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過去との決別
しおりを挟む「そりゃあそう、よね……」
溜め息混じりの午後を過ごす。
品行方正な港町の一人娘・キャルに転生してから二日目。そろそろ夕方。日の入り時。
学生ではなければ何か定職についているというわけでもないキャルは、父親の仕事や近所の家事の手伝いでお小遣いを貰っていたらしい。
昼間は隣に住む体の弱いおばあさんの買い物に同行し、さっきまでは例のあか抜けた友人・ネフィとおしゃべりをして過ごした。
イリアに迫られたことについては、まずネフィにも相談した。私が知る限りのキャルの親友は彼女くらいしかいないし、イリアに会いに行ったことも彼女なら知っている。
女の子らしい恋の妄想や噂話が好きそうな彼女の反応は思った通りで、
「それって、貴女! イリア様がキャルに婚約者になって欲しいっておっしゃったってことよね? もちろん受けるんでしょう? これほど名誉なことはないわ!」
と、大興奮の大はしゃぎ。いつでも前向きなのだろう明るい性格の彼女が羨ましい。
ネフィにはイリアが私をレイプした竜だったということまでは告げなかった。それを言ったところで信じるかどうかもわからない。彼女の中の理想のイリア様を壊したくなかったのもあったし、余計なことを言って友達に心配を掛けたくない気持ちもあったから。
次の相談相手は親切な占い師のお姉さん。
ネフィとの待ち合わせ時間、目印にしていた時計塔の前で出会ったその女性は真っ赤な髪にすらりとした手足が印象的な格好いい人だった。
私と同じ待ち合わせ場所で恋人を待っていたらしく、「あの人、時間にルーズだからよく待たされるのよ」と彼女から愚痴っぽく笑い掛けてきたのが話すきっかけ。
「あなた……最近、恋愛関係で進展……良いことがあった? でも、何か気にかかることがある……って顔してるわ」
「えっ。解るんですか?」
「ええ。道具があれば占ってあげたかったのだけれど……」
エステラと名乗った彼女は私に名刺を渡しながら残念そうな顔をした。
整った綺麗な顔にそんな風に言われては誰でも悩みを打ち明けてしまいそう。特にネフィ意外に話す人もいなかったし、
「秘密は絶対に守るわ。占い師の仕事には依頼者の相談事を他に漏らさないことも含まれているの。今はプライベートだけどね」
と、彼女が言ってくれたのでつい気持ちを弛めてしまった。
彼女が彼氏のことを愚痴ったのと同じように、イリアからされて嫌だったこと……自分勝手で強引なところ、無理矢理の性行為、自分にはその気がないのに子作りを強要しそうなこと……浮かんできた全部を気付けば自然と口に出してしまって。
(しゃべりすぎた……!)
「大丈夫よ。男の人ってそういうところあるのよね」
「い、今の口に出してないんですけどっ」
「そうね。貴女の顔に書いてあるの、キャル」
恥ずかしくなってきた心を見透かし、エステラはふふっと笑いながら話をきいてくれ相談にのってくれた。
「その人との婚約が嫌なら嫌ってはっきり断ってあげること。でも、貴女の話を聞く限り全部が嫌そうにはきこえないのだけれどね。あとは……相手のだめなところを受け入れてあげてから、ね。それが長く続くコツかしら……」
「なるほど……」
「エステラ。待たせたね。そちらのお嬢さんは?」
「……あら。約束に二十分も遅刻よシュルド。彼女が居なかったら退屈で先に帰っていたわ」
相槌を打ったタイミングでエステラへ男性からの呼び掛けがあり、彼女と私は同時に視線をあげた。
エステラからシュルドと呼ばれた黒髪赤目の男性は、鼻が大きく濃いめで精悍な顔付き。優しげで人が良さそうだが、背の高いエステラに負けじとがたいが良い。肉体労働者といった感じの雰囲気で、シャツをはだけさせている。
エステラと並ぶと関係性が簡単に想像できる。長身同士お似合いな美男美女のカップルというわけか。
「そうか。エステラの話し相手になってくれてありがとう。おかげで彼女を引き留められたよ」
「いいえ、とんでもないです。こちらこそありがとうございます」
シュルドが苦笑いをしながら会釈しこちらも挨拶を返す。
「ではまたどこかでね。キャル、頑張って」
「ありがとうございます。エステラさんまたどこかで」
愛しの彼に腕を絡めながら去るエステラの背中を見送っていると、たくさん話したことで少し気持ちが軽くなっている自分に気付いた。良い時間を過ごせた気がする。
最後にイリアとの話を相談したのは、キャルのお父さん。
「騎士様から婚約者になって欲しいと話があった」と告げると、最初はネフィと同じく驚いた表情をし、
「そうか。それは良かった。光栄な事だねキャル」
言葉では喜んでいたが父親として複雑な気持ちなのだろう。こちらも予想通りの反応だ。
キャルの父はただ、
「応援するよ。お前の好きなようにしなさい」
とだけ答えて物悲しそうに微笑んだ。祝福と表裏一体の悲しみがあるのだろう。
母親が失くなってからキャルを男手一つで支えてくれた立派な人だと思う。まだまだ人物としての情報が少ないけれど、真面目で娘思いで賢くて良い人だ。商談事に使う達者な弁舌で私を丸め込もうと思えば出来ただろうに、それを無粋だと感じてしないでいてくれる。
優しくて娘の気持ちを第一に考えてくれ、理想の父親を描いていた彼が泣きながら母の写真と向かい合って晩酌している姿を初めて見た。
私が転生する前のキャルにだって見せたことはなかったかもしれない。
その夜は一人の大黒柱の広くて寂しい背中が、小さな明かりの中で揺れていた。
腹を決めた私は転生してから四日目の夜、イリアと約束をした森へと足を踏み入れた。
(ネフィもエステラさんもお父さんも、応援してくれてる。きっと大丈夫。これでいいんだ)
私自身の気持ちはどうなのだろう。と、木々を眺めながら考える。
転生してから考えなくちゃいけないことは多かった。けれどもあまり考えないように、現実逃避をするように慌ただしく体を動かしてもいた。
正直なところまだまだ不安要素でいっぱいだ。
ここは私の住んでいた日本の小さな田舎町とは文化もスケールも何もかもが違う。
(でも……)
そもそも私はどうしてキャルになったのだろう。
この森に裸で放り出される前のことを思い返す。
ーーーーーー私、■■■■は自殺した。真夜中、近所の踏み切りに飛び込んで。
そこまでの記憶はあるけれど、
(だめだ。名前が思い出せない……)
悩ましい。一つ一つ振り返っていく。自殺に至るまでの話を。
とにかく気力が無かったことは覚えてる。きっかけがささいなことだったことも。段々映像が浮かんでくる。
すっかり住み慣れたマンション。一人暮らし。■■■■は会社員。毎朝ぎゅうぎゅうの満員電車に詰められて出勤してデスクに向かい、上司の怒鳴り声と同僚の愚痴を交互に聞かされる日々。帰宅してからのことはあまり覚えていなく、シャワーを浴びたら泥のように眠る。その繰り返しをずっと続けていた。
ある時、酷い虚無感が私を襲ってきた。限界だったのかもしれない。朝ベッドから体を起こすことが怠くなってしまった。それからずるずると。毎朝のルーティンが崩れていった。
パジャマを着替えずに一日家の中で過ごす。誰かに連絡をとろうとして携帯を見ても、SNSを開いて書き込まずにいる。その間に夜が来て、窓も開けないままカビ臭い布団を被る。
体内時計が狂ってしまってからは出勤ままならず、親を頼ろうと考えはした。だが、それをするくらいならばいっそ。と、妙な強がりだけが私に残っていた。それだけしかなかった。
無断欠勤が重なりとうとう会社からは解雇を言い渡された。
貯金も底をつき、光熱費のハガキが貯まり家賃も払えなくなってしまった。
頼れる友達は……いない。学校の友達とは疎遠だったし、ネット上の友達は本名や連絡先を知るほど親しい仲ではない。
空っぽになった自分に残された物はなんだったろうか。思い出そうとしても漠然としていて、続きが浮かべられない。
人生のレールが途絶えた気がした。
そう思った時にはもう本物のレールの上に足が乗っていた。
(今はキャルとして生きてるけど……)
私には未来は無かった。限日の世界を続けて生きていくための力もお金も気持ちも失くしてしまっていた。
キャルになることはそんな私への転機だったのかもしれない。
あのまま生きていても仕方がなかった。新しい世界で暮らして竜の子供を生むというのはずっとずっと私にとって救われたことで、悪くはないかもしれない。
キャルに、いやこれは私にしか出来ないことなのだ。友達にも恋人にも恵まれなかった私を、今は必要としてくれる彼(イリア)がいてくれることが何よりも嬉しい。
本当はずっと何よりも愛されたかった。素晴らしい相手もいて、自分を愛するためのかわいくて素敵な体もある。後押ししてくれる人々もいる。前向きに考えられるようになってきた。
これは私がキャルとして生きることで人生やり直す運命(さだめ)。
(でも、まだやっぱりちょっと怖いなぁ……ドラゴンのその……体も色々と大きかったし、イリアも乱暴でいじわるなところ、あるし……)
進む先は迷うことなく一本道だった。今の気持ちに沿うような景色が続く。
暫く道なりに行き、茂みを抜けた先。初めてイリアと会ったのは大体この辺りだったろうか。風景が似たり寄ったりでわからない。
開けたその場所まで来るとせせらぎが聞こえ、暗がりにぼんやりと明かりで照らした川が見える。
「こんばんは、キャルさん。思ったよりも早かったですね」
明かりを側に置き、川の側へ腰を掛けた男がこちらを見る。
照らされた見覚えのある綺麗な顔と穏やかな声。
「よく来てくださいました」
挨拶をして微笑むイリアの服は騎士団で再会したときのものとは違う軽装だった。私を待つ間に川の水に触れていたんだろう。軽装とはいえ身分相応な格好はしなくちゃいけないのかな。イリアら少し濡れた絹の薄手シャツを着ていた。開胸してはだけた鎖骨。体のラインがよく見えると、団服の時よりも筋肉が付いたように感じられた。
「では……お返事を聞かせていただけますか?」
「ええ。イリアさん。私、貴方の婚約者になります」
私の即答を聞いてイリアの視線が川からこちらへ向く。彼の目を見詰め、「でも」と、はっきりとした口調で付け加えた。
「番として人間の暮らしを捨てて山にこもるのはだめ。貴方はちゃんと騎士の仕事をして、私に楽な生活をさせてください」
「なるほど。わかりました」
イリアはふむ。と頷いて了承し私に頭を下げた。
「それでは、キャルさん……」
「それとね、婚約者になるんだから'さん'付けはイヤ。私も今からイリアって呼ぶから」
「……では、キャル。こちらへ来てください」
私の言葉に一つずつ同意をしてから名前を呼ばれ、ドキッとしそうになるのを抑えて彼の隣へ行く。
「ありがとうございます。受け入れてくれて」
イリアは嬉しそうに私を抱き締めた。愛しい人の感触を確かめながら、私の頭に頬を寄せ小さな声で囁くように話を続ける。
「貴女がやって来る日を心からお待ちしておりました」
「何日も待たせてごめんなさい……」
「いいえ。良い返事を頂けて幸せですよ」
それから今日まで毎日、仕事を済ませてから私のために森に通っていたことを彼は話した。
声色は穏やかだったけれど、時々寂しさを込めた小さなため息を溢す。その度に私の肩を抱えた腕に力がこもる。
日中街を警邏している彼からは想像出来ないような、子供が泣きながらすがり付く様子を連想させる頼りない幼さない姿。
私だけに見せる弱さに惹かれ、気付けば私も彼の後ろ頭に手を回して唇を重ねていた。
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