床に転がす。
 さすがに、相手は無防備に通路を覗き込んでくることはなかった。ジュディは構わず、一方的にまくしたてた。

「焦っていたので、棚にぶつかって瓶を転がしてしまいました。いくつかは割れたようです。その他にも転がっていて……暗くて、見えません。踏んだらどうしましょう!」

「踏んでも転ぶだけじゃないか? 早く出てこい」

「わかりました、いま。……きゃあああああっっ!!」

 出ようとしたけど、踏んで転びかけた。その演出の悲鳴とともに、ジュディはさらに手当たり次第棚の奥まで腕を突っ込んで、並んでいるものを床に叩き落した。

「何やってんだ。どんくさい女だな」
「すみませんっ。どうしましょう。ますます道がふさがってしまって。どうやって越えていけばいいですか?」
「は?」

 この生きるか死ぬかの場で、突如現れたドジっ子メイドに、相手は明らかに呆れている。狙い通り、とジュディはひとり手応えを感じる。

(どんくさいって言ったわね。その通りよ! 俊敏な動きができない以上、とことん騒いでひっかきまわしてあげるわ!)

「どうにか歩けるだろ?」
「どうにかって、どういうことですか? ちょっと灯りで照らしてみてください、足の踏み場もありませんよ!?」
「いや、自分のミスだろ、それは」

 そう言いながらも、相手は灯りを手にしたようだ。炎の作り出す光が揺らめき、こちらに近づいて来る。

(銃から手を離した? そこまでは油断しない? だけど、片手がふさがっていれば、対応に遅れが出るはず)

 ジュディは割れずに足元を転がっていた瓶をひとつ手にした。相手の姿が見えたら、投げる。もしくは、近くまで引き付けて殴りつける。
 ドキドキと心臓が痛いほど鳴る、束の間。
 通路の向こうで、灯りを掲げ持たれる。照らし出す炎の光。

「何持ってんだ、それ」
「これは……片付けようかと、思って。その、少しでも被害を少なくみせないと。こんなに散らかっていたら、何があったんだって怒られてしまいます、私が!」

 どんくさい女と言われたからには、なりきってみせる。私はどんくさい女が世界一似合う、と自分を鼓舞する。やってやれないことはない。
 意気込んで言うと、光の中で男は明らかに鼻白んだ様子で言った。

「それなら、ついでにあんたが死体も片付けておいてくれるか?」
「ああ~……死体なんて、どうすればいいか見当もつかないんですけど……」

 だいぶ呆れさせたつもりだったのに、思った以上にぶっ飛んだ話題を振られて、素が出てしまった。「しかもその死体、私の元夫かもしれなくて」と余計なことを言いそうになる。場が混沌とするのは間違いない。
 一方相手は「そもそもあんたはここで何やってんだ。早く来い」と呼びかけてきた。ジュディのことを、巻き込まれただけの一般人と理解してくれたのかもしれない。

「わかりました。えーとですね、きゃっ、いま何か踏みました」

 なおもぐずぐずとすると、男は灯りを掲げ持ったまま「なんでもいいから」と吐き捨てるように言って、溜め息をついた。
 その灯りが、一瞬、翳った。
 ジュディは目を見開き、信じられない光景を見つめた。

 男が彼の気配を察知したときには、すべてが終わりに向かっていた。
 
 灯りが床に落ちぬように気を使ったらしく、片手を燭台に伸ばし、もう片方の拳で男の胴体を殴りつけた背の高い紳士。男がわずかに体をひねって衝撃を殺そうとしたが、燭台を危なげなく回収しながら彼は男を蹴倒し、トドメのように顎をひとつ蹴飛ばした。砕けたのでは、という酷《むご》い音ともに男は動きを止めた。

「足癖が悪い。殿下も足癖悪いですけど、閣下が伝授しましたか?」

 彼から燭台を受け取り、眉をひそめて非難がましく言ったのは、ステファン。乏しい光の中で、かすかに息を乱しながら、枯れ草色の髪の青年がジュディの方へと顔を向けてくる。
 視線がぶつかる。わずかに違和感があった。いつもの眼鏡がない、と気づく。ガウェインは素顔で、ジュディを見つめていた。

「遅くなりました。時間稼ぎをしてくれていて、助かりました。音も。おかげで気づかれないで近づけましたので」

 落ち着いた声だった。今日一日、色々ありすぎたせいで、恐ろしく久しぶりに聞いたような気がした。
 もう大丈夫。その安堵から、足ががくがくと震えだす。前に進まなければと思うのに一歩も動くことができず、ジュディは手の中にあった瓶まで落としてしまった。
 ガウェインが、散らかった通路をものともせず、駆け寄ってくる。
 ぐいっと抱き寄せられて、瓶は足に直撃しないですんだ。

「怪我は? 大丈夫ですか?」

 心配しているまなざしで見つめられ、見上げたジュディはほっと息を吐き出した。緊張が解けたせいか、それともようやくまともに心配してくれる相手が現れたせいか、じわっと目に涙が浮かんでくる。

「閣下こそ、間男として撃たれてなかったんですね……!」
「間……男?」

 ん? と真顔で聞き返された。ジュディは無意識に、そばにあるガウェインの体に腕を回して抱きしめながら、しみじみと言う。

「ご無事で何よりです」
「はい。あなたも。怪我をしていないか、明るいところで確認させて頂いても?」

 ガウェインは、ジュディと抱き合ったままそっと身じろぎをし、壊れ物を扱う仕草でジュディの頬に片手で触れた。その手に誘われるように顔を上げて、ジュディはほっとした安心感のまま、ガウェインにふわりと微笑みかけた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。 その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。 何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。 “傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。 背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。 7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。 長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。 守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。 この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。 ※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。 (C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

さあ 離婚しましょう、はじめましょう

美希みなみ
恋愛
約束の日、私は大好きな人と離婚した。 そして始まった新しい関係。 離婚……しましたよね? なのに、どうしてそんなに私を気にかけてくれるの? 会社の同僚四人の恋物語です。

【完結】あなたのいない世界、うふふ。

やまぐちこはる
恋愛
17歳のヨヌク子爵家令嬢アニエラは栗毛に栗色の瞳の穏やかな令嬢だった。近衛騎士で伯爵家三男、かつ騎士爵を賜るトーソルド・ロイリーと幼少から婚約しており、成人とともに政略的な結婚をした。 しかしトーソルドには恋人がおり、結婚式のあと、初夜を迎える前に出たまま戻ることもなく、一人ロイリー騎士爵家を切り盛りするはめになる。 とはいえ、アニエラにはさほどの不満はない。結婚前だって殆ど会うこともなかったのだから。 =========== 感想は一件づつ個別のお返事ができなくなっておりますが、有り難く拝読しております。 4万文字ほどの作品で、最終話まで予約投稿済です。お楽しみいただけましたら幸いでございます。

公爵夫人アリアの華麗なるダブルワーク〜秘密の隠し部屋からお届けいたします〜

白猫
恋愛
主人公アリアとディカルト公爵家の当主であるルドルフは、政略結婚により結ばれた典型的な貴族の夫婦だった。 がしかし、5年ぶりに戦地から戻ったルドルフは敗戦国である隣国の平民イザベラを連れ帰る。城に戻ったルドルフからは目すら合わせてもらえないまま、本邸と別邸にわかれた別居生活が始まる。愛人なのかすら教えてもらえない女性の存在、そのイザベラから無駄に意識されるうちに、アリアは面倒臭さに頭を抱えるようになる。ある日、侍女から語られたイザベラに関する「推測」をきっかけに物語は大きく動き出す。 暗闇しかないトンネルのような現状から抜け出すには、ルドルフと離婚し公爵令嬢に戻るしかないと思っていたアリアだが、その「推測」にひと握りの可能性を見出したのだ。そして公爵邸にいながら自分を磨き、リスキリングに挑戦する。とにかく今あるものを使って、できるだけ抵抗しよう!そんなアリアを待っていたのは、思わぬ新しい人生と想像を上回る幸福であった。公爵夫人の反撃と挑戦の狼煙、いまここに高く打ち上げます! ➡️登場人物、国、背景など全て架空の100%フィクションです。

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

幼馴染み同士で婚約した私達は、何があっても結婚すると思っていた。

メカ喜楽直人
恋愛
領地が隣の田舎貴族同士で爵位も釣り合うからと親が決めた婚約者レオン。 学園を卒業したら幼馴染みでもある彼と結婚するのだとローラは素直に受け入れていた。 しかし、ふたりで王都の学園に通うようになったある日、『王都に居られるのは学生の間だけだ。その間だけでも、お互い自由に、世界を広げておくべきだと思う』と距離を置かれてしまう。 挙句、学園内のパーティの席で、彼の隣にはローラではない令嬢が立ち、エスコートをする始末。 パーティの度に次々とエスコートする令嬢を替え、浮名を流すようになっていく婚約者に、ローラはひとり胸を痛める。 そうしてついに恐れていた事態が起きた。 レオンは、いつも同じ令嬢を連れて歩くようになったのだ。

処理中です...