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手紙

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「ターニャ、これは?」

カルミアはしゃがみ込んで、封筒を手に取った。菫の水彩絵が散りばめられたその封筒は、ポケットの奥深くに押し込まれていたのか、深い折れ線がついている。
手紙の中央が膨らんでいるが、何か入っているのだろうか。指の腹でなぞると、固い金属のような感触に触れる。

封筒を目にしたターニャの顔が徐々に青ざめ行く。ターニャは悲鳴に近いような声を漏らしながら、口元を両手で覆った。

「……すっかり忘れてましたわ。カルミア様にお渡ししてと頼まれてましたのに」
「僕に?誰から?」
「ヨハン様の侍従の方からですわ」

カルミアは耳を疑った。

「.....ヨハンって、あのヨハン?」
「ええ。あのヨハン様です」

ーーヨハン・コロンビーナ。王后の息子で、ギルバートの腹違いの兄に当たる。王位継承権第二位の王子様でありながら、カルミアの親友。そしてカルミアが鎖に繋がれるようになった発端の人物でもある。

「....ヨハンが何で僕に?」
「 ...それが、ターニャもよく分かってませんの。明け方にヨハン様の侍従の方が血相を変えた様子でターニャの部屋に訪れられましたの。それでこれをカルミア様に渡して欲しいって頼まれましたのよ」

カルミアは細長い封筒をまじまじと見た。
フラップ部分に真紅の蝋封が垂らされている。蝋の中央には薔薇の刻印がある。
ヨハンの母親であるフロレーテ王后は、名誉あるイリーネ侯爵家で生まれた。イリーネ侯爵家の紋章は赤薔薇。つまりこの手紙の差出人は、間違いなくヨハンだと言うことだ。

ーー ヨハンとはあの一件以来会っていない。ギルバートとヨハンは元々犬猿の仲だったが、あの一件でさらに溝が深まったようだった。
新たな離宮の建設案が強引に進められて、時が移らない内にカルミアは閉じ込められた。そこからは知っての通りだ。蟻一匹入ってこれない程の厳重な警備に、離宮の周辺一体に出された立ち入り禁止令。
ヨハンは禁止令を破り、何度もこの離宮の前に足を運んだそうだが、その度に門前払いをされたと聞く。
カルミアはヨハンの事がずっと気がかりだった。  
クロエから聞いた話では、あれほど執着していた王位継承を綺麗さっぱり諦め、現在は外交官の座に就いているらしい。なんでも重病を患った前外交官の後釜を、ヨハンが自ら名乗り出たそうだ。事実上、ギルバートに王位継承権を譲った形になる。そのためか当時は王宮中が騒ぎになったと言う。使用人達の間では、ヨハンが平民と恋仲になっただとか、民の血税に手をつけたとか色々な噂が飛び交ったそうだが、どれも真実ではない事をカルミアは知っていた。
ヨハンは王位継承を諦めたわけではない。諦めざる負えなかったのだ。 
ヨハンは過去に、王族追放は免れないくらいの大きな弱みをギルバートに握られていると言っていた。カルミアと密会を重ねた事により、その秘密が暴露されたに違いない。所謂、報復という奴だ。
王宮の相関関係や派閥は知らないが、王宮内でヨハンの立場が危うくなったのは明白だった。

ヨハンの事を思い出すと、いつも胸を締め付けられるような気持ちになる。
ヨハンはカルミアにとって初めての友達だった。育ってきた環境も、境遇も、価値観もまるで違う。だからこそ自身の狭い世界を広げてくれる大切な存在だった。彼と過ごした時間を思い返すと、蝋に火を灯したように胸の中が温かくなる。
再び会う事が叶うのならば、ヨハンに一言謝りたいと思っていた。
友達という存在に浮つき、ギルバートの命に背いて、ヨハンと密会を重ねてしまった。そのせいで王位継承権を奪還するというヨハンの夢を壊してしまった。
ギルバートの執着心や、ヨハンが置かれた現状を考えれば、こうなる事は分かっていたはずだ。分かっていたはずなのに、カルミアはヨハンを突き放せなかった。
...だって初めて言われたんだ。友達になりたいだなんて。
惨めで、みすぼらしくて。幼少の頃から体を売り続けたこんな汚らしい男に、一国の王子であるヨハンは友達になりたいと言ってくれた。同情や憐みではなく、ただ純粋に。
嬉しかった。思わず口元がにやけてしまう程に。
ヨハンのような心優しい人間を突き放すなんて出来なかった。

冷たい水を浴びたみたいに、手がカタカタと震える。
体は正直だ。おそらくヨハンに責められるのが怖いのだろう。

カルミアは肺を限界まで膨らませて、力の限り吐いた。 
 
(···しっかりしろ。まだヨハンが僕の事を恨んでいると決まった訳じゃないだろ)

カルミアはキャビネットの上の監視用の機械をちらりと横目で見た。
監視用の機械には、薄紫色の布が被さっている。  その布は、神石の効果を薄める神術が施されている。昨晩カルミアがターニャに頼んで城外の露店で買って来て貰った物だ。

(視界もちゃんと隠れてる。ギルからは見えてない)

カルミアはターニャを見上げて言った。

「....ターニャ、念の為扉の前で立っていてくれないかな。ギルバートの足音が聞こえたらすぐに教えて」
「分かりましたわ」

ターニャは小さく頷いて、重圧感のある扉の前に移動した。
カルミアは再び手紙に視線を落とし、慎重に蝋封を剥がした。乾ききった蝋がパキリと砕ける。
カルミアは親指に力を込めて、赤薔薇の刻印を粉々にした。赤い粉がパラパラと床に落ちていく。これで封筒の中身を覗かなければ、誰もヨハンがくれた手紙だと分からないだろう。

封筒の中を覗くと、一枚の白い紙と古い銀笛が入っていた。

(...笛?)

棒状の銀笛を摘み、目の高さまで持ち上げる。
随分と古い笛だ。笛というより、ホイッスルに近いかもしれない。銀の塗装は所々剥がれ落ち、灰色の部分が露わになっている。
胴体の部分には、魔法陣にも似た幾何学模様が描かれている。

変わった笛だ。そもそも何故、笛?
ヨハンが危険を冒してまで送ってきたくらいだ。きっと何か意味があるのだろうが...。

カルミアは銀笛を見つめる。
まるで玩具のようだ。指穴がないところを見ると、息の強弱で音を変えるのだろうか。

(吹いてみたい)


どんな音が出るのだろう。
無意識の内に銀笛を唇に当てたカルミアは、ひんやりとした銀笛の冷たさにハッと我にかえった。

まるで魔法にでもかかったかのようだった。無性に笛を吹きたいという衝動に駆られ、あれよあれよと吸い込まれていった。
自分を戒めるように、首を横に大きく振る。

(...笛なんて吹いてる場合じゃない。まずは手紙だろ、馬鹿)

今は呑気に笛を吹いてる場合じゃない。ギルバートだってそろそろ部屋に訪れる頃だろう。それまでにこの手紙を読み終えて、この部屋の何処かに隠さないと。
名残惜しい気持ちで、ズボン脇のポケットに小さな銀笛を押し込めると、カルミアは封筒から二つ折りの白い紙を取り出した。紙を広げると印字のように綺麗な字が姿を現す。
ヨハンが書いたのだろうか。それとも従者が代筆したのだろうか。
カルミアは視線を落とし、文章を辿った。


手紙の冒頭はこうだった。

"親愛なる友人へ。
突然の手紙に驚かれた事でしょう。カルミアに手紙を出すか迷いました。もしこの手紙がギルバートに見つかれば、カルミアの自由がさらに拘束される事は間違いありません。もしかしたら地下牢に幽閉されるかも知れませんね。あの男の執着心は人並み外れているから。でもギルバートが即位する前に、どうしても貴方に伝えたかった。”

心臓の拍動が乱れる。長谷川樹が抱えていた心臓の病が、再発したかのようだ。
恐々とした気持ちで、続きに目を通す。

”間違った相手を選んではいけない。あの男の側室になり、共に生きていく未来を選べば、必ず貴方は壊される。昔からそうでした。何にも興味が持てない癖に、執着心だけは人一倍強く、全てを手に入れないと気が済まない。あの男は、カルミアを支配しないと気が済まないのです。あの男は欲しい物を手に入れるためならどんな犠牲も厭いません。
その証拠に、実の父親である国王陛下に毒を盛りました。理由はただ一つ。国王の権威を翳して、カルミアを支配するためでしょう。
クロエ・エーデルワイスだけじゃない。ターニャ・ユーチャリスだって、カルミアを手中に収めるための一つの駒に過ぎないはずです。ギルバートが国王に即位したら、おそらく貴方はあの男から一生逃げられない。
一週間後、ギルバートが国王に即位します。ルトベルクの第一王女との婚礼式も合わせて執り行われる。その日だけ王宮が解放され、盛大な祭りが開かれます。日頃、厳重な警備が敷かれているカルミアの離宮も、その日だけ疎になります。ギルバートも即位式が終わるまでは身動きが取れないはずだ。
おそらくカルミアが逃げ出しても、すぐには気付かれないでしょう。これが最初で最後のチャンスです。大切な友が壊われていく様を、私は見たくない。
カルミアを国外へ逃がすための準備は既に出来ています。
即位式当日、王城の裏門で貴方を待っています。共に逃げましょう。 
....最後に。同封した笛は、魔国から取り寄せた魔笛です。と言っても普段はただの笛です。満月の夜にだけ、魔笛に変化するのです。決してギルバートに見つからないように。きっと"彼"はカルミアの力になってくれるはずですよ。”

愛を込めて。ヨハン・コロンビーナより。

(…………理解が追いつかない)

手紙を読み終えたカルミアの率直な感想だった。頭の中は、収拾がつかない程の思考が絡み合っている。予想だにしない言葉の波が一気に押し寄せてきたからだろうか。
ズキズキとした鈍い痛みが頭の片側に走り、カルミアは思わずこめかみを押さえた。

壊される?支配?毒?
物騒な言葉の数々だ。ヨハンは何の証拠を元にそんな事を言っているのだろう。

(もしヨハンの言っている事が正しいというのなら、ギルバートはこれ以上僕をどうしたいのだろうか?)

よく考えて見て欲しい。
離宮一体に出された立ち入り禁止令。厳重な警備。空気を換気したくても開かない窓。鎖の伸びた鉄鋼が首に嵌められているせいで、この部屋から出る事も叶わない生活。ギルバートや専属の侍女以外、誰とも会えず、言葉を交わす事も出来ない日々。....今だって十分支配を受けてるに等しい状況だろう。

(そもそも一番信じられないのが、国王陛下に毒を盛った犯人がギルだって事だ。その理由が僕を独占するため?確かにギルの執着心は並々ならないけど。いくら何でもたかが男娼上がりの青年を手に入れるために実の親を殺すわけないって)

 ーー陛下に毒を盛った犯人は未だに捕らえられていない。
敵国の刺客。国内のクーデター。派閥争い。様々な思惑と欲望が渦巻いている王宮では、あらゆる可能性が考えられる。一国の国王が毒殺されたともあって、王国の私兵が大掛かりに犯人捜しを行っているそうだが、真相は闇の中だ。
でもギルバートが犯人というのは、あまりにも飛躍的な話だ。
確かに他の王族達と比べて、前陛下と接触する機会が誰よりも多かったのもギルバートだ。
警備の関係上、国王陛下と次期国王であるギルバート以外王宮に住まう事は許されていない。第一子のように可愛がられていたギルバートは、陛下と席を交えて食事をする機会も多かったと聞く。
しかし、それだけでギルバートが犯人だと断定する事は出来ない。そんな事を言ったら、床を共にする王后や側室だって疑わしい。よくよく考えてみれば、国政の業務を補佐する宰相だって、頻りに国王陛下と行動を共にしている。遥かにギルバートよりも毒を盛る機会があるだろう。
カルミアは、ヨハンの話を鵜呑みにする事が出来なかった。
...いや、鵜呑みに出来ないというより、鵜呑みにしたくなかったという方が強いかも知れない。
だってもしヨハンの話が本当だと言うのなら、あまりにもギルバートは狂っている。自身の欲望を叶えるために、実の親を殺す事すら平然とやってのけるなんて正気の沙汰じゃない。

ーー今世では、物心ついた頃から両親に体を売る事を強制されたカルミアだが、前世では優しい二親の間に生まれた。
おっとりとしていて笑顔の素敵な母。寡黙だけど子供想いの父。
遠い記憶の中の両親は、息子を元気に産んであげられなかった事を後悔してばかりいた。
...確かに普通の体で生まれたら、外の世界に焦がれる事もなかっただろう。心臓の痛みで苦しみ悶える事もなかった。

元気に友達とサッカーで遊んでいたかもしれない。
しかし樹は両親を責める事は出来なかった。何故なら樹の両親は、自分達の人生を捧げてまで、献身的に支えてくれていたからだ。
母も父も、高額な治療費を稼ぐために、寝る間を惜しんでまで働いていた。
樹の家庭は決して貧乏なわけではない。しかし何万人に一人という割合で発病する難病が、月々の入院費と治療費を大きく膨ませた。
たまに病室に顔を覗かせる両親は、疲れ切った顔をしていた。
それでも愚痴の一つも溢さないで、樹の話し相手になってくれた。
樹ちゃん、と優しげな声色で名前を呼ぶ母。
骨ばった大きな掌でぐしゃぐしゃと頭を撫でる父。そんな両親が樹は大好きだった。
そして樹は、そんな両親に胸を抉るような罪悪感と、伝えきれない程の感謝を募らせていた。

······それに比べて、今世の両親ときたら。
実の息子を商品にしておいて、自分達は贅沢三昧な生活を謳歌しているのだから本当に救いようがない。そういえば娼館が火事になった時も、息子を炎の中に置いて、真っ先に逃げ出したっけ。
そのおかげで地獄のような日々を抜け出す事が出来たわけだが。嗚呼、腸が煮えくり返る程腹が立つ。
前世の記憶を取り戻してからというものの、今世の両親と比較しては、樹を強く妬んだものだ。
カルミアは今世の両親を憎んでいた。顔を思い出すだけで、反射的に酸っぱい物が胃からこみ上げてくる程強い憎悪を抱いていた。
·····それでも、親は親なのだ。蟠りを募らせても、心の底から嫌いになる事なんてない。親というだけで、無意識に無償の愛を捧げてしまう。肉親への情は、まるで解けない呪術のようだ。

ヨハンの話を信じる事は出来ない。...出来ないが、生真面目な性格をしているヨハンが嘘をつくとも考えられない。やはりその事実を裏付ける証拠のような物があるのだろうか...。

「....待ってるって、何考えてるんだよヨハンの奴」

”即位式当日、王城の裏門で貴方を待っています”
その言葉が脳内にこびりついて離れない。

足枷を解かない限り、この部屋を出る事は出来ない。そんな事はヨハンだって重々承知しているはずだ。
しかし足枷を解く鍵は、ギルバートが所有している。ギルバートからあの鍵を奪わない限り、この足枷を外す事は不可能なのに。
ヨハンは一体どうしろと?

ーーきっと彼はカルミアの力になってくれるはずです。  

(..彼って誰だろう)

手紙の最後に書かれていた文章に、カルミアは疑問を抱かざる負えなかった。
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