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ありし日の鈴春

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 俺はどうやって迷い込んだのか分からないが、歩いているうちに隠世に入っていた。
 いつもとは違う風景に、冷たく心臓を鷲掴みされるかのような感傷に、俺はここを死場所だと考えた。
 近くにあった尖った石に何度も何度も頭をぶつけて、幼い俺は簡単には死ねない方法でなぜ死ねないのか自問自答しながら死のうとした。

 そんな時、彼女は鈴を転がすような困った声を出して俺に話しかけてきた。

「………月餅ユエビンはいかが?」

 甘い香りをさせながら俺の前に立っていたのは、藍色の布地にの白蓮の刺繍が大層美しい漢服に身を包んだ、鈴春だった。肩上の長さの香色の髪を内巻きにし、琥珀を鹿の角の形に削り出したかのような角を持つ鈴春は、俺にとって初めて見る妖魔だった。
 しゃらしゃらと風に乗って揺れる香色の髪と角に乗せられた銀飾りに眩しさを感じながら、俺は鈴春から月餅を受け取った。

 ぱくっとかじりついた瞬間に口の中で広がった美味しさに、俺は涙を流した。
 なぜ泣いているのかも、なぜこんなにも美味しさを感じるのかもわからなかった。
 ただただほくほくと温かいパイ生地と生地に包まれた小豆餡と木の実がとてつもなく美味しくて、安心したのを覚えている。

 鈴春はそれから俺のことを拾って、半年もの間育ててくれた。
 お腹いっぱい食べられる沢山の食べ物、触り心地の良い清潔感のあるお洋服、そして何よりも、温かな愛情をくれた。

 猫や犬や鳥を拾っては育てて野生に帰している鈴春は、たった半年しか一緒にいなかった俺のことなんて覚えていないだろう。
 その氷色の瞳に宿る優しさに、俺が何度救われたかなんて分からない。

 少なくとも、今の俺が人間らしく人らしい感情を抱けているのは鈴春のおかげだ。


*************************

読んでいただきありがとうございます🐈🐈🐈

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