緑担う姫と砂漠の真相

長野 雪

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ツタと落下と眠り母《ひめ》

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 その部屋は、異様な空間だった。
 部屋には寝台と、その枕元に1脚のイスがあるだけ。
 紗幕に閉ざされた寝台には、誰かが横たわっていた。

「誰、なの?」
「オレの母親だ」

 先を行くヴァルが窓を開ける。吹き込んだ風が紗幕を舞い上がらせ、入り口に立ち尽くしたままの私からも、その人の様子が見えた。見えてしまった。
 横たわっていたのは三十代ぐらいの女性だ。この国によくある浅黒い肌だけど、まるで死んでいるかのように生気に欠けている。何よりも、彼女の身体のそこここに枯れかけて茶色く変色した蔦が絡みついていた。まるでその女性を包み込むように。
 その蔦は、あの絶叫が嘘のように、今は小さく『助けて』と漏らすだけだった。

「十四年前、オレが八歳の頃だ。突然倒れて、それっきりだ。どんなに引き抜いてもこの蔦が……!」

 激昂したヴァルの手が蔦に伸びるのを見て、私はとっさに彼の腕に飛びついた。

「待って!」
「なんだ、放せ!」
「だめよ! 逆に考えてみてよ! この蔦のせいだったら、あなたのお母様がこんなに長い間、生き永らえているなんて考えられないでしょう!? むしろこの蔦のおかげで、とは考えられないの!?」
「――――お前もか」

 ヴァルの声は、これ以上ないぐらいに冷たいものだった。

「親父も、そういう夢物語を口にしてたさ。この蔦が母の命を支えてくれてるってな。……だからこそ、親父は少しなりともここに人を残した。いつ目覚めてもいいように、ってな」

 ヴァルの目が、私から横たわる女性に向けられる。

「だけどな、触ってみろよ、この冷たい肌を。呼吸も数分に1度するかしないかだ。寝たきりで身動みじろぎすらしない!」

 ヴァルの顎がくい、と振られる。触ってみろと促され、私はその手を取った。
――――冷たい。生きている人間とは思えないほどに。
 さりげなく私は指をずらして蔦に触れた。直接触れれば、もっと意思の疎通が図れると思ったのだけれど、残念ながら、蔦は『助けて』とうわごとのように繰り返すだけで、具体的なことは何も語ってはくれなかった。あの絶叫は、最後の力を振り絞ったものだったのかもしれないと思うと、じわりと涙がにじみ出る。

「こんなのって……」

 そんな精一杯の状況でありながら、それでもこの女性を生かそうとする蔦の健気さに流れた涙は、枯れかけた蔦の葉にぽとりと落ちた。


*+:。.。:+**+:。.。:+**+:。.。:+**+:。.。:+*


 昼食の席は無言だった。
 並んでいるのは、モーリィが作ったという料理だ。全体的にぱさぱさとしていて、お世辞にもおいしいとは言えない。でも、これはきっとモーリィの腕の問題じゃなくて、材料の問題なんだと思う。

(砂漠化、それに伴う水不足)

 あの蔦なら、何かを知っているかもしれない。急激に進む砂漠化と、ヴァルの母親というあの女性が仮死状態に陥っていることは、同じ根っこのものとまでは言わないけれど、ずっとああして絡み続けているのなら、少なくとも十四年前までの記憶はあるはずだ。
 でも、話してもらうためには、どうにかしてあの蔦を助けないといけない。

(……やっぱり、水、かしら)

 水がなければ話にならない。でも、水はない。どうにかして水を手に入れないと……

「あ」

 そういえば、と思ったら、つい声が出てしまった。

「どうした」

 こちらを睨むようにうかがうヴァルに「なんでもない」とごまかしながら、数刻前に見せてもらった資料を思い出す。城の見取り図と地勢図と。

「午後は、外を見てもいいかしら?」
「逃げられると思ってんのか?」
「いいえ? 一度、外からこの城を見てみたいだけよ。砂漠の中を突っ切って帰れるなんて思ってないわ」
「――――まぁ、いいだろう」

 承諾してくれたけれど、ヴァルの声音には疑念が込められていた気がする。まぁ、当たり前よね。
 それでも日除けのマントを出すようにモーリィに言いつけているのだから、優しいと思っておくべきなのだろうか。

「何を企んでいる?」
「……以前、水場だった場所が知りたいだけよ」

 もちろん、嘘じゃない。かつて、城壁の内側に湧水池があった。元々、バリステは乾いた大地が国土を広く占めていたというし、きっとオアシスのような場所に王城を建てたのだと思う。かつて水の湧き出たところへ行くことで、何か分かれば。そんな藁にもすがるような気持ちだった。あわよくば、オアシスを取り戻せないかとも思う。――――自分の力を使ってでも。

 そもそも、私の力は植物と意思を交わせることや、傷を治療することに限定されないらしい。
 かつて、私の国――リスティアには万物の声を聞き、力を借りることができたという伝説の女王がいた。私はその再来なのだという。そう言った歴史学者に言わせれば、力を行使する方法が分からないだけなのだと。植物は身近にあり、自分と同じ生物として認識しやすいからこそ、いま、こんなふうに会話できているに過ぎないと。それならば、大地や風、水や炎を操るにはどうしたらいいのか。その問いにその歴史学者はこう答えた。――――同じものだと認識すればいいのではないかと。
 無茶を言わないで欲しいと思った。水は水だし、地面は地面。それを自分と同じものとして認識するなど到底できない。助言を受けて、しばらくは大地や風、流れる水に向かって挨拶を続けてみたけれど、虚しくなってやめてしまった。

 もしかしたら、今が頑張り時なのかもしれない。水に意志があるというのなら、水と心を交わすことができるなら、それを地上に引っ張り上げる。私が伝説の女王と同じなら、私にはそれができるはずだ。――――できないかもしれないけど。
 どちらにしても、このままあの蔦を放っておくことはできない。せめて水があれば、あの蔦の生気を取り戻すことができるはずだ。

「食事は終わったか? それなら行くぞ」

 思考の海から私を引き上げたのは、憮然とした様子のヴァルだった。

「何を考えてる?」
「何も?」

 探られても、今の段階では言えることはない。だから、こう答えるしかない。

「まぁ、いい。水場は2つあった。この城の中庭と、城を出て200メートルほど東に行ったところだ。どっちに行く?」
「可能なら、どちらも、かしら。でも、まずは中庭の方を見たいわ」

 差し出されたマントを羽織り、取られた手を引かれるままに外へ向かう。
 城の外へ出る直前、「フードをかぶっておけ」という忠告に素直に従った。うん、これは正解。真昼の日差しは暴力的で、目がちかちかするぐらいだった。屋内は窓を狭くとっているからマシだけれど、外はさすがにそうはいかない。

「そういえば、城下町はどうなってしまったの?」

 過去の地図からは、城下にはいくつもの店や家が立ち並び、栄えている様子が読み取れた。けれど、城の外には建物の影なんてほとんどない。

「砂漠が広がり始めて十年? 二十年? それだけじゃ、こうならないはずよね?」

 私の疑問に、ヴァルが「何を言ってるんだ」とばかりに顔をしかめた。そんなに変なことを言っただろうか?

「だから、家やお店の跡、って言えばいいのかしら? 瓦礫というか、廃墟というか、とにかく建物がないじゃない」

 言葉を重ねたことで、ようやくヴァルも得心顔になった。

「あぁ、お前の国じゃ、家は持って行かないんだったか」
「持って行く?」

 私の頭が疑問符だらけになった。いや、持ち運びなんて……テント? いやいや、無理があるでしょう。
 だけど、ヴァルはこの国では引っ越すときに家ごと運ぶのだと言う。バリステでは、家に対する愛着が強く、何代にも渡って使う。どうしようもない事情で引っ越す必要ができると、家を解体して持っていくのだそうだ。そのため、家の作りも解体・運搬に適したシンプルなものなんだとか。

「ただ、王族なんかは違うな」

 上流階級の人間になると、いくつも「家」を持っているため、それを運ぶ必要もなく、しっかりと土台を組んで家を建てる。王城も同じだということだ。

「ほら、向こうに見えるか?」

 城壁の門のさらに向こうを指差すので、私は目を凝らしてみる。遠くに何か建物が見える。低い塔、のような?

「城下町のさらに外へ出る門だ。ああいうのも動かさないものの一つだな。街ごと移動するなんて、そうそうあることじゃねぇし」

 ぐい、と手を引かれ、容赦なく降り注ぐ陽光の中、中庭の方へと先導される。道すがら、改めてこの元・王城を見ると、かつてはオアシスに建つ重厚な、それでいて高貴さを併せ持つものだったろうに、今は砂漠に浸食されまいと踏ん張る砦にしか見えない。

「ここら辺だ」

 そうしてヴァルが足を止めた場所は、何もない地面の上だった。

「ここが?」
「そう、お前の言う『水場だった場所』だ。何か言うことはあるか?」

 私は愕然として地面を見つめた。何度も掘り返されたような跡が残っているのは、まるでここに住んでいた人間があがいた証のような気さえする。それほど、ここに水場があった痕跡がないのだ。
 それでも何かないだろうかと周囲を見回して、私は自分の背丈よりも長い棒が転がっているのを見つけた。朽ち果てている様子もなく、まるで今も何かに使われているものみたいだ。でも、何に?
 私の疑問を察したのか、ヴァルは「こう使うんだ」と棒と、その隣に置かれていた布を拾い上げた。

「何をするの?」
「まぁ、見てな」

 布を棒の先端に固く結びつけると、ヴァルは棒を思いっきり地面に突き立てた。どれほどの力が込められているのか分からないけれど、乾いた地面に刺さった棒は、ヴァルが何度も力を込めていくうちに、とうとうその九割以上を地中に沈められてしまった。

「5秒待て」
「え?」

 ヴァルは小さく5つ数えると、棒を一気に引き上げた。

「嘘……」

 信じられない。棒の先端の布が濡れて陽光を弾いている。

「触ってみろよ」
「濡れてる……。確かに水だわ」

 生温かくなっているけれど、それは確かに水だった。でも、それなら、と新たな疑問が生まれる。あれだけの深さなら、井戸のように掘ればいいんじゃないかと。
 その疑問に答えたのは、ヴァルだった。

「たったこれだけの深さなのに、いざ掘ってみると、水は影も形もない。――――まるで地上から逃げてるみてぇにな」
(地上から、逃げる?)

 ヴァルは何となく口にしただけの表現だったのだろう。けれど、私の心に、それは天啓のように響いた。ぶわりと鳥肌が立つような感覚の後、一つの単語が表層に浮上する。

(呪い……?)

 まさか、そんなものが存在するわけがない。愚かな考えだと切り捨ててしまえばいいのに、私だってその『そんなもの』の一つだと気付いて、自嘲気味の笑みが浮かぶ。

「……」
「どうした? これで気が済んだか?」

 ヴァルの言葉に、私はハッと我に返った。そうだ。今は私のことなんて考えている場合じゃない。

「……たとえば」

 乾いてしまった唇を湿らせ、私は言葉を続ける。

「筒とかではダメなの? 細い筒をその棒のように突き立てて、とか」
「それを実行したヤツもいたな」

 そしてヴァルが語ったのは、笑い話のような悲しい話だった。筒を埋めても水は出て来ない。実行した男は「少し目測がずれただけだ」と筒を引っ張り出しては、別の場所に筒を突き挿し、何度もそれを繰り返したが、水が出ることはなかった。

「結局、ヤツは熱射病で倒れたよ」

 見物人の一人だったのか、ヴァルは苦笑いを浮かべた。そして、気が済んだか?と私に尋ねる。

「えぇ。この分だと、もう一つの水場に行っても収穫はなさそうね」
「懸命な判断だ。ところで――――」

 探るような視線を私に向けたヴァルだったけれど、なぜか言葉を切って周囲を見渡した。

「助けてっ! 誰か……!」

 今度は私にも聞こえた。掠れた、少し高い声だ。植物のものではなく、紛れもなく人間の。
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