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37.俺、OHANASHIされる

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「ここらでいいかしら」
「っと」

 乱暴に解放されたので、俺は2、3歩たたらを踏む。恐れていた通り、マルチアと真正面から対峙することになってしまったので、視線は頭の上が見えない程度に下げておく。あぁ、やっぱり出るところは出て、締まるところは締まったナイスな身体をお持ちで。

「アンタ、殿下に迷惑かけてないでしょうね?」
「えーと、迷惑ってのは……?」
「イビキとか寝相とか、あまつさえヨダレとか垂れ流していないかってことよ」

 人間、寝てるときのことまで覚えてないものなんだが。それとも魔族は覚えてるんだろうか? そう言えば、誰かが渡り鳥は頭の半分で寝てもう半分は起きた状態で飛び続けるとかなんとか言っていたような……。もしかして、魔族もそのクチか?

「なぁ、マルチア。俺が不勉強なだけかもしれないんだが、魔族って寝てる間も寝てなかったりするのか?」
「はぁ? そんなワケないでしょ?」
「うん、そうだよな。だったら、寝ている間のことは、俺には分からないんだが」

 前にイビキとかかいてないか殿下に尋ねたことがあったけど、曖昧に流されたし。

「そんなの、寝起きに確認できるじゃない」
「それは、殿下に確認しろってことか?」
「自分のイビキで起きちゃったとか、起きたら枕にヨダレが垂れてたとか、色々あるでしょ! 殿下に確認しても、あの優しい殿下が本当のことを仰るわけないじゃない!」

 優しい……。うーん、優しいというより、若干のSっ気は感じるんだが。まぁ、マルチアの見ている殿下と、俺の見ている殿下が違うのかもしれないけど。

「逆に、俺が殿下のイビキで起こされたり、殿下に蹴られたり、殿下のヨダレでべっちょりになってたり……とかは考えないのか?」
「殿下がそんなことするわけないじゃない」

 すっぱり断言されてしまった。
 うん、これでなんとなく分かった。マルチアは憧れの存在に対して都合のいいことしか考えないタイプなんだな。お邸にいたときにも、こういうタイプいたわ。熱狂していたとある人気役者は、トイレにも行かなければ屁もこかないし、ゲップもしないとか思い込んでるタイプ。いやいや、人間なんだから、そんなことありえないだろ。
 辛辣にツッコミを入れるのもいいんだが、まぁ、俺はマルチアと対立したいわけじゃないので、取れる選択肢は1つだ。

「そうだな。じゃぁ、殿下にお願いしておくよ。俺が寝ている間に失礼なことをしたら、口に布を突っ込むなり、簀巻きにしておくなり、対応して欲しいって」
「……別に、そこまでは」
「ん? だって寝てる間の行動は俺にはどうにもできないから、できる対処は限られるだろ?」
「そ、それもそうね。殿下はお優しいからそこまではしないと思うから、最初からロープで自分を縛ってなさい。あと、くれぐれも殿下の寝顔を鑑賞しようなんて不埒なことは考えないことね!」
「あ、すまん、それ無理。もう見ちゃった」

 するりと口をついて返事に、マルチアの顔がじわじわと赤くなる。
 あちゃー、これ失言だったな。でも、殿下の寝顔ってば破壊力すげーの。いつもあの深い緋色の瞳で威圧してるのか知らないけど、ちょっと畏怖めいたものを感じてるんだけど、目を閉じてるだけで、印象ってがらりと変わるんだな。怖さ激減の美青年が寝てるんだよ。俺の隣で。だからと言って、俺が新しい扉を開くことはないけど。

「べ、べつに……」
「ん?」
「うらやましくなんて、ないんだからねーっ!」

 あ、全速力で逃げた。なんていうか、そういうところがマルチアって可愛いよな。いちゃもん付けるために呼び出したのに、結局自分が逃げるところなんて。
 俺はマルチアが逃げ去ってから、落ち着いて深呼吸とストレッチをして、ついでに20ぐらい数えてから研究室に戻った。時間差で戻れば、少しはマルチアも落ち着いているだろう、と思ったんだが。

「ねーねー、ミケってば、マルるんに何したワケー?」
「何もしてないんだけど」

 シンシアにウザがらみされた。解せぬ。
 いわゆる男女のアレコレがあったんじゃないかと邪推するシンシアは、見かねたミモさんに注意されるまで、俺に絡んでいた。
 というか、どう考えてもマルチアは「マルるん」なんてキャラじゃないだろ。シンシアのセンスは理解不能だ。


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