嘘と惚れ薬と婚約破棄

有沢真尋

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「惚れ薬、惚れ薬。ふぅん。惚れ薬ね」
 内容が内容だけに、教室の授業の後、人目をはばかって馬場の隅の木陰で打ち明けました。ひひーん、という馬のいななきや蹄の音が響き渡っているものの、見晴らしはよく近くに人が潜んでいるということもない。
 木の根元に腰を下ろしたジャスティーン様は、乗馬スタイルでジャケットにズボンにブーツ。そのジャケットをさっと脱いで、惜しげもなく草地に置いて私に座るように促してきました。

「君のドレスが汚れる。遠慮しないで」
「まさか、ジャスティーン様。そこはジャスティーン様がお座りください」
 私が困って言うと、考え込んだジャスティーン様はいきなり私の手を引っ張って座らせ、背後から抱きかかえるようにして腰を下ろしました。
「くっつけば二人座れる。だめ?」
 耳元で囁かれて、私は顔が赤くなるのを自覚しながら「だめじゃないですけど……」とうわずった声で答えてしまいました。体はがちがちに固まっています。
(あちこちぶつかっているし、緊張します!!)
 普段から身長差は感じていたけれど、視界に入る手、無造作に広げられた足など、サイズ感が違う。すらっとして見えていたけど、シャツ越しに見える腕は骨太そうでよく鍛えているのが伝わってきます。
 右手には、ガラスの小瓶。

「この液体が本当に惚れ薬という証拠はどこにもない。もし中身が毒だったら、君は王太子暗殺に手を染めることになる」
 耳のごく近くで囁かれて、その言葉を理解した私はさーっと青ざめたと思います。血の気がひくのが自分でもわかりました。
「それはそうですね。体よく利用されていて、騙されているだけかも……! ああ、もともと使う気はなかったんですけど、良かった。というか、そんな初歩的なこともっと早く自分で思いついていれば良かったです。処分してから、母にはそう言っておきます。よくわからないものを、他人の口に入れることなどできないと」
 誰かの差し金で、母が騙されて王子暗殺に加担させられている線も無くはない。

「君の母上は、どうしてそこまで思いつめてしまったの?」
 背後から穏やかな声で尋ねられて、私は溜息をついて答えました。
「思いつめたといいますか、『悪役令嬢物語』を読み過ぎたんだと思います。王子は婚約破棄をするものだと決めつけているみたいですけど、その後ですよ……。そんな軽はずみに婚約破棄をする王子と結ばれても幸せにはなりませんし。ましてや、私べつにアーノルド様のことは……」
「あいつのことが好きじゃなくても、王妃の座は魅力的じゃない?」
 ぎりぎり、触れ合わないように体を精一杯小さくしていても、背後でジャスティーン様が声を立てて笑うと振動のようなものが伝わってきて、緊張します!
(ジャスティーン様にドキドキしている場合じゃないんだけど……!!)
 この方婚約者のいる、女性ですし。

「王妃の座……にふさわしいものを、私は何一つ持ち合わせてないので。国を傾けてしまうかも。そんなの荷が重くて」
「そう? レベッカなら結構うまくやれるんじゃないかと思うけど」
「まさか。ジャスティーン様以上に適任はいません。全国民納得だと思います」
「レベッカは?」
 体を傾けて、後ろから顔を覗き込まれた。目が合うと、にっこりと笑いかけられる。
(し……至高……! うつくしすぎるこの笑顔!)
 こんな近くで見られるのもあと少しですねと噛みしめつつ、私はジャスティーン様の目を見つめた。

「私ももちろん、納得です。ただ、本音を言えば、アーノルド様がうらやましいです。ジャスティーン様と結婚できるなんて。役得だと思います」
 視線を絡めたまま、ジャスティーン様はふっと、甘く微笑みました。

「そこまで言ってもらえると照れるね。やっぱり、アーノルドとは婚約破棄しようかな」
「いまの話で、なぜそういう流れに」
「なぜって。私もべつにアーノルドのことを特別好きなわけじゃないからね。結婚の自由があるなら好きな相手と結婚したいというだけの話だ。たとえば私のことをこんな風に思ってくれるレベッカと」
 くすくすと笑いながら私の手をとり、手の甲に唇を押し付けました。

 ぞくっ。
 すばやく辺りを見回して、誰も見ていないか確認してしまった。

(殺される。さすがにこれはファンの皆様に見られたら命とられる)

 私の焦りなどどこを吹く風、ジャスティーン様は立ち上がると、私の正面に回り込んで片膝をつき、まっすぐに見つめてきました。
 手にしていたガラスの小瓶を私の目の前で静止させて、ひとこと。

「飲んで良い?」
「なんでですか!? 毒かもしれないって自分で言っていたのに、だめに決まってます!!」
 慌ててそのガラスの小瓶を奪い取ろうとしたのに、ひょいっと逃げられてしまう。
「惚れ薬ってどういう効果なんだろう。本当はレベッカに飲ませてみたいんだけど、毒だったら困るから。飲むなら私が」
「処分しましょう!」
 提案しているのに、蓋を開けるとジャスティーン様はあっという間に唇を寄せて瓶を傾けて、中身を飲んでしまいました。
「あーっ……!!」
 悲鳴を上げる私の前で、ジャスティーン様は顔色を変えることなく「ふぅん」などと言っています。

「平気ですか……? こう……何か痛かったり苦しかったり」
 恐る恐る声をかけると、「うっ」と言いながらジャスティーン様は胸をおさえて俯いてしまいました。綺麗な蜂蜜色の髪がさらりと肩をすべります。
「ジャスティーン様あああああ、死なないでくださいいいいいいい」
 両肩に両手で掴みかかると、ジャスティーン様は顔を上げてどことなく辛そうな笑みを浮かべて言いました。

「レベッカ、好きだ。レベッカのことが好き過ぎて胸が苦しい」
「惚れ薬効いた!!? 本物だったんですか!!?」
 思わず素で「私もです」と言いそうになったが、そんな場合ではない。これはただ薬の作用、気の迷いですらない。いわば、言わされているだけの状態。
(解毒しないと)
 ジャスティーン様をこの状態にはしておけない。
 そう思ったところで、ジャスティーン様はにこっと笑いました。

「……なんてね?」
「うそですか……」 
「嘘じゃない方が良かった?」
 青い瞳に光を湛えて、低めた声で囁かれて、私はほーっと息を吐く。
「ドキドキしました」
「そう。嬉しいな。嘘じゃないから」
 ジャスティーン様はくすくす笑いながら、私の顔をじっと見つめて、一言。

「好きだよ、レベッカ」
 私もです、って言いたいけど。
 このひと、王太子と結婚する方ですからね。さすがにそういうわけにはいきません。

 * * *
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