86 / 92
86.静かな暴走(後)
しおりを挟む
膨大な魔力に圧され、声が出せない上に身動きも取れない。
(ちょっと、やだやだ、怖いんですけどー!)
得たいの知れない魔法を使われる怖さに、悲鳴が喉の奥から出そうになっている。それなのに喉を震わせることすらできないでいた。
詠唱を続けるヨナが、ふいに私の頬を両手で挟みこみ、視線を逸らさないように固定した。
『俺以外に関心を向けるな、リリアン・ギース』
その声を聞いた瞬間の衝撃を、どんな言葉で表現できるだろうか。
透明な水に絵の具を落としたように、心の中がヨナに対する好意で埋め尽くされていく。彼以外のことが全て塵芥のように価値のないものへと貶められ、生まれ育った実家のことも、大好きなお酒のことも、不要なものとして塗り替わっていく。
「ヨナ……、私、貴方のことを……」
私は目の前にあるヨナの頬に手を添えた。互いに相手の頬に手を添える形で、きっとこれが恋人同士の距離感なんだろう。
ただ、この関係を望んでいたはずのヨナの瞳が、何故か諦観に沈んでいることだけが妙に心の奥を引っ掻くような不安の陰を落としていた。
(だって、これが貴方の望みだったんでしょう……?)
そのとき、パリン、と何かが砕けるような音が響いた。
🌸🌸🌸
「ダメンズ? 何それ?」
「え? 先輩知らないんですかぁ? 生活がだらしなかったり、ギャンブルしたり、お金遣いがおかしかったりする男性のことですよぉ」
そんな話をしたのはいつのことだっただろうか。
相手は3つ下の後輩ちゃんだ。ちょっと語尾を甘えた感じに伸ばす彼女の喋り方が、正直に言えば苦手だった。一部の男性社員にはウケていたようだけど。
「あぁ、ダメなメンズでダメンズなのね」
「そうなんですよぉ。ユマはぁ、彼氏にはしっかりしてもらって、ぐいぐい引っ張ってもらうのが希望なんですけどぉ、先輩みたいなしっかりタイプだと、そういうダメンズの方が好みなのかなってぇ」
社会人にもなって、一人称が自分の名前なのも、彼女のことが苦手な理由の一つだ。これで似たような給料を貰っているのかと思うと、ちょっとだけモヤモヤする。
「イヤよ、面倒そうじゃない」
「そうなんですかぁ? 人によってはダメンズ製造機になってて、甘えてくれたり頼ってくれたりするのが嬉しいってなっちゃうみたいでぇ、てっきり先輩もそのタイプかなって」
「ないない」
私は手をパタパタと振って見せた。
ないない、そう思っていたのは本当だ。
ただ、きっと……自覚がなかったんだろう。
アイツに殺されてからこっち、アイツがダメンズと呼ばれても遜色ない生活および性格だったことを自覚した。後で気が付いても遅いけど。
アイツは、パチンコ・競馬・競艇・競輪……およそ公的に認められている賭け事は一通り嗜んでいたと思う。負けが込んで、一時的に同棲状態になって食事の面倒を見たときもあった。逆に勝ったときは本当に気前が良かった。その落差に付き合うのがしんどくなって別れたけれど、
(今思えば、ばっちり後輩ちゃんの言う条件に当てはまってたわよね)
頼られることが嬉しくなかったと言えば嘘だ。
自分が手を差し伸べなければ、彼が大変なことになってしまう、と思い込んでいたのも確かだ。
今の私なら「いっぺん痛い目見ろ」と切り捨てるだろう。だって、完全に自業自得だから。給料から生活に必要な分までギャンブルに注ぎ込むのは、はっきり言っておかしい。しかも、その帳尻合わせに交際相手を頼るのも人としてどうかと思う。
けれど、あのときの私は「仕方がないわね」「私がいなかったらどうするつもりだったのよ」と苦言を呈しながらも、アイツを突き放すことはしなかった。
(その結果が、あの最期なんだから、我ながら始末に負えないわよね)
アイツが私に賭け事……というか一攫千金を追う快感を教えこもうと誘ってきて、まぁ、宝くじぐらいなら、と思ったのが運の尽きだったんだろう。いや、それで一等前後賞が当たったんだから、それで尽きたというべきか。
おそらく、橘華はアイツをダメンズとして増長させてしまった報いであんな最期を遂げる結果になってしまった。
――――なんて、綺麗ごとで締めくくる気はない。因果応報? そんな話じゃない。命を失う程の悪事を働いたとは思えない。私――橘華はまだまだ生きていたかった。未練なんて山ほどある。両親の老い先のこと、推しの今後を見守ること、可愛い姪っ子の成長を眺めること、大好きな刑事ドラマの続きを見ること、大きいことも小さいことも数え上げたらキリがない。
あんな最期を迎えた橘華に残るのは恐怖でも哀しみでもない、理不尽に未来を奪われた怒りだった。
いま、理不尽に心を縛られたリリアン・ギースの中で、いつもなら外界をただ傍観しているだけだった橘華が「ふざけるな」と拳を振り上げて叫んでいた。
(ちょっと、やだやだ、怖いんですけどー!)
得たいの知れない魔法を使われる怖さに、悲鳴が喉の奥から出そうになっている。それなのに喉を震わせることすらできないでいた。
詠唱を続けるヨナが、ふいに私の頬を両手で挟みこみ、視線を逸らさないように固定した。
『俺以外に関心を向けるな、リリアン・ギース』
その声を聞いた瞬間の衝撃を、どんな言葉で表現できるだろうか。
透明な水に絵の具を落としたように、心の中がヨナに対する好意で埋め尽くされていく。彼以外のことが全て塵芥のように価値のないものへと貶められ、生まれ育った実家のことも、大好きなお酒のことも、不要なものとして塗り替わっていく。
「ヨナ……、私、貴方のことを……」
私は目の前にあるヨナの頬に手を添えた。互いに相手の頬に手を添える形で、きっとこれが恋人同士の距離感なんだろう。
ただ、この関係を望んでいたはずのヨナの瞳が、何故か諦観に沈んでいることだけが妙に心の奥を引っ掻くような不安の陰を落としていた。
(だって、これが貴方の望みだったんでしょう……?)
そのとき、パリン、と何かが砕けるような音が響いた。
🌸🌸🌸
「ダメンズ? 何それ?」
「え? 先輩知らないんですかぁ? 生活がだらしなかったり、ギャンブルしたり、お金遣いがおかしかったりする男性のことですよぉ」
そんな話をしたのはいつのことだっただろうか。
相手は3つ下の後輩ちゃんだ。ちょっと語尾を甘えた感じに伸ばす彼女の喋り方が、正直に言えば苦手だった。一部の男性社員にはウケていたようだけど。
「あぁ、ダメなメンズでダメンズなのね」
「そうなんですよぉ。ユマはぁ、彼氏にはしっかりしてもらって、ぐいぐい引っ張ってもらうのが希望なんですけどぉ、先輩みたいなしっかりタイプだと、そういうダメンズの方が好みなのかなってぇ」
社会人にもなって、一人称が自分の名前なのも、彼女のことが苦手な理由の一つだ。これで似たような給料を貰っているのかと思うと、ちょっとだけモヤモヤする。
「イヤよ、面倒そうじゃない」
「そうなんですかぁ? 人によってはダメンズ製造機になってて、甘えてくれたり頼ってくれたりするのが嬉しいってなっちゃうみたいでぇ、てっきり先輩もそのタイプかなって」
「ないない」
私は手をパタパタと振って見せた。
ないない、そう思っていたのは本当だ。
ただ、きっと……自覚がなかったんだろう。
アイツに殺されてからこっち、アイツがダメンズと呼ばれても遜色ない生活および性格だったことを自覚した。後で気が付いても遅いけど。
アイツは、パチンコ・競馬・競艇・競輪……およそ公的に認められている賭け事は一通り嗜んでいたと思う。負けが込んで、一時的に同棲状態になって食事の面倒を見たときもあった。逆に勝ったときは本当に気前が良かった。その落差に付き合うのがしんどくなって別れたけれど、
(今思えば、ばっちり後輩ちゃんの言う条件に当てはまってたわよね)
頼られることが嬉しくなかったと言えば嘘だ。
自分が手を差し伸べなければ、彼が大変なことになってしまう、と思い込んでいたのも確かだ。
今の私なら「いっぺん痛い目見ろ」と切り捨てるだろう。だって、完全に自業自得だから。給料から生活に必要な分までギャンブルに注ぎ込むのは、はっきり言っておかしい。しかも、その帳尻合わせに交際相手を頼るのも人としてどうかと思う。
けれど、あのときの私は「仕方がないわね」「私がいなかったらどうするつもりだったのよ」と苦言を呈しながらも、アイツを突き放すことはしなかった。
(その結果が、あの最期なんだから、我ながら始末に負えないわよね)
アイツが私に賭け事……というか一攫千金を追う快感を教えこもうと誘ってきて、まぁ、宝くじぐらいなら、と思ったのが運の尽きだったんだろう。いや、それで一等前後賞が当たったんだから、それで尽きたというべきか。
おそらく、橘華はアイツをダメンズとして増長させてしまった報いであんな最期を遂げる結果になってしまった。
――――なんて、綺麗ごとで締めくくる気はない。因果応報? そんな話じゃない。命を失う程の悪事を働いたとは思えない。私――橘華はまだまだ生きていたかった。未練なんて山ほどある。両親の老い先のこと、推しの今後を見守ること、可愛い姪っ子の成長を眺めること、大好きな刑事ドラマの続きを見ること、大きいことも小さいことも数え上げたらキリがない。
あんな最期を迎えた橘華に残るのは恐怖でも哀しみでもない、理不尽に未来を奪われた怒りだった。
いま、理不尽に心を縛られたリリアン・ギースの中で、いつもなら外界をただ傍観しているだけだった橘華が「ふざけるな」と拳を振り上げて叫んでいた。
3
お気に入りに追加
86
あなたにおすすめの小説
逃げて、追われて、捕まって
あみにあ
恋愛
平民に生まれた私には、なぜか生まれる前の記憶があった。
この世界で王妃として生きてきた記憶。
過去の私は貴族社会の頂点に立ち、さながら悪役令嬢のような存在だった。
人を蹴落とし、気に食わない女を断罪し、今思えばひどい令嬢だったと思うわ。
だから今度は平民としての幸せをつかみたい、そう願っていたはずなのに、一体全体どうしてこんな事になってしまたのかしら……。
2020年1月5日より 番外編:続編随時アップ
2020年1月28日より 続編となります第二章スタートです。
**********お知らせ***********
2020年 1月末 レジーナブックス 様より書籍化します。
それに伴い短編で掲載している以外の話をレンタルと致します。
ご理解ご了承の程、宜しくお願い致します。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~
降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。
とある令嬢が男装し第二王子がいる全寮制魔法学院へ転入する
春夏秋冬/光逆榮
恋愛
クリバンス王国内のフォークロス領主の娘アリス・フォークロスは、母親からとある理由で憧れである月の魔女が通っていた王都メルト魔法学院の転入を言い渡される。
しかし、その転入時には名前を偽り、さらには男装することが条件であった。
その理由は同じ学院に通う、第二王子ルーク・クリバンスの鼻を折り、将来王国を担う王としての自覚を持たせるためだった。
だがルーク王子の鼻を折る前に、無駄にイケメン揃いな個性的な寮生やクラスメイト達に囲まれた学院生活を送るはめになり、ハプニングの連続で正体がバレていないかドキドキの日々を過ごす。
そして目的であるルーク王子には、目向きもなれない最大のピンチが待っていた。
さて、アリスの運命はどうなるのか。
疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!
桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。
「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。
異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。
初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!
キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。
新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、
変態婚約者を無事妹に奪わせて婚約破棄されたので気ままな城下町ライフを送っていたらなぜだか王太子に溺愛されることになってしまいました?!
utsugi
恋愛
私、こんなにも婚約者として貴方に尽くしてまいりましたのにひどすぎますわ!(笑)
妹に婚約者を奪われ婚約破棄された令嬢マリアベルは悲しみのあまり(?)生家を抜け出し城下町で庶民として気ままな生活を送ることになった。身分を隠して自由に生きようと思っていたのにひょんなことから光魔法の能力が開花し半強制的に魔法学校に入学させられることに。そのうちなぜか王太子から溺愛されるようになったけれど王太子にはなにやら秘密がありそうで……?!
※適宜内容を修正する場合があります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる