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第二部 魔法学校の教師
みんなであさごはん
しおりを挟む濡らしてびしゃびしゃになった前髪を上げるスーにタオルを渡す。
水道の蛇口をきつくしながら顔を拭く彼女は女性と呼ぶにはまだまだ幼げで、少女と呼ぶには少し大きく動物的過ぎるな。などと思いながら、俺も隣で冷たい水を受けた手のひらを揉んだ。
「ふいー。それじゃあご飯いこ。先生」
「うん」
スーのまだぺしゃんとして張り付いたままの髪をおでこからそっと指で離してやるとにっこり笑って楽しそうに、彼女が冷えた俺の手を引いた。
二人で食堂までの廊下を歩く。
洋風な作りの白い壁と赤い絨毯がいつまでも続くような長い廊下は、学校というより西洋の屋敷のようだった。
思えば先ほどまで寝ていた部屋も、ホテルの一室のような雰囲気を持っていた。夢と目覚めを覗けば、寝ている間はすごく居心地が良かった気がする。
拾った財布は埃をかぶってはいたが、お日様をたっぷり浴びた柔らかい布団から黴臭い臭いはしなかったし、床や棚の上は磨かれ整頓されていた。
マグの居ない間も誰かが掃除をしていてくれたのだろう。そう思うと、俺の宿主は亡くなっても忘れられずに学校でも愛されていたんだな、と改めて実感する。
「なぁ、スー。アプスはどんな子なんだ?」
「あっくん? あっくんはいつもあんな感じだよ。すごい真面目で冗談にも笑ってくんないの」
歩きながら俺は、スーにアプスのことを聞くことにした。
昨日半日近く一緒にいたけれど彼のことをまだよく知らないし、朝の様子だと弾むような会話はまだ見込めそうにないので、「あっくん」とあだ名をつけて呼んでいる彼女からまずは情報を貰おう。
「彼、路地裏にスーが連れ込まれたときに真っ先に君を助けようとしてたんだ。でも、剣を抜いたことがないって言ってて……」
「ああ、そうだった。先生忘れちゃったんだっけ」
路地裏での俺に縋るような表情のアプスと、彼に起きた出来事を思い出し尋ねると、
「あっくんて、おっきな剣背負ってるでしょ? あっくんはあの剣が……」
小さく考えるように指を口にあてスーが話始めたその直後、
「おい!! 歩くのが遅いぞ貴様ら!」
前からの大きな声に話を遮られた。
俺たちが前を見ればいつの間にか廊下は終わり、食堂の入り口についていたらしい。
左右どちらも開いた両開きの扉の向こう側に、不満そうに耳を揺らし、椅子の背中を軋ませふんぞり返る声の主がいた。
横暴な態度で俺達を呼んだ大きな猫耳男に近付くと、その両隣にいた二人の少女が彼を順番にたしなめる。
「ちょっと、やめなさいよ」
「ディルバーさん、おおきいこえだめ、です……」
「フン……」
二人の言葉にも眉を吊り上げたまま一人騒ぐ猫耳の生えた男は、駄々っ子の仕種でフォークを掴みテーブルをつつき始める。
まるで幼児のような行動に不相応な切れ長の目と視線が合うと、俺を睨んだ。
彼の隣で紅い髪が印象に残っていた昨晩の少女……コズエが溜め息をつく。
その落胆息気に、その男が昨晩名前を聞いた覚えがぼんやりとある……ディルバーという使い魔だと気付くのにそう時間はかからなかった。
「オレは腹ペコで死にそうなのだ! さっさと席につかんと貴様らをディナーにしてしまうぞ!」
「ディルバー、落ち着きなさい。今からブレックファストだから」
「ディナーまでには、まだいっぱいじかんがありますです……」
「どちらでも構わん。今のオレはディナーだろうがブレックなんちゃらだろうがペロリだからな!」
意味がわかっていようがいまいが、関係ないらしい。
覚えたての言葉を放り投げるだけ投げて拾いに行けないディルバーに、コズエは呆れてそれ以上続けなかった。
フィッシュオアミートがポークオアミートになっても気が付かないであろう。ディルバーの頭は成人男性の背丈や顔に比例しておらず、あまり良くはないらしい。
コズエの隣で考え浅く喚くディルバーに、先程から逆隣でおどおどしていた幼い女の子が俺に気付いて動揺したような顔になる。
彼女は、飼い主から食器を取り上げられて不貞腐れているディルバーを背景にして、椅子の上から跳ぶように降り、俺とスーの間に駆け寄ってきた。
「せんせ……? ほんとうに、せんせですか……?」
側に来た彼女はコズエやアプス、さらにはスーよりもずっと幼い。十歳にも満たないくらいだろうか。澄んだ汚れのない大きな青い目でじっと俺を見つめ、目と眉の中間辺りで切り揃えた薄緑の前髪を揺らして首を傾げる。柔らかそうな頬をほんのりピンクに染めて。
「おはよう。ええと、君は……」
「せーちゃん、おはよ」
挨拶をする俺に合わせ、スーも横で彼女の目の高さに顔がくるように屈んだ。
「えへへ、びっくりした? マグ先生はなんと、長い戦いのすえボクらのところに帰ってきてくれたのです」
自慢気な語り口調で俺を手のひらで指して紹介すると、前髪の下で少し不審がっていた少女の表情が花を咲かせたようにパッと明るいものに変わった。
「おはよ……おはようです、せんせ……」
元々の性格がおとなしいのだろう彼女は、健気で小さな手を伸ばし俺の体を控えめに触って挨拶した。
「うん。おはよう」
俺が返事をするとふんわりと微笑み、長めに着ている葉色の服の裾を持ち上げお辞儀を一つ。身を返してコズエたちの近くの席に戻っていった。
その様子を見守ってからスーは俺に手招きし、
「彼女はセージュ・デイジーソーン。学校の最年少。葉っぱと……なんだったかな、何かの妖精ですごく泣き虫なの。先生が記憶喪失ってことはまだ伝えてないから気を付けてあげてね」
と、耳打ちして教えてくれた。
魔法学校の生徒たちは想像していたよりも複数の異なる種族や格好や年齢の子供たちが一緒に勉強して、同じ飯を食べるらしい。魔法学校は外観こそ荘厳で、廊下も広く部屋もたくさんあるようだが、学校という言葉から連想するようなものよりも、古い映画で見た教会の中に孤児院があるような雰囲気をしている。
皆それぞれ自由な服装をしているので制服もなさそうだし、食堂に集まった人数も想像よりもずっと少なく、一つの長いテーブルの隅まで見てこれで全員らしい。
少ないとはいえ、全員の顔と名前を覚えるのには少しかかってしまいそうだけれど。
スーに促されながら自分の席に辿り着くと、やがてビアフランカを連れてアプスがやってきた。
「おはようございます。皆さん」
それで皆揃ったのだろう。端の席にビアフランカがつくと、皆と挨拶を交わし団欒の時間が始まった。
短い祷詞が済むと、子供たちは各々食事を始めた。
皆の席には丸いパンが二つと野菜の欠片が浮いたスープが置いてあり、空のままのお皿には緑黄色が鮮やかなサラダを取分けたり、茹で玉子の剥き殻を乗せたりと好きなように使っている。
いかにも朝ごはんといえるようなテーブルの上のラインナップを一通り眺め、この世界に来てからの二度目の食事……正確にはシグマの店では馬鹿高いコーヒーを一杯頂いただけなので、きちんとお腹に溜まるものを摂るのは初めてになるかもしれない。を、生徒たちと楽しもうと思い、俺も玉子に手を伸ばした。
底を叩くとつるりと簡単に剥ける。殻を取って真っ白な肌を見せた玉子を半分口に入れ噛み切ると、甘い黄身が舌の上に雪崩れてきた。塩の加減もちょうど良い。素材がほとんどすべての茹で玉子の、シンプルながら満たされる味わいが広がる。
「……おいしい。良い具合の半熟だ」
「せんせはやわらかいのがすきです、でしたから、その……」
俺の感動をその小さな耳で拾ったのか、向かいに座っていたセージュが嬉しそうにはにかんだ。
控えめな性格の彼女も、俺よりマグを知る立場ではあるのだろう言葉を添えて。
こんなに小さく儚げな少女もマグを慕い、彼から学んでいたのだろうか。
「覚えていてくれたんだね。セージュ」
「はい、です……っ」
俺の宿主はつくづく罪な男かもしれない。そんな笑い話を自分の中で解決した。
彼女はまだマグの中身が俺で、記憶喪失という設定でいることを知らないと言っていたスーの言葉を思い出し、笑顔を守るよう台詞を選んだのは正解だった。セージュと一緒に向き合って綻んだ表情を交わす。
「今日の当番はセージュだったのね。おいしいわ。良くできてる」
「ああ、味は悪くないぞ。口の中がチクチクジャリジャリするが、うまい」
そのすぐ隣で彼女を優しく褒めるコズエと、玉子を殻ごと食しているディルバー。
ナイフとフォークを使い上品に切り分けながら食べる前者と、手掴みで何でも一通りは齧ってみる後者との差は激しい。
家柄や育ちのよさそうなコズエと、対照的に非文化的なディルバー。暴走しがちなスーよりも野性的な男がこの学校にはいたんだな。と、少し侮蔑を込めた笑いが出たのを、彼は見逃さなかったようで、
「おい、貴様。今オレを見て笑ったな? いや、コズエのおっぱいを見て笑ったのか? いやらしい奴め!」
「ちょっと、ディルバー。やめなさい」
頬にパンくずを付けたまま俺を睨み付けてきた。続くのは彼の扱いに慣れて飽き飽きした顔のコズエ。彼の躾はあまり上手くいっていないのだろうか。少し諦めた様子でもある。
「そもそも貴様は誰だ? 新顔ではないか。オレへの挨拶はどうした? 新入りならばきちんと挨拶をするべきではないのか?」
ディルバーの横暴な態度ときつい眼は一瞬、路地裏で出会った口汚い金髪の中年騎士を思わせたが、そのイメージはすぐに払拭された。
威厳や迫力を最大限に損なう可愛い猫耳をピンと立てて言う姿は、路地裏の野良猫のそれに近い。喧嘩っ早く尊大そうに振る舞う態度も、自分が初めて触れる得体の知れないものと対話するためのものらしい。
水槽の周りを半周して水面をおっかなびっくりパンチする子猫のようなディルバーが喚くと、俺の隣で薄切りハムを頬張っていたスーが笑った。
「ディルバーって面白いでしょ? 先生がいなくなってからうちに来たから何もわかってないの。本当はディルバーが一番新入りなんだけど」
「は、はぁ……」
珍しくあだ名で呼んでいないのにはそういう理由があったからか。スーがひっそりと教えてくれて、俺も相槌を打つ。
見掛けに全くついてきていない暮らし方は、動物年齢での換算が起こしているんだろうか。俺にはディルバーが益々、コズエに飼って貰っている猫にしか見えなくなってきた。
「自己紹介しろ、新入り!」
曖昧に流したことに腹を立てた野良猫の背中毛ビンビン大将が声を荒げて鳴く。俺に掴み掛からんと勢いよく立ち上がるのだが、
「だからやめなさいってば、ディルバー」
「ディルバーさんぼうりょく、だめ…せんせにいたいことしちゃ、やです……」
「にゃにぃ?! 新入りがオレを無視するのが悪いのだぞ!」
すかさず冷静なコズエの声と、上目使いのセージュに制され、舌を噛みながら俺を指差すディルバー。
黙っていると別の人物が横からもう一声、
「だめですよ、ディルバー。今は皆でご飯の時間ですから」
ビアフランカの優しく、優しい、優しすぎる声にディルバーの肩がびくんと跳ねた。
ビアフランカ御先生は相変わらずのマイペースさで笑顔を崩すことなく、諭すように透き通った声音で彼に続ける。
「それよりもほら、ジェイスが蒸かしてくれた美味しいお芋もまだたくさんありますよ。さぁ、召し上がって」
「び、ビアなんとか女史……」
ブレックファストより短い人名すらろくすっぽ覚えておけない脳味噌の狭い猫人間が、怯えた表情で聖女に振り返る。
何故だろうか。俺にはその顔が蛇に睨まれたカエルかヒヨコのように見えた。
ディルバーは異様なまでに優しくするビアフランカを警戒するように恐る恐るテーブルに乗りだし、文字通り泥棒をするにゃんこの動きで蒸かした芋を一つ取り去る。
「き、きひゃま、女史に免じて許してやるが、次はないと思えよ。トンボが驚いたみたいな顔をしおってからに……」
「はは。それはどうも……」
大袈裟な動作でリンゴを齧るように芋にかぶりつき、頬張りながら俺に唾と熱意を飛ばすディルバー。ビアフランカの前では借りてきたキャットの如くな従順さを見せる理由とは。
端の席でにこにこ笑う同業者を横目に俺も苦笑いになる。
しかしまた、どうしてこの世界の傲慢そうな住人はみな、俺のことをトンボに例えるのだろうか。
路地裏で言われたトンボの代名詞を思い出しつつ、スープの水面に映るマグの顔に問い掛ける。マグはそこまでトンボに似てるわけではないと俺は思ってるけど、と。無論返事はなかった。
「朝ご飯は当番制なんだ。今日はせーちゃんとじぇっちんが作ってくれたけど、明日はえっちゃんとディルバーの番。その次は……、ボクと先生でやろっか」
説明するスーの台詞に、直前のビアフランカと同じ人物であろう新しい名前が出てくると、その名前の少年がまた、セージュの後ろに現れて俺に手を振った。
「よーっす! おはような! 先生!」
ツンツン頭の爽やかな少年は、いかにも兄貴肌といった雰囲気でセージュの肩を優しく叩く。
「俺が庭で育ててる野菜を、セーが元気にしてくれんだ! そんで、こんなにでっかい芋がとれたんだぜ。うまいだろ?」
白い歯を見せながら笑う明朗なジェイスは、ディルバーとは異なる意味で語尾にビックリマークを多用するタイプらしい。
ひたすらに明るい彼が自慢げに言うと、肩を揺すられたセージュも恥ずかしそうに俯き笑っている。
二人の様子は兄と妹のようにも見えたが、それを言えばこの学校の全員が一家族の大兄弟のような集まりになるのだろう。
賑やかな食卓は皆が食器を空にするまで、まだ暫く続きそうだ。
楽しい時間に身を委ね、俺は彼らの名前と顔を一人一人よく見て覚えていこうと、改めて食堂の長いテーブルを見やった。
俺の隣でパンを食むスーは角と尻尾と羽根が生えたドラゴンの少女。俺が気付いたら一緒にいた、初めて出会ったマグの教え子。
マグのことが大好きで、彼に育てられた。彼女の母親は、恐らく夢に出てきた、マグに恋をしていた竜のファリー。
ビアフランカの側で、笑い声の輪にまざらず静かに食事をとっているアプスは綺麗な服をきた少年。立派な大剣を背負っているが戦ったことがないらしい。とても真面目な性格であまり融通がきかない。
昨日はスーとビアフランカと一緒に街へ買い出しに出ていたと教えてくれた。
二つ結びにした紅髪に白いリボンの栄えるコズエは家柄の良さそうな少女で、その隣で幼児のように口の周りにおべんとうをつけている猫耳男が彼女の遣い魔、ディルバー。コズエはともかくディルバーはマグのことを知らないらしい。
セージュは気弱そうな幼い少女で、植物の成長を助ける魔法を先天的に扱えるらしい。彼女自身の髪の先や服にも葉の形を模した装飾がある。最年少だが、本日の料理当番をこなしたしっかりものだ。
セージュと共に今日の朝ご飯担当だったのが爽やか少年のジェイス。小さなことは気にしないのか、マグである俺が記憶喪失になっているとスーに聞かされても呑気に笑っていた。健康そうな男児で、ビアフランカに許可をもらい学校の庭を菜園にして土いじりをしていると話していた。
以上がマグとビアフランカの教え子たち。
たった数名だが、魔法学校の生徒たち全員だ。
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