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31.勤務初日
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「念のために確認なんだけど、これって読める?」
「はい、ちゃんと内容は理解できるみたいです」
出勤してすぐに案内されたのは、クレットの執務室の端にある小さな机だ。ここが今日からユーリの席になるらしい。ガラスペンとインク壺が置かれ、そして紙の束がどどんと積まれている。
昼休憩以外にも、随時、休んで構わないことや、クレット以外にここに出入りしている文官には「フィルが戦地で拾ってきた人材」とだけ伝えてあることなど、一通りの説明を受けた後、何やら古びた本を渡されて質問されたと思えば、クレットは両膝をついて手を組み、ユーリを拝んできた。
「あのっ、そんな大袈裟な……っ」
「いやいや、大袈裟なんかじゃないんだよ。だって、もう失われた言語だよ? この言語を使ってた文明すら伝説レベルなのに、僅かに残った本や碑文なんて読めるはずもないって諦めてたレベルだからね?」
そんなことを言われても、とユーリは思う。ただ、今の説明を聞いて疑問も湧いた。
「あの、この世界には長命な種族がいると聞いていたんですが、それでも伝説になるレベルって、よほど昔の文明なんでしょうか?」
「あぁ、長命って言っても、自分の国に引きこもってることが多かったりするからね。その有り余る寿命を使って見聞を深めている種族なんて、まず、いないから。いたとしても相当な変わり者扱いだろうね」
「そういうものなんですか……」
この世界にどんな種族がいるかはフィルさんから教えてもらったが、そういった深い知識まではユーリにはまだない。まだまだこちらの世界での常識が足りないな、と自覚する。
「それで翻訳先の言語なんだけど、これを手本にしたら書けそうかな」
「はい。この言語って、共通語、ですよね? 大陸で広く使われてるっていう……」
「あぁ、そういうのは分かるんだね。そうなんだ。共通語に翻訳できれば、他の研究者にも内容を広めやすいからね」
あぁ、翻訳内容を秘匿するわけじゃないのか、とユーリは意外に思った。なんとなく研究者のような雰囲気を醸し出すクレットは、研究内容を隠すタイプに見えたのだ。
「この本……、休憩時間に読んでもいいですか?」
「もちろん、そのつもりで用意したから。――あぁ、翻訳は別に急がないからゆっくりで構わないよ。こちらの筆記具にも慣れていないだろうし、練習のつもりでね」
ひらひらと手を振って自席に戻るクレットを見送り、ユーリは手元に残された本を見つめた。共通語で書かれたその本の背表紙には「彷徨い人の事例集~ビジタ・Cによる聞き取り~」とあった。つまり、ユーリより以前にこの世界にやってきた彷徨い人の資料らしいのだ。すごく内容が気になって仕方がない。
ユーリは視線を本から引き剥がし、気持ちを切り替えるようにひとつ頷いてイスに座った。間に合わせにしては、随分と質の良い机とイスに驚いた。イスの座面と背もたれのクッションが程良い柔らかさで、あちらの職場のイスとは比べものにならない座り心地だ。
(よし、頑張ろう)
渡された本の内容は気になるが、とにかく仕事を優先させようと、古びた本を慎重にめくる。
(でも、この本、本当に翻訳してしまっていいのかな)
伝説扱いされるその文明が、どういった文明なのかさっぱり分からないが、少なくとも本の内容は、学術的な価値がなさそうに思えた。
(だって、『あがり症のあなたに教える3つのこと』なんて、完全に自己啓発本じゃない?)
それでも、もしかしたら全く別の価値があるのかもしれない。そう思い直してユーリは仕事に取り組み始めた。
・‥…━━━☆
一方その頃、フィルはめでたく副官ポジに戻ったロシュに、徹底的に絞られていた。
「ちょっと待て! 明らかにこの量はおかしいだろ!」
「あら、それはアタシがサボっていたとでも言う気ですか?」
「さすがにそこまでは言わないが……」
「副官の権限で回せるものと回せないものがあるんですよ? 一時的に長官代理には任命されていましたけど、1人で2人分の仕事なんてできるわけありませんよね?」
「ぐ、わ、悪かった……」
素直に謝るフィルに、ロシュは思わず身震いした。
「やだ、フィル殿下がこんなに素直に謝るなんて、雪でも降るんですかね?」
「そこまで言うか?」
「これが番効果ってやつですか。成程、その方がいらっしゃるという資料室の方を拝んでおきましょう」
「否定はしないが、ひどい言われようだな!」
クレットの所に預けたユーリが気になるが、とにかく早く仕事を終わらせようと、フィルは書類仕事だというのにいつになく集中力が続いていた。
「あらー、本当に番ってすごいんですね」
「他人事のように言うが、ロシュも自分の番に遭遇する可能性はあるからな?」
「はいはい。出会えたら素敵ですねー」
「聞けよ!」
「はい、ちゃんと内容は理解できるみたいです」
出勤してすぐに案内されたのは、クレットの執務室の端にある小さな机だ。ここが今日からユーリの席になるらしい。ガラスペンとインク壺が置かれ、そして紙の束がどどんと積まれている。
昼休憩以外にも、随時、休んで構わないことや、クレット以外にここに出入りしている文官には「フィルが戦地で拾ってきた人材」とだけ伝えてあることなど、一通りの説明を受けた後、何やら古びた本を渡されて質問されたと思えば、クレットは両膝をついて手を組み、ユーリを拝んできた。
「あのっ、そんな大袈裟な……っ」
「いやいや、大袈裟なんかじゃないんだよ。だって、もう失われた言語だよ? この言語を使ってた文明すら伝説レベルなのに、僅かに残った本や碑文なんて読めるはずもないって諦めてたレベルだからね?」
そんなことを言われても、とユーリは思う。ただ、今の説明を聞いて疑問も湧いた。
「あの、この世界には長命な種族がいると聞いていたんですが、それでも伝説になるレベルって、よほど昔の文明なんでしょうか?」
「あぁ、長命って言っても、自分の国に引きこもってることが多かったりするからね。その有り余る寿命を使って見聞を深めている種族なんて、まず、いないから。いたとしても相当な変わり者扱いだろうね」
「そういうものなんですか……」
この世界にどんな種族がいるかはフィルさんから教えてもらったが、そういった深い知識まではユーリにはまだない。まだまだこちらの世界での常識が足りないな、と自覚する。
「それで翻訳先の言語なんだけど、これを手本にしたら書けそうかな」
「はい。この言語って、共通語、ですよね? 大陸で広く使われてるっていう……」
「あぁ、そういうのは分かるんだね。そうなんだ。共通語に翻訳できれば、他の研究者にも内容を広めやすいからね」
あぁ、翻訳内容を秘匿するわけじゃないのか、とユーリは意外に思った。なんとなく研究者のような雰囲気を醸し出すクレットは、研究内容を隠すタイプに見えたのだ。
「この本……、休憩時間に読んでもいいですか?」
「もちろん、そのつもりで用意したから。――あぁ、翻訳は別に急がないからゆっくりで構わないよ。こちらの筆記具にも慣れていないだろうし、練習のつもりでね」
ひらひらと手を振って自席に戻るクレットを見送り、ユーリは手元に残された本を見つめた。共通語で書かれたその本の背表紙には「彷徨い人の事例集~ビジタ・Cによる聞き取り~」とあった。つまり、ユーリより以前にこの世界にやってきた彷徨い人の資料らしいのだ。すごく内容が気になって仕方がない。
ユーリは視線を本から引き剥がし、気持ちを切り替えるようにひとつ頷いてイスに座った。間に合わせにしては、随分と質の良い机とイスに驚いた。イスの座面と背もたれのクッションが程良い柔らかさで、あちらの職場のイスとは比べものにならない座り心地だ。
(よし、頑張ろう)
渡された本の内容は気になるが、とにかく仕事を優先させようと、古びた本を慎重にめくる。
(でも、この本、本当に翻訳してしまっていいのかな)
伝説扱いされるその文明が、どういった文明なのかさっぱり分からないが、少なくとも本の内容は、学術的な価値がなさそうに思えた。
(だって、『あがり症のあなたに教える3つのこと』なんて、完全に自己啓発本じゃない?)
それでも、もしかしたら全く別の価値があるのかもしれない。そう思い直してユーリは仕事に取り組み始めた。
・‥…━━━☆
一方その頃、フィルはめでたく副官ポジに戻ったロシュに、徹底的に絞られていた。
「ちょっと待て! 明らかにこの量はおかしいだろ!」
「あら、それはアタシがサボっていたとでも言う気ですか?」
「さすがにそこまでは言わないが……」
「副官の権限で回せるものと回せないものがあるんですよ? 一時的に長官代理には任命されていましたけど、1人で2人分の仕事なんてできるわけありませんよね?」
「ぐ、わ、悪かった……」
素直に謝るフィルに、ロシュは思わず身震いした。
「やだ、フィル殿下がこんなに素直に謝るなんて、雪でも降るんですかね?」
「そこまで言うか?」
「これが番効果ってやつですか。成程、その方がいらっしゃるという資料室の方を拝んでおきましょう」
「否定はしないが、ひどい言われようだな!」
クレットの所に預けたユーリが気になるが、とにかく早く仕事を終わらせようと、フィルは書類仕事だというのにいつになく集中力が続いていた。
「あらー、本当に番ってすごいんですね」
「他人事のように言うが、ロシュも自分の番に遭遇する可能性はあるからな?」
「はいはい。出会えたら素敵ですねー」
「聞けよ!」
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