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第四章

二話 天涼 その二

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 しかし淑は何も言わず、店のものに会釈だけすると、くるりと市の奥へと歩き出した。
 
 「おい!」

 張弦が淑に声をかけた。淑は何も答えない。張弦はたまらず言った。

「お前を龍武に連れていくわけにはいかない」

 淑が振り返り答える。

「なぜです、わたしは龍武で妹に会う、そのために行くのです」

 その言葉に張弦は驚いてその目を見つめる。淑の目はあのはじめて見た時と同じ、猫のように誰にも媚びぬとばかりの目だ。淑の変化に驚きながらも、張弦はさらに声をかける。

「しかし、宰相はお前を……」

 それ以上聞きたくないとばかりに、淑がある店の前に立つ。たくさんの乾燥され細かく刻まれた野草が並んでいる。どうやら薬屋のようだ。店主らしい体まですっぽり隠れる頭巾をかぶった小柄な男に、淑はあれこれ聞いては買い物を始める。張弦は思わず腹を立て店に背を向ける。しかし頭の中は淑のことでいっぱいだ。

 まさか龍武まで李陵国が来るとは……

 もちろん龍武までの道で狙われる可能性は想定していた。そのためにあの峠を超えたのだ。しかしまさか李陵国が龍武まで来るとは思っていなかった。皇帝の補佐をする宰相が有事でもないのに宮廷を出るのはまれだからだ。だが龍武で鉢合わせとなれば、さらに龍武の護衛が宰相の手のものとなれば、淑は殺されに行くのも同然となる。

 どうしても止めなければいけない

 そう考え振り返ったその時だった。張弦の目の前で見知らぬ男が淑の手をつかんだ。

「あっ……!」

 淑が声をあげる。

「待てっ!」

 張弦が手を伸ばした。だがその前に店主が薬を掴んで男に投げつける。

「うわっ……!」

 目に薬が入ったのか男が手を離す。しかし、今度は頭巾の店主が淑の手を取り、張弦の方に向いて走りだした。驚いたことに薬屋はずいぶんと若い空色の目をした男だ。男が張弦にひとなつこい笑顔を見せる。

「逃げるネ、アトお願いネ」

 男のなまりの強い苑国語が張弦の横を淑とともに通り過ぎる。

 どういうことだ……!

 しかし、張弦に選択の余地はなかった。男がふたりを追いかけようとする。
 張弦は無意識にその脚を払い、転んだ男の背中を全体重をかけて踏みつける。

「ぐえっ……!」

 だがすぐに違う男たちが路地から現れる。

 四人、いや、五人……

 淑がどちらに行ったのか後ろを振り返る暇はない。張弦は足元の石をいくつか掴んだ。そして背にした小型の弓矢を取り、石をつがえ引き金を引いた。

 ヒュンッ……

 石が音を立てて飛び、男のすねに命中した。

 ぐはっ……

 骨ぐらい割れたかもしれないが死にはしない。しかしそれぐらいのほうがいい。

 矢で打ち命を奪えば大騒ぎになり、かえって淑が逃げられなくなる。そもそも張弦の持つ小型の弓矢はいしゆみと呼ばれ、矢だけでなく石を飛ばす事が出来る。張弦は後ろ向きに走りながら、さらに石をつがえて、向かってくる男たちの脚を狙う。

 ひぃっ……

 ひとり倒れた。

 ぐはっ……

 ふたり倒れた。

 ぐほっ……

 さんにん倒れた。

 驚くほどの的中率に、ついに残ったふたりが逃げ出す。

 ふう……

 張弦はやっと足を止め、あたりを見回す。しかし、淑も、あの空色の目の男もいない。その時、張弦の後ろで何かが開く音がした。途端に後ろから掴まれる。

 うわっ……!

 驚くほどの力強さで、張弦は真っ暗な闇の中に引きこまれた。張弦を引き込んだ手の主がささやく。

「さすが宮廷衛兵屈指のいしゆみの使い手だな」

「何っ!」

 自分の正体を告げる声に、張弦は後ろを振り返った。
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