英雄の番が名乗るまで

長野 雪

文字の大きさ
上 下
3 / 67

03.運命の出会い(強引)

しおりを挟む
「その……どうでしょうか?」

 シュルツの城下町で、服飾を扱う店の裏手では、がっしりとした体格の女店主と線の細い女性が立ち話をしていた。

「う~ん、確かに見たことのない技法だけどねぇ」

 渡された布に目を凝らし、店主は難しい顔を浮かべている。自分を雇ってもらえないか、という女性が来たのは昨日のことだ。「刺繍ならたぶんできる」というあやふやな売り込みに、それなら作品を見せてくれと言って追い返したのだが、翌日にこうして刺繍入りのハンカチを持ってやって来たのであれば、確認しないわけにもいかない。
 刺繍の技法は店主が目にしたことのないものだ。この女性は遠くの国から流れて来た難民なのは間違いないだろう。魔物の大侵攻によって住まいを追われた者や、難民に雇用先を奪われてしまった者もいる。魔物の大侵攻によって、人の住む地域が削られ、結果、土地に対する人口が過多になってしまっているのだ。

「お前さん、あぁ、ユーリって言ったかい? こういう仕事はしたことないんだろ? 技法はともかく、針と糸に不慣れなのが丸わかりだよ。もっと違った仕事をしてたんなら、そういう仕事を探せばいいと思うんだけどねぇ」
「でも、このせ……国では、前職みたいなことができないので……」
「そうなのかい? そりゃ、困ったねぇ」

 店主はどうやってこの女性を断ろうかと頭を悩ませた。何しろ、針子の数は足りているのだ。そこに経験不足の針子を加えるメリットは一切ない。

「悪いけど――――」

ズダァンッ!

 突如、店主と女性の目の前に空から人が降ってきた。目を丸くした二人は降って来た男を見つめる。

「あぁ、見つけた……」

 男は店の裏手に相応しくない礼服を身に纏っていた。藍色の髪を短く刈り込み、金色の虹彩に浮かぶ縦長の瞳孔が、まっすぐに彼女を捉えていた。伸ばした黒髪を三つ編みにして横に垂らしている彼女の黒い瞳が戸惑うように揺れるのを、目に焼き付けるように視線を定めている。

「俺の唯一」

 女性の前に膝をつき、その手を取る。まさか自分に用があったとも知らず、思わず半歩退いた彼女だったが、手を強く握られてしまえば逃げることもできなかった。

「どうか、俺と共に生きることを選んでくれないか。貴女がいるだけで、俺はこの上ない幸福を感じていられる。衣食住にも不自由させない。だから、どうか――」
「え」

 戸惑う様子の女性に、女店主は「良かったじゃないか」と声を掛けた。

「亜人種には番と呼ばれる存在がいるって話を聞いたことがあるよ。この人の番がお前さんなんだろうよ。こんなちんけな服屋で仕事するより、ずっといい暮らしができるだろうさ」
「え、つが……え?」

 理解できない、ときょときょとする彼女の手を引き、男は軽々と抱き上げた。

「あぁ、仕事などする必要はない。貴女は俺の隣にいてくれればいいんだから」
「え? あの、ちょ……」

 困惑する女性を抱き上げたまま、男は高く跳躍した、そのまま翼を広げ、城の方へと飛んでいく。

――――滅多に出会えないという番に出会えた喜びで我を失う程だった男が、腕の中で女性が気絶したことに気がついたのは、王城に到着してからだった。もちろん、盛大に慌てたことは言うまでもない。


・‥…━━━☆


(ん、……あと5分)

 そう思いながら、彼女はもぞもぞと寝返りを打った。もう5分ぐらいは寝ててもいいだろう。そう思えるぐらいに何故か疲労が溜まっていた。

(どうして、こんなに疲れてるんだっけ?)

 あまりのだるさに昨日の記憶を呼び起こそうとして、慌てて彼女は起き上がった。あまりに勢いを付けすぎてしまったせいか、くらり、と目眩を感じて再びベッドに逆戻りしそうになる。

「あぁ、そんなに勢いを付けるから」

 彼女を支えたのは、大きな手のひらを持つ男だ。どうやら気を失った自分を見ていてくれたらしい。申し訳ない……と謝ろうとしたが、そもそもの原因になった男だと気付いて、ぐ、と黙り込んだ。

「すまない。そもそも俺が焦って求婚したことで、精神的に負荷をかけてしまったのだろう?」
「……いえ」

 むしろ、自分を抱えて空高く飛んだ事の方が問題だったと思ったが、そもそも常識が違うから仕方ない、と彼女は曖昧な返事をするに留めた。

「まだ顔色が悪い。もう少し休むといい」
「あ、あの!」
「なんだ?」

 どうしていきなり求婚してきたのか、どうしてこんなに親切にしてくれるのか、色々と聞きたいことはあったが、彼女は意を決して告白することにした。恥ずかしいのは山々だが、かといって、このままにはできない。

「顔色が悪いと言うのなら、その……お腹が空いているからだと、思います」

 最後の言葉はあまりの恥ずかしさに蚊の鳴くような声量になってしまったが、男はしっかりと聞き取れたらしく「それは一大事だな」と真面目に頷いた。

「何か食べるものを貰って来よう」

 背中に添えていた手を離すと、ベッドサイドから立ち上がった男は彼女に背を向けかけたところで「あぁ、忘れていた」と立ち止まった。

「俺の名前はフィルと言う。貴女の名前は……ユーリ、で合っているか?」
「私……名前を言いましたっけ?」
「いや、服屋の店主が貴女をそう呼んでいたのを聞いてな」
「そう、ですか」

 少し歯切れ悪そうに頷いた彼女――ユーリの手を、フィルは壊れ物でも扱うようにそっと掬いとった。

『フィル・リングルスの名にかけて、ユーリに害為す全てのものから護る』

 魔術言語で守護をかけようとしたフィルだが、その手応えもなく不発に終わり、眉間に皺を寄せた。

「あの、……今のは?」
「あぁ、いや、なんでもない。俺の誓いのようなものだ。すぐ戻るから大人しくしておいてくれるか?」
「はい。ここがどこなのかもよく分からないし、動く気力もあまりないので、大丈夫です」

 従順にユーリが頷いたにもかかわらず、フィルは「絶対だぞ!」とまるで聞き分けのない子どもにするように念押しをして、慌てて部屋を出ていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者に言わせれば私は要らないらしいので、喜んで出ていきます

法華
恋愛
貴族令嬢のジェーンは、婚約者のヘンリー子爵の浮気現場を目撃してしまう。問い詰めるもヘンリーはシラを切るばかりか、「信用してくれない女は要らない」と言い出した。それなら望み通り、出て行ってさしあげましょう。ただし、報いはちゃんと受けてもらいます。 さらに、ヘンリーを取り巻く動向は思いもよらぬ方向に。 ※三話完結

彼女がいなくなった6年後の話

こん
恋愛
今日は、彼女が死んでから6年目である。 彼女は、しがない男爵令嬢だった。薄い桃色でサラサラの髪、端正な顔にある2つのアーモンド色のキラキラと光る瞳には誰もが惹かれ、それは私も例外では無かった。 彼女の墓の前で、一通り遺書を読んで立ち上がる。 「今日で貴方が死んでから6年が経ったの。遺書に何を書いたか忘れたのかもしれないから、読み上げるわ。悪く思わないで」 何回も読んで覚えてしまった遺書の最後を一息で言う。 「「必ず、貴方に会いに帰るから。1人にしないって約束、私は破らない。」」 突然、私の声と共に知らない誰かの声がした。驚いて声の方を振り向く。そこには、見たことのない男性が立っていた。 ※ガールズラブの要素は殆どありませんが、念の為入れています。最終的には男女です! ※なろう様にも掲載

今世ではあなたと結婚なんてお断りです!

水川サキ
恋愛
私は夫に殺された。 正確には、夫とその愛人である私の親友に。 夫である王太子殿下に剣で身体を貫かれ、死んだと思ったら1年前に戻っていた。 もう二度とあんな目に遭いたくない。 今度はあなたと結婚なんて、絶対にしませんから。 あなたの人生なんて知ったことではないけれど、 破滅するまで見守ってさしあげますわ!

緑の指を持つ娘

Moonshine
恋愛
べスは、田舎で粉ひきをして暮らしている地味な女の子、唯一の趣味は魔法使いの活躍する冒険の本を読むことくらいで、魔力もなければ学もない。ただ、ものすごく、植物を育てるのが得意な特技があった。 ある日幼馴染がべスの畑から勝手に薬草をもっていった事で、べスの静かな生活は大きくかわる・・ 俺様魔術師と、純朴な田舎の娘の異世界恋愛物語。 第1章は完結いたしました!第2章の温泉湯けむり編スタートです。 ちょっと投稿は不定期になりますが、頑張りますね。 疲れた人、癒されたい人、みんなべスの温室に遊びにきてください。温室で癒されたら、今度はベスの温泉に遊びにきてくださいね!作者と一緒に、みんなでいい温泉に入って癒されませんか?

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

旦那様はチョロい方でした

白野佑奈
恋愛
転生先はすでに何年も前にハーレムエンドしたゲームの中。 そしてモブの私に紹介されたのは、ヒロインに惚れまくりの攻略者の一人。 ええ…嫌なんですけど。 嫌々一緒になった二人だけど、意外と旦那様は話せばわかる方…というか、いつの間にか溺愛って色々チョロすぎません? ※完結しましたので、他サイトにも掲載しております

夫が大人しめの男爵令嬢と不倫していました

hana
恋愛
「ノア。お前とは離婚させてもらう」 パーティー会場で叫んだ夫アレンに、私は冷徹に言葉を返す。 「それはこちらのセリフです。あなたを只今から断罪致します」

これ以上私の心をかき乱さないで下さい

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。 そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。 そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが “君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない” そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。 そこでユーリを待っていたのは…

処理中です...