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特別な一日 2
しおりを挟む~白崎side~
先輩はどうして俺が神様? って思ってる。
でも僕の中では、父親よりももっと高い場所に先輩が存在しているんだ。
人が変わるキッカケなんて、自分じゃ作れなくて。なのに周りからは、どうして変われないのかと責められるのが当然の流れで。
そしてそんな悪意ある言葉で淀んでは、自分を責めていただけだった気がする。
顔は整形でもしなきゃ変われない、変えられない。
さすがに自分の親に向かって、こんな顔に生まれたくなかったとか言えなかった。
まだ幼い頭で考えついたのが、前髪を伸ばすっていうだけの防御策。
今考えたら、本当に子どもだったなと思えるその愚策に、逆に首を絞められてもいたはずで。
変わるタイミングを逃しに逃しまくっていた俺の背中を、何のためらいも何もなく押した人。
指先で僕の前髪を避けて、目を合わせて話したかったと吐露してくれた。
先輩の心の中に、僕という存在があったことも嬉しかった。
――だから。
単純に、先輩のお願いをききたい。叶えたい。そのためならば、切れずにいた前髪なんか切ってしまえと踏みだせた。
「先輩が、あの日。僕に言ってくれた言葉は、一言一句違えず言えます。忘れていません。忘れられなかったんです。口も悪けりゃ態度も悪い俺と、これだけ付き合ってこれたんだ。…怖がらず、いろんな人といっぱい話せるようになれるといいな…って。焦らなくていいから、と。無理もするな、と。一歩踏み出した次を踏み出す時も、きっと勇気がなきゃ無理だろうしとも言ってくれて、踏み出した先のことも思ってくれました。お前はお前でいい、と。髪切って、顔出して、まんま付き合えるも友達が出来ること…祈っててくれましたか? あの日、言ってくれていたように」
思い出すと涙がにじんできてしまう。泣きたくないのに、悲しくなんかないのに。
「何も言えずに一人で悩んでいたアレもコレも、まるでわかってるみたいに気持ちを掬い上げてくれたんです。それで、前髪を切って、美容院を出た時」
あの日のことも、僕は忘れていない。
「天気は曇りだったんですけど、空がすごく高くて、遠くに浮かぶ雲もハッキリ見えて、視界が一気に広がった気がしました。前髪を伸ばし続けて結構長かったんですけど、多分…すごくいろんなものをちゃんと見てなかったんだろうなって。もったいなかったな、って」
先輩が、床にあったティッシュ箱をテーブルにとんと乗せて、指先で僕の方へと押してくる。
「…ありがとうございます。ふふ、ほんと優しいなぁ」
鼻をかんで、ゴミ箱に捨ててから息を長めに吐く。気づかないうちに涙がこぼれていたなんて。
「連絡は俺のせいで取れないままだったけど、ずっと祈ってたよ。一人でいなきゃいい。誰かが気づいてやれたらいいのに。白崎はいいやつだ、ってな。お前が嫌う顔だって、こうして改めて見ても、俺は嫌いじゃない。お前が俺の顔がいいと思うように、俺だってお前の顔の方がいいと思ってるくらいだ」
先輩が性格そのまままっすぐに、僕へとあの日から気持ちを話してくれる。
「本当に? この顔が?」
鼻をすすりながら聞き返せば、先輩が何も言わずに笑ってくれた。
「そういうのなんていうか、知ってるか?」
続けて聞かれた言葉に、僕はうなずく。
「ないものねだり?」
といえば、人差し指を立てて。
「もう一つ。隣の芝生は青い。何だって他の人のものはよく見えるもんだ。ちょっと意味は違うけどな。…どっちにしたって、自分が手にしたもので勝負するしかないんだから、持ってるものでどうやって生きてくか。…と、俺は思ってる」
先輩は時々年齢よりも上っぽいことをいう時がある。実年齢、実は違うとかチラッと思ったことが何度もある。学校の先生や父親より、先輩の言葉の方が素直に聞けたことも結構あった。
「っていってもな、それでも悩むのが人間ってもんだから、それはしゃーない。悩みたい時は悩めばいい。悩みたいのを無理矢理やめさせたら、逆にダメになった時がある」
「先輩でもそんなことあったんですか?」
ふ…と先輩の話にスイッチしていく。どっちかといえば僕の話を聞いてもらったことの方が多かったので、すこし嬉しい展開だ。
「あった、あった。何回も」
と言ってから、先輩の視線が壁に貼りつけてある先輩と先輩のお母さんの、かなり昔の写真へと動いた。
「俺さ、結構早い段階で母子家庭で。まわりのみんなと同じように父親がいないし、欲しいものが好きなように買えたわけじゃくなくて。母親に何度もどうして? って責めるように聞いてたんだ。それに、身長も思ったより伸びなくて、母親に似たからだって責めたこともある。勉強だって、やりたいものと得意なのは別だし。名前は咲良って、女みたいな名前だし。それに……さっき話した通りで、なんでか誰かと長く付き合えなかったし。思ってたのと違うとか言われてよ」
途中から先輩の視線は僕へと向いて、幼い印象のある笑顔を向けてきた。
「ま、最後のに関しては? 白崎が言うように蹴るか生ごみの日に捨てりゃいいんだろうけど」
あの話をしていくらかスッキリしたような感じで、なんだか嬉しくなる。
「そうです、思い切って蹴るか捨てていいんです」
僕も先輩の言葉に乗って、笑いながら元彼女たちのことをひどい扱いにする。元々は、僕が言い出しっぺではあるけどね。
「モヤっとしたものをそのままにして、いいことなんかなかった。最後の彼女らの話なんて、特にそうだったからな。ま、結果的に白崎に話すまで温めておいて正解ってなっちまったけど」
とか言いながら、苦笑いをする先輩。
「温めとくなんて、そんな温情はいらなかったでしょう? 優しいとかじゃなくて、お人好しっていわれちゃいますよ?」
やれやれといった感じでそう言えば、「もう…とっくに言われてる」と視線をそらされた。
そう言えば仲がいい人が数人いたっけなと、今日の帰りの光景を思い出す。
僕の所へ小走りでやってきた先輩が、玄関手前で二人か三人くらいの友達らしき人と手を振りあっていた。
別の機会でも、同じ顔が先輩のそばにいたような気がする。
「僕の神様はお人好しで、可愛い人…ってことですね」
なんて言って笑ってみれば、口をポカンを開けて僕を見てから耳を赤くして。
「なんだよ、それ」
って、呟く。その仕草も可愛いと思えてしまう。
先輩の家に来るまで。ここに来てから。先輩といろいろ話して。
あの日の別れを経て、最初は不安定だった気持ちがハッキリと形になっていく。
「だってしょうがないじゃないですか。僕にとって先輩って人は、そういう人なんですから」
「そういう人、って」
確かめるように繰り返された言葉に、僕は忘れないでくださいと言わんばかりに改めて言葉にする。
「今までも、そしてきっと…これからも。先輩は僕にいろんな言葉をくれるんでしょう。先輩が言うように、これからもつながっている間は。どんな時だって悪意なくまっすぐに、僕がその時に欲しかった言葉をくれるんです。あの時だって、先輩は何気ないつもりだったんでしょうけど、僕にとっては神様からの言葉みたいだったんですよ。だから、何度もいってるように先輩が神格化されているんです。僕の神様、って。――先輩との出会いは僕にとって…運命だったと思ってるくらいです。先輩という人に出会えて…幸せです」
重いかもしれない気持ちを何の迷いもなく吐き出せるのは、先輩が相手だから。
僕の気持ちを重たいと思われても、きっと決して突き放さないだろう。むしろ手を差し出してくれるはず。
「俺、そこまですげぇ人間じゃねえって。…バッカだな? お前」
かすかに頬を染めて、顔を背けて、頬杖をついて。
「僕にとっては、ですよ。だから、お願いです。……僕のその気持ちまで否定はしないでくださいね? 先輩。俺って神だから! とか天狗にならない先輩だからこそ、こんな風に崇め奉れるんですから」
ちょっとだけ誇大表現してみれば、「ほんと、バカだろ」と顔を崩して笑ってくれる。
(あぁ、この顔…ホント好きだな)
この表情を引き出せた自分を褒めてやりたい。
「もう、前髪は伸ばさないんだよな? 白崎」
ゆっくり立ち上がって、キッチンへ向かいながら先輩が呟く。
僕はその背を追うように、立ち上がってキッチンへ。
「伸ばしませんよ。……先輩とこうして目を合わせて話がしたいですから」
左手で紺のエプロンを差し出して、右手で僕の頭をポンポンと二回イイコイイコするようにして。
「上出来」
ニッと歯を見せて笑う先輩。
先輩が卒業してから連絡がつかなかった時期は、先輩が思っているよりも僕にとって切ない時間だったけど。
(それでも、そこを通ってきたから今のこの時間があるのかもしれない。そう思うようにすれば、あの頃の僕も救われるんじゃないのかな)
エプロンを受け取って、先輩に倣って着けて「どうですか?」なんて見せてみる。
「…ふ。ガキかよ。似合ってんじゃないか? 俺より」
そういいながら先輩が身に着けたエプロンは、多分母親のだろう花柄で。
「先輩のそれも…ぷ…っ、似……似合って…くっくっ…ますよ」
先輩のいつものイメージとは遠すぎて、笑いをこらえるのが無理だった。
「笑いたきゃ笑え。そんかし、よそでネタにしたらしばらくメール返信なしな?」
肩を震わせて笑いをこらえている僕の肩に、ポンと先輩の手が置かれる。
「な?」
と念押しをされながら。
「しませんよ、そんなもったいないこと」
僕がそう返せば「もったいないって、おい」と僕の返しが不思議そうで。
「だって、僕だけの先輩の姿ですから。…あ、スマホで一枚撮ってもいいですか? 目に焼きつけておくだけじゃ、物足りなくて」
「物足りな……。お前、時々本気でバカなんじゃないかって思う時あんのな? 写真撮影は禁止な? あー…この鶏肉、一口大に切って、このボウルに入れてくれ。下味付けとくから」
さり気なく写真は拒まれてしまったけど、そのうち一枚くらいは先輩の写真が撮れたらいいな。
ふ…と先輩があごを上げ、換気扇の方へと視線を向けた。
スイッチを入れる前の換気扇から、雨が激しく振っている音が聞こえている。
「雨、ずいぶん降ってんな。お前、帰り…どうする? 帰る頃に止んでなきゃ、迎えに来てもらうか…なんなら泊まっていくかだな」
ちょっと待って。最後になんて言った? 先輩と一緒にいるのが嬉しすぎて、幻聴でも聞こえたのかな。
「迎えは聞いてみなきゃ…です、けど。泊まりもアリ……なん、ですか?」
都合がいいように聞こえたなんて、思いたくない。
「んー? 別にいいけど? あ、それともあれか? 布団や枕が変わると眠れないとか、デリケートな」
先輩の言葉を遮って、僕はまるで子どものように手をあげる。
「泊まりたいです!!」
嬉しくてたまらない気持ちを隠せずに、笑顔で。
「そっか。…じゃ、肉切る前に、家に連絡入れとけ。俺も母親に連絡しとくから」
材料を出すだけ出して、二人でリビングへ戻る。互いにスマホを操作して、親へ連絡する。
「……こっちはオッケー出ました」
そう返した僕の目の前に、眉間にシワを寄せた先輩の顔があって。
「先輩?」
首をかしげながら、いつものように呼んでみれば、先輩がため息をついた。
「母親、雨がひどくて帰れないって。会社の近くに住んでる同僚の家に今晩は泊まるとさ。なら、食事終わったら、さっさと風呂だな」
たまったまの訪問だったはずなのに、なんなんだ…一体。
(今日はなんのご褒美デー?)
先輩には僕の気持ちはバレていないはず。バレていたら、こんなこと軽く口に出せていないはず。
(好きな人の家で、外泊。一緒に料理して、同じものを食べて、同じ風呂に入って、同じ家で寝泊まりして)
「あ。布団とベッド、どっちがいい?」
あぁ、ダメだ。ご褒美が供給過多すぎて、顔がゆるんでしまう。
「布団で大丈夫です」
本当は一緒に寝ませんかと言い出しかけたけど、邪な言葉を飲み込む。
「そっか。じゃあ、後で敷いてきてやるよ」
そんな僕の気持ちなんか知らずに、先輩は僕が喜ぶ言葉しか言わない。
「手伝います」
その言葉に甘えすぎないようにと声をあげても、僕のその声を僕よりも嬉しそうな顔で。
「お前はイイコだな」
間違うことなく、褒めてくれる。
(あぁ、好きだな。男だからとかじゃなく、黒木咲良という人だから…好きなんだな)
ひとつずつ、好きという形を積み上げていく。
先輩に気づかせるかはまた、別の話として…だけど。
(好きになるのは、許してくれますよね?)
褒められて素直に喜ぶ子どもみたいな顔をして、撫でられるがままにしておく。
「さ…て、と。料理の方は、イイコで出来るかな?」
頭から手のひらがスルリと頬へと動いて、むにゅっと摘ままれる。
「がんばりまふ」
明日を迎えるまでに、もっと褒めてもらいたい。触れてほしい。
たとえそれが子ども扱いでしかないんだとしても。
小さな願いを叶えるための時間が、降ってきたようなものだ。
朝から始まった特別な一日の延長戦に、僕は心を躍らせた。
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