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 その名前に気づいたのは、様々な疑惑が確信に変わり始めた頃。
 朽ちそうなメモ書きを紐で綴った、本とみなすにも覚束ない紙の束。
 そこから、初めて拾い上げることができた。

 聖人エリク。実際に、戦場にあって戦い抜いたひと。大戦の終焉とともに、その行方が曖昧となる。

 ――エリクこそ真の聖人。もっとも危険な任を引き受け、仲間をかばって傷を負い、血を吐きながらも決して折れずに立ち続けた。

 ――王家の仕打ちはあまりにも非道。聖女は聖女に非ず。

 雷に打たれたような、衝撃。ステラはしばし呼吸を止めてその文字を繰り返し目で追う。

(「聖女は聖女に非ず」つまり、偽物……? 誰よりも身を粉にして戦い続けたのがエリクだとして、王家は一体そのひとに何をしたの? どうしてその後の足取りが掴めないの? エリクはどこへ行ってしまったの?)

 ステラがメモを読み進めると、ザハリアがその手元に「続き」と、書架から資料を引き抜いてきて、積み重ねていく。
 やがて行き着く、当時の国王による断罪。

 ――それは王国の隠されたる罪。
 ――いかなる企てが、いかなる讒言ざんげんがかのひとを貶め、陥穽かんせいに陥れたのか。
 ――すべての功を奪い取り、王妃についた偽りの聖女イヴァンナの悪行が裁かれる日は来るのか。
 ――エリクはただひとり、いまも暗く凍えるほどに寒く、空気の淀んだ地下に……

「……っ」

 声にならない悲鳴を上げて、ステラは椅子の背に身を押し付けた。
 そこに寄り掛かるべき背はなく、椅子から床に転げ落ちそうになる。咄嗟に、ぼろぼろのメモ書きを落とさぬよう、両手を突き上げた。

「先生……ッ」

 叫んだ瞬間、背中から抱きとめられた。
 そのときはたしかに、存在を感じたはずなのに。
 気がつくと、ステラはひっくり返る寸前の姿で椅子に座っていた。
 場所は禁書庫ではなく、一般の閲覧室。
 あたたかな空気、紙のこすれる音。足音を忍ばせて歩く人々。遠くで誰かがくしゃみをした。

(……先生?)

 立ち上がって辺りを見回しても、もはやそこにステラの教師の姿はない。

(先生……って誰? 嫌だ、忘れてしまう……!! 名前も思い出せない。白髪に青い目のあのひと。十年間も一緒にいたはずなのに、名前も姿も消えていく)

 記憶は急速に失われつつあり、面影すら思い浮かべることがかなわない。
 その奇異さに唇を噛み締めて耐え、抗うようにステラは彼の姿を目裏に描く。

(忘れたくない。先生はたしかにここにいた。ずっと私を教え導いてくれた。王国の隠されたる罪。真実へと至る道……!)

「行かないで。どこにも行かないで、ここにいて!!」

 息を止めて歯を食いしばって、もはや呼べない名前を心で叫び続けたそのとき。
 ステラは手の中に残っていた紙片に気づいた。強く握りしめたせいで、たったひとつ持ち出せた禁書庫のメモ書きの束。
 椅子に腰を落とし、今一度真剣に向き合う。
 そこには、王家の罪と、聖女にまつわる偽証、そして陥れられた聖人の末路が記されていた。

 * * * * *
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