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第二章 イグニース王国
ミゼリーの診療所
しおりを挟むイグニース王国の国境付近の、草木に囲まれた場所にポツリとある一軒の平屋。
動物達が羽を休めにくることもあれば、人間達が私を頼ってやってくることもある。
あたしの家であり、あたしの仕事場。
傷を負った生き物達を癒す、診療所。
ーーー……ギギギギギ。
ノックもしないくせに、ゆっくりと遠慮がちに扉が開かれる。
数日前起こった地震のせいで建て付けが悪くなってしまったのか、不規則な音が室内に響き渡った。
「おやおや。珍しい客が来たもんだ」
「……」
扉をあけて現れたのは、全身黒い服に身を包み、体に赤を宿す者。
軍人のみが知る存在。
「影……じゃなくて、今はチェーニと呼ばれとるんだったかな?あの変態王子が付けたらしいね。可愛らしくていい名じゃないか」
入り口に背を向け、棚から数種類の薬草を取り出す。
そして、薬研と呼ばれる道具で薬草をすり潰して傷薬を調合する。
その間、彼女が口を開くことはなかった。
あたしは特に声をかけることなく、ローラーを前後に動かし、薬草を粉砕していく。
腕の力だけでなく、腹筋や足腰も意識しながら。
腕だけで潰そうとすると、すぐに肩や肘が痛くなってしまうのだ。
年を重ねた体は脆い。
だからこそ、あらゆる工夫をせねばならないのだ。
グラシン紙(硫酸紙)と呼ばれる紙を正方形に切った物を取り出し、中央に出来上がった粉末状の薬を乗せる。
溢れないように三角に折り、五角形になるよう包んでいく。
粉末が薬研からなくなるまで、ひたすら五角形を作り続けた。
「この後……」
調合している間、無言で突っ立っていチェーニがようやく言葉を発した。
出来上がった五角形の包みを、透明な入れ物に綺麗に並べる。
「この後、怪我をした軍人達が運ばれてくる。処置を……頼む」
「あんた、わざわざそれを言いにきたのかい?」
全ての包みを並べ終わったところで、崩れないようにテーブルへ置き、彼女の方へ顔を向ける。
炎のように真っ赤な瞳を見つめながら言えば、肯定の意味を込めて静かに頷いた。
「数日前に国王様から直々に要請を受けてるよ。言われなくてもやるさ」
「そうか」
目を閉じて細く長く息を吐き、安堵したように肩を落とした。
そしてすぐに背を向け、家から出て行こうとする。
「ジャスミンに会って行かなくていいのかい」
近くにあった椅子を取り出し、「よっこらせ」と口にしながら座る。
あたしの言葉に足を止めたチェーニは、スローモーションに見えてしまうほどゆっくりと振り返り、あたし達は再び対面した。
「会えるわけ、ないだろ」
消え入りそうな声。
逸らされた瞳。
黒い手袋で覆われた手は、ギリギリと音を立てながら拳を作っている。
「あぁ、そうだね。会えるわけないね」
答えなんて分かっていたのに問いかけるあたしは、どこからどう見ても性悪だ。
でもね、
「ぐちぐち考えるぐらいだったら辞めちまいな。辛いなら辛いって言っちまいな。あんたはあんただろ。誰も文句言いやしないよ」
心配なんだよ。
怒鳴られながらも笑顔を絶やさず手伝うジャスミンも、いつも辛そうな顔をしているあんたも。
「逃げちまってもいいんだよ。チェーニ」
「……」
常に無表情で感情がわからない。
炎を操るなんて化け物みたいで恐ろしい。
一緒に戦った軍人達は口を揃えて言う。
何を言ってんだい。
「……ミ、ゼリー」
「おいで」
この子は誰よりも感情的で、不安定だ。
みんなが思う存在であろうとしているだけ。
恐れられる存在でなければならない。
絶対的な存在でなければならない。
そうでなければらないと、国王様から言われているのもあるだろう。
しかし、それだけではない。
彼女自身もそう感じている。
力を得てしまったから。
加護を受けてしまったから。
歩み寄ってきたチェーニを優しく抱きしめ、背中を規則正しく叩いてやる。
あたしの肩に顎を乗せて目を瞑っている。
この子は決して泣かない。
辛い時も、悲しい時も、決して。
感情を押し殺すことに慣れてしまったのだろうね。
可哀想な子だよ。
本当に。
「全く。あんたは何を恐れてんだい。言っちまえばいいんだよ。素直に」
「そんなことできない」
「怖いかい?」
肩の筋肉を抉るように顎が前後に動く。
若干痛みを感じたが、特に気にすることなく抱き締め続けた。
しばらく抱き締めていると、ドアノブが下がり、扉が開いた。
「グルルルルル」
入ってきたのはまたしても珍しいお客さん。
「もうすぐか?」
「グルルルルル」
言葉を理解しているのか、チェーニの問いかけに頷く。
彼女と同じように真っ赤な瞳をしたイアンは、あたし達のそばまでやってきて、チェーニに擦り寄る。
きっとこの子も、チェーニのことをよくわかっているのだろう。
「もう行くよ。ありがとう」
「あぁ。またおいで」
一人と一匹の頭を撫でてやると、片目を瞑って気持ち良さそうな顔をした。
見た目だけじゃなくて、中身も似た者同士ね。
背を向けて出ていくのを見届けながら、そう思ったのだった。
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