所詮、狗。

はちのす

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不幸のフルコンボ

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週末の喧騒がひと所に凝縮したような、繁華街の夜。


数週間ぶりにしっかりとした食事にありつけたのだ。
胃は喜び勇んで、更なる食料を欲するが、続く食物がないことを悟ると悲しげに音を鳴らした。


「食った食ったぁ…とはいえ、まだ食い足りないけど」


あまり綺麗とは言えないレジの前に立ち、ポケットを探った瞬間。


(…あれ、嘘だろ。)


そこにあるはずの厚みが全く感じられず、冷や汗が止め処なく流れ落ちる。


「さ、財布がない……!!ックソ、あの野郎か!」


隣の席に並んで座った客が、妙に怪しい素振りをしていたのを思い出した。

身なりから50代後半の男性、髭は自由に伸びきり、服は擦り切れていた。

人目を憚って、片腕の置き場を悩んでいる節があり、不審に思ったのだ。


「許せん…アイツ地の果てまで追いかけて牢にブチ込んでやる」


「黒谷の兄ちゃん、お会計は?まさか、無いとは言わないだろ」


俺が呟いた"財布が無い"という発言を聞きつけたのか、大将が訝しげにコチラを見る。


「申し訳ない、大将…他の客にスラれたんだ。今は持ち合わせがねぇ」


「スラれたぁ?!…おいおい黒谷さん。勘が鈍ったのか。アンタ...刑事さんじゃないか」


だよ。今ではただの"正義感がある職なし"だ」


「そんな台詞でキメ顔しても、食事代はタダにはならねぇぞ」


大将から送られるじっとりとした目線を気にする暇もなく、俺はこの場を切り抜けるために頭をフル回転させ始めた。


(まずい…財布を取り返そうにも、この状況で走って店から出ようもんなら、今度は俺が"食い逃げ犯"待ったなしだ)


俺は元々雑巾一枚程度だったプライドを捨て去り、その場で頭を擦り付ける勢いで土下座した。


「会計の分、ここで仕事させてください!!!」



*****************



愚痴愚痴と文句を言われながらも、散々皿洗いや掃除をした帰り道。

あまりに不幸続きな自身の境遇に溜息が止まらない。


「はぁ、ツイてねぇな……」


もしこの世に神がいるのなら、俺の人生を弄んで、終わりのない日々の暇を潰しているんだろう。

そう思わずにはいられない。

俺がどの程度ツイていないかというと、1年前にまで話は遡る。





パシンッ!

挨拶がわりとでも言うように、俺の頬に数枚の紙が叩きつけられる。

その紙というのも、先程まで俺が取り調べていた被疑者の調書で、本来なら雑な扱いをして良いものではない。


「こんな事も碌に出来んのか!なんだこの調書は、ええ?!日本語の書き取りから学び直してこい!……これだから一課の連中は」


(内容は完璧だろ、見た目にケチつけてくるのか…というか、お前もその一課だっての)


目の前で唾を吐き散らかしながら怒りの声を上げているのは、俺等の上司にあたる人間だ。

二課長から異動となり一課に配属されてから、日々罵詈雑言のオンパレード。

就任半年で精神を病ませた部下を3人も出したことで一躍有名になった。

逃げ場のない警察組織の中で、心なく潰れる人間を出す様はいっそ痛快だ。


「今日もやってますねぇ」


「いい加減飽きないのか、アレ」


コソコソ…と背後で同僚の話し声が上がる。

(おい聞こえるぞ、アイツら)


「お前が!こうして!適当な調書を作りやがるから!大した実績を獲れないんだッ!」


話している間にも、一定の間隔で、調書でビンタをされる。


テン!テテン!テテテテン!デデデデンッ!

…フルコンボだドン!


みたいなリズムだろうか。

頭の中で、何某の達人かのような画面を思い浮かべてしまった。

それがなんだか妙で、口角が上がる。

(あ、やべ)


「…おい!今笑ったな?!笑ったよな?!」


「いえ、笑っていません」


「もう我慢の限界だ、お前みたいな"出来損ない"はいらな……フゴォッ?!」


「……あ。」


「黒谷?!」


「先輩、なにやってんすか!」


"出来損ない"。その言葉を聞いた瞬間、弾けるように拳が目の前の頬に吸い込まれていった。

そして、その懲戒免職パンチを以て、俺の刑事人生は終わりを告げたのだった。


そこから俺こと、黒谷 健くろや けん の転落人生が始まった。



職を失った俺は、取り調べや犯人確保など、およそ一般向きではない職務歴しかなく、警備系の会社を転々としていた。

その日暮らしではあるが、特に問題はなく生活は出来ていた。

…のだが。最悪なことに、勤めていた会社が夜逃げするというドラマもびっくりの展開が俺を待っていた。

それがつい数日前の出来事だ。


「俺の人生、クソだな…」


唯一の救いは、かつての先輩後輩が未だ俺と繋がりを持ってくれていることぐらいだ。

俺の放ったパンチによって、ストレスが霧散したと褒め称えられた。

(それで俺自身がこのザマだからな…訳ないよな)


トボトボとした足取りで家に近付く。


(…なんだか、いつもよりも騒がしいな)


ボロアパートに住んでいたからか、日が変わる頃には大抵の住人は家に引っ込んでいたのに、今日は外で何やらお祭り騒ぎだ。


ふと、鼻腔をくすぐる香ばしい香りに気が付いた。


「煙っ…キャンプファイヤーでもやってんのか?まるで木が燃えたような…木?」


思わず走り出した俺が目にとらえたもの、それは…


「おいおい、どうなってんだよ…不幸のフルコンボだドン…ってか」


築35年、木造2階建てのボロアパートがキャンプファイヤーになった光景だった。

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