48 / 57
48.俺、吐きそうになる
しおりを挟む
「それじゃ、みんなで厨房に移動できるか? もちろんバレないように」
『……』
俺の提案に、何故かアンが考え込んでしまった。もしかして、無茶な話だったんだろうか。
「アン?」
『その……、お恥ずかしい話なのですが、私では一息に移動することができませんの。何度かに分ける必要がありますの』
「あぁ、そうか。ごめんな。アンも生まれたてだし、まだ――」
『大丈夫ですの! バレない経由ルートを探ってきますの!』
慰めようとした俺の手が虚空をかすった。すごいな。まるで影にとぷん、と沈むように消えたぞ。これが移動する能力なのか。
『ママ?』
『母上?』
「うん、なんでもない。厨房に戻れたら、氷室にこもって下拵えだけでもしちゃおうな。エンは俺の身体を温めてくれ。スイはエンの力が食材に作用しないように防いで欲しい。できるか?」
『できるー!』
『お安い御用です』
二人の頼もしい返事に安堵した俺は、アンを待つ時間を使って、頭の中で手順を組み立てることにした。
魚の塩漬けを捌いて切り身にして、ムニエルのために小麦粉とハーブを混ぜておくのを最初にしておこう。昼食の片付けの後に仕込んでおいたスープは、もう最後に味を調整するだけだから大丈夫として、うーん、サラダは予定変更してグリーンサラダにするか。あれなら火を使わずに作れる。物足りないかもしれないから、昨日仕込んだ酢漬けも出そう。
『お待たせしましたの! まだ研究室で騒いでいる輩がおりましたので、少し遠回りしますの!』
「ありがとう。アン。頼めるかな」
『はいですの!』
エンとスイはポケットに入ってもらい、手のひらに乗ったアンに移動をお願いする。
その移動の感覚をなんと説明すればいいんだろうか。足下が沼になったかのように視界がみるみる下がり、頭まで潜りきった、と思ったら、みるみる視界が上がる。今まで感じたことのない浮遊感みたいな感覚に、なんだか気持ちが悪くなりそうだった。
「え、と、あと何回ぐらい繰り返すんだ?」
『5回ですの!』
「え!」
『どうしたんですの?』
まさか、そんなに回数があると思わなかったので、つい驚きの声を上げてしまったけど、正直に「移動の感覚が気持ち悪いから」なんて言いにくい。移動をお願いしたのは俺なんだし。
「いや、そんなに何回も移動して、アンは疲れないのかなって」
『大丈夫ですの! 一回一回の距離がそれほど離れていないから、一度に移動するより楽ですの!』
「あ、そうか。うん。それならいいんだ。うん」
そっかー……、うん、頑張ろう。
無事に到着したら、そのときはスイに頼んで冷たい水を出してもらおうかな。顔を洗えばきっとすっきりするはず。
§ § §
『だ、大丈夫ですの!? お母様!』
「……」
厨房に到着した俺は、口元を押さえたままよろよろと氷室に向かう。狼狽するアンの頭を何度も撫でて落ち着かせながら歩いたことで、アンは落ち着いたが、俺の胃は今にもひっくり返りそうだった。
氷室に入り、扉を閉めると、そこは薄明かりしかない上に寒い場所だ。吐き気よりも喫緊の問題に、エンに「頼む」と伝える。途端にぶわっと空気が温まった。
「本当に大丈夫なんだよな? 心配しなくていいよな?」
『ママー、エン、ちゃんとやってるよ?』
『母上の周囲に膜が張ってあります。そこから先の温度は平常と変わりありません』
二人の回答に胸をなで下ろした俺は、ぺたりと地面に座り込んだ。まずい、何がまずいって、食料を保管しているこの場所で吐くのはまずい。
顔を上に向けて浅い息を繰り返し、何とか落ち着いた頃には、自分を心配して見つめていた3人が泣きそうになっていた。特にアン。
『わ、私のせいですのねぇぇぇっ!?』
「いや、アンにはここまで連れて来てもらって感謝してるよ。ただ、俺が慣れてなかっただけで」
『わたっ、私っ、お母様がそんなに苦しがっているのにも気付かずに、ひょいひょいと移動してしまって……っ!』
「俺が頼んだんだから、気にするなって」
まぁ、気にするなと言ったところで、無理なんだろうけど。
『……』
俺の提案に、何故かアンが考え込んでしまった。もしかして、無茶な話だったんだろうか。
「アン?」
『その……、お恥ずかしい話なのですが、私では一息に移動することができませんの。何度かに分ける必要がありますの』
「あぁ、そうか。ごめんな。アンも生まれたてだし、まだ――」
『大丈夫ですの! バレない経由ルートを探ってきますの!』
慰めようとした俺の手が虚空をかすった。すごいな。まるで影にとぷん、と沈むように消えたぞ。これが移動する能力なのか。
『ママ?』
『母上?』
「うん、なんでもない。厨房に戻れたら、氷室にこもって下拵えだけでもしちゃおうな。エンは俺の身体を温めてくれ。スイはエンの力が食材に作用しないように防いで欲しい。できるか?」
『できるー!』
『お安い御用です』
二人の頼もしい返事に安堵した俺は、アンを待つ時間を使って、頭の中で手順を組み立てることにした。
魚の塩漬けを捌いて切り身にして、ムニエルのために小麦粉とハーブを混ぜておくのを最初にしておこう。昼食の片付けの後に仕込んでおいたスープは、もう最後に味を調整するだけだから大丈夫として、うーん、サラダは予定変更してグリーンサラダにするか。あれなら火を使わずに作れる。物足りないかもしれないから、昨日仕込んだ酢漬けも出そう。
『お待たせしましたの! まだ研究室で騒いでいる輩がおりましたので、少し遠回りしますの!』
「ありがとう。アン。頼めるかな」
『はいですの!』
エンとスイはポケットに入ってもらい、手のひらに乗ったアンに移動をお願いする。
その移動の感覚をなんと説明すればいいんだろうか。足下が沼になったかのように視界がみるみる下がり、頭まで潜りきった、と思ったら、みるみる視界が上がる。今まで感じたことのない浮遊感みたいな感覚に、なんだか気持ちが悪くなりそうだった。
「え、と、あと何回ぐらい繰り返すんだ?」
『5回ですの!』
「え!」
『どうしたんですの?』
まさか、そんなに回数があると思わなかったので、つい驚きの声を上げてしまったけど、正直に「移動の感覚が気持ち悪いから」なんて言いにくい。移動をお願いしたのは俺なんだし。
「いや、そんなに何回も移動して、アンは疲れないのかなって」
『大丈夫ですの! 一回一回の距離がそれほど離れていないから、一度に移動するより楽ですの!』
「あ、そうか。うん。それならいいんだ。うん」
そっかー……、うん、頑張ろう。
無事に到着したら、そのときはスイに頼んで冷たい水を出してもらおうかな。顔を洗えばきっとすっきりするはず。
§ § §
『だ、大丈夫ですの!? お母様!』
「……」
厨房に到着した俺は、口元を押さえたままよろよろと氷室に向かう。狼狽するアンの頭を何度も撫でて落ち着かせながら歩いたことで、アンは落ち着いたが、俺の胃は今にもひっくり返りそうだった。
氷室に入り、扉を閉めると、そこは薄明かりしかない上に寒い場所だ。吐き気よりも喫緊の問題に、エンに「頼む」と伝える。途端にぶわっと空気が温まった。
「本当に大丈夫なんだよな? 心配しなくていいよな?」
『ママー、エン、ちゃんとやってるよ?』
『母上の周囲に膜が張ってあります。そこから先の温度は平常と変わりありません』
二人の回答に胸をなで下ろした俺は、ぺたりと地面に座り込んだ。まずい、何がまずいって、食料を保管しているこの場所で吐くのはまずい。
顔を上に向けて浅い息を繰り返し、何とか落ち着いた頃には、自分を心配して見つめていた3人が泣きそうになっていた。特にアン。
『わ、私のせいですのねぇぇぇっ!?』
「いや、アンにはここまで連れて来てもらって感謝してるよ。ただ、俺が慣れてなかっただけで」
『わたっ、私っ、お母様がそんなに苦しがっているのにも気付かずに、ひょいひょいと移動してしまって……っ!』
「俺が頼んだんだから、気にするなって」
まぁ、気にするなと言ったところで、無理なんだろうけど。
0
お気に入りに追加
145
あなたにおすすめの小説
凡人がおまけ召喚されてしまった件
根鳥 泰造
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。
仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。
それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。
異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
【書籍化進行中、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化進行中です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。
音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。
だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。
そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。
そこには匿われていた美少年が棲んでいて……
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる